レイラ・キンバリー
「──う、うわああああぁ!!!!」
違う違う違う違う違う違う。
「僕のせいじゃない!あ、貴方が、貴方がそんな風にするから!」
僕は悪くない。僕は"そんな事"したかった訳じゃない。
「僕は悪くない!!」
そう。僕は何も悪くない。
「間違ってるのは貴方じゃないか!ねぇ!」
そう、間違ってるのは、僕ではなくて。
「セクリトさん返事をしてよぉっ!!ねぇって!!!」
でも、目の前に横たわった"コレ"は。
「う、嘘でしょ……僕が、"殺した"の……?」
もう2度と、僕の問いには答えない。
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走れ。逃げなきゃ、そうだ。
早くこんな所から離れなきゃ、早く。
こんな事、おかしい。有り得ない。
勇者を志した僕が、"人を殺す"だなんて決して有り得ない。
気持ちが悪い生暖かさ。
これはきっと、セクリトさんの血。僕の身体を滴り落ちる、先程まで生きていた人間の血。
はっきりと思い出せる感触。
僕の剣は、セクリトさんの胸を。そうしようと思ってたんじゃなく、気付いた時には、握った剣が心臓目掛けて突き出されていた。その時感じた、"人を殺す感触"。
それは柔らかく、僕の剣を受け止めた。肉や魚にフォークを刺した時と同じ感触だった。剣は骨を砕き、心蔵を貫き、セクリトさんの身体を貫通した。
力なんて入れたつもりも、彼を目掛けて抜いたつもりも僕には無かった。
──たったそれだけで、彼は死に。
そして彼が突如として召喚したワイトは、セクリトさんと共に崩れ落ちた。彼が家族と呼んだ"それ"は、その時。呆気なく、渇いた音を残してこの世から消えていった。
こんなに速く走っても、身体をいくら拭っても。
気色の悪い生暖かさから逃れる事が出来ない。
──たったそれだけで、彼の家族は死に。
そうして僕は、逃げ出した。
泣きながら、泣き喚きながら、逃げ出した。耐えられなかった。
絶え間無く襲う全てが、僕の日常からかけ離れ過ぎていた。
そんな物全てから、逃げ出した。
──死を手向けたのは、僕。
事実を受け止める器なんて。
僕はちっとも持ち合わせてなんかいないんだから。
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彼は、勇者なんて。
この世にはいらなかったとそう言った。
僕にはそれが許せなかった。彼が勇者だけに向ける世の理不尽が、不愉快で、仕方なかった。
あの人はもう、おかしかった。
あの人の話は支離滅裂で、滅茶苦茶で。
筋なんて通った物じゃない。
そんな人の言葉に、揺らされた。
どうしようもなく揺れてしまった。
彼の息子さんも奥さんも知らない。
彼自身どうやって生きてきたのかも、今の僕には知る由もない。今日、初めて会ったんだ。
そんなあの人に、僕の心は本当に、どうしようもなく揺らされてしまった。
勇者は、世界を救った正義だ。
だから、あの人の言ってる事は間違ってる。
例え後の世が、変わらずに不安定なバランスを保ち続けていたとしても。だけどそれは、精一杯なんだ。きっと。
この器で転がる、世界の皆の精一杯。
だからこそ勇者は、勇者の行いは正義に違いないんだ。
だめだ、レイラに会いたい。
彼女ならきっと僕を救ってくれる。そうだ。いつもそうじゃないか。
親方にしごかれて疲れきった僕を、癒してくれたのはいつも彼女だ。彼女は僕の傍にやってきて。
『大丈夫?頑張ったんだね』
そんな風に、僕に声を掛けてくれる。編み込んだ黒髪から香る甘い花のような香りに、慈愛の篭ったあの笑顔に、あの柔らかな女の子に。僕は何度も救われた。彼女ならきっと、今の僕をも許容してくれるはずなんだ。
レイラだ。
レイラに会いたい。
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その時は本当に。
そう思ってた。
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返り血を浴びた身体のままに、獣道を進み続ける。もたつく足も、上がり続ける動悸も、止まらない涙も、全部全部、気持ちが悪い。
それでも僕は、レイラに会う為だけに走り続ける。草木を踏み締め、ただただ前へ。きっと今頃レイラは、あの子を抱えて家に帰っているはずだ。そうすれば事情を聞いた親方が、その子を医者に連れて行く。それでもレイラは軒先で、僕の帰りを待ってくれている。いつも、そうして僕を受け止めてくれるんだ、レイラは。
ねぇ、レイラ。
今日はすっごく疲れたんだ。
だからね、レイラ。
帰ったらいつもの様に。
僕に笑って声を掛けてよ。
『お疲れ様、頑張ったね』って。
優しい顔で、いつもの顔で。
ねぇ、レイラ。
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僕の悪い癖だと思う。
事実を事実と受け止められない。
許容しきれないままにその事実から逃げ出してしまう。
本当に、僕の悪い癖だと思う。
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「な──何を、してるの……?」
その場から一歩足りとも動いてはいなかった。血だらけの少年に寄り添い、僕と別れた場所で座り込んでいたままだった。
そんなレイラの血塗れた服と、両の手は。
僕らを非日常足らしめたその物であると、闇夜に関わらず傍迷惑に伝えてくれる。
「お帰り。エリス」
何の事は無い。こんな状況にも関わらず、そう口にする彼女は"いつもの表情"で僕の事を迎えてくれた。いつものあの、優しい、慈愛の篭った柔らかな笑顔で。
「ねぇ、レイラ……」
でも、そんな事どうだっていい。
"こんな事"有り得ない。だって、そんな訳が無いじゃないか。
「大丈夫、この子は私が助けるから」
君はどうして、"そんな事"をやってるの?
早く連れて帰らなきゃ、その子の命が危ないじゃないか。
何を言ってるのレイラ。
「答えてよレイラ!どうしてその子を連れて帰らなかったの!どうして君は今──」
ねぇ、君は。
「ごめんねエリス。少し黙って、集中したいの」
それじゃあ君はまるで。
「──ねぇ。嘘でしょ?」
それじゃあまるで、"魔法を使っている"みたいじゃないか。
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自覚したのは7歳の頃。
まだママが生きていた頃、パパと3人で森へハイキングに出掛けた。ママと早起きしてランチを作り、買ったばかりのバスケットにそれを詰めた。『レイラは私より料理上手ね』なんて、その時ママは笑ったけれど、自分じゃそうは思わなかった。だっていつもママの作る料理を食べたパパは、それだけでその日1日の疲れなんて吹っ飛んだようにするんだもの。私なんて到底及ばない。
でも、そんな言葉が嬉しくて。誕生日のプレゼントに貰った麦わら帽子を被って、まだ眠そうなパパを引っ張って森へ向かった。
あの頃は、この森に魔物なんて出なかった。そんな話聞いたことも無かった。
森へついて、ママの作った苺のジャムのたっぷり挟んであるサンドイッチを頬張りながら探検をした。
今思えばあの頃の私は、今よりもずっと好奇心旺盛だったかもしれない。『あんまり遠くに行くんじゃねぇぞ』ってパパの言葉を背中で受けながら、奥へ、どんどんと奥へ。
景色は一層濃く緑に溢れ、耳を澄ませば色んな生き物の声が聞こえた。それがとっても楽しくて、奥へ、どんどんと、森の奥へ。一歩ずつ確かに重ねられる自分の足跡に。ドキドキとか、ワクワクとか。そんな抽象的な物が足されていって。
それは確かに快感で、今でも陰ることは無い。
その時、1匹のウサギに出会った。
1匹の、怪我をしたウサギ。
猟師の罠に掛かったのか、それとももっと強い獣に襲われたのか。後ろ足の辺りから血を流して倒れ込んでいた。
近付いて話しかけても、ウサギは見向きもしてくれなかった。私の事なんて気にも止めてなくて、ただ、そんな余裕なんて無いみたいに。息をするのに必死だった。
助けたかった。
子供心に思えたのはそれくらいだった。なんとかしてあげたかった。
少なからず、ただ絶対に犠牲の上でしか成り立たないこの世界で、明確なその一端を目にしたのは初めてで。でもそれが、怖い事では決して無くて。
なんとかして、そのウサギを死なせたくなかった。
その時だ。
息の絶えかかったウサギを抱えて、世界の仕組みも知らずに大声で泣いていたその時。
"初めて、使った"。
最初は意味が分からなくて、本当に。
理解をするのに時間がかかった。
でも、さっきまで弱々しく消え入るだけだった生命の音は、少しずつ。でもどんどんと温度を上げながら。大きく強くなっていった。
呼吸の音が強くなって。さっきまで呻くだけだったのに、リラックスしたように鼻を鳴らして。
嬉しくて。
その事が、とってもとっても嬉しくて。
まるで、"魔法でも使えるようになった"みたいだなって。
急いでウサギを抱えたまま、パパとママの元に帰り、そのままの事を話した。
そうするとパパとママは、目を大きく見開いて。
それでも優しく2人して抱きしめてくれた。
"私達の、自慢の子だよ"って。
そう言って、いつまでも抱きしめてくれた。
それが本当に、嬉しかった。
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世界は突然現れた大魔導士によって形を崩しかけ、それを討った勇者によってその崩壊を免れた。その後、勇者は国へ凱旋する事無く息絶えた。話では、大魔導士かけられた呪いによって、という事になっている。
有名な話。
幾世代も前の、本当の話。
でも、それでもこの世界から、魔法使いは滅びなかった。大魔導士の死後も、魔法使いは増え続けた。
勇者信仰者は"魔の呪い"と呼び、魔法使い達は"神の恵"と呼んだ。
魔法使い、勇者信仰者達は各々互いにその身を寄せ合い、魔国タンカレー、教国アマレットとして旗を掲げ、今尚啀み合いを続けている。
魔法使いとは、その名の通り常識とは離れた"魔法のような"力を扱える者の事を言う。
各五大の属性に分類される魔法は、鍛錬を積めば誰にだって習得可能な物。もちろん魔法使いとしての血統が濃ければ濃い程にその能力は強くなるらしいけど。
でも、私の"これ"は、違う。
五大に分類される火、水、地、風、雷とは別の属性。
魔法使い達はそれを"聖の属性"と呼ぶ。
"聖属性による、回復魔法"。
魔法使い達はその力を、先天的才によってのみ授かる事が可能になる物だと答えを出し、無作為に世界に現れる聖属性保持者達を保護してきた。
私の力もそうなのだ、と。パパとママから教わった。
でも私は、その頃はまだ、難しい事は分からなかった。でもその話をしている2人の顔がどうしても、怖く見えて。その日も私は泣いてしまった。
すると2人は優しい顔に戻って、大丈夫、大丈夫と。
そう言いながら抱きしめてくれた。
魔法なんて、どうだっていい。そんな事私には分からない。
ただ、2人と離れたくなかった。
私を愛してくれるパパとママと、ずっと一緒に居られればいいって。
そんな愛する2人の顔が、笑顔のままならそれでいいって。
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「悪い事なんだ、って。そう思ったの」
「パパとママのあんな顔、あの時私初めて見たから」
「私の"これ"は、ダメなんだって」
「きっと皆とは違うんだって」
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そうして、隠すようになった。
私は、レイラ・キンバリー。
鍛冶屋、スミス・キンバリーの一人娘。
魔法なんて使えない。
家事の得意な、女の子。
そういう風に、生きようと思った。
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「でもね、エリス」
3年前うちにやって来た、真っ直ぐな君。
「君には、知ってもらいたかった」
どこまでも真っ直ぐに、不器用に生きる君。
「君が口にする夢の話が、私はとっても大好きなの」
正善も、無知も持ち合わせた、君の夢が。
「だから、エリスには」
私を少しずつ、変えていった。
「正直に生きていたかった」
そんな君に、知って欲しかった。
「私はね、エリス。勇者が殺した、魔法使いの子孫なんだ」
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あぁ、やっと。
やっと、君に。
真っ直ぐに、向き合える。
私はその事が。
とってもとっても、嬉しいの。
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「──そんな。ねぇ」
「ねぇ、レイラ……。それは……」
「隠していて、ごめんね」
「でも私は、エリスの言う事。間違って、ないと思う」
「ねぇ、レイラ。君は今まで……」