変わり者
「結構貰っちゃったね」
「あはは、重いならもう少し持とうか?」
「いやいや、このくらいどってことないよ!」
「そう?頑張ってね、エリス」
この笑顔が見れるなら、頑張れますとも。
いや、重いのは重いけど。
街まであと半分くらいかな、かなり遠目に堅牢とは言い難い塞が見える。まだ半分も有るけど、大丈夫。
西日を浴び、夕焼け色に染められたレイラの笑顔を見ちゃえば、野菜の重さなんてなんのそのだよ。
大き過ぎる胸の辺りまで伸びた綺麗な黒の髪を左右で編み、頭頂部にはトレードマークの白のカチューシャ。背丈は僕の方がほんの少し高いくらい。
初めて会った時は、僕の方が小さかったっけ。
「"変わり者"、だったと思う?」
「あのお爺さん?」
「うん、私はそんな風に見えなかったけど」
乾燥した紅籐で組まれた籠を抱え、採れたての新鮮な野菜の香りを楽しみつつ、レイラの言葉を頭の中で反芻する。
確かに話に聞いていた程では無かった。
でも、"あの時"の"あの表情"は。
僕は少し、そんな風に感じた。
「僕も、あんまりそんな感じはしなかったかな。いい人だった。こんなにいっぱい野菜をくれるんだもん」
重過ぎるそれを抱えながら言葉を返す。
今の言葉は嘘じゃない。本心からの言葉では無いかもしれないけど、強がりなのかもしれないけど。
でも、悪い人だとは思わない。
「まぁ、大人が言う事はよく分からないもんね」
「あはは。そう、だね」
それを聞いて、笑ってしまう。
同世代の知り合いは僕しか居らず、大人や老人としか好んで言葉を交わさないレイラがそんな事を言うんだもん。
「どうして笑ってるの?」
「いやいや!なんでもないよ!」
まぁ、きっとそんな事を言っても、レイラは怒らないだろうね。レイラが怒ってるとこなんて、見たことないんだもん。
本当に親方と血が繋がってるか何度も疑ったよ。
「もう、夜になるね」
そんなレイラの言う通り、そろそろ日が暮れるだろう。この辺りにも魔物が出るって話だし、彼女も少しその辺りを心配してるのかもしれない。
「大丈夫だよ、僕は勇者になるんだから。魔物が出てきても、僕が追い返してあげる!」
男の子は女の子を守らないと。母さんがよく言っていた。へへ、勇者っぽいよね、今のセリフ。
「あはは!頼りにしてるよ、勇者様!」
そう、君のそんな顔をいつまでも見る為なら、魔物なんていくらでも倒してみせるよ。
ね、レイラ。
僕は、勇者なんだから。
▲▼▲▼▲▼▲▼
すっかり辺りも暗くなり、街道でも無いこの森では、数歩先を見通すのも一苦労になった。それでもなんとか帰路を帰路たらしめて歩みを進める事が出来るのは、先程のセクリトさんが度々街に向け外出してくれていたおかげだ。
獣道が出来ている。行きも通ったこれを辿れば、家に帰れる。
今日はこの野菜を使った夕飯だろうな。
レイラは何を作っても美味しいから、今からお腹が空いてくる。
「エリス」
本当に、よく出来た女の子だなぁ。いや、女の子って言っても僕より2つ年上だけど、どこか放っておけないというか、側に居たくなっちゃうというかなんというか。
「ねぇ」
まぁその……胸もおっきいし、うん。
いや、胸がおっきいから仲良しなんじゃない。仲良しな子の胸が偶然おっき過ぎただけだよ。そんなやましい気持ちなんてひとつもないよほんと。
「エリスってば!」
「うわぁあ!なに!どうしたの?」
あーびっくりした。
ごめん、呼んでたんだね。あれもしかして顔に出てた?胸の大きさに対する僕の趣味趣向に思いを馳せてた今の顔に出てた?
「何か、聞こえない?」
「えっ?」
顔には出てなかったんだと思う。
というか、そんな冗談を言うような空気じゃない。レイラの表情と声色は、そんな風なものだった。
どこか逼迫した、そんな風な聞き慣れないもの。
「音?」
「うん。足音みたいな、何か」
意識の外で、心が跳ねる。辺りは闇に覆われて、そしてこの辺りは最近魔物が出るようになった森。
"そんな場所"で聞こえてくる足音が、マトモな物とは思えない。
意識を、レイラが眺めている方へ集中する。
僕らの後方、左後ろ。
日が落ちてから時間が経った。だからこそ少し、この暗さにも慣れたみたい。僕達が今通ってきた獣道の向こうから、確かに草木を踏み抜く音が聞こえる。
「レ、レイラ。下がって、僕の後ろへ」
僕がレイラを守らなきゃ。親方に持たされた剣を抜き、カゴを置いてそちらに向ける。
剣なんて、何かに向けて振るった事は一度も無い。魔物を見た事は故郷で何度も有ったけど、剣を持つのは大人達だった。
見様見真似でしか無いけれど、大丈夫。きっと多く無い。
はっきりと聞こえる足音は、ひとつだけ。
「だ、誰だ!」
大丈夫、深呼吸だ。
僕は勇者になるんだから。
魔物の1体くらいなんて事無い。
「ねぇエリス」
「大丈夫だから!レイラは僕が守る!」
声が震える。
情けないけど、抑えられない。
くそっ。だめだ。男の僕がしっかりしなきゃ。
この握った剣を振るわなきゃ、守りたいものを守れない。
「エリス!見て!」
「なに!───えっ?」
レイラの声を受け顔を上げる。
正直言えばホッとして。
そのすぐ後に、また震えが来た。
「く、そ……ッ」
「だ、大丈夫!?」
何のことは無く、足音の正体は僕より少し小さくて、ただ朦朧と身体を擦る男の子だった。血塗れたナイフを右手に持ったまま、脇腹の辺りを抑えている。
そうして僕らに姿を見せてすぐ、死んだ様に崩れ落ちた。
「血が出てる!助けなきゃ!」
きっと魔物に襲われたんだこの子は。
レイラと2人で倒れた彼の元に跪き、レイラが先に抱き起こす。綺麗な銀の髪のこの子はきっと、最近になって現れるようになった魔物に襲われたんだ。
血だ。
血が出てる。
何とかしなきゃ、何とか。
「まだ息をしてる。エリス、この子を抱えて」
「わかった。は、早く連れて帰──」
その時だ。
ふと、何かが引っ掛かった。
そう。
あのお爺さんは。
"こんな場所"に住む、あの"変わり者"のお爺さんは──。
「そうだ!セクリトさんを助けなきゃ!レイラごめん、その子は君が連れて帰って!」
「エリス!」
そう、この子が獣道を"こちら側に"進んできたという事は。
セクリトさんが危ない。
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走れ。
走れ、走れ。速く、もっと速く。
「ハァッ!ハァッ!」
体力には自信がある。子供の頃から、村の手伝いに駆り出された。この街に来てからも、親方に色んな力仕事を任された。仕事の合間の筋トレだって、休んだ事は1度も無いんだ。
「もっと速く!」
いつもより、息が荒い。
怖いんだ、僕はきっと。
今の状況を、耐えられないんだ僕の心は。
いつ、どこから。さっきの子にあんな傷を追わせた奴が現れるか分からない。暗いこの森では、自らの歩先もままならない。
"そんな事"が、怖いんだ。僕は。
「くそっ!大丈夫!僕は勇者だ怖くない!」
そんな弱さを受け止める余裕なんて今の僕には到底無くて。自らを奮い立たせるように大声で叫びながらセクリトさんの小屋へ向け走る。
大丈夫、怖くない。
もうすぐだ、もうすぐ着くんだ。
僕は勇者になりたいんだ!
怖い事なんてひとつも無い!
──見えた。
待っててセクリトさん。
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「君は、世界が好きかね」
「君は、人が好きかね」
「その両方は、"奇妙"だとは思わないかね」
「変われない、人は」
「弱者はこの世の贄となる」
「強者はその死を軽んじる」
「だからね、少年」
「私は"世界"が、嫌いなんだよ」
「何も変わらぬ"人"が」
「私は心底、嫌いなんだよ」
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勇者は、この世界を救った。
ある時現れた魔導士を勇者が屠り、この世界は崩壊の危機から脱した。
あの日見た物語の、そんな勇者に憧れた。
いつかそんな。
子供たちが心踊らせるような。
そんな勇者に、なりたかった。