看板娘と日の出と煙
世界に色を
世界に音を
世界は霞む
世界と霞む
▲▼▲▼▲▼▲▼
「おい聞いたかよ」
今日も酒場は賑わっている。アインベッカーの属領であるこの地だが、都心からは東にかなり距離を取り、商国の傭兵達よりも地方領主の私兵達がその実治安の維持に務めている。遊び好きの彼の領主は自国への奉公よりも街全体を活気付かせる事に力を入れ、税もさして高い方では無い。その代わり手持ちの私兵の能力は各領主の持つ私兵の中でも有数の実力で、度々他国家との小競り合いで武功を建てている。
「どうした?」
「また死んだらしいぜ、今度は8人。しかも国属の傭兵達だったって話だ」
そんなとある街の、とある酒場。
草木に囲まれたこの地には、幾世代も前から語り継がれる言い伝えがあった。
「かぁーそりゃひでぇ。またあの森か?」
「そうだ、"ミュルクウィズの森"だ」
東の森には宝が眠り、宝の上には悪鬼が眠る。と。
▲▼▲▼▲▼▲▼
「なんか、柑橘系の飲み物はある?」
「あるよー!採れたて新鮮のあまずっぱーいやつが!」
「甘いだけの方がいいんだけど」
「大丈夫だよ!疲れてる人にはすっぱく感じるんだけど、お兄さん不健康そうなだけで元気じゃん!」
ふむ、難しいことを言われた気がする。あながち間違っては無いんだろうが。セルフイメージなんて当てにならない事の方が多いんだから。
「そうだねぇじゃ、あまずっぱいそれと」
しかしうるせぇ酒場だなここは。活気が無いよりマシなんだろうがそれににしたってぎっとりしたオッサンだらけ。あれか、酒や飯そっちのけで、ここの看板娘である所の俺を不健康と称した彼女の乳を拝む為か。
「あとは銀貨1枚辺りで適当に見繕って。味は濃い方がいい」
「はいよー!」
元気な事はいい事だ。気持ちがいいようん。以前通りがかったアマレットの息のかかった街はまぁ最悪だったね。余所者に当たりが強いし何かにつけて布施をしろだの祈りを捧げろだの鬱陶しいったらありゃしない。泊まった宿屋も最悪だった。泊めてもいいがまず布施しろとかなんだそれは。これだからあっちの方には行きたくない。しかも宿屋の店主が七三分けの仏頂面のおっさんだぜ。誰がお前みたいのに布施てやるかってんだ。
そもそも長くアインベッカーで過ごした俺が何を神と崇めりゃいいんだ、金か?だったら一層御布施なんてゴメンだね。
まぁそう考えると看板娘ちゃん素敵。エプロン越しのシャツ越しのたわわに実った谷間に布施れるだけ布施してやりたい。うん、そりゃ賑わう訳だわ。
カウンター越しに働いている酒場の人間も次から次に来る注文にせっせと立ち向かっている。いいねぇ、労働ってのは尊いもんだ。
尊き行いにひたむきに向き合う聖人達を眺めながら上着の内ポケットにしまっていた煙を1本取り出す。次いでマッチを取り出そうとあっちじゃないこっちじゃないと自らの身体をまさぐる俺は果たして今どう見えるのか。
要するにアレだ。火がねぇ。
後ろの円卓を囲っている、看板娘ちゃんとは180度真逆に位置する生き物達に声をかける。
「よぉ旦那、マッチはあるかい?」
5人いるうち2人禿げてる。こうはなりたくないもんだ。
「あぁ。ほら」
「ありがとよ」
投げ寄越されたそれを受け取りいつものように火を付け、深く煙を吸い込む。揺蕩う紫煙を目で追いながら。今日1日の疲れを纏めて吐き出した。あぁ、いいね。この時間は。
気を良くし柄にも無くニコニコしたまま投げ返そうと思ったが、俺にマッチを寄越してくれた善なるハゲはそれを手で制した。
「それもう全部やるよ」
「あぁ?金なんてやらねぇぞ」
いつだったかどこだったか、旅の途中にそこそこシュッとした若者が、街の噴水近くでのんびり今みたいに煙をやっていた俺に近づいてきた事があった。シュッとした彼はおもむろに俺のブーツを磨き始め、ちょうど煙を1本やり終わった後にキラッキラの笑顔で代金を要求してきた。あれ以来良くわからない善意には敵意で対抗しようと極力努めることにしている。
「なんだにいちゃん、俺が物乞いにでも見えんのか?」
日の出には見えない事も無い。
物の見事に晴れ渡っている地平線だ。
「うちんとこのがな、いい加減やめねぇとケツに火付けて家から叩き出すってんだ。だからもうやめようと思ってな。吸わない俺が持ってるよりもお前が持ってる方がいいだろうよ」
「あらそう」
奥さん、頭に付けてみてはどうだろうか。ほんとに日の出みたいになるよ。
なんてことを考えたせいで少し含む様に笑ってしまったらしく、怪訝そうにするハゲから熱い視線を送られ、居心地悪く煙を咥えたまま答える。
「そういう事なら有り難く」
また聖人達を眺めようと居直ろうとした所、ハゲの隣のハゲに声をかけられた。
同じく光り輝く彼には、円卓を囲う皆々様同様腰元に趣味の悪いもんがぶら下がってやがる。
治安が悪いのか、それともこいつらのお陰で治安が良いのか。
「にいちゃんこの辺じゃ見ねぇ顔だな」
そうだろうね。
「それにテメェの"それ"、なんだいそりゃ。兵士にも見えねぇし」
兵士は大鎌なんて持たねぇだろうな。
だがお前達のよりはいい趣味してると思わねぇ?思わねぇか。ハゲてるしな。
「これはあれだ。護身用だよ、物騒な世の中だ。あんた達の腰に付いてる両刃のそれと、形が違うだけさ。で、俺は旅人」
「どこから来たんだ。どこへ行く予定だ?」
グイグイだなこのハゲ。
「西から来た。目的はねぇけどこのまま東に進もうかな」
旅に目的なんて要らないんだよ。散歩の延長みたいなもんだ。
「ゲハハッ!聞いたかよおい!」
俺の言葉を受け、ハゲとハゲ、残りのふさふさ達が手を叩いて笑い出した。あれそういえばなんか料理遅くない?あと笑い方嫌い。唾めっちゃ飛んでる。
「気分悪いなァアア!!」
「あぁ、すまねぇ悪気は無ェんだ!いや、余所者なんだ知らねぇのも無理はねぇ」
「──"東の森には宝が眠り、宝の上には悪鬼が眠る"」
ハゲの言葉を受けたのは、漸く料理とあまずっぱいそれを持ってきてくれた看板娘だった。遅くなってごめんねとペロッとウインクする彼女を責めたてるくらいなら、どこぞの七三に布施した方がまだマシだろう。
木で組んだジョッキを傾ける。乾いた喉に採れたての柑橘の果実の旨味が広がってくる。よく冷えてる。それでいてゲロ甘い。
どうやら疲れてなかったらしい俺は看板娘に聞いてみる。
「なに?教典の一節?」
「バカかにいちゃん。だとしたら悪鬼が居るのは南じゃねぇか」
ふむ。見た事無い魚のオンパレード。赤いのやら青いのやらなんやらかんやら。身は引き締まっていて脂も乗ってそうだが、果て、そもそも人の食い物として成り立って居るのかどうか。
「違うよーん。あのねぇ、この街から東に行った所に森があるんだけど」
ミュルクウィズってんだよ。と、グイグイハゲが付け足してくれる。ミュルクウィズ。聞いたことないな。
「そう。ミュルクウィズの森って言うんだけど。この辺りに住んでる人らはみんな代々親から聞かされてきてるの。東の森には悪鬼が出るぞー!って」
「悪鬼?」
宝の上に眠る悪鬼。
長くふらふら色んな土地を渡り歩いて来てるから、各地で似たような話を聞かない事も無い。悪鬼ってのはゴブリンかオークの事を指すのかな。だがあんなただぶりぶりしてるだけの奴らを、わざわざ悪鬼だなんて称するだろうか。
「オークか何かかな?」
疑問をそのまま口にする。
答えをくれたのはマッチをくれた日の出の彼。
「いいや、誰も知らねぇんだよ」
んんー。
「要領を得ねぇな」
何世代も前から語り継がれていて、誰も知らない?
そんな疑問を抱いた俺を、だがこの場に於いて間違った作法を取ったのは俺の方だと非難する様に、皆然も当然という表情である。
新顔イビりは良くないぞお前ら。
「重ねてすまねぇ。あぁそうだよ旅人のにいちゃん、要するにこういう事だ。東の森に足を踏み入れたやつがもう何人も何人も帰ってこねぇんだよ」
……要するにと立て直した割には薄い説明だったが多少は理解出来たぞ。要するにあれだな、なんかの魔物の類がそこに住んでてみんな殺されてんだな要するに。うん……うん?
「ちょっと待て」
「ぷはー!すっぱー!」
あと看板娘お前店のピークが去ったからって俺のあまずっぱいそれ自分のみたいに飲むのやめて。減ってるから。俺ひと口しか飲んでないのに半分きってっから。ぷはーじゃねぇから。
「だったらどうして宝の上に眠ってるんだ?その悪鬼って奴は」
東の、そのミュルクウィズの森に立ち入った者が全員悪鬼とやらに殺されてんだとしたら、宝がどうだなんて言い伝えはどうして受け継がれてきた。
「そりゃ知らねぇよ。俺達もずっとそう教わってるだけなんだ。聞かされた時からそうだったんだから疑問なんて持たねぇさ」
「うーーん、うまっ!やっぱパパの料理はサイコーだね!私ももうちょっとなんだけど何が足りないんだろうなぁー」
いいね、好きな思想だ。いい事を言うハゲだ。あと看板娘遂には魚をマイフォークでつつき出すのやめて。まだ食べてないんだからそれ。うーんじゃねぇから。
「まぁそんなもんか」
チラチラと看板娘に目配せすると刺した魚をそのまま口元に運んでくれた。あらやだ何この子可愛い。許す。
味がちょっと薄いけど、弾力があって食いごたえがある。
もごもごしながら答えると日の出も自らの卓に並べられた骨付き肉にかぶりつきながら言葉を続ける。
「そんなもんだよ。現に入った奴らがみんな帰ってこねぇんだ。て事はだぜ?悪鬼ってのはいるんだろうよ。そんでもって言い伝え通り悪鬼がいるんだから、宝があるんだろうなって考えたって不思議じゃねぇだろ」
「だな」
しかし、だ。
「ここの領主は何やってんだ?街の近くにそんな怖いとこがあんのに兵を向けないのか」
街からそこまで離れていないのなら、悪鬼とやらの存在は厄介だろうに。
「だからよぉ、何世代も前からの言い伝え通り近寄らなけりゃ悪鬼に襲われねぇんだ。それに地理的に言えば森を抜けた先は海を挟んでデュボネが在るだけ。偉いさん同士も向こうとは仲良しこよしのはずだ」
「故に問題無し、死んだ奴らは自己責任、と」
「そういうこった」
さして対立しているという訳ではない両国を分かつ森と海。大きさの程は知らないがアインベッカー、デュボネ共に互いの領地を行き来するならここから東南にある関所を通るだけでいい。後は北に港、かなーり南迄行けば非合法の渡しも出ているんだったか。まぁだからこそ、ここの領主の森への治安維持の意識も薄いんだそうな。
しかし困った。あてのない旅をしてると度々こういう事態に陥ってしまう。つまりは行こうとした先に道がないっていう。海を泳いで渡りきる気力と能力は俺には無い。というか俺は泳げない。
はてさてどうしたもんか。
気付けば根元近くまで灰になっている煙を消し、新しいものを取り出し、再度火を付ける。深く吸い、吐き出す。
このルーティンはいつ触れても愛おしい。
ちなみに看板娘は看板娘の生みの親と見られる聖人の1人に頭をはたかれ裏に引っ込んで行った。
ファックだあいつ、結構食いやがったな。
「でよぉにいちゃん」
全員で食い入るように見つめられるとハゲが感染しそうで怖い。カムバック看板娘。
「なんだ?」
「おめぇ東に用があんだろう?」
正確に言えば寧ろ用がないから俺は東に行くんだが。あと行き先は現在ブレにブレている。
「まぁ、宝に興味が無いわけでもないしチラッと覗くだけならその森を見て行きたい」
「いいぜにいちゃん。おめぇさっきから見てて思ったが伝承を聞いても動じてねぇな」
「はぁ」
いやまぁ怖くない事も無いんだけど。最悪その悪鬼とやらに謁見する事になったとしても平伏しながらタンカレーの国歌でも歌って笑顔で通り過ぎればなんとかなるんじゃないかしら。ほら、魔法使いって魔物を使うんじゃなかったっけ?どうせその類なんじゃないの?だーいぶ魔国からは離れてるけど。
「それに俺達みてぇな相手にもその態度だ。そこそこ腕に覚えがあんだろう?」
「ンなこたねぇ。あんたら5人いるうち1振りで切れんのは2、3人くらいだろうさ。そしたら刃を返す前に、残りの2人に切られて死ぬだろうよ」
あんたらがよっぽどとろっちく無けりゃ、ね。
「聞いたかよロズワルド!このにいちゃん、俺達まとめて3人切りやがるってさぁ!」
ほほぅ。日の出はロズワルドというのか。
「あぁ聞いたぜグンダール。俺の刃で切れんのは嫁に投げ寄越される野菜だけだってのに、このにいちゃんは肉が切れんだとよ!」
手を叩いて笑うグンダールとロズワルド。
楽しそうだなこいつら。悩みとか少ねぇんだろうな。じゃあこのハゲ方はなんだ。業か?業でハゲてんのか?
「で、結局なんなの日の出グイグイ」
「なんだ日の出グイグイって」
「すまん忘れてくれ兄弟」
失言だった。
ちょっとばかしの同情と共に廻り方を忘れ掛けた脳を叩き起こし。新しく俺の視界から登った情報は不思議そうにこちらを見ていた2人。
その2人が改まって卑しく笑う。ニタァってな感じで。
ヒデェ顔だぜお前ら、モテねぇぞ。
「儲け話に乗らねぇか?」
▲▼▲▼▲▼▲▼
ロズワルド氏とグンダール氏が言うところの儲け話を纏めると以下の3点。
1.ミュルクウィズの森に俺達も連れていけ
2.そこにいる悪鬼を討ち果たし、宝を手に入れよう
3.宝を手に入れたその足で一度引き返し、この街まで護衛しろ
てなことらしい。
別に悪い提案じゃない。が、わざわざ危険を冒す彼らの気が知れないのでその真意を問うてみる。
以下、2人の回答。
『娼館にな?えれぇべっぴんが入ったんだ。だがよぅ、そこの店が高ぇのなんの。1晩で金貨10枚だぜ?』
『だからよぉ、俺達は金を稼ごうと思ったんだ。ただ稼ぐんじゃねぇ。その女娶るくれぇの額を纏めてだ』
『気の遠くなるような金額だが、御誂え向きにこの街の東には宝が眠ってるって話なんだ』
『乗らねぇ手はねぇよなぁ?』
なんて素敵な頭してんだと思いました。あ、中身の話ね。
まぁ、見つかった宝は山分けって話だし、護衛の名目で報酬も出る。後払いだが。
一度引き返すのは面倒だがまたこの酒場に戻って看板娘を眺めつつ手に入れた宝と報酬で持って今度は肉でも食えりゃ、俺としても無駄足ってわけでもないだろう。
独り身の旅だがどうしたって金は要るんだ。ハゲらの言う通り楽に稼げるに越したことは無い。
宿屋に戻り、明くる日の朝。東の町外れに向かうとロズワルドとグンダールは既に到着していた様子。遅えじゃねぇかと背中を叩かれ非常に暑苦しい武闘派が好む肉体的コミュニケーションに眉を顰めつつ。
「残りの3人は?」
「あぁ、奴らは来ねぇよ。今日になってブるっちまっのさ。もともとケツの穴のちいせぇ野郎どもだ」
「俺らだけで大丈夫なの?」
「知らねぇよ!いざとなったら頼りにしてんぜ兄弟」
やめてくれ。
俺もハゲちまうかもしんねぇじゃねぇか。
「そういやにいちゃん名前を聞いてなかったな。なんて名だい?」
森に足を踏み入れながら2人がこちらに視線を送る。
煙を取り出し、火を付け、深く吸い、吐き出す。
やっぱいいね。
「シーナ・ラーゼンだ」