第76話 加勢
「しゃべるでない」
清は、そう連呼した。だが、その霊王はというと聞く耳を持たない。とはいえ声を飛ばすことが出来ないのだ。息絶え絶えに清の襟首を掴み、声を届かすために自分の口元へ清を近づけようとする。どうしても伝えたいことがあるようだった。清は、ぐいぐい襟を引っ張る霊王のその口元に耳を近づける。
「子を信用しない親がおるかい。『撰択』がないのは十分承知。毒は嘘、せめてもの仕返し、年寄りの悪ふざけじゃ」
霊王としてみれば、清と盛長が結ばれることを鍋倉に納得してもらわなければならなかった。その一方で鍋倉は、比叡山を撃退したほどの凄腕だ。教団を守護するとなればこれほど心強い者はいない。そして、当の清である。
霊王は、鍋倉が命乞いをするみっともない姿を清に見せつけたかった。鍋倉は心底、教団に心腹していない。言うなればただの用心棒でしかなく、教団を背負うには相応しくない。それを清に承知させたかった。だが、それも上手くはいかなかった。後は阿弥陀如来の導きに従うのみ。霊王は心中で、南無阿弥陀仏と唱え、浄土でまた会おうと笑顔を造った。そして、霊王はその笑顔のまま逝くのである。
清はというと人が死しても泣いたりはしない。浄土へ旅立てるのだ。しかし、霊王に限っては流石に違った。悲しみと怒りを声に出し、清は激しく泣き叫んだ。
平安京で見る最後の空。その頃、鍋倉はそんな感慨に浸り河原に一人、天高く広がる青雲を眺めていた。踏ん切りがついたといえば噓になる。昨夜、いっしょに落ちて行こうという清の言葉に、「盛長と幸せになってくれ」と心にもないことを言ってしまっていた。後悔したって、言ったことはもう戻らない。前に進むしか道はなかった。高弁にも、佐渡に帰れと言われ、その約束をしていた。
「平安京を去らねば」
初めて平安京で見た時の清。吉野で一緒に暮らした時の清。比叡山を撃退した時の清。それぞれの表情、それぞれの言葉が走馬灯のように鍋倉の頭の中で駆け巡る。
清と離れたくなかった。
今にして思うとそれが叶わないから笛を吹いていたのかもしれない。
笛を吹いていると未来になぜか清と繋がるような気がした。歌舞う清と演奏の鍋倉澄という勝手な思い込み、己の描いた幻想がそうさせた。しかし、笛を止めた途端、現実に気付かされた。考えてみれば会った時は敵どうしであった。いや、今もそうなのかもしれない。
世迷い事であった。
実は鍋倉、昨夜、清が闇に消えて行った後ではあるが、尸丸についてある発想を思い立っていた。金神の神気で毒蟲を駆除できるかもしれない。そもそも金神の神気はこの地上のどれとも相まみえない。だったら毒蟲も。単純な発想だったが、夜叉蔵も佐近次もそれには気付いていないようだった。
しかし、そうだとして何になる。やはり清とは結ばれないのだ。せめてもの救いは『粋調合気』が終焉を迎えずに済んだこと。師、蓮阿には顔向け出来よう。鍋倉は佐渡に帰る前に鎌倉へ行くこととした。誰かに『粋調合気』を伝えなければならない。その誰かを探しに、鍋倉は歩を東へ向けた。
ふと、あの五人の使い手の気を感じた。
「性懲りもない」
周辺には不穏な空気が漂っていた。八龍武が人々を脅しているためだろうか、人影もまばらだった。鴨川の氾濫を考え川際から五十歩ほど控えてある掘立屋群であったが果たして、その隘路から八龍武の面々が次々と姿を現す。
雪辱を晴らしに来たのだろう。勇んでいるはずだったが、不思議なことに、五人は歩調を合わせるようにそろって、ゆっくりと向かって来る。その様子からはまるっきり敵愾心を感じられない。それどころか、鍋倉のところまで来たかと思うとまるで鍋倉の家人かのようにひざまずく。その中の一人、道意が言った。
「われわれの数々の御無礼、御許しください」
鍋倉には珍しく、捌け口にしてやろうと思っていたから拍子抜けだった。道意が続けた。
「我らの師、鬼一法眼が鍋倉殿のお父上にお約束したそうですが、実は、今になってそれが分かり、これまでの所業、後悔してもしきれません」
「約束?」
「はい、鍋倉殿と姫様は妻夫となるのです」
鍋倉の頭に鬼善のせせら笑う顔が浮かんだ。どうせ月見様でおれを釣って、なぶるつもりなのだろう。疑いの目を八龍武に向ける。その眼差しを受け、道意の表情に光が消えた。え? なぜ? 月見様の夫になると聞いて喜ばない男はいない。道意は、はっとした。とにもかくにもこれを先に言わなければ始まらない。
「ご自分のお命を、お気にしているのですか? それならご心配に及びません。今出川鬼善が単身、広隆寺に乗り込み解毒剤を奪い取って参りました」
鍋倉は絶句した。清に、「あんたにとっておれは迷惑な存在になる」と言った矢先のことである。それが今まさに現実となった。背筋は凍り、その一方で鬼善に対しては、はらわたが煮えくり返った。まさに正反対なことが鍋倉の中で同時に起こったわけだが、清に危険が及んでしまう恐怖も、その元凶たる鬼善への怒りも、とどのつまりは負の感情である。
重苦しい空気を醸し出す鍋倉。それをどうとったらよいのやら。八龍武の面々は、鍋倉の心境を読めずに戸惑う。解毒剤が飲めるのだ。普通、命を助けてもらったのなら、こうはならない。もっと言うと月見のことだってそうだ。さっぱりわからない面々は気味が悪くなって、何も言えず鍋倉の言葉を待つしか出来なくなった。
やがてその鍋倉がその重い口を開ける。
「後でうかがう」
「ははーっ」と言って、面々は弾けるように飛び去って行った。鍋倉から受ける緊張と重圧に耐えられなかったのだ。その鍋倉はというと、そこでそのまま放心していた。
かくして一刻ほど経ち、夜叉蔵と佐近次が現れた。特に夜叉蔵なぞは浮き立ち半分である。駆けよってきたかと思うと「大変なことが起きるぞ」と声を上ずる。興奮しているその様子から《大変なこと》とは十中八九、鬼善と霊王の争いを言っているのであろう。しかし、どこで聞きつけたか。あるいは広隆寺を張っていたのかもしれない。もしそうならば、鬼善が広隆寺に入ったのを見たということになる。
「ああ、知っているとも」と鍋倉は憮然とする。夜叉蔵らがなにもせずに、鬼善のしたいようにさせていたのなら許さない。一方で夜叉蔵は、昨夜のことで鍋倉が拗ねているとみた。
「どうした? ご機嫌斜めじゃのう」
間抜けな話だが夜叉蔵と佐近次、ここよりずっと上の方で朝から解毒剤と『洗髄経』のどっちを先に盗みに行くかで口論していた。その実、夜叉蔵としてはどっちでも良かったのだが、鍋倉が清に別れを告げたことでむしゃくしゃしていた。口論と言っても夜叉蔵が佐近次に一方的に当たっていただけなのだがその最中、二人は鬼善の霊王殺害を知った。通りがかった者からそれを聞くや否や、その事実を確かめるべく広隆寺に走り、また戻って来たというわけだ。
一方で鍋倉はというと、婿の話と解毒剤を奪ったのは聞いたが、事件のあらましは全く知らない。
「八龍武がおれを迎えに来た」
それでか。夜叉蔵がひゃっひゃ笑った。
「婿の話じゃろ? で、おまえさんはどうする?」
「夜叉じい、その話、誰から聞いた?」
夜叉蔵はにしゃっと笑った。こやつ、状況が分かってないとみた。
「あほか。わしに怒ってどうする。周りをよく見てみろ」
いつも雑然とした河原であったが、今日に限って言えば静まり返っている。はて、と鍋倉は思った。八龍武がやって来た時も不穏な空気を感じたが、今もそれは変わりない。状況は変わったはずだが、これはいったいどういうことか。鍋倉は神経を研ぎ澄ました。掘立屋群の方からいくつもの視線を感じる。息をひそめ、こちらの動きをうかがっているそれは、恐れ慄き、危険を回避しようっていうものじゃない。明らかに敵意を孕んでいる。鍋倉はさらに感知を高める。鍋倉を取り巻く掘立屋群のそこかしこで、何人もの人が寄り集まっているようだった。良からぬ相談でもしているのだろうか。まさしくそれが、ここ周辺に漂う不穏な空気の原因であった。夜叉蔵は言った。
「鬼善が流布しておるわ、おまえさんを婿に取るって。で、どうすんじゃ、おまえさんは」
なるほど、おれは教団の裏切り者ってわけか。「解毒剤を今出川鬼善から奪い返し、霊王に渡す」
「おまえさんらしい」
鍋倉が事の次第を分かってないのと、自分を犠牲にしてまで事を治めようと躍起になっているのが夜叉蔵にとってはたまらなかった。ひゃっひゃ、ひゃっひゃと腹をよじって笑う。その一方で、佐近次はというと鍋倉の《霊王に渡す》という言葉に怪訝な表情を見せていた。それが溜息一つつく。
「霊王は今出川鬼善のやつに殺されましたよ、我婿に毒を盛った罰だということで。盛長という雑人もいっしょです」
耳を疑った。「なんだと!」
夜叉蔵は言った。
「おどろくこともあるまいて。目的はおまえさんなんじゃ。分かってたことじゃろ? ま、心配するには及ばん。霊王子は無事じゃて。この目で確かめてきたから間違いない。霊王子のやつ、霊王の弔い合戦でもする気かのぅ、人を集めとるわ」
清!
もう驚愕とか怒りとか怖れとか全部すっ飛んで、鍋倉の心は清に向けて飛んでいた。一人ずんずんと歩き出す。
「鍋倉、どこに行くのです」と佐近次。
そう来なくっちゃと夜叉蔵。「決まっておる。霊王子のところに行くんじゃ」
二人は鍋倉の後を追った。
鍋倉は、掘立屋群の隘路を西へと向かう。そもそもが洛中とは違い、道らしき道なぞない。隣同士が仲が悪いのか、あるいは雨水の通り道なのか、偶然の産物かのような曲がりくねった空間。当然、鍋倉が進む足元は整地されているわけでもなく、木片やらボウボウに茂った草はもちろんのこと、人の死体まである始末だった。そこを折れては進み、折れては進んでいると、いきなり、五人の男が太刀や槍を手に飛び掛かってきた。草むらから一人、前の物陰から二人、屋根の上から二人。言うに及ばず皆、教団の信者たちである。
『刹那無双』
鍋倉は瞬時に、しかも、飛び降りてきた二人が着地する前に、信者五人の手から得物をひとつ残らず奪い取った。そしてそのまま先に進む。一方で信者らはというと皆、手にしていた得物がいつの間にか無くなり、それがなぜか鍋倉の手にあるのに驚愕する。その場で茫然と、去って行く鍋倉の背を見守るしかなかった。そこへ飛び込んで来た夜叉蔵と佐近次。その夜叉蔵が怒気をあらわに言った。
「鍋倉殿は霊王子ご加勢の手なるぞっ! それを襲おうとはとんでもない屑どもめ! とっとと失せて皆に伝えろ! おまえらは阿弥陀仏千回唱えても許されんとな!」
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




