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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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 ”『安全地帯』建立十五周年記念式典”②

「それで、本当に帰っちゃったんですか?」

 ベッドに座った少女が呆れたように言った。


 柊尊には双子の妹がいる。

 柊唯。

 最高主権者である『君主』にさえ態度を変えない尊が、唯一頭の上がらない存在でもある。

 両親のいない二人は、いままで肩を寄せ合って生きてきた。以前、『危険区域』で暮らしていたときから。

 瀬戸と出会い『安全地帯』での生活と、体の弱い唯を入院させることを条件に、尊は『騎士団』に入団した。そこで結果を出すことが、瀬戸との“契約”なのだ。


「ああ。はやくしないと、唯に会えなくなってしまうからね」

 ここ、中央省付属朱雀総合病院の面会時間は午後九時まで。それを過ぎると、当然面会することはできない。

 最愛の妹と会うことができないというのは、尊にとっては死刑宣告も同然だった。

「でも、それじゃみなさんに、ご迷惑がかかるのではありませんか?」

「いいんだよ。実績さえあげれば、征十郎はなにも言ってこないからね」

 ニコリと微笑む。唯は余計に困った顔になるが、そんな顔も愛しくてたまらず、尊はすべらかな黒髪をやさしくなでた。

「それより、もう傷は痛まないのかい?」


 先日、唯は体にいくつもの傷を負った。いまはほとんどふさがったようだが、雪のように白い肌をしているためか、その姿はとても痛々しかった。尊はそれが気がかりで、ここ数日、他のことがまるで手につかなかったのだ。

 ――部屋、ずいぶん散らかってたわよ。あんた、やっぱり私がいないとダメね。

 今朝の律子の言葉を思い出し、尊は内心舌打ちする。唯が傷を負ったそもそもの原因は、律子……いや、律子こそが唯に傷を負わせた張本人なのだ。それを考えると、腸が煮えくり返る思いだった。


「兄さん? どうかされましたか?」

「いや、なんでも……」

「兄さん」


 どうやら考えこんでいてしまったようだ。慌てて否定しようとするも、唯は尊の手をにぎると、まっすぐに見てくる。

「約束してくれましたよね? わたしに隠しごとは、もうしないって……」

 たしかに、もう隠しごとはしない。頼れるときは必ず頼る。そう約束した。

 だが――。

「律子さんのことですか?」

 尊は思わず、ハッとして顔をあげた。

「よく分かったな……」

 彼にしてはじつに珍しく、ぎこちない笑顔だった。唯はそれをやさしく包みこむような、柔らかな笑顔で答える。

「もちろんです。わたしは兄さんの妹ですから」

「そうだな」

 つられるように笑うと、ポツリと語りだす。


「アレは保釈されたよ。本人と征十郎曰く、司法取引をしたそうだ。内容は、ウイルス研究と星野孤児院に関わった防衛省幹部全員の告発。そして、これからさきは警察側のために中央省で働くことだ。理由は……」

「防衛省さんへのあてつけ、ですね」

「そのとおりだよ」


 妹の聡明さに、兄は誇らしげにほほ笑んだ。

 じつは、と唯はすこし話しにくそうに言った。

「今日、律子さんがここに来たんです」

「‼ なに……?」

「大丈夫です。なにもされてませんから」

 唯は尊を安心させるように言った。

「……そのときに、すこし、お話をしました」

「どんな話をしたんだい……?」

「傷の心配をされました。保釈されたからこれからもよろしくと。あと、先日のことはいまさら謝るつもりはないとも」

 尊の顔色が変わる。

 しかし、唯は逆に笑顔になった。


「そんな顔なさらないでください。律子さんのおっしゃるとおり、いまさら謝られても困ります。わたしは逆に感謝しているんです。だって、律子さんのおかげでこうして兄さんとの距離も縮まったんですから」


「……」

 ね?

 と笑いかけられる。そう言われては、尊はもうなにも言えなくなってしまう。

「そう、だな……」

 自嘲気味に笑うと、唯の頬をやさしくなでる。

「フッ、アレもたまには役に立つじゃないか」

 やはり、この妹には一生敵いそうになかった。




 尊が目を覚ましたのは、腹部に痛みを感じたからだ。

 寝ぼけ眼に映りこんだのは、見慣れた女の顔。

「おはよう、もう朝よ。今日は大事な仕事の日なんだから、そろそろ起きてちょうだい」

 女――律子は、切れ長の瞳をいたずらっぽく細める。

「まだ朝の五時だが」

「学園長から言われたのよ。いろいろと準備があるから、はやく来られるように起こしてくれってね」

 踵を返して出ていこうとするも、


「律子」


 その背中に声がかけられた。

「あら、あんたに名前を呼ばれるのは久しぶりね。どういう心境の変化?」

「唯に会ったそうだな」

 律子の問いを無視し、尊は逆に問いかける。

「ええ。会ったわよ」

 しかし、律子も返答を求めての言葉ではなかったようだ。とくに気にした様子もなく答える。


「それがどうかしたのかしら?」

「これだけははっきりと言っておく。俺は貴様が憎い。貴様が唯を傷つけたということを考えると、いまこの場で殺してやりたい。まったく、憤懣やるかたないとはこのことだ」

だが、と尊は一度言葉を区切り、

「唯は貴様を許すと言った。俺との距離が近づいたことを、感謝しているとも」

 尊は立ち上がると、いつもの見下すような目ではなく、まっすぐな視線をむける。


「だから俺も、ひとまず個人的な感情はしまうことにした。とりあえずは、いままでの関係を続けていこう。以上だ」


 そう言うと、もう話は終わったとでも言いたげに視線をそらす。

 瀬戸は、律子はだれかに洗脳された状態で事件を起こしたと言った。

 仮に本当だとして、それが免罪符になるなどありえないことだが、唯が許すという以上はそうするほかない。


「そう」

 ふり返ると、手を差し出した。

「じゃあ、あらためてよろしくね」

 親しげな笑顔の律子を一瞥し、尊はいやそうに舌打ちする。

「勘違いするな。俺は貴様を信じたわけでもなければ、まして許したわけでもない。それに、貴様の命の手綱は俺が握っていることを忘れるな」

 瀬戸から受け取った爆破ボタンを見せる尊。

 律子はあら、と探し物を見つけたかのような声で言った。


「学園長から聞いてたけど、本当にあんたが持ってたのね。でも、あんたにそのボタンは押せないわ。だって、なんだかんだ言ってマジメだものね。自分の感情を優先して、愚かなことはしない」

 律子の目は自信に満ちている。尊がボタンを押すことはないと、確信しているのだ。

 しばらく律子をにらみつけていた尊だが、

「チッ。相変わらずかわいげのない女だ」

 吐き捨てるように言うと、ボタンをしまう。

「なにをしている? 腹がすいたから、さっさと食事にしろ。俺は今日仕事があるんだ。暇な貴様と違ってな」

「安心して。もう準備はできてるわ。コーヒーとミルク、どっちが飲みたい?」

 尊はほんのすこしだけ笑って、

「コーヒーミルクでも貰おうか」

 と言うのだった。




 予定としては、まずは騎士団養成学園の正門前に集合し、そこから迎えの車に乗って宮殿にむかう手はずになっているらしい。

 尊が到着すると、そこにはすでに瀬戸と丹生の姿があった。


「よう、尊。おそかったな」

 軽く手をあげてあいさつする瀬戸。尊はあいさつ代わりにつまらなそうに鼻を鳴らす。

「貴様らがはやいんだ。俺は時間どおりに来たぞ」

「本当におまえはいつでもどこでも態度を変えないな。昨日は、肝を冷やしたぜ。おまえのおかげで、寿命が三年は縮んだね」

「フン、もう人生折り返し地点も過ぎているんだ。いまさら三年縮んだ程度でガタガタぬかすな」

「これだからな。まったく、やってられねぇよ。なあ、丹生ちゃん?」

 急に話をふられた丹生は、肩をビクッと震わせる。


「は、はい……で、でも、いつものことですし、仕方ないと……」

「ほう、貴様も言うようになったじゃないか」

「ひっ……す、すみません……」

「おい、丹生ちゃんをビビらせるなよ」

「数秒まえの出来事を忘れるな。さきにビビらせたのは貴様のほうだ」

 瀬戸はやれやれと肩をすくめ、

「まあ、とにかく今日はよろしく頼むぜ。重要な式典だ。これ以上、不興を買わないようにな」

「フン、重要な式典ね。だから貴様らそんなふざけた格好をしているのか」


 瀬戸はいつもそり残しているひげをきちんとそり、服装はフォーマルのタキシードで決めている。

 丹生もピンクのドレスで着飾っていた。あまり派手な装飾がされていないのは、丹生が嫌がるためだろう。胸元が大きく切り取られているため、彼女の放漫な胸はより一層際立っており、首からはネックレスを下げている。

 化粧も念入りにしているためか、普段とは別人に見えた。もし知り合いが見ても、すぐには彼女と気づかないだろう。


「どうだ、よく似合ってるだろう?」

 瀬戸が言ったのは自分ではなく丹生についてだ。

「フン、馬子にも衣装だな」

 尊に一瞥された丹生は、耳まで赤く染めてうつむく。

「今日のために専門の着付けを雇ったんだ。ちなみに、ネックレスは俺のプレゼント」

「俺はなにももらっていないが」

「ボーナスやるっつったろ?」

 だいたい、ほしくもねぇくせしてよく言うぜ。という言葉は心の中だけにとどめておいた。

 代わりに言う。


「おまえもよく似合うと思うぜ。それ」

 瀬戸は顎さきで尊のバッグをさす。

 いま尊が着ているのは、さきほど律子から受け取った『君主』専門の護衛部隊――『忠臣隊』の隊服だった。赤を基調とし、金の装飾が施されたものだ。宮殿から瀬戸と丹生を迎えに来た、という設定である。


「フン、つまらん世辞はいい。こんなものはただの飾りだ。それにしても、人が仕事をしている最中に、ただ飯ぐらいとしゃれこむとはいいご身分だな。あやかりたいよ」

「尊、まえにも言っただろ。こういう式典――パーティーってのはな、料理とかに金は使わねぇんだ。表向きは“祝う”っていう趣向だが、そのじつ“資金集め”って意味合いもあるからな。ケチれるところはケチらねぇと、プラマイゼロになっちまうだろ?」

 そう言って、まるで成り上がりの実業家が札束を見せるかのように、懐から封筒をちらと見せニヤリと笑う。


「フン、資金集めね……。よく臆面もなく“記念式典”などと言えたものだな。そういう話を聞くと、テロリストを応援したくなってくるよ」

「そう言うな。俺だって行きたくて行くわけじゃない。顔も見たくねぇ連中もゴロゴロ来るからな」

「貴様じゃないだろうな?」

「うん?」

「貴様が声明文を送りつけた犯人なら、このまま貴様をあの老いぼれのところに引きずっていけば、唯のもとに行けるんだが。それすら面倒だから出頭してくれないか?」

「寝ぼけてんのか? 俺はそんなことしないさ」

 瀬戸はわざと胡散臭い口調で言うと、わざとらしく肩をすくめて見せる。

「『君主』と宮殿は、『安全地帯』を支える重要な“柱”だぜ。それを壊すようなこと、する必要がない」

「フン、その宮殿も、たかだか声明文一枚に浮足立つようでは、さきが思いやられるがな」

 その皮肉に反応するかのように、彼らのまえに音もなくリムジンが停車した。




 宮殿につくと、瀬戸と丹生はそのまま式典会場へとむかい、尊はメイドに『君主』の待つ部屋に通された。

「柊さまをお連れしました」

 一泊置いて、どうぞ、と『君主』の声が返ってくる。

「失礼いたします」

 閉塞感のある部屋の中心で、朱莉が数名のメイドにドレスを着せてもらっている。周りには試着したらしい何着ものドレスがあり、両端のクローゼットのなかにもドレスが並んでいる。どうやら、ここは試着部屋らしい。


「あ、柊くん……」

 尊に気づいたらしい朱莉が顔をあげると、色素の薄い髪が揺れる。

 いま朱莉が着ているのは、先日『君主』が着ていたものとおなじ純白のドレスだった。幾重にもついたフリルと、優美な装飾が目を引く。先日のは普段着で、これがよそ行き、ということだろうか。

 ただ一つ違うのは、昨日『君主』が着ていたものは背中が露出していたが、いま朱莉が着ているものはそれがないという点だ。


「ど、どうかな……?」

 ぎこちない笑顔で問うてくる。

「フン、馬子にも衣装だ。貴様、俺におなじことを二度も言わせるな」

 なんのことか分からない朱莉は首をひねるしかないが、もちろん、そんなことを気にする尊ではない。

 尊の『忠臣隊』の格好をほめようとした朱莉だが、その気力もそがれてしまった。

「ドレスは唯がよく似合うんだ。そうだ、ボーナスでドレスでも買うとしようか」

 そんな少女のことなどお構いなしに、尊は一人未来予想図を描いている。

「それはどうかなぁ……」

 買ってこられても困ると思うよ、という言葉を声に出さなかったのは、朱莉のやさしさのなせる業だ。たしかに、似合うことは似合うだろうが。


「唯、さん……って、どなたですか?」

 そう言ったのは、朱莉の着付けを近くで見守っていた『君主』だった。

「柊くんの妹さんです」

 尊が余計なことを言うまえに、朱莉が答える。

「妹さんがいらっしゃったのですね……どんな方なのですか?」

「かわいらしい人ですよ。私なんかより、ずっとしっかりしてて……」

「当然だ。それより貴様、唯の個人情報をしゃべるんじゃない」

「個人情報って、ちょっと性格話しただけじゃん……」

 口のへの字にする朱莉。この少年はどうしてこうなのだろうとやるせない気持ちになるも、意外にも『君主』はクスリと微笑んだ。


「ごめんなさい。では、お話を変えましょうか。私、朱莉さんとお洋服を交換してみたのですけれど、いかがでしょうか?」

 朱莉の着ていた――騎士団養成学園の制服――スカートの裾をつまむと、クルリとターンして見せる。

「なんだ、ずいぶん仲が進展したようだな」

「っふふ。いろいろとお話をしていたもので。それで、どうでしょう?」

 と『君主』はもう一度訊いてくる。

「おなじ顔をしているからな。とくに感想はない。ただ、胸がすこしキツそうだな。いくらおなじ顔をしていても、体の成長速度まではまねできなかったか」

「くっ……っていうか柊くん。それセクハラだよ」

「ふふっ、柊さま。その『忠臣隊』の隊服は、とてもよくお似合いですよ」

「つまらん世辞はいい。……チッ、おなじことを何度も言わせるなと言ったはずだ」

 そんなことを言われても、やはり『君主』はなんのことか分からない。最高主権者にもおなじ態度をとる尊に、朱莉は心臓をつかまれたような痛みを覚える。


「ふふっ、申しわけありません。では、柊さま。柊さまは大きいのと小さいの、どちらがお好みですか?」

「どちらでも構わん。そもそも俺は、唯以外の女に興味はない」

「そうですか……」

「『君主』、あまりはしたないことはなさらないようお願いします」

 静かにたしなめた声の主は西園寺。彼は静かに部屋に足を踏み入れる。

「フン、いまのがはしたない、ね……。貴様のようなやつには、“温室で育てろ”という皮肉が通用しないから非常に困る」

「それは失礼。しかし、柊さん。先日のあなたの態度に、瀬戸警保局長は非常に困っておられましたよ。もうすこし自重したほうがよろしいのでは?」


 尊の言動にも顔色を変えることなく、どころか逆に切り返してくる。このまま言い合いに発展するのではと危惧する朱莉だが、意外にも尊は鼻を鳴らすだけでそれ以上なにも言わなかった。

「あの、ごめんなさい、西園寺……」

 尊のつれない言葉にしょんぼりしていた『君主』は、西園寺に叱られたことでさらにちいさくなる。

「分かってくださればよいのです。差し出がましいことを申しました。どうかご容赦を」

「それで、貴様いったいなにしに来たんだ? 着替えでものぞきに来たのなら、残念だったな。着付けなら、もう終わっているぞ」

「私は美神さんをお迎えに上がったのです」

 西園寺は、やはり眉一つ動かさない。尊のことなど意に介さず、朱莉に言う。

「美神……いえ、『君主』。お時間にございます。参りましょう」

「はい」

 朱莉の顔に、静かにヴェールがかけられる。


「『君主』さん。いろいろとありがとうございました。行ってきますね」

「はい。よろしくお願いします。西園寺、しっかり朱莉さんを守ってくださいね」

「かしこまりました」

 恭しく一礼し、

「分かっているとは思いますが、くれぐれも会場にはいらっしゃいませんよう。式典終了まで、自室から出るのはお控えください。必要なことは、メイドに申しつけを」

「分かってます」

『君主』がぶっきらぼうな口調で言った。心なしか、すこしムッとしている気がする。

「では柊さん、会場に参りましょう。お分かりと思いますが、此度の式典には、各地区の地区長や有権者の皆様も列席されます。先日のようなことはなさらず、警備に専念するよう、お願い申し上げます」

 疑り深い眼差しがむけられるも、やはり尊はいつものように鼻を鳴らすだけだ。


「むろんそのつもりだ。もっとも、むこうが俺に絡んできた場合は、その限りではないがな」

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