さらばシーナよ永遠に
『俺だったら舌噛み切って自殺するね。何よりお前ブサイクだし』
『よそだかうちだか興味ねぇけどお前がブサイクで頭チンコなのは見りゃ分かる』
『んでもってまぁ、"聞こえちゃった"もんは仕方ない』
『何よりこの店を、お前より愛してる自信が有る』
『丁度いいや。ツケにしてくれよ、今日の分』
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「いらっしゃい。……あぁ…………珍しい顔だ、本当に。懐かしいよ」
「よく覚えてんな。なに、惚れてた?」
相も変わらず閑古鳥が熱烈シャウトをかまし続ける、3番街の南端の店。商人街を外れ、地元の人間に向け扉を開くここは、だがどうも当時から地元民の信頼は勝ち取れていないらしい。
「さぁてね。くくっ、君の方こそよくこんな寂れた店を覚えてたね。惚れてたなんて知らなかったよ」
「さて。寂れたダイナーの店主がこんなに話好きなんて所までは覚えてなかったさ」
「あはは!君もあの頃より、あぁそうだね。少し眉間の皺が減ったんじゃないかな」
カウンターに腰掛け、灰皿を手繰り寄せる。
煙を咥えマッチを擦ろうとした所、白く嫋やかな手がそれを制した。
「どうぞ」
「んっ……ハァー。気が利くな、あの頃よりも」
「ボクの方は別段変わらないよ。ご覧の通り、相変わらずさ」
肩を竦め、両手を広げ。姿勢良く立つ店主の発した声は、確かに伽藍堂とした店内によく響いた。
「街はどうだ?」
「見て回らなかったのかい?」
「んー……そんな暇が無かったと言うか、そもそも逃げてきたと言うか……」
「"逃げてきた"?……くくっ、君も"恋に恋する性質"なのかい?」
「アァ?」
煙を吸って、怪訝そうに音にした言葉と共に紫煙が燻る。
ひとしきりそれの流れを目で追った後、店主に向き直る。
「何がいい?えぇと君は……何が好きなんだっけ?」
「悲しいぜ、"ベイ"よ。"恋人"の好みくらい覚えてて損は無いだろ」
「くくっ、すまないね。ボクの"恋人"はそこの辺りが分かり辛くてね。つまらなそうにメニューを眺めた後決まって言うのさ、"味が濃けりゃなんだっていい"って」
なんだ、しっかり覚えてんじゃない。
「腹は減ってないんだ。それよりも今は、とびきり冷えたコーヒーをくれ」
「この店で酌をしなくていい客は君くらいだ」
店主はにこりと微笑んで、言葉を切った。
グラスいっぱいに詰め込んだ氷の隙間を縫って注がれるそれは、俺が知るどの店よりも薫り高く。
それを注ぐ店主は俺が知るどの店よりも。
「女の前で酔うとロクな事にならねぇんだ」
「何か手痛い失敗をやらかしたのかい?」
「"そういう奴"はごまんと見てきた」
「"あぁ、そうだろうね"。さ、どうぞ」
心地良い。
「ほんと、繁盛して無くて良かったよ」
「くくっ、潰れなくて良かったよ」
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「この時期って事は、収穫祭かい?」
「んー……まぁ、そんな所かな。仕事ついでに、的な」
ハッキリと覚えてる。
あれは3年前、初めて彼が来店したのもこのくらいの時間だったかな。国外の人間が足を向けない3番街の、更には国内の人間さえ足を向けないこんな店の戸を彼は叩いた。一目見てギョっとしてしまう程禍々しい大鎌を引き摺りながら、席に着いてすぐ煙を咥える。
「1人かい?」
「ん?いやえとー……30?くらいだと思う確か」
「それは……些か多いね。よければこの店に招待してくれないかな。ほら、こんな状況だろう?」
「幸福は分かち合わない主義なんだ」
「くくっ!本当に惚れてるんじゃないだろうね」
言葉遣いと、この遠回りな喋りのクセ。西の方の人だろうとは"あの時"すぐ分かった。
だとしたら、30人なんて大所帯はアインベッカーが抱える傭兵団の事だろうか。
「しかし、らしくないんじゃないかな」
「何が?」
「傭兵団さ。と言うよりもボクの目には、君が"属して生きる事"に重きを置いてる様には見えなくてね」
「……俺はお前に出身地の話をした事があったか?」
「さぁてね。しかし、収穫祭には"君達側"じゃなく"彼女"が来ると聞いていたんだけどね」
含んだ様にして笑うボクをキョトンとした顔で眺めた彼は、口の端だけを器用に吊ってからからと笑う。
「"あんな生き方"、やってらんねぇ。あいつ20超えてすぐハゲるぜ」
「ボクも禿げるのは勘弁だ。感嘆するばかりで、真似しようなんてとてもとても」
片眼を隠す様に伸ばした髪型と、そんな笑い方はよくマッチして見える。
「もう街には入ってんだろ?」
「あぁ、数日前に私兵を20人程連れて。中々堂に入った行進だったよ」
「はぇー」
あの時から知りたかった。この人が何に笑い、何に怒り。
けれどあの時の彼は半分程しか覗かせていない顔を、自らが燻らす煙で更にひた隠し。その奥にある同じ色の瞳に映す何もかもを、誰からも気取られない様にして。
少なくともボクにはそう見えた。
「あの時に、こうして話をすれば良かった。君の声は、素敵だね」
「"ガーデニングの趣味は有るか"?」
「くくっ。仕事はしてくれ、傭兵さん」
「こんなすっからかんの店の手伝いくらい、いくらだってやってやるさ」
別段静かな生を愛してるわけじゃなかった。
けれどこの店を開いてからは、慣れてしまったのかな。物静かに、心の動かない生に執着してしまう。
この人とどれだけ言葉を交わしても、ボクの心はざわめかない。
きっとこの人もボクと同じなんだって、そんな風に思えば思う程。
「本当に……懐かしいな。あの夜の事」
「はて、とんと覚えが無いんだが。まぁきっとイイ夜だったろうさ」
「くくっ。あぁ、あの時"切ってもらえば"良かったと、今更何度も後悔するほどにね」
あはは。
いい歳して、ボクもダメだね。
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コリエタ主導で進められていた区画整理、これをべレンツ民で組織した自警団が乗っ取る様な形で利用した結果、街は5つに割れた。
ボクがべレンツへ移住したのは6年前。いやはやなに、あんなゴタゴタに巻き込まれると知っていたら地元で燻る事を良しとしただろうね。
それ程に喧しく、荒っぽい時期だった。
「なぁ、いいじゃねェか。憎きコリエタを打ち払ってやったんだ。感謝されこそすれ、んな態度を取られる覚えは無いぜ」
「勿論感謝はしてるさ。ボクが今こうして君のグラスに地酒を注げるのも、君たち自警団のお陰だよ」
「だったらよォ、なぁ?」
「よ、よしてくれ。さぁ、もう店を閉める。帰ってくれよ」
いつもと変わらない、心穏やかに、けれど些か穏やか過ぎる客足に苦笑いしていたそんな3年前の、とある日の夜。
移住した時期が悪かった。3番街に土地を貰ったものの、数年前ひょっこりやってきたボクなんかにべレンツの人々は冷たかった。
コリエタとの騒動があった故致し方ない事ではあるけれど、ボクの出身はハンネン東部の名も無き村。
先の騒動とは無関係なんだと声を張り上げる事を面倒がったのも良くなかったのかもしれない。
閑古鳥が鳴き続け、それを聞いた街の皆はこの店の戸を叩くのを躊躇った。
「オイオイ、てめぇみてぇなヨソ者の店にこうして金を落としてやるだけ有難く思えよ」
「分かってるさ」
「いいや、分かってねぇ。ほら、ちょっと来な」
「あぁ頼む、荒々しいのは好きじゃない。お願いだ」
「優しくしてやるさ。オイ、来いって!」
地獄だ。
彼が言うには、自警団の上から3番目。コリエタとの小競り合いでも多くの兵士を屠ったそうな。どこからどこまでが事実なのかは知らないけど、けれど今、ボクの置かれてる状況が地獄以外の何物でもないというのは紛れも無い事実だった。
人に愛され、疲れた皆が羽を休めたくなるとまり木の様なお店を。お酒が飲めて、モーニングもあって。そんなお店を開きたかった。
平穏の日々を求め、そして、そんな小さな夢を抱いてやって来たここべレンツで、どうして他所者というだけでこんな扱いを受けなければならないのか。
そんな風に思いながら、カウンター越しに握られた腕を捻っては戻し、捻っては戻しを繰り返す。
「ヘヘッ、イイじゃねぇか。この街で商売してェんだろ?街の奴らにゃ上手く取り入ってやる。な?悪くないだろう」
「そこまでしてもらう義理は無いさ。さぁ、帰るなら帰っ──痛っ」
「あんまり、ナマ言ってんじゃねぇぜェヨソ者がよ!!オラァッ!へ、ヘヘ、イイじゃねぇか!イイ身体してんじゃねぇか!!」
腕から手を離した彼は胸元に手を掛け、出来るだけ乱暴に、力一杯にそれを両方に引っ張った。無残に飛び散るワイシャツのボタン、隙間風に乗る夜風が、風通しの良くなった胸を撫でる。
「お願いだ。もう、乱暴はよしてくれ……」
「イイ子にしてろ。そうすりゃ、な?」
酔いで赤らんだ彼の顔は、一層下品にまた朱を帯びた。
首元にあった無骨な指が胸へと這う度に、頭の先から足先までを不快感が駆け抜ける。
本当に、地獄だと思った。
その、刹那。
「……え、なに。取り込み中?」
店の扉が開いたんだ。
視界の先に現れた、灰色の髪の男性。
「見て分からねぇか。出て行きな」
「あ、りょーかいでーす」
彼は確か、数日前からここに来てくれるお客さん。
味の濃い料理とアイスコーヒーを頼んでは、煙を咥えて微睡む様に時間を過ごす。
「ヘヘッそうだ、いい子だ。おいおい!これまた中々に"悪い子ちゃん"がついてんじゃねぇか!こいつァ躾が必要だァ……。おい、逆らうんじゃねぇぞ?分かってるな」
「あっ……や、やめ……」
腰に挿した長剣をチラつかせ、荒い鼻息が耳元にかかる。
悍ましくて、吐きそうだった。
何も悪い事なんてしていないのに、ただ今日も、いつもの様にたまにやって来る客の相手をしていただけなのに。
あぁ、もう。
本当に地獄だ。
願わくば、誰だっていい。
こんな地獄から。
「助けてくれよ……」
そんな風に、言葉が漏れた。
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段々思い出して来た。
えと、3年だか4年だか前。
どこぞのオッサンから大鎌をかっぱらって1年程経った辺りだったか。その足で宛も無く、ただただ東へ歩を向けた。
賭けでスッた旅の路銀を求めて彷徨っていた俺は、コリエタ国内のゴタゴタの噂を頼りにべレンツを目指した。
国が起こったり潰れたりって時期は何処も同じで労働力を求めるもんで。
なんか楽な仕事が転がってないかなーって、そんな感じで。
べレンツへ入った俺を待っていたのは、あぁー……。アイツなんて名前だっけか。まぁなんせ自警団だと名乗る連中とウマが合い、仕事をよく貰ったんだった。
5番街にシミったれた宿を取って、2週間くらいだっけね。
大工紛いの仕事を終えて、初めて来店してから即お気に入りになった3番街のダイナーを目指した。
カウンター奥にワインセラーがあった事を思い出し、そういやここに来てまともに酒を飲んでねぇな、でもコーヒーが美味いからな。なんて事を思いながら。
「──子にしてろ。そうすりゃ、な?」
ファックだクソッタレ、俺以外にも客いんのかよ、と。扉の向こうから漏れ聞こえる喧騒に肩を落として扉を開く。
すると、だ。
「……え、なに。取り込み中?」
「見て分からねぇか。出て行きな」
「あ、りょーかいでーす」
店主の女が胸元をはだけさせ、客のブサイクと場所も弁えずに交合おうとしているではないか。
店主の表情は伺えなかったが、まぁ野暮なこたするもんじゃない。ブサイクの言葉を受けすぐ様回れ右。
ここより他に大した店を知らない俺が、行きよりも重くなる足をえっちらおっちら上げ下げしようかとした矢先に、耳を掠めた。
「助けてくれよ……」
あぁ、めんどくせぇ時に来ちまったな、と。
あの時ただただそう思った。
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「……いくら感謝しても足りない。にも関わらずあの日の彼は、名を告げる事もしなかった彼は。ボクの礼を受け取る事を拒んだんだ」
「ん、ツケて貰ったんじゃなかったか?ソイツは」
「それじゃ足りないんだよ」
そう、この声だ。俺はこれが好きだった。
うなじから背中に掛けてを優しく撫で付ける様にして響くこれが、あの頃の俺には丁度いい子守唄だった。
「"着せっぱなし"にしたい訳じゃ無い。あの時言わなかったか?」
「……物覚えが悪くてね。もう一度聞きたい、君の口から」
「欲しがりさんめ、"悪い子"だ」
そんなこんなで互いに噴き出して。
あぁ、いい店だ。
「俺はこの店を愛してんだよ」
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「1つ訂正だ」
「何かな」
何も告げる事無く、新しく咥えた煙に火を灯してくれる。今度は会釈だけで済ませ、言葉と一緒に煙を吐いた。
「俺のツレは、そんな物騒めいた連中じゃない」
「おや、違ったのかい?それは失礼。では、どんな?」
「もっと"サイコー"な連中さ」
「……くくっ、"その物言いで"出身を隠そうなんて無理な話だよ」
「別段そんなつもりも無いさ」
口元に手をやり、その奥で喉を鳴らす。
俺よりも若く見えるが、これの方こそ堂に入ってる。
「お前の声は、場末のダイナーに置いとくのは惜しい」
「ダメだよ、店を閉めるには少し早い。今日に限ってこんな時間にお客さんが来ないなんて限らないだろう?くくっ、あの夜もそうだった」
「あの夜"ツケにした分"、返させてくれ」
「……君のは、そうだね。蠱惑的だ」
「だからこそ、熱に浮かされたお前の心は高鳴らない」
「あぁ、違いないよ」
カウンター越しに少しだけ、2人の距離は縮まっただろうか。
灰皿に添えた煙を揃って纏い、少しずつ。
「ほら、これなら誰にも見つからない」
「煙を纏って、人目を盗んで。くくっ、背徳的だよ」
潤んで輝く瞳の奥に、煙が囲う隙間の中に。
酔い痴れたくなる、女の香り。
身を乗り出す女の頬に手を添え、艶やかな唇をそっと撫でる。
擽ったそうに身を捩る様は、扇情的で愛らしい。
「そう、この香り。この、煙の香りが好きだった」
「いつまででも燻らせてやるさ」
2人の吐息が煙を揺らし。
「こうしてる限り、な」
「んっ………」
2人してそれを、齧りつく様に迎え入れて。
溶け合う事に、身を委ねて。
「……ねぇ、もっと。……せめてこの、君の煙が消えるまでは」
「あぁ、いい響きだ」
そうして、俺は──。
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「すみません、この辺りで変な髪型をした片眼の男性を見かけ……ま……」
「あー死んだわこれ俺」
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頬を腫らす事になった訳だ。




