酒好きなピヴワーヌ
「おい嬢ちゃん、聞こえてんだろ?相手してくれよ」
世界は悪意に満ちている。大なり小なり、目に見えぬそれではあるが、必ずしも存在する。当たり前の話ではあるのだろう。善を説くのも悪を説くのも皆往々にして世界の住人で、それら全てはそれら全てを正しく見積もる方法を見出さない。見積もる事を必要としない。そんな事を知らずしても、物を考え、物を語る事が出来る。
それらが語る善なる物。それらが語る悪なる物。
果たしてそれらは、生まれたままにして"そう"なのだろうか。
往々にして世界を満たす、世界を世界として認識する存在は。
世界の為に生まれたのか。
世界によって生まれたのか。
皆往々にしてそれを、正しく見積もる方法を見出さない。
"そう"なのかもしれない、と。
在り方に気付く事を。
仕組みに気付く事を。
皆往々に。
恐れているのだ。
「なんだ。貴様の様な者と口をきいている程私は暇ではないのだが」
街の名も意味を成さない。
こんな小さな片田舎の者でさえも。
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「して、ここには何をしに?うぬの父母の地に行くにはどうしても海路を取る必要があるじゃろう?であれば、向かうべきは北西にあると言った波止場ではないんかえ?ぬしに着いて行く事はやぶさかでは無いが、無駄足を踏むとなれば話は別じゃぞ」
「そうしたいのは山々だがな。酒を買いに行くのだ。貴様が全て飲み干した、私が買っておいた酒を、だ」
あぁ、思い出しただけでも腹が立つ。こいつに飲まれた私の酒の件も、昨晩泊まった宿屋の店主の私を舐る様に見つめてきた視線も、昼食を摂った際訪れた店で振舞われた味の濃すぎる料理も。
「……腹が立つ」
「はて、今は妾がぬしと同化して無い故に"あの日"になる事も無いと思うのじゃが……癇癪持ちの気でもあるんかえ?」
こいつ……。
「必要の無い口をきくな」
「……ふむ。合理的な事は悪ではない。では果たして先程のぬしの零した言葉は合理的な考えに則ったモノと言えるんかのう。突き詰めていけば感情に起因する言葉とは、得てして意味を成さぬ物じゃと合理主義者の妾は考えておるがのう。クククッ」
「貴様ァ……。もういい……」
駄目だよそう。
この場で言葉を返せばこれは嬉々として私の揚げ足取りを続けるだろう。この狐、その名の通り人を化かす事を好む節がある。私が扱い易い思慮の足りぬ浅はかな人間だからなどでは断じて無い。断じて。
「クククッ。ぬしはからかい甲斐があるのう」
断じて違う。
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「あぁそうじゃ時にぬしよ、宿で名乗ったあの名前。なんじゃあれは」
私の名はデュボネ内では使えない。帝都から離れれば離れるほど名の持つ効力を失ってはいくが、いくら女の姿をしていたとしてもベイルと名乗るのは余りにもリスクが有り過ぎる。
故に偽名を名乗らなければならない。私が声を大にして自らの名を名乗る時は今ではない。それは父母の地へと足を踏み入れてからだ。
「リズに……リズという私の妹の様な者がよく言っていたのだ。私には、ピヴワーヌの花がぴったりだと」
確かそんな事を言っていた気がする。ピヴワーヌだったかペオ……なんだったか。お兄様にぴったりですわ、と。私はあまりその方面に明るくない為知らないが、それはそれは荘厳でいて圧倒的存在感を与える花なのだろう。花言葉もきっとその咲きっぷりに似た私を表すにぴったりな物に違いない。リズは私を盲信している節が有るが、不当に評した事など一度だって無いのだ。
「ククッ……ぶわーっはははは!!!!!」
「な、なんだ突然…」
癇癪持ちは貴様ではないか。
「いやそうか、ククッ…そのリズとかいう娘、ぬしの事をよく理解しておる。クククッ、駄目じゃ笑わせるでない」
「何がおかしい」
突如として笑い出した狐が不可思議でいて不愉快極まりない。私は何かおかしな事を言っただろうか。
「何がおかしい」
「いーやおかしくなどない。はぁ、駄目じゃ笑い疲れた。そのリズとやら、ぬしの事を本当によく理解しておる」
昔からこうして笑われるのは好きではない。時折このようにして、あの時はなんだったか。
……そうだリズ。リズとエトワールと共に、そう、会食の席だ。
あの日もいつもの様に現王の催した毎週恒例の王の語る夢物語に一喜一憂するだけの意味の無い会食だった。
私もリズもエトワールに先導され宴を抜け、3人でテラスで酒を酌み交わしていた。何を話していたのだったか……そうだ。
それもいつもと変わらない内容だった。
そうして私の言葉を受け、あの2人はこの狐の様に笑ったのだ。
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『しかし悲しいぞリズ。我とて魅力有る男であろう?にも関わらず貴様は兄にどこまでも酔いしれる。我もこの男を懇意にしておるが、貴様のそれははっきり言って異常だ』
『勿論エトワール様への敬愛の念は忘れては居りませぬ。わたくし達の立場が違えど、それはきっと変わらずわたくしに宿るものでしょう。ですがお兄様へ向けたこの想いとは、決定的に違うのでございます』
『知っておる。知っておるともそんな事。何年貴様らを見てきたと思っているのだ。……ふむ、さてとベイルよ。貴様の妹はその様に言っておるが。貴様には其れが何か分かるか?』
『何か、とは?』
『我と貴様とで違うところだ』
『ハァ?』
『……そんなもの、一々言葉にする必要が無いだろう。私はベイル・レゾンデートル。エトワール・バルトロメオとは名も身体付きも何もかも違うではないか。同じ所は性別くらい。なんだ、どうした2人とも。もう酔いが回っているのか?』
『『………………』』
『どうした2人とも下を向いて……?体調が悪いなら2人の部下を呼ぶぞ?』
『フワーッハハハハハハハ!!!』
『フフッ』
『……な、何が可笑しい』
『おいベイル貴様……フハハハ!!我を笑い死にさせる気か。ククッ……あぁそうだ、"こういうところ"だろう?リズ』
『ええ、まっことその通りでございますわエトワール様。これがわたくしが愛してやまないお兄様にございます』
『な、なんの話だ……』
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理由無く笑う彼らが不思議で仕方がなかった。あの時私は何も間違った事を言った自覚は無い。今もそうだ。
まったく……なんだと言うのだ。
「しかしぬしよ。いい加減歩き疲れたぞ。何故馬を捨てた」
「これからの場所は馬では走りにくい。合理的な私の聡明な判断だ」
「ぬしの中に入ってもいいかえ?」
「……極力よせ」
家を発って暫くは馬での移動。街を出て今は街道を逸れ、森歩いている。まともに地均しの済んでいない道は、確かに私達の足に来る。まだ見ぬ故郷への経路は船が主になるが、今はバカ狐に飲み散らかされた酒の補充。その荷の事を考えれば、また馬を買い直すという案は考えている。
早めに手に入れたいのだが……。
「あぁーもう嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃぁー!歩くのは面倒じゃー!」
「ええい少し黙って歩けんのか!」
「それにこの暑っ苦しいローブはなんじゃ!妾は高貴な狐じゃぞ?こんな世捨て人の様な格好は性に合わん!」
「狐だからそれを着てもらわねばならないと何度言ったら分かるのだ貴様は」
目深のフードから覗く瞳は煌々と輝く金色。真っ赤な髪の毛とピンと張った耳。3つに別れた尾を隠す為にはこの格好が1番都合が良い。私も似たような格好をしているが、街の外で動くのであればこれでいい。元より私もこの狐も目立ち過ぎる。
「まぁだがここも人は少ない。フードを脱ぐくらいは許可してやる。遠目で見れば猫に見えん事も無い」
「じゃったら早う言わんか阿呆。それとあんな下等な生き物と、妾を一緒にするでない」
大きく息を吐きフードを脱ぐ狐。本当に、燃える様な毛の色をしている。
「だが人の気配がしたらすぐ元の格好に戻れ」
「その時は急いでぬしの中に入る故心配するでない。妾はその辺敏感じゃからな」
「先ずフードを被れ。必要の無い時は入らなくていいと言っているだろう」
何度言ったら分かるんだこいつは。私もフードを脱ぎ、私の太もも辺りを上下する狐に視線を送る。
その時だ。
ほんの一瞬、目が合った。
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私は"それ"を、どうしても忘れる事が出来ない。
いつまでも"それ"は、私の中に残り続ける事になる。
纏わり付く、私に纏わり付くこの瞳を。
初めて見たこのテンコの表情を。
生涯忘れる事は無いだろう。
どうして、お前は今───。
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「おい、テン──」
「臭いのう。下衆共の饐えた臭いがするのう」
言われてやっと、気が付いた。
血の匂いがする。このまま西にこの森を直進すれば海岸に出る。そのまま海を渡れば第一の目的地である果実の産地の森に辿り着く。小さな波止場が存在し、何の種族か詳しくは知らないが渡しが出ているはずだ。
本来国から許しが出ている場所では無いのだが。
本来であれば大陸間を移動する際通るルートはここからずっと北にある関所。商国が有る大陸と私達帝国の大陸はそこで地続きになっているが、今の状況でそこは通れない。こうして闇夜を歩き、密入国でもしなければ、関所を前に私の悲願は打ち果てるだろう。兵士が何人束になっても私に傷の一つも加える事は出来ないだろうが、騒ぎは極力避けたい。同国の士を血祭りに上げるというのも忍びない。
テンコと同化すれば通れない事も無いだろうが、酒を買いに行くなら此方のルートが断然早い。
故に私達はほぼ人の通る事の無いこの道を選んだ。
家を発つ前に愛すべき我が給仕達から聞いたルートだ。
「確かに、感じるな」
東から吹く潮風に混じる、確かな死臭。確かな血臭。
僅かではあるが、風に乗ったこれは異質な物だ。臭いへの感想よりも、違和感が先に立つ。
なるほどこの狐。私達人間よりもよっぽど鼻が利くらしい。
「入るぞ」
「あぁ」
しゃがみこみ、テンコと視線を合わせる。彼女の小さな手のひらが、私の前髪を上げ、額を合わせ目を閉じる。
そうして気付けば、彼女の姿は闇夜に霧散する。
「慣れないものだな」
本当に、同化の瞬間私自身に何か特別な変化がある訳では無い。テンコが消えたと思った瞬間から、声も、身体付きも、何もかもが変化する。おかしな能力だ。
『ククッ、おかしいとは失礼じゃのう、ぬしよ』
くっ、そうだ。思いも悟られるのだった。
『まぁじき慣れるじゃろうて』
「………臭いが、強くなったか」
先程よりも確実に濃くなった。嗅ぎなれた臭いでは有るが、気持ちの良い物では決して無い。しかし、風の強さも変わらないのにどうしてこうも臭いが濃くなったのだろう。死体が増えたか、或いは──。
『妾のせいじゃ』
……あぁ、なるほど。この同化の能力を反芻すればそれだけで充分だ。お前の能力が、私に備わったという事か。
『テンコじゃ』
…………。
テンコの能力が、だな………。
『うむ!』
「はぁ…」
まぁいい。先ずは鬱陶しいこの臭いの元を探る。元よりこの道を通る者は、"私達の様な"者ばかりだろう。だとすれば、まともな人間が居るとも思えない。
レイピアに手を掛け、少しづつ、歩を進める。
▲▼▲▼▲▼▲▼
「これは……」
『なんともはや、いやはやどれ程嫌い合えばここまで殺せるんかのう、ククッ』
何の事は無い。人が死んでいる。女が1人、どの程度の身分なのかは分からない。身に付けた衣服全面に、自らの物と思われる血がこびり付いている。
しかし酷い死に様だ。口は裂け、身体の穴という穴から男の種子が零れている。自らの血と混ざったそれは、亜鉛の強い臭いに似ている。
腹は裂け、臓物を引き摺り出した跡がある。
腸で首を締めたのか。趣味が悪いにも程がある。
『気が合うのうぬしよ』
近寄り死体に触れ血の温度を測る。まだあまり冷えていないのであれば、恐らく"これをこうした"人間はまだ近くに居るはずだ。
『殺すか?』
「馬鹿を言え。そんな暇など無い」
そう、たかが死体だ。
この女は、変態に変態的所業を食らい殺された。ただそれだけだ。であれば、私は"これ"に興味は無い。
運が無かった自分を恨むことだ。
『やれんのう……』
「この女に特別な思い入れなどない。これを見て思う事があるとすれば、変態的な変態とはいつの世も存在するのだなという事実に対してのみだ」
『ククッ、そうかそうか』
酷い死臭故、このまま放っておけば魔物の類は寄ってくるだろう。もしくは"これ"自体が、異形の物に変わる可能性も有る。
まぁ、どちらにしても関わりは無いがな。
『そうかのう。妾にはそうは思えんが』
「なに?」
『ほれ、耳を澄ませ。妾が聞こえるんじゃからぬしにも同じ様に聞こえるはずじゃろう?』
言われるままに、耳を澄ませる。
……あぁ、確かにそうだ。何故気付かなかったのだろう。足音がするじゃないか。
…………えぇい忘れていた。
「おいおい人が来たと思ったら締まりの良さそうなお嬢さんじゃねぇか。大層なもんぶら下げて騎士様の真似事かい?ゲハハッ!おいおめぇら、俺達は運がいい。こんないいおもちゃが自分からノコノコやってくんだからよぉ!!」
私は今。
女の姿をしているんだった。




