魔具
「エリス、先に行ってて」
少し心配そうにしながら、それでもきっと目的を。イルさんのこれからの話を察していたみたいにして。
「先に戻ってるね。後で、ご飯を食べに行こう」
ニッコリと。少し疲れてそうに見えるけど、私の好きな柔和な笑顔で背を向けこの場を後にした。
「ごめんねキンバリー。あの人は"君達"の事を、うん。なんと言えばいいかな。僕達はただその姿を"嫉妬してるみたいだ"って言ってるんだけどね。羨ましいんだよ、きっと。だからこうして僕達が話をしなきゃいけない」
「えと、あの人っていうのは?」
「うん、少し待って」
私の言葉を受けて、首を少しだけ擡げながら身震いする様に身体をさすり。何か言葉を発したかと思えば、何か虚空をなぞったかと思えば、その後私は"一端"を垣間見る。
「す、凄い……」
それは明確な、"魔力の一端"。
「ごめんね、僕は特に寒がりで。こういった風通しの良い場所は少し苦手なんだ」
「い、いえ気にしないで下さい……。でも、初めて見ました」
彼の手元から綿毛が舞う様に地面にふわりと落ちた火元は、こうこうと隙間風に揺られながら私と彼、2人の間で燃えるのです。
何も無かったこの場所が、暖かな暖炉の前に早変わり。本来のそれと違う事と言えば、そうね。"燃えるている音"は響かない。
パチパチと、空気を含んだ薪を焼く音が、この場に響く事は無い。
こういった魔術を目の当たりにしたのは生きていて、初めて。魔術とはこれ程までに、奇跡的で、突発的で。
理を外れた行いにも見え、でもこの場では、秩序ある理性的な礼法の様にも見え。
ほんとに凄い。これが、魔術。
「さっきの質問だけど、僕達は彼をカーリアンだと解釈してる。そうでもなきゃ"説明が付かない"。まぁ、名を聞いても答えてくれないんだけどね」
光景に呆気に取られて、その後言葉が耳を付いて。
カーリアンっていうのはきっと、マシュー・カーリアン。
かつて勇者に討たれた大魔導士。
「君含めた5人を彼が認識して、更に今回の聖儀で君以外の4人は彼に"見初めてもらった"」
「どういう事ですか?」
「皆が帰ってきた時に、アクセサリーを付けていたのに気付いたかな。ネックレスとか、ブレスレットとか」
気付いていた。ハティの首元に光っていたチェーンの短いネックレス。銀に光るそれの先には、小さな円型のペンダントが付いていた。
エリスの左手にも、同じく輝くブレスレット。
「あれは、"ヒント"だ」
「ヒント?」
「うん、彼がそう言うからね。僕らはあれの事を"魔具"と置き換えてるけど」
「魔具……」
手のひらを擦り合わせ火元に翳してイルさんは言葉を続けます。
「魔術を扱うにあたっての、源流。あの魔具自体、魔力を帯びてる。あぁ、なんて言えばいいかな。僕達は魔術を、イメージの元に使用している。元々魔力がある人間は当たり前の様にそのイメージを身体中に走らせる事が出来るんだけどね。皆が皆そうじゃない。だから、カーリアンは見初めた相手に起点を与える。それを彼はヒントだと言うんだ」
でも、と。速度を落としてまだ続く彼の言葉。私を見て、でもその瞳に籠る感情が、今の私にはよく分からなかった。
「今日みたいに5人いて4人も見初められるってのは中々稀なんだよ。それくらいあの人は気分屋で、まぁでもそんな姿が自身を、"全能じゃない"と証明する1番簡単な方法みたいでね。だから、認識をされて尚足掛かりの無いままの人間もいる。多分関所でトレイトに会ったと思うんだけど」
「えと、テイストレスさんって方には会いました」
「あはは、そうそう彼。あまりその名を呼ばないであげて。気に入ってはいないみたいだから。うん、彼はヒントを貰えなかった人間の一人だね」
「それは、素養の有無って事ですか?」
テイストレス……いや、トレイトさん。あの時確かに彼自身が言ってた。心は魔導士に捧げたけど、才が無かったって。
「トレイトが言ったのかい?また鬱憤晴らしにお酒に付き合わなきゃいけないかな、アストルとラブクルデシュブーにも付き合ってもらおう」
「あの、えとー……」
「あぁごめんごめん。君達とルー姉妹との関係に近いかな、彼とは。それと、素養の有無じゃないよ。トレイトのそれはただの僻みに近い。素養は誰にでもある、だけど魔具を貰えなかった時点で"師も手を焼くからね"。ええっとね、弛まぬ努力が必要になるんだ、そういう場合は」
魔具っていうのはきっと魔力を担う物って事だよね、ここまでの話だと。魔術を身に付ける為に必要な、所謂始点とか、起点とか。そういう事でいいのかしら。それをマシュー・カーリアンに貰えない場合は、その足掛かりさえ与えられない場合は、トレイトさんみたいに魔術を使わないまま生きる事になるって事?
でもそうなると、私の場合は。
……嫉妬。
私に?私の力に?
「自覚が無い事もあるからね。君は僕達とも今日聖儀を行った他の4人とも違う、どうかな?」
ハッと言葉に意識を引っ張られ、ゆらゆらと燃える火を眺めるのを止め。向き直った彼は、先程迄とは違う表情で私を見つめて。
足元で灯る炎に揺らされる様に光と影を纏う彼は今、きっと私の"力"を見つめてる。
それは時に言葉に乗り。それは時に手元に移り。
私自身、不明瞭で不可思議で、掴み倦ねるそんな"力"を見てる。
「やっぱり、分かるんですか?」
「ぼんやりとね。だが君のそれは特別だ」
火元に手を翳し、暖を取るように掌を擦りながら。また何か呟いたかと思えば、火元はもう少しだけ灯りを強め。
「例えばそれは、肌の色だったり。例えばそれは、髪の毛の色だったり。例えばそれは、地方特有の言葉だったり。思想だったり、癖だったり。人間が人間を判別する上で当たり前の物なんだ、僕達にとっての"これ"は。だから、あの中で君だけが違って見えた。初めて踏み入れたこの地に、君の心は高鳴らない。初めて吸い込んだこの空気に、君の鼓動は高鳴らない。まるでこの場所が──」
長く喋るのが苦手なのか。それとも息が持たないのか。一拍置いて、少し微笑んで、二の句を次ぐ。
「──まるでこの場所が、自分の故郷だったかの様に落ち着いている。その反応は、僕達に似ているから」
「私のこの力は、この場であっても"異質"なんですか。この場であっても私の存在は、"異常"に見えるんですか」
私は、私の神の神託を受け。遥々この地へ歩を向けた。
だけどそれは、分からなかったから。
私自身この力の使い方を。何故このような力が、ただの鍛冶屋の娘に備わってしまったのか、てんで見当が付かなかったから。
タンカレーにさへ来てしまえば、神託の通りに動けば。
私の神の加護の元に生きる事が、今の私に残された唯一の選択肢。それでも怖かったのは、全てを知ってしまった時、私が私でいられる理由が余りにも少なかったから。
この力を知って、推し量って、精査して。
そんな事をして、私は私で居られるのかが、分からなかった。
「私はレイラ・キンバリー。鍛冶屋の娘としてこの世に生まれ、あれはまだ10もいかない歳の頃。両親と出かけた山で傷付いた兎を見つけました。幼い私は死が怖かった。初めて触れた死に体は、まるで纏わり付く蛆のように思えたんです。血を滴らせる死に体は、まるで私の身体のように生温かかったんです」
「うん、ゆっくりでいいよ」
それでも彼が。
鍛冶屋の戸を叩き、店の前で憚る事無く頭を下げ、声を上げ。
そんな、私を取り巻く環境の一部になったエリス・レリスタッドという勇者に、託そうと思った。
私が生きるという事を、まるで、押し付けがましいけれど。それでも私は"そうする事で"、長く張った臆病という根を腐らせた。
何を失い、何を得、何を成そうともそれは。
神託と、勇者の加護の元にある。
臆病だった私を動かすには、充分過ぎる理由だった。
「這い回る蛆を振払うように泣き叫んで。幼い私はそこで初めて"一端"を見た。理を捻じ曲げ、それでもそれは、奇跡的で、でも、不躾な"魔力の一端"を見た。その理由を知る為に」
「うん」
「何故、私の様な者にそんな力を授けたのか。何故、私の様な者がそんな力を授かる必要があったのか」
神託から目を背ける事は、もうやめようと思ったんだよ。
君のお陰で、エリス。
「私の神の神託を受け、私はここにやって来ました」
そんな、私は───。
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「ここでは、異質ですか」
「様々な文化圏を受け入れ、様々な思想を受け入れるんだ。僕達は」
「はい」
「だからキンバリーの経験も。その時受けた神託も、僕達は否定しない」
「ありがとうございます」
「でも、ひとつだけ。心の片隅に置いておいて欲しい」
「はい」
「キンバリーのその力は、この場であっても間違い無く"異常"で、それは他者の目にはどの様に映るのか。それだけは、いつまでも忘れないで」
「分かりました」
「カーリアンが嫉妬する力なんだ。僕達だってそれの答えがまだ分からない。明確で無いそれは、人によっては異常に見える。その視線に耐えられ無いのなら、この国から出た方がいい」
「……大丈夫、です。だって、だって私には──」
「うん」
「"私の勇者"が、傍にいるから」
「そっか。素敵だよ、キンバリー」




