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掃雲演義  作者: 森本英路
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第73話 許嫁


 否。過去の遺物を倒してなんになる。それにまがい物だぞ。神託を受けたわけではあるまいし、そんなやつぁ神気をぶち込んでやればいい。あとは念じるだけ、それでじじいはあの世行きだ。そんなことよりも、じじいの目の前で鍋倉を倒してやる。誰が正当な継承者かということをそのじじいに知らしめてやる。


 だが、鍋倉は間違いなく金神を己のものにしている。そう思うと鬼善は不安に襲われた。どうなったらそうなるのか。『木偶人形』が教えたとは思えない。『木偶人形』はあくまでも『木偶人形』。ただの『はこ』でしかない。指導していると八龍武が言っていたが、『はこ』に『太白精典』のいったい何が分かる。そんじょそこらの修行とはわけが違うのだ。それに『太白精典』は秘法。他と一緒にしてもらったら困るのだ。


 だったらなぜ、鍋倉は金神を己のものにし得たのか。やはりそこを知らなくては始まらない。そもそも理解出来ないからこそ恐れを払しょくできないでいるのだ。鍋倉を徹底的に調べ上げる。それで分かるだろう。やっぱり運だけの男、ただのとるに足らない田舎者だったと再確認できるはずだ。


 万が一、そうでなくとも、とどのつまりはやつも人の子。わしに月見がいるようにやつにも必ず弱みがあるはず。そして、鬼善は思わずほくそ笑むのである。もしそんな事実があるのならばと。


 今更じじいを血祭りにあげても誉れにもならなければうっっぷん晴らしにもならない。鍋倉に近い輩を片っ端から、というのも悪くはないが、じじいを殺したとしてどうなるという。鍋倉はかえって火が付くかもしれない。それはそれでうまくない。鍋倉が絶望し生きる気力を失うのをわしは見たいのだ。わしに盾突いて後悔する鍋倉が見たいのだ。


 ふと、鬼善は我に返った。完膚無きまで叩き潰すとついさっき息巻いたばかりだった。弱みがあるはずと浮かれていた己を、鬼善は次第に許せなくなっていく。怒りも沸々と湧き上がって来た。


 それでもやっぱり、と思う。筒井順覚との戦いを思い出したのだ。自惚うぬぼれは隙を産む。例え羽虫に対峙しようとも勝つためには謙虚であらねば。


 出来ることは何でもやる。知略もその一つ。絶対的不利な筒井順覚もそうやって挑んできた。もし、鍋倉に弱みがあるとしたらそこからやつを崩す。勝利は当然のこと、やつには苦しみ抜いてもらわなければならない。そうしないと、己が背負ってしまった人生とつり合いがどれないのだ。


 鬼善は鞍馬の僧兵を呼び出すと、鍋倉のことならなんでもいい、探れ、と命じた。


 かくして探索に出た鞍馬の僧兵が戻って来た。それがいくばくも時間が経ってないのに鬼善は不快を覚えた。先ほどの八龍武らを連想してしまったのだ。鍋倉は身寄りを失い、田舎から出できた野放図な男だ。何もなくても仕方がなかろうと諦めかけたその矢先、僧兵がもたらした報告に鬼善は嬉々とした。


 鍋倉が吉水教団の霊王に毒蟲の薬丸、尸丸しがんというものを飲まされているらしい。それだけでない。面白くて面白くて鬼善は腹を抱えて笑ってしまった。『撰択平相国全十巻』とその解毒剤は交換なのだ。


 佐近次は生駒山でこう言った。鍋倉は燃やしてしまったと。間違いなく鍋倉は、あの『撰択平相国全十巻』をひとつ残らず十巻全部、一切合切いっさいがっさいまるっきり灰にしてしまった。


 やつぁ、どうするんだ。飲まされた尸丸しがんの解毒剤と『撰択平相国全十巻』は交換なのだぞ。こりゃぁ、わしが手を下すまでもない。そう思うと鬼善は、いまの今まで気に病んでいた己が滑稽でならない。鍋倉も笑えるが、わしも相当笑える。鬼善は上機嫌に笑い転げた。


 ふと、吉水教団と比叡山が平安京で戦ったことを思い出す。鍋倉の活躍で比叡山を追い払ったと聞いた。それがまた鬼善の笑いを誘う。


「あやつ、『撰択』を返すことが出来なくて、霊王になんとか取り入ろうとしたんだな」


 座具の畳をばんばん叩いて鬼善は笑う。そうしている内に、ある感情が芽生えてきた。その解毒剤をどうしてもほしくなってしまったのだ。霊王のように鍋倉をなぶってやりたい。鍋倉を思いのままに操って最後は苦しんで死ぬところを見る。といっても、それには問題がないわけでもない。自分の因業いんごうな仕打ちに鍋倉が最後まで付き合ってくれるかどうかだ。言うまでもないが、鬼善の言う《最後》とは当然、死を示している。


「月見っ! 月見を使おう」


 鬼善は早速、月見を呼び出すことにした。僧兵に命じるとしばらくして月見が侍女をともなって現れた。


 鬼善はというと現れた月見の姿に息を飲む。月見と対峙するといつも思ってしまうのだ。母に似た訳でもあるまいし、かといって自分に似たわけでもない。自分の娘がなぜこの様な美しく生まれたのか。こんな時でさえ鬼善はついつい我を忘れ、月見に見とれてしまっていた。


「話って?」と月見が言って、変なお父様ねという顔をした。「あ、そうじゃ、そうじゃ」と鬼善は慌てた。


「実は今まで隠していたことがある」


 そう言うと鬼善は話を続けた。


「親父様は鍋倉の父、淵殿とある約束をしていた。今まで黙っていたのはわたしの身勝手、お前が可愛くて可愛くてしょうがないからだった。されど、事情が事情なので言うこととした。鍋倉は吉水教団に毒蟲の薬丸を呑まされておる。命はいくばくもないという」


 月見は息を飲んだかと思うと呼吸を乱していく。顔色もみるみる青くなって、その取り乱し様が鬼善の目にもちゃんと鍋倉を心配して狼狽していると映った。なにかの間違いか? と思いつつも鬼善はそれをおくびにも出さない。


「それで明日、吉水教団に乗り込んでその解毒剤を頂いて来る。なぜだか分かるか?」


 鬼善は、偽りの笑顔を見せた。血の気を失った表情の月見は胸の前で手と手を握り、声は発しないがその眼差しは鍋倉を助けてくれと言わんばかりである。内心戸惑いながらも鬼善は続けた。


「親父様と淵殿の約束を守るためだ。鍋倉はわが家の婿として佐渡から登って来たのだ」


「えっ!」と月見が突如、表情を輝かせた。それからその顔色はみるみる血の気を取り戻していったかと思うと恥ずかしそうな表情になって月見はその顔を両手で隠す。一方その傍らでは、侍女が月見の肩にしがみつき、「姫様、姫様」と喜色の声を上げている。鬼善はあっけにとられた。月見は佐近次を想っていたはずである。それがいつ心変わりしたのか。鬼善は、ああっと思い、あの生駒でか! と怒りに震えた。


 月見がこばめば形だけだと説得するつもりだった。なのに、こばむどころか喜んでいる。そこから想像するに生駒で過ごしたあの夜、二人は結ばれたに違いない。鬼善は父、鬼一法眼のことを考えた。あのくそじじいめ。わしの許しもなく鍋倉にわが娘をめとらそうとしていた。これは何という因果だ。衝撃を受けた鬼善はしばし言葉を失った。が、鍋倉への強い憎しみでなんとか己の心を持ち直す。


 鍋倉め、この代償は高く払わせてやる。目の前で喜ぶ月見にしても、腹立だしくないと言ったら嘘になる。だが、鍋倉は醜い姿となって死ぬのだ。月見は鍋倉を愛したことを深く後悔するだろうし、鍋倉の死に際しては吉水教団ににせの解毒剤を掴まされたと、わしは月見の前で嘆いて見せればいい。


「明日、必ず解毒剤を吉水教団から頂いて来る。なあぁに、わたしは聖道門の盟主だ。金輪際、吉水教団に手を上げないと約束すればやつらも大人しくその解毒剤も渡そう。心配するな」


 鬼善はやさしい声色を作って、そう月見に言った。


「お願いいたします」


 しおらしく月見が、手を着いて、頭を下げた。侍女もそれに続く。二人平伏している姿に鬼善の内心は、不愉快になったどころの騒ぎではない。憎悪がヌルヌルととぐろを巻いていった。


「なにを水臭い。可愛い娘のためじゃ。わしに万事任せよ。なぁに、法然の遺骸の所在もすでに把握しておる。やつらはそこに巣食っておろう。明日までのがまんじゃ。月見よ、楽しみにしておれ」






 夜更け、鴨川にたたずむ鍋倉の姿があった。


 鴨川の鉛色に流れる水面みなもに、月がゆがんで映る。


 撥ねた鯉が一匹、宙で一瞬踊り、水面に落ちてしぶきを上げた。


「澄」


 背中から声がした。意を決して、鍋倉は振り返る。声の主が誰だかは分っていた。夕方、夜叉蔵が言ったのだ。清が会いたいと。


 会いたい? それは本当だろうかと鍋倉は思った。人を食った夜叉蔵のことだ。清には、鍋倉が会いたいと言ったのかもしれないし、もしそうだとして夜叉じいはわざと清に、誤解を与えるようなことを言ったのかもしれない。それならば、許される話ではない。


 鍋倉は、その辺を夜叉蔵に問い正したかった。しかし、夜叉蔵はだだ笑うだけで鍋倉に何も言わさず逃げるように去って行った。


 ともかく、旅立つ前に鍋倉は清にさよならを言わなければならなかった。吉野での別れの際、清は心を示してくれた。それなのに黙って消えるなんてあり得ない。清に嫌われたとしても、人でなしだとは思われたくはなかった。


 といっても、どういう風にこの気持ちを伝えたらいいのか。夜叉蔵に突然、清が会いたいと言っていると告げられたのだ。清と蓮阿の今様に見合うような別れなぞ思いもよらない。こうなってしまったのだ。みやびおもむきもあったものではない。ただただ真摯しんしに別れる理由を話すのみ。鍋倉は、それしか頭に浮かばなかった。


 距離を置いて立つ清。月光の淡い光に白い水干が照らされ、その姿は闇の中におぼろげに浮かびあがっているかのようである。ふと、鍋倉は今出川邸で清に寝込みを襲われたのを思い出した。


 あの時はまだ親しくはなかった。滑石なめいしのような清の肌が月明かりに照らされ、濡れたように光っていた。冷たい表情だった。それが今まさに目の前にあった。







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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