第二章 ”『安全地帯』建立十五周年記念式典”①
尊たちが通された部屋は、『君主』が来客に会うときに使われる接見室だ。
床にしかれたレッドカーペット。壁を大きく切り取った窓からは、夕日が差しこみ、部屋全体を朱色に染め上げている。そろそろ、天井から下げられたシャンデリアが照明として機能するころだ。
客人をもてなす部屋なだけあって、絵画や調度品などが多数目につくが、最も目を引くのは天井に描かれた白い衣服をまとった二人の少女の絵だった。
その部屋の中央に、白を基調とした、金の装飾が施されたイスとテーブルがある。この宮殿にあるものは、なにか一つとっても高級感がある。座るように促されるも、朱莉は居心地の悪さを感じていた。
「急な呼び立てに応じてくださり、ありがとうございます。あらためて歓迎いたします」
「フン、べつにかんげ――」
「光栄です。なに、『君主』のご命令とあらば、どこへなりへと駆けつけましょう」
尊の言葉を遮るように瀬戸が言った。白けた視線をむけられるも、彼は気づかないふりをする。
「ふふっ、お上手ですね」
『君主』は上品にほほ笑むと、今度は尊たちに言う。
「あなたたちも、学校の後で疲れていると思いますが……ごめんなさいね?」
「そう思うのなら最初から――」
「い、いいんです! 気にしないでください! それに、普段は来れないところに来れて、とっても新鮮な気持ちですし……」
二度も自分の発言を封じられ、尊はあからさまに不機嫌な顔になる。宮殿の人間たちの顔がわずかに曇るも、当の本人はどこ吹く風だ。
「ふふっ、こんなところでよかったら、ゆっくりしていってくださいね」
「フン、形式的な挨拶ほどつまら――」
「ありがとうございます! でも、本当にすごいですよね! この部屋もすっごくきれいで……」
「おい、貴様らいったいどういうつもりだ?」
「な、なにが……?」
「とぼけるな。さっきから俺の発言を封じているだろう」
「そ、そんなことないよ……?」
「ウソと言うのは分かっている側からするとじつに滑稽だな。そもそも、なぜすぐにばれるウソをつくのか、理解に苦しむ」
鼻で笑い飛ばす尊は、輪をかけて機嫌が悪そうだ。無理やり連れてこられた挙句、割りこむ形で言葉を封じられたことで、イライラが頂点に達したようである。
「貴様、さっきからその態度はなんだ?」
対面に座った初老の男性がさげすむような視線を尊にむける。
「瀬戸警保局長。あなたの紹介だから口を挟まずにいたが、この少年は無礼が過ぎる。いったい、どういうつもりかね?」
「いや、どうも申しわけない。彼は思ったことをすぐに口に出してしまう性質でして。これで悪い人間では……」
バツが悪そうにフォローしようとする瀬戸だが、
「言いたいことがあるのなら、直接俺に言うがいい。俺と征十郎を見間違えるほど耄碌したのならば、大人しく隠居でもしたらどうだ? なに、貴様一人消えたところでだれも困らんから安心しろ」
その苦労をドロップキックで蹴り崩した男は、いったいなにを考えているのか、傲岸不遜にふんぞり返って足を組んだ。
「貴様……!」
そのあまりに非常識な態度に、場の緊張感が張り詰めたときだった。
「おやめなさい、酒匂」
その鈴のような、不思議な余韻を含んだ声は、決して大きくないにもかかわらず、部屋全体に響き渡った。
酒匂と呼ばれた老人はまだ納得していない様子だったが、『君主』に言われてはこれ以上食い下がることはできないのか、ちいさく一礼すると着席した。
酒匂――彼は今朝の会見で報道陣から取材をうけていた人物であった。
「申しわけありません、柊尊さま。われわれに、なにかご意見がおありですか?」
「意見? フン、べつにそんなものはない。異常事態に現れたカリスマ的存在。大変結構じゃないか。ただ、くだらん社交辞令を終わらせて本題に入ってくれるとありがたい。こう見えても、忙しいんでね」
ウソつけ、という二名からの無言の圧迫感にもとくに反応を示すことなく、尊は喉の奥でせせら笑う。
「そうでしたか。失礼いたしました。どうも疎くていけませんね。では、本題に入らせていただきます」
場の空気は、まさしく一色触発と言った具合だが、『君主』は意に介した様子はない。
これがトップの余裕か、と朱莉は内心感動を覚えると同時に、尊敬の念を抱く。自分とおなじ顔をしているためか、すこし奇妙な感じもするのだが。
『君主』はゆっくりと、本題へと切りこんだ。
「お願いと言うのはほかでもありません。あなたがたに、私を守ってほしいのです」
ことの起こりは一週間前にさかのぼる。
宮殿に、一通の文書が投函された。
宮殿には、『君主』宛に毎日数百に及ぶ文書が送られてくる。四つの地区の運営状況、各省庁からの報告書、有権者などからの”ご機嫌取り”などなど、内容は多岐にわたる。
文書は事務室長の小清水による検閲が行われたのち、『君主』に渡される。
しかし、その小清水は数日前から体調を崩して自宅療養中だった。よって、それを酒匂が代行していたのだが、ある文書を見たとき、酒匂の顔面は蒼白になった。
そこには恐るべきことが書かれていた。
その内容は、来る『安全地帯』建立十五周年の記念式典において、『君主』暗殺のテロを目論んでいるというものだった。
予告をうけ、宮殿は殺気立った。対策本部が設置され、すぐさま『元老院』にも話がいき、対策会議が開かれた。
十五年前、研究中の事故によりウイルスが蔓延し、結果、『フレイアX』と呼ばれるウイルス感染者たちが日本中を跋扈するようになった。
『フレイアX』に対抗できる唯一の武器―『銀狼』は、研究対象であった未知の物質『ダークマター』によって得られ、それを『ナノマシン』と呼ばれる微粒子で制御しているもの。
“毒を以て毒を制す”。
瀬戸が結成した討伐組織――『騎士団』は、『銀狼』を使い『フレイアX』を駆逐し、人々の居住区域である『安全地帯』を造り上げた。
それ以来、先日の事件を除いて、異常事態のなか、『安全地帯』は文字通りの場所として機能してきた。
そして、それはひとえに『安全地帯』の政治を一手に担う『君主』あってのことだ。
その『安全地帯』ができてから十五年目という節目に行われる式典。発起人は『君主』自身であるという。数々の有権者が参加し、メディアによる報道もされるなか、万が一のことが起きれば、『安全地帯』は狂乱の渦に巻きこまれるだろう。
『君主』暗殺など、絶対に許すわけにはいかなかった。
目下の論点は、“だれ”が“なんのために”犯行声明文を出したのか、という点だった。
声明文には個人名や組織名は記されてはいなかった。
通常、こういった予告文には、個人ないしは組織の名前が記されている場合が多い。理由は言うまでもなく、自分たちの存在を知らしめるためだ。この手の連中は、自己主張が非常に激しい。だが、今回はそれがない。
そもそも、考えてみると『安全地帯』の人間にはテロを起こす理由がないのだ。『安全地帯』は『君主』によって保たれている。むろん、武力面では『騎士団』がその役割を担っているが、いくら『騎士団』が『フレイアX』を屠ろうと、『君主』による政治運営がなければ、『安全地帯』は内部崩壊するであろう。
その『君主』を、『安全地帯』に住む人間が暗殺を企てるとは考えにくい。
おなじ理由で、愉快犯による“いたずら”の線も否定できる。
「われわれは、これを『危険区域』の住人による、『安全地帯』へのやっかみと判断した」
と酒匂が言った。
「自分たちは、日夜『フレイアX』に脅かされているにもかかわらず、『安全地帯』の住民たちは、のうのうと暮らし、あまつさえパーティーを開こうとしている。それが許せない。大方そんなところだろう」
「いまの貴様の主張のなかに、気になることが三つある」
酒匂が見下すように尊を見た。それに気づきつつ、だが、もちろん動じることなく、尊はこれ見よがしに指を立てながら言う。
「一つ、連中はどうやって式典の存在を知ったのか。
二つ、『危険区域』に住むやつらが、どうやって『安全地帯』に入り、厳重に警備されている宮殿に声明文を投函できたのか。
まさか、侵入を許すほどガバガバな警備でした、と言うつもりではないだろうな?」
酒匂の方眉が吊り上がり、尊は面白そうに笑う。
「気にさわったか? だが、わざとじゃないんだ。思ったことがすぐに口に出てしまう性質でね。なに、こう見えて俺は悪いやつじゃない。許せ。
では、三つ目」
と、そこで尊は一泊置き、
「どうやら貴様らは『危険区域』の人間を犯人にしたいようだが、仮にそうだとした場合、声明文を投函したのち、やつらは『安全地帯』に潜んでいる可能性が高い。そのあいだ、連中はどうやって衣食住を確保する? 最初の疑問に戻るが、そもそも、どうやって文書を投函した? 仮に一度『危険区域』に戻ったにせよ、テロを実行するには、犯人は当日も『安全地帯』に侵入する必要がある。門の周辺に警備を置けばいいだけだ。なぜ、わざわざ俺たちを呼び出す必要がある? まさか、宮殿に内通者がいる可能性があるから、それを探しだせ、とでも言うわけではないだろうな?」
「……」
「フン、どうやら図星か」
歯ぎしりをする酒匂を、尊はバカにしたように鼻で笑う。
「ご推察のとおりです」
『君主』が憂いの表情で言った。
「この宮殿内に声明文を出した方の仲間がいる。この点は、間違いがないようです。このことについては、西園寺のほうから説明させていただきます」
その言葉にしたがい、いままで『君主』の後ろに控えていた四十代後半と見える男性が一歩前に出た。
まるで一本の刀のようにたたずむ姿は一分の隙もない。
「彼は西園寺克比古。十五年前から、私の護衛を務めている者です。彼が、独自に捜査を行ってくれました」
(あれ……?)
と朱莉は違和感を持った。
まえにもこの男と会っているような、自分はこの男を知っているという、妙な確信を覚えたのだ。
それもすぐに、少年の言葉によって現実に引き戻されることとなる。
「ほう。素人の捜査とやらで、どこまで分かったのか見ものだな。で、目星はついたのか?」
「尊、そろそろ言動を改めろ」
耐えかねたのか、瀬戸が厳しい声で言った。尊は一瞬瀬戸に視線をやったあと、分かったよというように肩をすくめて見せる。
「それに、西園寺は素人じゃない。こいつはウイルス蔓延前の世界じゃ、警察庁警備局に籍を置いていた、元警察官僚で剣道八段の“剣士”なんだ。その腕を見こまれて『君主』の護衛を拝命している。結構すごいやつなんだぜ」
いつもの軽い口調に戻った瀬戸は、ニヤリと笑って見せる。
「お久しぶりです、瀬戸警備局長。いや、いまは警保局長、でしたね」
「直接会うのはずいぶん久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「ええ、おかげさまで」
昔話に花を咲かせそうになる男二人に割って入ったのは、少年の貧乏ゆすりであった。
「あいさつはもういい。はやく話をすすめろ」
「これは失礼。では、本題に移りましょう」
相変わらずの物言いにも、西園寺はとくに突っかかることはしない。しかし、それは許しているというよりも、仕様として割り切っている、あまり関わらないようにしている、といった様子だった。
「結論から申し上げましょう。声明文を送りつけたのは、小清水という人物です。宮殿内での役職は事務室室長、宮殿における事務職の責任者です」
彼はそう言って一枚の写真を見せる。のっぺりとした顔をした白髪の目立つ男性の写真だ。
「動機は?」
と訊いたのは瀬戸だ。
「彼の家族は十五年前、『安全地帯』の体制が整うより以前に、殺害されています。しかし実際は、彼の妻とその娘は、『アドラスティア』の信者でした。つまり……」
「『フレイアX』となったために殺された、ということか」
と尊は言った。
「フン、まさか、その復讐とでも言うつもりか?」
「自分の家族は『安全地帯』に殺された、小清水がそう思っても不思議はない。われわれはそう考えております」
「まったく嘆かわしい。古くからの同僚がこれとは、恥ずかしいかぎりだ」
「そういえば、あなたと小清水さんは外務省出身でしたね」
瀬戸がふと思い出したように言った。
「ああ。二人して外務審議官を務めた仲さ。友人のようなものだ」
酒匂の言葉に尊は軽蔑したように鼻を鳴らし、
「なぜいまさらそんなことをする? 第一、そんな過去を持つ人間に宮殿で役職を与えていたというのか? それでは貴様らの無能ぶりが明らかになっただけで、疑問点はなにも解決していないが」
「家族が信者であったことは、小清水は、すくなくとも当時は知らなかった。つまり、何者かが吹きこんだのか、あるいは、最近、『安全地帯』の城壁を広げる計画で、小清水は『危険区域』に行き、そのさい、かつての自宅によってくれと警備の者に申しでたそうです。そこで信者であったことを知った可能性があります」
「宮殿の事務室長だからな。手続きさえ踏めば、各省庁の資料にもアクセスできる。そこで確信したってところか?」
「はい。たしかに彼のパスワードでのアクセスが確認されました。そして、小清水は犯行声明文が確認された翌日から、行方不明となっております。彼の自宅を捜索した結果、当日の犯行計画書も」
西園寺は懐から数枚の書類を出すと、それを尊たちに配る。
「実物を記憶し、それを書き写したものです。侵入した痕跡をすべて消した後自宅を辞したので、気づかれてはいないはずです」
「腕は鈍ってないみたいだな」
「散々叩きこまれましたからね、あなたに」
西園寺は肩をすくめて答えた。
「当日の警備状況と犯行を行うタイミングか……。『君主』が壇上であいさつするタイミングを狙うと。フン、なんとも大雑把な計画だ」
「まあ、こういうのは下手に策にはしるより、分かりやすいほうがいいからな。シンプルイズベストってやつだ」
「どうやら『危険区域』の連中を会場に雪崩れこませて、騒ぎになったところでことに及ぼう、というわけか」
と酒匂。
「あの……」
朱莉が遠慮がちに挙手した。一同の視線が朱莉を捕え彼女はちいさくなってしまう。助け舟を出すのは瀬戸だ。
「なんだい?」
「えっと……犯人が分かってるなら、いまから逮捕しちゃうのはダメなんですか?」
「相変わらずバカだな」
と切って捨てたのはもちろん尊である。
「仮に小清水が『危険区域』の連中をすでに手引きしているとしても、どうせ全員の居場所を正確に把握しているわけじゃない。馬鹿正直にどこか一か所にかくまっているとも思えん。それに、小清水の居場所など分かっていないのだろう?」
「こういうのは、一網打尽にしなきゃダメなのさ。何人か逮捕できても、残ったやつらがなにをしでかすか分からないだろ?」
「た、たしかに……なんかすいません……」
「かまいませんよ。貴重なご意見ありがとうございます」
西園寺がすこしやわらかな口調で言った。
酒匂の目がきつく細められたのを横目で見て、瀬戸は「そういえば」と思いついたように言った。
「あなたは行かれなかったのですか? ずっと仕事をしていては気も滅入るでしょう」
「そうでもないさ。それに、私は車が嫌いでね……」
一瞬暗い顔になるも、
「とにかく『危険区域』の連中を一網打尽にするためにも、小清水の居場所を特定しなければ」
「フン、居場所ねぇ……」
尊は興味をなくしたように書類を放ると、
「で、これを見せて俺たちにどうしろと?」
「柊尊さん。あなたには、当日の警備に参加していただきます」
「なに?」
「そして、美神朱莉さん」
西園寺は朱莉に視線を合わせて言った。
「あなたには、式典の間だけ、『君主』と入れ替わってほしいのです」
「え……」
目を丸くする朱莉。そのすきに尊が口を挟む。
「待て。なぜ俺が警備に参加する必要があるんだ? 今回の件は『アドラスティア』は関係ないんだろう? だったら警備部を正式に動かせ。俺に面倒ごとを押しつけるな」
「あなたを警備に組みこむというのは、『君主』のお達しです」
「なんだと?」
ジロリと『君主』に目をやる。彼女は柔らかく微笑み、
「美神さま。あなたには、当日、私と入れ替わって式典に参加していただきたいと考えております。そのさいに、柊尊さま、気心の知れたあなたが美神さまを護衛していただければ、美神さまの緊張も多少は和らぐのではと思ったのです」
「断る。俺は忙しいんだ。なにが悲しくて、こいつの護衛など。それに、べつに気心の知れた仲でもない」
「そう言うなよ、尊。言ったはずだ。これは仕事だってな。ボーナスをはずんでやる。唯ちゃんに好きなものでも買ってやれ」
この場で話が滞ることは死活問題なためだろうか、瀬戸は躊躇なく伝家の宝刀を抜く。
忌々し気に瀬戸を一瞥する尊だが、“ボーナスで唯の好きなものを買える”という点に惹かれたのか、
「今回限りだ」
と根負けしたように言った。
「では、当日の打ち合わせに入りましょう」
「必要ない。決まり次第、文書を提出しろ。俺はこれで帰らせてもらう」
そう言うと、尊は本当に席を立ってしまう。
「待て! そんな勝手が許されると思っているのか!?」
酒匂が怒号をあげるも、尊は冷めた視線をむけるだけだ。
「ここで雁首をそろえていたところで、なにかが変わるわけでもない。時間のムダだ。どうせ俺がなにを言ったところで、計画を詰めるのは貴様らなのだからな」
「そんなことを言って、もし計画が失敗したらどうする? 貴様責任がとれるのか?」
指をさして糾弾する酒匂に、尊は唇を皮肉な形に歪め、
「フン、失敗? 失敗だと? 貴様、だれにむかってものを言っている? 俺が参加する以上、失敗などありえない。
万が一のことがあれば、詰め腹を切って詫びてやる」
そう傲岸不遜に言い放つのだった。




