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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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断章 星野孤児院

 少女は庭にそそり立つ菩提樹のなかにいた。


 緑の匂いに包まれ、木漏れ日と心地よい風を全身にうけながらうたた寝をする。その両手に抱かれているクマのぬいぐるみは、彼女のお気に入りだ。

 ここでこうしていることが少女の日課であり、楽しみになっていた。

 そもそもは、ちょっといたずらをしてしかられたとき、隠れるために登ったのが始まりだった。そのときの気持ちよさが忘れられず、あれ以来毎日登っているのだが……。


「こらーっ! 朱莉! あんた、またそんなところに登って! 危ないからはやく降りなさい!」

 下から少女をしかりあげる声が聞こえてきた。若い女の声だ。

 それだけでは目覚めなかった少女だが、何度か声を張りあげるとようやく目を覚ます。

「んー……なに……?」

 寝ぼけ眼をこすりながら、視線を下にむける。そこには見慣れた顔があった。

「なにじゃないでしょ!? 危ないから降りろって言ってるの!」

「えぇー……大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないから言ってるの! あんたこのあいだ、落ちてケガしたばかりでしょうが!」

 少女の足には絆創膏が貼られている。落ちたときに足をすりむいてしまったのだ。それだけではなく、背中には数センチほどの痣もある。

 しかも痣は残ってしまうという。見ているほうは気が気ではない。


 女の名は星野祥子(ほしのしょうこ)

 ここ、星野孤児院の経営者……ということになっている。

 そして少女――美神朱莉は、この孤児院の唯一の孤児である。今年五歳になったばかりの少女だ。

「あんたが降りてこないなら、私が登っていくわよ!」

「もー……わかったよ」

 本当に登ってきそうな祥子に、朱莉は根負けしたように言うと、枝から一跳びで降りる。

 これでもうしかられるまい。そう油断した朱莉だったが、

「こら! 危ないでしょ! 降りるならならちゃんと降りなさい!」

「えー」

 言うことを素直に聞いたのに、なぜ怒られなければならないのか。朱莉は納得のいかない顔をする。


「えー、じゃない! もう登っちゃダメだからね!」

「はぁーい……」

 これは明日も登るな……と祥子は思った。

「まったく、おてんばなんだから。あんたは女の子なんだから、もっとおしとやかにしたらどうなの?」

「いいじゃんべつに! 木登り好きなんだもん」

 すっかり日焼けした顔で言う。

「言うこと聞かないと、ごはん抜きにするよ」

「えぇっ!? そんなのやだ!」

 数秒まえまで笑っていたくせに、今度は泣きそうな顔になる。


 祥子はため息をつくと、

「……ケガだけは気をつけるのよ」

「うんっ!」

 元気なのはいいことだが、毎日これでは気がめいってしまう。困ったものだ。

「じゃ、おやつ用意しといたから食べなさい」

「ホントっ!? やったぁ!」

 朱莉は顔を輝かせる。

「現金ねぇ。ちゃんと手を洗うのよー!」

 すでに走りだしている朱莉の背中に、祥子は声を張りあげて言った。


 ここに孤児院が設置されてから、今年で五年目になる。

 五年前、日本を未曽有の大災害が襲った。

 バイオ・セーフティー・レベル。通称、BSLのレベル4実験室に極秘に回収された隕石に付着していた物質。便宜上、『ダークマター』と名づけられた物質の研究中に起きた事故。

 それによって日本中にウイルスが蔓延し、大きく分けて『安全地帯』と『危険区域(きけんくいき)』の二つに分けられた。

『安全地帯』は高い城壁で囲まれ、文字通り安全が保障されている場所。『危険区域』は、ウイルス蔓延によって誕生した怪物、『フレイアX』が跋扈する、生命の危険すらある場所だ。


 星野孤児院は、『危険区域』に建てられていた。


『危険区域』は常に『フレイアX』が跋扈しており、住人たちはその影におびえながら暮らしている。それだけにはとどまらず、食糧難にも陥っており、建物もそのすべてが廃墟のようで、電気すらとおっていないため、日常生活すらままならない。食料は、『安全地帯』から捨てられたものをあさり、生活必需品などもまた、そこから捨てられたものを修理することで使える状態に直し、また、それを売る者もいた。金ではなく、基本的に物々交換となる。

 通常であれば、そんな状況で孤児院などという施設が機能するはずはない。


 しかし、この孤児院は、ただの孤児院ではない。

 ウイルス蔓延に伴い設置された新組織、中央省警保局の一部となった防衛省が運営する極秘組織だった。

 その目的は、『ダークマター』の応用実験と研究を行うための施設。

 朱莉は、その“モルモット”第一号である。

 そのために朱莉を育てるのが、祥子の仕事だった。




 そもそも、祥子は育児などやったことはない。

 今年で二十八歳になる彼女は、五年前、防衛省大臣官房、防衛政策局に配属されたばかりであった。あの事故が起きたのは、その二か月後。たまたま保育士の資格を持っていたという理由で、朱莉の世話を任された。


 大学時代に単位確保のために取った資格であり、保育士の仕事などしたことがない。

 なぜ私がと文句を言ったら、保育士の資格を持っており、若く体力もあるからと、なんとも適当な答えが返ってきた。体力面で言うなら男にやらせればというと、該当する職員がいないと言われ、さらに女を育てるのだから女のほうがなにかと都合がいいだろうという言葉で止めを刺される形となり、半ばやけくそで拝命するはこびとなった。


 最初はずいぶんと四苦八苦したものだが、最近はようやく余裕もできてきた。

 断ることもできたはずのこの仕事を引きうけたのは、将来を見据えてのことだ。

 朱莉を育て終わったら、彼女は『安全地帯』に戻され、中央省警保局内において、役職が与えられることとなっている。それを思えば、すこしの辛抱だ。

 なにより、先の見えない状況で、衣食住に加えて安全の確保されている仕事だ。大局的に見れば、自分は恵まれているのだろう。さらに、給料が高い。まあ、異常事態での最前線での仕事だ。それに見合ったものはくれなくては困るが。

 星野孤児院は、防衛省の息がかかっている人間が二十四時間、三百六十五日警備している。ここに『フレイアX』が来る心配なないだろう。


 ともかく祥子に与えられたのは、この朱莉を育てるという仕事なのだが……。

「あっ!」

 足をぐねってしまったらしい。朱莉はバランスを崩して、その場に倒れこんだ。

「こら、急に走るからでしょ!」

 急いで駆け寄るとケガを確認する。幸い、軽く擦りむいただけのようだ。

 しかし、急の出来事に驚いたのか、朱莉は泣きだしてしまう。

「泣かないの! 朱莉は強い子でしょ? ほら、こっちおいで」

 手を引いて奥内に連れていくと、イスに座らせ救急箱を持ってくる。

「まったく……危ないから、急に走ったらダメよ」

「はぁい……ごめんなさい……」

 口では謝っているが、どうせ一時間もすれば忘れてしまう。転んでケガをしたのだって、一度や二度ではない。そのたびに泣く朱莉を、あやして手当てをしてやる。


 この仕事はなんと言っても、とても疲れる。あと……疲れる。

 もっとも、夜泣きをしていたときに比べるとだいぶ負担は減ったのだが。

「いたっ」

 消毒をすると、顔をしかめて身をよじる。

「我慢しなさい」

「んー……」

 歯をくいしばって耐える朱莉。

 べつにそこまで痛くはないはずだが……。


「ほら、クマさんが見てるわよ」

 そう言うと、朱莉はたちまちおとなしくなる。

 そうこうしているうちに絆創膏をはって手当は終了だ。

「はい。もういいわよ」

「ありがとうっ!」

 さっき転んだばかりだというのに、また走りだす。祥子は思わずため息をついた。

 この仕事は本当に疲れる。

 だが……。


「おかあさん、これあげるっ!」

 そう言って、祥子が用意したおやつのクッキーを差しだす。これは彼女の手作りである。

 朱莉は祥子のことを『おかあさん』と呼ぶ。朱莉は、この世界の真実も、祥子がじつの母でないことも知らないのだ。

「あら、ありがとう。朱莉は優しい子ね」

 クッキーをうけとると、祥子は朱莉の頭をなでる。朱莉はくすずったそうにしながらも、うれしそうに目を細めた。

 この仕事は本当に疲れる。

 何度辞めたいと思ったか知れない。

 だが、

 ――これはこれで悪くない。


 最近は、そう思えてきた。

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