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掃雲演義  作者: 森本英路
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第78話 上意


 おれの合図で清は真っ先に今出川に斬り込むだろう。でも、死なせやしない。


 清といるこの瞬間がたまらなく嬉しい。今の鍋倉には鬼善なぞ眼中になかった。一点を見つめる清の横顔。憎き鬼善を見据えているはずの目だったが、情熱的とはいえない。ややもすると冷淡ともとれるその目つきは目尻が細く長いためであろう。といっても、目自体が細いわけでもない。二重でパッチリと開かれている。そして、皺ひとつないつるっとした大きなおでこと、そこからの鼻、唇、顎へつながる横顔の曲線。情念を思わせる唇が、品性を思わせる鼻や意志の強さを思わせる顎よりも出っ張ることなく、その鼻先と顎先の間に固く結ばれ収まっている。


 気位の高い女だとは思っていたが、と鍋倉は思った。その横顔は決して我を張るような傲慢さはなく、かえって慎ましやかであり、気高かった。一方で鬼善は、まさか鍋倉が清に見惚みとれているとは露ほども知らない。それどころか、鍋倉が相当悔しがっていると思い込んでいた。さらに気落ちさせようと鍋倉に向かって手にある解毒剤の瓶を握りつぶして見せる。


「鍋倉、おまえはやはりとんでもない馬鹿だったな」


 実を言うとこの鬼善、鍋倉が解毒剤を取りに来ず広隆寺に向かったと聞いた時、背筋を凍らせていた。鍋倉が解毒剤を全く意に介さず、月見という絶世の美女にも目をくれない。何を考えているのかまったく分からない。そんなやつが一体どんな手を仕掛けてくるというのか。得体の知れない不気味さに、不覚にも臆病風に吹かれてしまっていた。


 門を開け放つという策を弄したのもその表れである。鍋倉が警戒するあまり今出川邸に攻め入るのを中止するならそれはそれでいい。逆に攻めて来たなら戦うまで。


 二者択一。運を天に任せることで肝が据わった。『掃雲快剣』。その神託が降りたのはまがうことなくこの我に。だが、心がざわめくのだ。果たしてそれが己に対しての神託なのだろうかと。ただ単に、世がそうなるというのではあるまいか。その不安も、今となっては錯覚であったと鬼善は自嘲する。神託は紛うことなくこの我に降りたものだ。鍋倉は、ただ単に後先考えない馬鹿でしかない。その馬鹿に負けるはずがあろうか。鬼善は、能天気にも策にはまり風前の灯火になっている鍋倉の姿に安堵し、得意の絶頂となる。


 右手を上げた。振りおろしたその瞬間に、己が最強であることは揺らぎないものとなり、聖道門の権勢はほしいままとなる。鬼善は己の幸運と機知に身震いした。一方、鍋倉は言うまでもなく鬼善のことなぞまるで考えていなかった。ただ、清の面子めんつは潰したくはなかった。少なとも号令ぐらいは下さねばなるまい。鍋倉もまた、その右手を上げる。


 だれもが壮絶な戦になることだけは想像出来た。窮地に立たされている吉水教団はなおさらである。決死となれば浄土がすぐそこと興奮度が上がるというものだ。といっても、鬼善の首を取れずじまいとなれば仲間に浄土で顔向けできない。矢が脳天を貫こうとも鬼善に一太刀浴びせると鬼気迫る。一方の優位にあるはずの鞍馬の僧兵らであるが相手が相手。吉水教団は死をも恐れない。仲間の屍を踏み越え踏み越え来るような輩だと聞いていた。弓で囲んだといっても、死人を盾に襲いかかって来るは必定。鞍馬の僧兵らは腹をくくるしかなかった。


 かくして吉水教団四百五十、鞍馬四百がそれぞれ己の大将の右手が下ろされるのを固唾を呑んで見守った。


「上意である!」


 緊張感漂う中、突如、静寂を切り裂いて声が放たれた。その声の主は、夜叉蔵である。書状を高々と掲げていた。


「鬼一法眼様が鍋倉様のお父上、淵殿に宛てた書状であーーーる。皆の者、心して聞けーーーい。鬼一法眼様は鍋倉澄を『太白精典』の正統継承者に指名した。この書状が何よりの証拠。つまり、今出川鬼善は簒奪者の謀反人であるっ! その謀反人に手を貸すとは何たる不届きかっ!」


 夜叉蔵の思いもよらぬ言葉に鞍馬の僧兵ら、八龍武の誰もが驚き、そして困惑した。夜叉蔵は続ける。


「また、ここにおられる鍋倉様は薄墨の笛の所持者でもある。鞍馬の者ならその謂われは知っていよう」


 薄墨の笛の前所持者は英雄義経公である。鞍馬山は義経公と縁が深い。青年期まで庇護し、武芸の伝授もした。


 鍋倉はきょとんとしていた。そこに夜叉蔵が目配せしてくる。鍋倉は、「あ、笛?」と慌てて懐より薄墨の笛を取り出す。夜叉蔵が声を殺して、「はよ、高く掲げよ」と手をぱたぱたと動かす。鍋倉は戸惑いながら笛を掲げた。皆、それに食い入る。やがてはあちこちからどよめきが立ち、それが邸内全てに広がった。


「控えおろう! 控えおろう! 薄墨の笛の継承者であらされるぞ」


 夜叉蔵の大音声にそのどよめきが消えた。邸内が水を打つ。誰からともなくひざまずいた。それは、稲穂が風に吹かれるように寝殿から東西の釣殿へと連鎖してゆく。鬼善はというと一歩二歩と後ずさると寝殿の中へと消えて行った。清は、ああっと思ったが追おうにも鍋倉が鞍馬の僧兵らに礼を受けている。となればそれをぶち壊すわけにもいかない。それは当の鍋倉としても同じであった。鬼善が姿を消してしまう一方で、八龍武と鞍馬の僧兵四百全てが自分に対してこうべを垂らしている。


 鍋倉は少し怖い気がした。どう見てもその礼は自分自身に向けられている。清はというとそんな鍋倉の心情を察していた。忍ばせた手を探るように伸ばす。そして鍋倉の手を優しく握った。


 はっとした鍋倉は清を見る。


 大丈夫、と清は小さくうなずいてやる。


「謀反人、今出川鬼善を捕縛せよ!」


 鬼善がいないのを分かっていながら夜叉蔵は、八龍武と鞍馬の僧兵らにそう命じた。ひざまずく鞍馬の僧兵らと八龍武が身を起こしたかと思うと一斉に鬼善に視線を送る。当然、そこに鬼善の姿はない。


 へへっと笑った夜叉蔵の顔つきが、また厳しく変わった。


「今出川鬼善の捕縛、屹度きっと申しつける!」


 とりあえずはこれで許してくれと夜叉蔵が清に片手で拝むかっこをした。清に返事はなかったが、一瞬口元が緩んで見えた。それを良しと取った夜叉蔵は声を殺して、「二人とも来い」とすたすた先に歩いて寝殿のきざはしに立つ。鍋倉は後を追い、清もそれに続いた。


「鍋倉殿、ここに立って、みなの方を向け」


 その位置は先ほどまで鬼善が立っていたところだった。鍋倉はきざはしに言われるがまま立つ。


「ここにおわす方こそ、聖道門盟主にして念仏門の英雄、鍋倉様だ!」


 溌剌はつらつたる声で夜叉蔵はそう宣言した。


 今出川邸にいる敵も味方も全ての人々が残らず歓呼の声を上げた。そして、入り乱れてきざはしの下に殺到してくる。驚いた鍋倉は手ぶりで大きく、抑えて抑えてと示す。夜叉蔵が白い歯を見せる。


「静まれい。静まれい。これより鍋倉様から一言がある」


 気持ちが高ぶっていたはずの敵味方だったが、瞬く間に全てが押し黙りその場にひざまずき畏まる。その壮観な風景にまたも飲まれた鍋倉は当然、頭が真っ白になる。いつものごとく夜叉蔵に救いの手を求めた。ちらちら見たが面白がっているのだろう、夜叉蔵が下を向いたままであった。


 えっと思った。策の仕掛け人のくせに最後はうっちゃるか! 清を見た。さすがに清はひざまずいていなかった。こういう風景は見慣れているのだろう、全く動じず笑顔を見せている。それが囁いた。


「わたしが先に言うから後に続いて言いなさい」


 待ってましたとばかり鍋倉はうんうんとうなずいく。


「我が鍋倉だ」

「我が鍋倉だっ!」


「皆の者、これからは」

「皆の者、これからはっ!」


「我に忠誠を尽くせ」

「我に忠誠を尽くせっ!」


 ん? ちゅ忠誠を尽くせってぇぇぇぇ、あっちゃぁぁぁ、と鍋倉は思った。が、言ったことは帰らない。いきなりこんな田舎もんがえらっそうに言ったら皆怒るだろう。また戦いが始まったらどうすんだ。鍋倉はおどおどしていると、畏まっている八百五十人全てが一斉に、「ははっ」と返事をした。


 え?っと思った。ほっと一安心すると鍋倉は清を見た。相変わらず清は微笑んでいる。なんだいなんだい、なんてこと言わせるんだ。いぃーって顔を造って清に向けた。清が、くすくす笑った。


「うむ」とうなずいたのは夜叉蔵だ。上出来という意味であろう。早速、次の矛先へと向かう。夜叉蔵は元来、八龍武の首領なのだ。


「さぁ、何をしている、貴様ら。鍋倉様を案内せい!」


「ははっ」と八龍武が慌てて鍋倉に走り寄る。夜叉蔵が清に、行くぞと手ぶりを見せる。


 かくして御座おましに通された鍋倉は八龍武に板敷き畳の上に座らされた。清は夫婦めおとのようにその横に並び、夜叉蔵はその二人からやや下に座る。八龍武はというとこの三人と対面に居並び、再び平伏した。殊勝であるとでもいうのであろう、夜叉蔵はまた、「うむ」と満足であることを八龍武に示し、今度は鍋倉に向きを直す。そして、言った。


「申し上げまする。佐近次とかいう男、奥義書の在りかを突き止めて御座いまする。ご下知を」


 え? 下知って? って、そういえば、佐近次さん!


 清が吹き出した。


「澄。下知って指示しろってこと」


 へー、じゃなくて、あの人、どさくさまぎれになにをやってるんだ。鍋倉は言った。


「急行する。夜叉じい、案内してくれ。みなも一緒だ」


 夜叉蔵が先頭をすたすた歩く。透渡殿すきわたどのを通り、東の対屋たいのやに移り、さらに東北の対屋たいのやへ進む。北の対屋たいのや同様、東北の対屋たいのや母屋もや全体が塗籠ぬりごめで、そのうえ中も碁盤状に幾つも土壁で仕切られていた。夜叉蔵は妻戸つまどを次から次に開け、ずんずん奥へ奥へと向かう。その迷いなさに鍋倉は、疑問が沸く。夜叉蔵の耳元で囁いた。


「確か佐近次さんは門をくぐった時ぐらいから姿がみえなかったけど、夜叉じいはおれと一緒にいたろ? なのになぜ、どこにいるのか知っているんだ」


「わしの古巣じゃ。この屋敷は手に取るように分かるんじゃて。それに神護寺に紛れこむ前にもこの屋敷に入らせてもらったしな。昔と何も変わっとらん。ということで、佐近次が行きそうなところはすでに検討が付いている」


「あっ」と思わず鍋倉は声を上げた。どうりで親父宛の書状が夜叉蔵の手元に有るはずだ。今になってようやく納得できた。神護持に行くために待ち合わせしたあの夜、時刻を過ぎても夜叉蔵はなかなか現れなかった。盗みをしていたと言っていたが、大胆にも今出川邸に忍び込んでいたとは。


 夜叉蔵が立ち止まった。そして部屋の角で、土壁に露出する柱をで始める。はたして何か感触を得たのか、そこで手を止め、ぐっと押す。


 その部分だけがへこんだかと思うと壁が動き、少しだけ空いたその隙間から奥がうかがい知れた。隠し部屋があることは言うまでもない。







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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