1人目
『父さん見てくれ!あんな人と父さんが知り合いだったなんて、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ!見てくれ!剣も盾も何もかも、到底買えたもんじゃない!金貨10枚だって?とんでもないよこれは、父さんのおかげだ!』
『ただいま父さん。なぁ見てくれよこの胸の勲章を。この前の魔法使いとの戦ぶりを評価され、僕は部隊長に昇進したんだ!何もかも、父さんの教えのおかげだ!』
『アマレットに渡って良かった。こんな余所者の僕を彼の国は受け止めてくれた。充分過ぎる評価も貰った。なぁ、父さん。あんたも教国に来ないか?あそこは良い。憎き魔法使いは存在しない。──あぁそうか、母さんの墓守が必要だもんな』
『父さん。僕はアマレットでも指折りの勇者になる。実在したあの伝説の勇者のような男になってみせる。そうしてこの街に帰って来るんだ。母さんを殺した魔法使い達を根絶やしにし、僕はこの街に帰ってくる』
『待っていてくれ、父さん』
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「どうした少年。そんな物を掲げて、そんな顔をして」
「どうしたって。そんな事……だって」
鬱蒼とした森が開け、先程まで訪れていたセクリトさんの家に辿り着いた。
「僕は、貴方が心配で。……さっき、血だらけの子が。だから、助けに来たんだ、貴方を」
"先程まで訪れていた"なんて。
よく言えた。本当に。心の底からそう思う。
──違う。
圧倒的に、何かが違う。
そう、それは。闇夜に覆われ見通しの悪くなった景色に大しての言葉じゃない。
圧倒的に、"何か"が違う。
「そうかそうか。足労をかけたな。エリスと言ったね、私はこの通り大丈夫だよ」
そうだ。
分かった。
今言葉を少しずつ零すこの人は。
"あの時"の顔をしてるじゃないか。
「ま、魔物はここには来てないの?さっきの子は、僕らの後ろからやって来たんだ。さっき、血だらけの子が。……だから、セクリトさんも危ないんじゃないかって」
「そうか、そうか。優しいね、君は」
あの時の。
"変わり者"の顔をしてるじゃないか。
「君は、勇者になりたいんだったね」
「な、なにを……」
何を言ってるの。こんな時に、何を。
「私の息子もね、そう言っていたんだよ」
「そう、なんだ」
今、そんな話どうでもいいじゃないか。
だめだ。この人が、なんの焦りも見せないせいで。
"嫌な事"しか思い浮かばない。
「教国に渡った息子はね、22になって程なく死んだよ」
よく、考えて。
この人を、"オカシイ"なんて思ってるんじゃない。
「君のように勇者に憧れた息子は、15年前に死んだんだ」
落ち着きを取り戻しつつある今の頭で。少しずつ。
「私は許せないんだ。この世界が」
決め付けは良くない。
そんな事しちゃダメだよって、母さんも父さんもよく言ってた。
だけど──だって。
「妻も死んだ。息子も死んだ。それでも」
どうしてこのお爺さんは。
魔物の出るようになった、"こんな森"で。
「愛する2人の死を軽んじるこの世界が、許せないんだ」
「──あぁ、そうだろう?"2人とも"」
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思考が追い付かない。
突如としてセクリトさんの傍らに現れた2体の"それ"のせいだ。
「セクリトさん、それは」
「そんな言い方無いじゃないか。2人とも、私の愛した"家族"だよ」
正しい巡りはいとも簡単に従事する事をやめ。
嘘だ。有り得ない。
「"それ"が、家族?」
「あぁ、メリダとライル」
どこが家族なの、ねぇ。
人の形を模しては居るけど"それ"は。
「ち、違うよセクリトさん。それは、"ワイト"じゃないか!」
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この世で生命を落とした者は善人悪人問わず、世を象る万物に姿を変え、いつまでも生者と共にあるという言い伝えが僕の村にはあった。
この街に来てから、各国各地域色々な思想が有り、必ずしもそうでない事は知ったけど、僕はその言い伝え通り、死者は生者を見守る存在になると思っている。
形無い、それは概念的な物だ、と。
この世界には魔物が存在する。
人間とは別の他種族、という事ではなく。それらとは一線を画す"魔の生き物"。
様々な姿形のそれは、ある地方では人が生み出す邪悪の生まれ変わりだと語られ、世界で最初の魔法使いの魔力によってその姿を象ったという説もある。教国アマレットでは、後者の教えを説いている。村にいたゴブリンや、この辺りではあまり見かけないオークなど。それらは魔導士が世に混沌を齎す為に生んだものだ、と。
「なに、おかしな事を言わないでくれ。どこにいるんだそんなもの。ここにいるのは私の家族だ」
そしてワイトとは、突き詰めて行けば魔物とは違った存在。
人間の感情や魔法使いの魔力で"そう"なってしまったのではなく、その出現理由は曖昧。
肉の腐敗したアンデッドなどもワイトと同じ枠組みの存在だけど、どうしてそれが現れるに至ったか明確な回答は、誰も、どの国も出せずにいる。
「違う!貴方が言ったんだ!貴方の家族は死んだんでしょ!?だったら"それ"は家族じゃない!」
そしてどうしてそんな曖昧な存在が突如として彼の元に現れ、それを"家族"と彼が呼ぶのかも分からない。
「あぁ、死んだよ2人とも。だからこうして"蘇らせた"。今はまだこんな姿だがね、直に昔の2人の姿になるんだ」
懐かしむ様に、慈しむ様に、2体のワイトを撫で付けるセクリトさんは、とても優しい声で。さながらその姿は、まるで本当に家族団欒を楽しむ父親のような姿だった。
「奇妙な光景に見えるかね?」
僕の言葉を待たず、セクリトさんは言葉を続ける。
それからの言葉を、どうしても。
受け止める事が、今の僕には出来なかった。
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「私はこの世界が何か、そう。奇妙な物だと思っているんだ。それを器として生きている人間もだ。大勢が口にする偶像は、まるで本当に存在した事のように人々の心に象られ、皆一様に、その不明瞭な存在を盲目的に受け入れる」
「そんな物この世にはありはしないのに、皆一様に、希望や理想を言い訳に、変わらぬちっぽけな自分を受け止めようとしない」
「そうして弱者は贄となり、強者はその死を軽んじる」
「私は、それら全てを憎悪する」
「浅はかな人間も、それらが口にする偶像も、それらを生かすこの器も」
「それら全てが、嫌いなんだ」
「考えてもみたまえ」
「嫌い合う魔法使いと勇者信仰者は、一体幾度の争いを重ね、その煽りを浴びせ一体幾つもの罪無き弱者を葬ったのだ?」
「それら両勢力は皆一様に、希望や理想を掲げ力を誇示し続けた」
「私の妻も私の息子も」
「そんな力に押し潰されたのだ」
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「憎い」
「南西の海岸でアマレットと海上戦を繰り返し、勝ちを掴み得て尚攻撃をやめなかったタンカレーの魔法使い達が」
「あれは、妻はデュボネ出身者でな。その海域に偶然出くわしたんだ。里帰りの最中だったんだよ妻は。魔法使いはそれを新手のアマレット軍と見間違え、愛する妻を船ごと海に沈めた」
「憎い」
「息子は頭が良かったんだ。昔あれは、考古学者になると言って、足繁く書店に通い、古文書に目を通していた」
「そんな息子は、勇者に心奪われアマレットで死んだ」
「彼の国の遣いが不躾に寄越したその事実を、私は受け止める事が出来なかった」
「そう、奇妙だとは思わないかね?」
「私の妻は罪を重ねる悪人では無かった」
「私の息子は世界を救った勇者になる為に教国に渡った」
「私の愛する家族は2人とも」
「人が作った偶像の前に殺されたのだ」
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セクリトさんは、両手でワイトを抱きかかえながら、少しずつ、言葉を続ける。
ほんの少しずつ、でもはっきりと聞いて取れる。
憎悪の篭った声色で。
「私の妻は、争い事が嫌いだった。だから中立国であるこの地にやって来た。そうして私と結ばれ、息子を産んだ。難産だったが、よく頑張ってくれたよ。名付けたのは私だ。ライルという名を聞いて、幸せそうにしていたよ、メリダは。だがそんなメリダは、戦によって殺された」
悲しそうなのに、涙の出し方を忘れてしまったのだろうか。
濁っているとは思わない。僕から見て、今のこの老人の目は、僕らと同じように澄んで見えるのに。
「私の息子は、世界を救う勇者に憧れた。この国を出て、アマレットで自らを磨いた。私は止めなかったよ。そうする気力があの時の私には無かったんだ。そうして息子は武功を重ね続け、のし上がった。だがそんなライルは、アマレットによって殺された」
それとも、"その時"。
彼を取り巻く全てが、止まってしまったのかもしれない。
だけど僕には、分からない。
「"アマレットに殺された"?」
再稼働し始めた僕の巡りは、確かにその言葉で堰き止められた。
言うなればそれは、違和感だ。
そうだ、彼は奥さんの話をした時、なんと言った?
彼の言葉が本当なら、奥さんはタンカレーの魔法使いに殺されたはずた。そして息子さんは、恐らく戦で死んだのであればその死因は魔法使いのはずなんだ。
それなのにこの人は、何を言ってるの?
「そうだ、そうだとも。家族を殺したのはアマレットの人間だ」
「そんな、有り得ない」
勇者信仰者が身を寄せるそんな国で、あまつさえ武功を立てるほどの武人を殺すだなんて、有り得ない。そしてこれは間違い無く。奥さんを殺したのは魔法使いだ。彼自身が口にした。
だが今のこの、彼の憎悪は、アマレットのみに向けられた物に聞こえてしまう。
言ってる事が、滅茶苦茶じゃないか。
「──勇者などッ!!」
足が竦む。
おかしな光景に加え、先程までと比ぶべくもなく、はっきりと感じ取れる程に形を変えた憎悪。手先の震えは、止まらない。
カチャカチャと腰で小気味良く音を鳴らす鞘だけが、今の僕が現実世界から意識を手放さない為の小さな小さな糸になった。
「勇者などこの世には必要無いッ!」
手先の震えが強くなる。
でもこれは、恐れではなく、怒り。
怒りからくる、心の震え。
「必要だよ!でなきゃ魔法使いがこの世を崩壊させてたじゃないか!」
僕の理想を、夢を、そんな風に言われたくない。
「ならばどうして!!」
それでもセクリトさんは、猛る自らを押さえ付けない。
愚考が至り、愚行の極み。彼の言葉は糾弾する事をやめることは無い。
「どうして2人は死んだのだ!勇者に憧れた子ども達が、どうしても幾度も幾度も戦によって死んでいくのだ!」
「だからそれは魔法使──」
「私の息子は!まだ22だった!これからの長過ぎる人生を胸を張って生きていく権利があった!それを奪ったのは勇者の存在だ!」
間違ってる。そんなの、違うに決まってる。
でも、確かに"見える"。
本当に、"止まってしまった"んだ。この人は。
「違う!」
「違わないさ!勇者がこの世に存在しなければ、そんな伝えが語り継がれていなければ!あれは考古学者としての人生を謳歌する筈だったのだ!勇者が子どもを扇動し、私の息子はその偶像を追い、勇者によって殺されたのだッ!!」
そんなの、本当におかしな話だ。
滅茶苦茶だ、そんなのは。
「何人もの子どもが、彼の姿に心打たれて死んでいった。……なのにどうして!なのにどうして世界は戦を続けているのだ!そんな多くの命を軽んじ、在り方を変えようとしないこの世界が、私は奇妙で仕方が無いだからこそ──」
「私は人の死を重んじる!」
とめどなく溢れる憎悪は、少しずつ形を変え始める。
それはそう、彼の言葉を借りるならば。
形容し難い、とても"奇妙"な形へと。
「……そんな私だからこそ。……人の死を、誰よりも重んじる私だからこそ。幾重のかけがえない命を積み重ね、新たな命を生み出すのだ」
気持ちが悪いなんてものじゃない。
奇妙と言ったけど、そうだ。そんなものじゃない。
「この世界は命を軽んじる。そんな世界に、勇者が救ったとされるそんな世界に殺されなかった"彼ら"は幸せなんだ。私は人の死を重んじる。──世界を拒絶する、私ならば」
この人のこれは、"異常"だ。
「生きる権利のあった者へ、かけがえのない命を注ぎ込むのだ。まだ未完成な私の家族も直、新たな命をもってその人生を全うする」
「な、なにを……言ってるの……?」
僕の悪い癖だと思う。
分かってるのに認められない、認めたくない。だって、"こんなもの"を認めてしまった時の僕の心は、どうしようもなく揺らいでしまうんだ。
「"あの子"は"救い"損ねたがね。いやなに、中々どうしてすばしこい子だった」
「……あの子って。ねぇ、セクリトさんやめてよ」
だめだ、涙が出そう。
悲しいとかじゃなく、僕の許容範囲なんてとっくに超えてるんだもん。今のこれは。
「安心しなさい。私はこの世界とは違う。そして、そうだね。君 の様な小さな命でさえも」
やめて。
それ以上、口にしないで。
「そんな命であったとしても、私は重んじるとも。大丈夫、君は私に救われるのだ」
だめだ。頭が割れる。
「さぁ、私が。私達家族が君の死を受け止めよう」
やめてやめてやめてやめて。
「痛みなど、こんな世界で受け続ける傷よりも大したことは無い」
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。
「大丈夫、もう何人もそうしてきた」
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。
「さぁ、私が君を救ってやろう」
「────やめてってばッ!!!」
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『ねぇママ!また今日もあれを読んでよ!』
『えぇーまたー?昨日も一昨日もこれだったじゃない』
『だってカッコイイんだもん!ほらここ、剣でシャキーンって!』
『そう?ママはこの魔導士さんもかっこいいと思うよー?』
『えぇー絶対こっちだよー!』
『ふふっ、ねぇエリス。ぼくはこの絵本の勇者さんみたいになりたいの?』
『うんっ!……でもね、ママ。僕が剣を振ろうとすると、パパ達がすっごい顔して怒るんだ。"ガキがそんなモン振り回すなぁー!"って。ねぇ、ママ。大きくなったら、僕もこんな人になれるかな?』
『きっとなれるよ。貴方はとっても優しくて、ママとパパの子なんだから』
『えへへっ!そっか!』
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そうして母さんはその後すぐに、そんな僕を見て笑って。
また、あの話を読んでくれたんだ。
「──死ん、だの?」
世界を救った勇者の話を。
飽きもせず、同じ話を聞きたがる。
「嘘だよ、嘘。だって僕は──」
1人用のベットに潜り込んでくる、僕の為に。
心踊らせる、僕の為に。
そんな小さな、勇者の為に。
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糸が千切れた。