過ち2つ
過ちは2つ。
1つめは、あの時アイツを止めなかった事。
"怯えた様に顔を歪ませた"アビゲイルの。
その手を取ってあげなかったこと。
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「安心してアビゲイル。オークは死んだわ」
「えぇそうですね」
今、何か言われたんでしょうか。私の頭が無意識に精査したその返答は、その言葉に則した物だったのでしょうか。
「それと勘違いしないで欲しいのだけれど、私はアビゲイルに何も嫌がらせをしている訳では無いの。ただ、それでも貴女は"引き金を弾けなかった"」
「えぇ、そうですね」
小さな彼女を見上げているのは、私が膝を着いているからだと今やっと気付きました。
あぁ、ダメです。ダメダメですね私は。
「貴女、捻じれてしまっているわね。酷く、見通しの悪い場所に立っている」
何を言っているんですルィンヘンちゃん。私は現に貴方を見上げ、貴方は私を見下ろしているでしょう。
だって私にはもう、ただ立ち上がるだけの気力も何もかも、残っているとは思えないんですから。
「そんな貴方なら、そうね。彼は輝く光に見えたでしょう。"正しさ"と置き換えてもいいわ。貴方は自らを、そんな似ても似つかわしくない物と同一に捉えた。でも、自ら輝く事を恐れた貴方は、矛盾して歪みきった貴方は。彼に寄り縋って、依存して。彼の寵愛を受ける事で、自らの正しさを"補填"した」
「"生きる為に彼を利用した"」
「そんな権利、貴方には一欠片だって有りはしないのに」
彼は私を許容した。今まで私に下卑た欲と苦悶の表情しか浮かべなかった人間の中で唯一、彼は私の全てを"笑い飛ばして"くれたのです。
それを、"私の様な物に向けられて"、光と呼ばずなんと呼ぶでしょう。正しさと呼ばずなんと呼ぶでしょう。
「ベントルトン一家が貴方に先に出逢えてさえいれば、或いはそこまでおかしな事にならずに済んだのでしょうね。私達が、そうだった」
「貴女にとって、彼らも"光"でしょう」
そうに、決まってる。だから貴女達は今ここで、私にこうして講釈を垂れているに決まっているんです。
貴女もきっと、私と同じ。
「違う。ねぇアビゲイル、それ以上は貴女の品位を損ねるわよ」
「違いません。そうに、決まってます」
「貴女存外子供なのね。いいわ、嫌っている訳では無いのだもの。アビゲイルも、彼も」
お願い、言葉にしないで。
一考を挟む余地を、私にこれ以上与えないで。
「私は、光を失ってただ自失する貴女とは違う。だってね──」
……あぁ、今やっと。
"引き金を弾く音"がした。
「私は"家族"から、"輝き方"を教わったんですもの」
「そんな権利が、"返り血を浴びた"私にはあった」
視界が曇る。
世界が回る。
「──あら。泣いてしまったわね、アビゲイル」
どうしてこんな時に"アナタ"は。
私の世界を照らしてくれないの。
「ここはもう良さそうね。私は行くわ。落ち着いたら貴女も他を手伝って。無理そうなら、彼に縋りなさい。きっと現状貴方には、そうする事しか出来ないのでしょうから」
"私のアナタ"が死んでしまった。
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元々小さかったその背中が、より一層、小さく見える。
少しずつ、私は1人取り残される。
どんどんと、私は世界に取り残される。
何か、間違っているのでしょうか。私はこの歳になるまで、父と母以外、言葉を交わしたことも無かったのです。そんな私を愛した父母は、私を遺して死んだのです。
幾ら涙しても、幾ら声を挙げても、私を愛してくれる人なんて、1人たりとも存在し得なかった。
でもそんな私にやっと。
そんな私を、やっと。
愛してくれる方がやって来たのです。
目付きも、口も悪く。それでも私を抱き締めてくれて。
"あの日"から、何度も私を抱いてくれた。
泣いてしまう程に嬉しかった。
真っ当な方では決して無い、そんな彼からの寵愛を受ける事で、私は何度も幸せを噛み締めた。
生きる為に殺す事の正しさを、彼の愛を持って手にしたんです。それが本当に幸せで、私は私を肯定出来た。
だから貴方はいつまでも、輝かなくてはいけないのです。
だから私はいつまでも、輝く必要なんて無いのです。
私にとって貴方はいつまでも、正しくて、愛しくて。
それに依存する私だってきっといつまでも、正しく生きる権利があって、愛されるだけの権利があって。
──でもそんな"彼"はもう、私の前から居なくなってしまったのです。
私が縋り付いた彼の"正しさ"を、易々と。年端のいかない少女に否定されてしまった。
"こちらに走り寄って、曇った視界の先で影を揺らす"あの少女によってです。
彼が先刻向けた言葉が、喉元に喰い込んでしまっています。
何故貴方は、あんな事を言ったのですか。
"私を照らし続けてくれるアナタ"はどうして。
"私に輝かせ方を教えようと"したのですか。
シーナ君。
逃げないで。
私を1人にしないで。
そんな"アナタ"は嫌いです。
お願いですシーナ君。
「──……イル!」
私を照らし続けて下さい。
私にその力は必要無いのです。
"愛してくれる"と、言ったじゃないですか。
「アビゲイル!前を見なさい!逃げなさい早く!!」
でも今は、そんな"アナタ"は私の前から姿を消して。
「聞こえないの!!アビゲイル立ちなさい!!」
私に向けられた殺意に顔を上げた時には、もう。
「アビゲイル!!!」
「あ──」
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何も知らないまま、1人ぼっちでいる事は。
1人ぼっちは、怖いんです。
シーナ君。
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「おいおいおいおいなんだアイツ」
「グァアアアア!!」
よく食ってよく寝る奴がでかくなるらしいがあれ程迄となると果たして親からどんな英才教育を受けてんのか今後の為に聞いてみたいもんだね。
フーバーよりデカイ。まだ遠目で見てるがそれでも桁違いにデカイ。さっき俺の毛先と一緒に爆発四散した奴と同等、ないしはそれ以上か。
更に奴の右手に伸びる金砕棒は、俺が今まで見たモノの中で1番下らない冗談だ。有り得ない、あんなのは。
「だぁーくそっ!間に合えよ!」
遊撃を買って出た覚えは無いが、あれはもうそんな悠長な事を言ってられる状況でも無いだろう。割けられるだけの全ての人員を割いてでも止めなきゃいけない。そんな気がする。
手遅れかも、しれないけど。
それでも走れ。頼む。
「あ、待ってシーナ!ストップ!」
「バカか!ンな暇ねぇだろ!!」
ラエルノアとグルゴの脇を駆けた俺に投げ寄越された音を、俺の脳は注意喚起のニュアンスとして処理をした。
"脅威が計れない、底が知れない。だから、止まれ"と。
俺はそんな風に解釈した。
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瞳を擦って、気怠さを纏って。それでも"それ"が、心地好いと感じられる喜びと共に。
「起きているのなら、声をかけてくださいな」
「気遣ってやったんだぜ?初めてであんなヒャーヒャー言わせちゃったから」
「誰のせいでしょうね」
「さぁてねぇ」
そう言って撫で付ける貴方の指が、気持ち良い。1度も外した姿を見た事の無い指輪の冷たさが、意識の目覚めを手伝ってくれる。
「ねぇ」
「どしたのん」
彼の指を捕まえ、自らの口の中へ。
甘え方を覚えた赤子の様なその行為を、私の舌を捏ねる様にして応えてくれる。
そんな"貴方"を、私は──。
「愛しています」
「あらまぁ、案外女の子なのね」
あぁ、心地好い。
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身体が、動かない。
手足が痺れ、倦怠感が肌を包む。
あぁ、なんて。なんて浅はかで、こんなもの。
こんなものは、彼が1番嫌いな姿。
今更こんな風に頭を廻したところで、もう遅い。
彼がよく零す言葉を、今更になって思い出す。
『思考を止めるな、頭を廻せ』
何度も何度も、彼は自分に言い聞かせるようにその言葉を零すのです。
でも、ダメですね。私はもう、ダメダメです。
なんだかもう考える事も嫌になる程に、なんだかとっても眠いんです。昨日もその前もゆっくり寝ている筈なのに。なんだか、おかしな話ですね。
それに、ふふっ。
そうですね。これがとってもおかしくて。
何も見えないんです、私は今。
ふふっ。それだけじゃないんですよ。
私は私自身今。
"瞼を開けているかどうかさえ"、分からないんですから。
───あぁ、もう。
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「ラエルノア!オイラに当ててもいいッ!援護射撃を続けろ!」
「私をナメるな団長ッ!だから頼む、顔だ!奴の顔を向けてくれ!」
どっちも声がでけぇ。喧しい。
肌がチリチリと風を凪いで、頭と心が冴え切ってる。
それと同時にその両方が、少しずつ、冷えてる事も自覚出来る。
笑えない。冗談じゃない。
だんだんと、射程内へ。フーバーよりもデカすぎるその巨体の、その寸尺を、漸く心が理解する。こんな生き物、有り得ない。
──だが、それだけで良かった。
確かに見えた。足元。
交錯するフーバーとオークの足元の、その奥だ。
倒れた"ナニカ"に涙を流して声を荒げるルィンヘンの姿。
──ずっと、探してたんだ。
この喧騒の、全容を。だが、何処にも。
どうやっても、お前が。
「どうしてだ!!どうしてどこにも居ないんだ!!!」
自分でもハッとする程に、それはなんとも嫌な音色で。
焦燥を纏ったそれは、初めて見る程に子供らしい顔をしたルィンヘンの視線を手繰り寄せた。
あぁーあー。ひでぇ、顔。
「シーナ!私なの!私のせいなの!」
気持ち良く澄んだソプラノが、なんだか今は金切り声のシャウトの様に。聴くに耐えない。
これは本当に、笑えない。
「黙れッ!!いいから黙れってんだクソがァッ!!」
顔に脂汗を蓄え、それでも押し合い圧し合いを繰り広げてるフーバーの脇を抜ける。
「こんな事になるなんて、私は……。そんなつもりは無かったの!ねぇ!」
「あんちゃん!射線を避けて脚を切るんだッ!片方でいいからよォッ!!!」
「シー……く、……」
お願いだから、一度に色々、言わないでくれよ。
頼むから、さ。
今は、でも。
それよりも。
「アビィ。お前──」
本当に、笑えない。
「どうして、目を開けねぇんだ?」
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2つ目の過ちは、今この時よりももっと前。
俺は、アビゲイル・ウィットビーという吸血鬼を測り間違えていた。それに気付く事が出来なかった。
賢くて、思ったより甘えん坊で、利己的で、物を知らない。
いや、きっと本当にそれだけの事。
だが"物を知らない"という一点を測り間違えてしまった事に気付く事が出来なかったから、こんな"クソ下らない冗談"を招いてしまった。
こいつは多分、怖いんだ。
自分の事も、他人の事も。他人に映る自分の姿も。何もかも。
だから今、こんな激熱の鉄火場で1人、間抜けに大地にキスするハメになったんだ。
「撃たなかったのか」
「えぇ、それは……。でも、私が撃たせなかった様なもの。安心しなさい、貴方は私を殺してもいい。だけどなんとか、彼女を。……今やってるから、少し待ちなさい」
ルィンヘンの両の掌が薄ぼんやりと白光を放ち、それはアビィの胸の辺りを照らして。いつにも増して血の気の引いた彼女の顔を、妖しくチラチラと照らして。
俺の勘違いが引き起こした2つ目の過ちが、相棒をここまでの事態に巻き込んだ。
所謂信頼とかそんな、俺の嫌いなそんな類の言葉を無意識に、耳触りの良いだけのつまんねぇモンをアビィに寄せていた。
だけど、コイツは撃たなかった。
あぁ、馬鹿馬鹿しい。
信頼?……違うだろうよ。
"変えられる"と思ったんだ俺は、この女を。
そうして、突き放した結果が"コレ"だ。
この女の歪んだ部分を掘り起こして、その後片付けだけをこいつに押し付けた。
馬鹿馬鹿しくて、本当に。
「最低だ、何もかも」




