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掃雲演義  作者: 森本英路
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第77話 今出川邸決戦


 果たして広隆寺は殺気立っていた。洛中洛外から集められた精鋭四百五十。今夜、今出川邸に攻め入り、今出川鬼善を討取ろうというのだ。境内は殺伐とし、教団の者らはというと押し黙り、どの顔も怒りと憎しみで表情を歪ませていた。


 名を上げようという華々しさはもちろんない。相手の仕打ちに対してそれ相応の報いでこたえる。勝つ負けるを語る者なぞいようか。語るのは目だけ。知性を忘れ、感情に任せた獰猛どうもうな目を鈍く光らせる。それが広隆寺全体に異様な空気と静けさを生んでいたわけだが、そこへ乾いた音が響き渡る。猛獣のように徘徊する、あるいは息をひそめる教団の者らは一斉に山門へと目を向けた。


「鍋倉澄でございます。どうか、お入れくだされ」


 金堂の簀子すのこに清の姿があった。水干の上から大袖に籠手、胴に草摺ので立ちだった。


「入れてやれ」


 門は開かれた。


 鍋倉、夜叉蔵、佐近次の三人がそこに立っていた。教団の者らは得物を手に手に鋭い視線を三人に向ける。その目に憎悪の光があるのは鍋倉らにしてみれば了承済みである。鍋倉はざっと見まわし一段高いところに、強張こわばった表情の清を見付けた。視線が合った清はというと冷たく言う。


「毒丸は嘘だ。だが、謝らないぞ。話をするのも今日限りだ。今出川邸に行け。そこでその首、落としてやる」


 清は死のうとしている。入道武者らの姿がないことからここに集った者たちも、清に殉じようとしているのだろう。そう思うと鍋倉は打ちひしがれる。だが、大きな声で笑って見せた。異様なこの雰囲気の中では何を話しても分かってもらえない。けんか腰ではない何かを一発食らわせる必要があった。それで高らかに笑ったわけだが果たして信者らは、鍋倉の意外な行動に一瞬思考が止まった。


 あっけにとられているとみた鍋倉は、すかさず言った。


「ああ、やれやれだ。みんな、鬼善の策にはまって情けない。これだから見てられないんだ」


 そして、ずかずかと清に向かった。はたと、我を取り戻した信者らが次々やって来て鍋倉の行く手を阻む。


『刹那無双』


 無数の信者を瞬時にかいくぐった。一方で教団の者らは、目の前にいるはずの鍋倉がいないのに驚き、金堂の清を危ぶむ。一斉に振り返った。もうすでに鍋倉の後ろ姿。どういうことかと固唾を呑む。


 夜叉蔵はニヤリとした。


「鍋倉は寝ても覚めても霊王子なのにどこの婿に行くと言うんじゃ、まったく」


 悠々と人垣の間を縫って歩くと鍋倉の後ろに立つ。佐近次も後を続く。二人が来るのを待った鍋倉はさらに歩を進めた。金堂のきざはしで三人を見下ろしていた清は慌てた。


「止まれ! それ以上は来るな!」


 鍋倉はそれでもずんずん進んだ。そして、清を目と鼻の先にすると声を荒げた。


「清、お前が逝くというのならおれもそこに逝くぞ。そういう約束だったろうが!」


 気持ちに余裕を失っている清は《逝く》を《行く》と取ってしまった。解毒剤を盗んで来るから一緒に逃げようと言ったのを思い出す。


「そんな約束していない。現に、昨夜、おまえは」

「あんたがおれに教団に入れと命じた! それはそういうことなんだろ!」


 確かにそんなこともあった。清の顔がみるみる内に赤くなっていく。清には立場というものがある。教団の重鎮であり一途に慕うその母を殺された。許嫁の盛長もそうだ。不謹慎だというのは分かっていた。が、どうしても体が熱くなるのを抑えられない。清は境内を見渡した。信者に、いや己の兵に、取り乱している様を見せられようか。たまらず、逃げ出してしまった。といっても、気持ちが落ち着くまで姿を隠すつもりだった。弔い合戦を放り出したわけではない。それは誰もが承知していたし、致し方ないとも思っていた。


 現に、先ほどの鍋倉の《一緒に逝こう》という言葉は、清は言うに及ばず境内の兵らの心にも響いていた。つまりは言霊である。比叡山との戦いでは、放った一言で混乱を鎮めた。鍋倉の霊威で、言葉が力を宿したのだ。しかも、今回の鍋倉はそれに加え金神の神気をまとっている。鍋倉の言葉に耳を貸さない者はいようか。それでなくとも鍋倉は、教祖法然の遺骸を守ったのだ。そのうえ清が鍋倉を好いているというのは比叡山との戦いでここにいる誰もが百も承知だった。


 でかした、よくぞ申した。夜叉蔵は満足げであったが、もうひと押ししておこうかのぉと教団の者らに向けて語り掛ける。


「わしは夜叉蔵と申す。この顔を知る者も少なからずここにはおろう。ずっと法然様の御そばに仕えたあの下郎じゃ。どこに行くにも付き従い、お言葉を頂いたそのわしがお前たちに問う。偶然なぞこの世にあろうか。ならばこれは因果か。いや、違う。比叡山が襲ってきた時を思い出せ。これはまさしく法然様の御導きじゃ。今日この日、鍋倉殿がここへ来たのは偶然でも何でもない。敢えて言おう。これは法然様の御意思だと」


 法然の導きだと聞いて奮い立たない信者はいない。不気味な雰囲気を醸し出していた境内の雰囲気が変わった。さらに夜叉蔵は雄渾なる内功を発し、威勢よく言い放つ。


「鍋倉殿が加われば我らの勝利、間違いなし!」


 そしてこぶしを高く突き上げる。


 奮い立たされた信者らがそれに呼応しないはずはない。大音声と共に一斉にこぶしを突き上げる。境内は熱狂の渦と化した。






 夜も更け、月は高々と星空にあった。今出川邸襲撃の刻限を迎えたのだ。


 戦いの前の興奮か、教団の者らが騒然としている中、入道蓮生が法然の遺骸守護のため参加できないことを鍋倉に平謝りに謝っていた。いやいや、おれに言われてもと思う鍋倉は困っていた。何かうまく言わなければこちらとしても気持ち悪いし、相手もきまりが悪いだろう。「なぁ、夜叉じい」と夜叉蔵に返答を振る。夜叉蔵は、はぁ? って思ったがキリリと表情を引き締める。


「全面戦争のこれがきっかけになるかもしれん。言うてみれば前哨戦じゃ。歴戦の猛者は温存しておかんとな」


 さすが夜叉じいは上手いこと言う。鍋倉が感心する一方で、入道蓮生は会釈した。


「そう言ってもらえれば、気が楽になりまする」


 佐近次がじりじりとしている。


「霊王子はまだか?」


 夜叉蔵は、ひゃっひゃ笑った。


「死体をさらすかもしれんのじゃ。霊王子なら美しく紅を引くさ。ちょっとぐらい待ってやれ」


 佐近次が舌打ちをした。丁度その時、金堂から清が姿を現した。篝火に照らされた清を凄艶せいえんと見る者もいたし、優美と取る者もいた。静まり返るその境内を、清はぐるりと見渡すと太刀を抜き放つ。そして白刃の切っ先を今出川邸の方角に向けた。


「この道の先は、浄土につながっておる!」


 境内が興奮のるつぼと化した。呆れる佐近次は「どっかで聞いた物語風の言い回しだな」と茶化す。実際、夜叉蔵は腹をよじって笑っていた。一方鍋倉はというと見惚れて心ここにあらずである。清はまるで物語からどび出してきたようだった。心奪われてほうけているそこに突然、清が、「澄!」と呼ばわった。いきなりでどっきっとした鍋倉は、なんだなんだとうろたえた。構わず清は続ける。


「そちが大将じゃ。みなを指揮せよ」


 何を言い出すかと思えば、と鍋倉は言葉も出ない。兵を指揮したことなぞないのだ。


 夜叉蔵が、ひゃっひゃ笑った。


「おまえさんは昼間、あれだけの啖呵を切ったんじゃ。気位の高い霊王子、そうでもせんと顔が立たんであろうが」


「顔が立つ? 第一おれは用兵術を心得ていないんだぞ」


 はーっと夜叉蔵がため息をついた。


「何をいまさら。そんなことは分かっておるわ。霊王子はこうでもしなければつりあいがとれんと言っておるのじゃ」

「つりあいって。ただおれも付いて行きたいって言っただけだ」

「もうよい、霊王子の言うことを聞いてやれ」


 清が太刀を収めると金堂から降りて来た。境内の黒山が左右に分かれ清の通る道を造る。その先は鍋倉へと続いていた。清は、人垣で出来たその道を当たり前のように進む。皆が固唾を飲む。近づいてくる清に鍋倉は先ほどの戸惑いももうどっかに忘れ、じっとその姿に魅入る。美しかった。白の下地に艶やかな大袖に草摺。だが、その清はというと鍋倉を一瞥もくれず通り過ぎてしまった。唖然と見送った鍋倉だったが、「何をしている。澄、行くぞ」と清の声が飛ぶ。その声の主は振り向かず、もう門へと向かっている。


 鍋倉は、はっとした。「行くぞ、皆の者」と大音声を発す。ずっと静観していた教団の者らだったが、境内に鬨の声が上がる。かくして吉水教団四百五十は嵯峨野を抜け平安京に入り、街路を駆け、今出川邸に到着した。


 怪しいことに、今出川邸東門の分厚い扉は開かれていた。そこから邸内の様子がうかがい知れる。篝火が煌々と邸内隅隅まで照らしていた。人の気配がまるでない。


 恐れをなして逃げたかと思ったが、どうも嫌な空気が漂っている。鍋倉は二の足を踏んだ。思いあぐねた挙句、清の顔色をうかがう。清は落ち着いたもので鍋倉が決めたならどっちでもいいといった雰囲気である。


 夜叉蔵を見た。

 その夜叉蔵は、へへっと笑い、「構わぬ、行こう」と攻め入ることを促した。佐近次はというと尋ねもしないのに、横から横柄おうへいにも「ここまで来てひきさがるのか?」と攻めを要求する。二人の言葉に鍋倉は、攻め入ることを決断した。手を上げると、「者ども、かかれ!」と手を振り下ろす。と共に己も先陣を切って走っていく。清も夜叉蔵もその後ろについて邸内に攻め入った。教団四百五十、鬨の声とともに今出川邸に突入し、南庭に広がった。


 が、しかし、今出川の反撃どころか物音一つ帰って来ない。


 教団の誰かが、「やはり、恐れをなして逃げた!」と声を上げた。それに呼応した教団四百五十は歓声を上げた。とこの時、邸内に門が閉められる音が響く。


「しまった。これは罠だった」


 教団の誰かが言った。教団四百五十は退路を断たれたのだ。鍋倉は不安げに夜叉蔵を見た。夜叉蔵はというと何食わぬ顔で言った。


「敵は我らを殲滅しようとしてるが、我らの敵はただ一人、四百五十が一となっても今出川鬼善を殺せば我らの勝ち。気落ちめさるな」


 それはそうだと鍋倉は得心し、檄を飛ばした。


「うろたえるな、敵はただ一人、今出川鬼善なるぞ」


「やれるものならやってみろ、鍋倉ぁー」


 寝殿のきざはしに鬼善が現れた。それに続いて八龍武も姿を見せる。さらにはその脇からぞろぞろと鞍馬の僧兵らが湧き、それが東西釣殿までの渡り廊下をどっと走った。瞬く間に鍋倉らを囲んでしまう。南庭に広がっていた教団の者らは反射的に丸く密集隊形となった。傍らで清が敵意むき出しに鬼善をじっと見据えていた。






読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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