最終話 永遠に
この話を持ちまして『掃雲演義』は終了とさせて頂きます。ここまでこれたのは皆さまのおかげだと思っております。ご愛顧、有難うございました。
《あるべき所に帰す》
鍋倉はそう言ったことなぞ疾うの昔に忘れていた。それなのに視線を向けて来るどの目も期待できらきらしている。明らかに、鍋倉の言葉を待っていた。
高弁様ほどおれは立派な男ではない。鍋倉は誤魔化すことにした。
「よく分からない。……でもよく分かるのは他の聖道門の者らの方さ。返還式に呼ばれるってことは教団の連中らは正式に僧であるってことだから、これからは僧らしい振る舞いをするであろうとな。な、夜叉蔵」
例によって夜叉蔵に振る。怒りが収まらないのは、やはり周りの者たちだった。
「聖道門の連中、いったい何様だと思っているのか」とか、「聖道門らこそ僧らしくしろ」とか、罵声が聞こえる。当の夜叉蔵も今度ばかりは不服なのか、話に乗って来るどころかむくれている。一方、清はというと満面の笑みだ。
「良いではないか。おかげで浄土では敵味方なしで皆、笑って過ごしているってことが分かった」
「そうじゃ」と夜叉蔵が言った。「争いなんてつまらん。それよりどんどん田畑を切り開いて豊かになろうぞ。天に雲は当分掛かって来ん。青天続きとなればこれからが我らの戦じゃ」
高ぶらせた気持ちを解き放つかのように皆は歓声を上げ、身を躍らせた。
その夜は酒宴となった。皆は散々に飲み、歌う。鍋倉は、清と始終寄り添って昔話に花を咲かせた。あの時はどうだったとか手ぶりを交え、面白おかしく清に話して聞かせる。大体は右往左往の滑稽劇に脚色されていたのだが、鍋倉の話は、清と離れていた間のことから吉野で共に送った生活へと遡っていく。当時、清は白拍子姿ではなく、今と同じように庶民のかっこをしていた。生き生きとしていたし、清は気立てが良く、美しかった。その清が庵を去って行った時のことは今でも忘れられない。ぼうぜんと、庵のしなびた床を眺めていた。
と、そこへ、誰かが言った。
「鍋倉様の竜笛が聞きたい」
見れば、鴨川の畔で一緒に暮らした仲間らだった。鍋倉は清を見た。清がうなずいている。鍋倉は「ならば」と立ちあがり、言った。
「笛を吹く前に一つ提案があるのだが」
赤い顔や満面の笑み、とろんとぼんやり目つきや乱れ髪。鍋倉はそのそれぞれの顔を見渡した。
「おれたちは家族だ。みな、同じ名前にしないか」
酒宴はざわつく。隣同士が互いに顔を見合っていた。
「おれは少々有名になりすぎた。この土地にうずもれるなら名を変えねばと思っている」
清が興奮ぎみに首を縦に振る。皆もうなずき合っていた。
「さてどうするか」と鍋倉は唸り、「あっ」と声を上げる。
「おれと清、二人とも高弁様に平安京を去れと言われた。思い返せば、その時のうろたえぶりが滑稽で」と思わず「ふふふ」と声を出していた。そこから気を取り直し、
「おれと清はここで落ち合ったも同然。だから落合ってのはどうだ」
と、清を見た。清は満面な笑みであった。
「決まりだ!」
皆が手を叩いたり喜声を上げたりでそれに答える。
「ようし! 祝いの笛を」と鍋倉は懐から薄墨の笛を取り出す。ところが唐突に、そこへ割って入る夜叉蔵。不満なのか、しかめっ面で瓶子片手にふらりふらりしている。
「この酒宴はおまえさんの婚儀を祝うものではないのか? なら夫婦で披露せい。澄が笛で清が歌舞いじゃ」
一瞬で静まりかえった。もとよりそういう酒宴ではなかったのだ。清の怒りに触れたと思った。誰もが清を凝視する。だが、そこには赤らんだ顔の清がいた。慎ましやかに言う。
「澄、夜叉蔵が歌舞えと」
きょとんとした鍋倉が相好を崩す。
「だから前にも頼んだじゃないか。おれは清のために笛を稽古したんだ。もちろん、歌舞ってくれるだろ」
恥ずかしそうに清がうなずいた。その耳元に鍋倉は囁く。
「されど、みなの前ではこれっきりだ。次からはふたりっきりで楽しもう。夜の森でふたりっきりでな」
清が両手で顔を隠した。
かくして清が《二人は永遠に一緒》と歌い上げ、舞った。それに鍋倉は曲を着ける。二人の気持ちの合わさりようがその歌に、その舞いに、その曲に、えもしれぬ雰囲気を与えた。それに酔わない者はだれもいない。こんこんと湧き出る二人の喜び。それを聞く人それぞれが分かち合い、そして浸る。
それは見ることも手に取ることも出来ない。だが、まさにこの瞬間、間違いなくそこに存在していた。ここにいる者だけしか感じられないこの世で最も確かな世界。
ふわふわと浮くように夜叉蔵も、その世界の中に漂っていた。不覚にも、『木偶人形』の分際で余命を惜しんでしまっていた。そして、心の中でつぶやくのである。
随分と待たせましたが、もうちょっと生きていていいでしょ、義経様。 夜叉蔵には、あの世で義経が微笑んでいるような気がした。
笛を奏でる鍋倉はというとやはり、微笑んでいた。幸福感に包まれている夜叉蔵。これをずっと望んでいたんだろう。よかったじゃないか、夜叉じい。
そう思う鍋倉も、この瞬間のためにずっと歩んできた。全身全霊をかけて曲を奏でる。
知らず知らずのうちに亡き者の意志と期待を背負っていた。鍋倉が、《おれは時代の瓦礫を集めたような者だ》と言ったのはそういう意味があったのだ。任が解かれた今になっては、亡霊たちには申し訳ないが正直ほっとしていたし、時代の礎になれたことにも満足している。
しかし、亡き者たちはともかく、鍋倉にとって全てがこの瞬間のためであった。清が歌舞い、自分がそれに曲をつける。これこそが鍋倉がずっと望んでいたこと。
《二人は永遠に一緒》
笛を吹く鍋倉は正真正銘、永遠に清を愛することを心に誓った。清の歌声、踊る姿。清は、まるで花吹雪に包まれているかのようである。清が扇子を振るたびに心地よい春の香りも漂ってくる。喜びの歌、愛の歌。
返還式の時、鬼一法眼も今出川鬼善も義経も現れなかった。今まさに鍋倉は、己の中に鬼一法眼と今出川鬼善、義経公の意思を感じる。おそらくは鬼一法眼も今出川鬼善も、そして義経公も浄土へは旅立ってはいないのだろう。己の中にいる。
今出川鬼善との戦いで勝てたのは『粋調合気』の力もあった。だが、鬼一法眼の意志だったのではあるまいか。もっと別の戦い方もあったろうに、『太白精典』を極めた今出川鬼善とわざわざ金神を引き合うなぞというそんな戦い方をしたのも、今となっては不可思議な話だ。
義経公にしたって、その一部はおれの中にあったとしても、そのほとんどが未だ夜叉蔵の中にいる。夜叉蔵は『木偶人形』なのだ。『太白精典』の継承者ではない。その証拠に金神から神託を受けていないようだった。義経公か、あるいは義経公と紛う金神は、夜叉蔵の魂とは同化していないのだろう。それを失ったとしても、夜叉蔵に限って言えば、死を免れられるのかもしれない。
いずれにせよ、夜叉蔵は浄土へ旅立てる。しかし、おれは、そうはいかない。神護寺からの帰り道、神託を受けたあの時、おれの魂は金神と融合し、そこでおれは死んでいた。そして、蘇ったのだ。『太白精典』はその能力が恐ろしいだけではない。よくよく考えてみれば、気が減りも増えもしないなんておかしかったんだ。気のやり取りではない、それは魂のやり取り。真の恐ろしさはここにあったんだ。
己に返ってくる厄災を背負わないという意味でいうなら、真の金神使いは夜叉蔵なのだろう。しかし、『木偶人形』は単なる運び手。体内に金神を封印する一方で、ある程度なら金神の力を自在に引き出せる。だが、真の金神使いの夜叉蔵と雖もそれは魔神の力を借りるのみ。魔神そのものには到底、及びもつかない。仕方がなかったのだ。夜叉蔵が早めにおれの中の金神を抜いてくれたとしても、おれは今出川鬼善と対峙する運命にあった。
畢竟、おれの魂は輪廻の枠を抜けて、永遠に生き続ける。清が子を産み、育て、そして老いる。おそらくおれは、鬼一法眼のように長寿を得るであろう。清を看取らなくてはならない。
「清、お前が逝くというのならおれもそこに逝くぞ。そう約束しただろうが!」
えらっそうにそう言ったが、約束は守れそうにもない。ごめんよ、清。
おれは見送るだけだった。
清が逝っても十年や二十年、生き長らえよう。そして、誰かに己の金神を譲り、やはりおれも死ぬ。
だが、肉体が滅んでもなお、おれは魂となって永遠に生き続けよう。だからこそ、この瞬間瞬間を大切にする。そして清には、この真実を決して悟られはしまい。
それでいいのだ。これでおれは、清への愛を糧に、永遠を生き続けられる。
(了)




