第72話 木偶人形
八龍武の面々が顔を見合わせた。今出川鬼善と同じような者がここに二人もいるのだ。面々は皆、顔面蒼白で脂汗を滲ませている。巷で傲岸不遜と知られる金神八龍武である。それがこの変わりようなのだ。
夜叉蔵は、それが面白くてたまらない。もひとつからかってやろうと思った。
「そういや八龍武、円喜が死んだらしいの。噂は聞いておる。誰にやられたかも察しはついている。ま、やつらしい死に方じゃて。生前、あやつぁは憎々しいやつでな、今となっては懐かしいが、あの頃は面倒じゃったぞ。何かにつけてわしに逆らってくる。わしは金神八龍武の一、他はその他大勢じゃ。当然、おまえらもこのわしに従わなければならん。分かっておろうな」
夜叉蔵は、にしゃぁと笑みを造り、八龍武を見渡す。皆一様に驚きの顔を見せていた。その反応に嬉しくなった夜叉蔵は、さらに言った。
「円喜はおまえたちに言わなかったのか? 八龍武の首領は『木偶人形』の夜叉蔵じゃと。ま、言うはずもないか。鬼一法眼様には何かにつけて取り入って、ごますりもし放題。言うに事欠いてわしの悪口までいう始末。やつにとってこのわしは目の上のたんこぶじゃったからのう」
佐近次は声を出して笑っていた。
「引いてもいいですよ。なぁに、恥ずかしいことではございません。むしろ逆です。月日が経てばあなた達のその判断が讃えられもすれ馬鹿にする者なぞ皆無となりましょうぞ」
「分かった」と道意、「引こう」と続ける。もちろん、他の面々に異論はない。お互いうなずき合うとドタバタ似つかわしくない姿で退散して行く。 それを楽しげに見守っていた佐近次が鍋倉に言った。
「このじいさん、平安京で恐れられた盗賊黒覆面の男なんですよ」
え? ええーーーっ。
鍋倉の驚きようはない。二歩、三歩下がって固まる。が、分からない。というか、整理がつかない。
おれに金神を入れた鬼善と盗賊の夜叉じい。おれと戦ったのは鬼善。佐近次さんと戦っていたのは夜叉じい。つまり黒覆面は二人いた?
「……で、あんたが工藤のおっさんを黄金の千手観音でぶん殴った?」
へへっと笑った夜叉蔵は、「ご名答」と鍋倉を指差した。
「責めるなら、佐近次も一緒じゃ。こやつ、中華の秘宝、『易筋経』を会得しているんじゃ」
佐近次が夜叉蔵をにらみ付けた。鍋倉はというと呆れるのを通り越して言葉が出ない。法然の遺骸騒動から聖道門の神護寺に至る一連の事件は法性寺に端を発する。鬼善の変貌は自分のせいだとしても、この混乱の発端は夜叉蔵なのだ。それなのに当の本人はしれっとしている。いまも夜叉蔵はへへへっという呆けた笑いをしている。怒りがふつふつと湧き上がってきた。
「どうすんだよ。教団は霊廟を失って、聖道門は奥義書を奪われた。もうぐちゃぐちゃだぞ!」
「それがわしとどう関係があるというのじゃ」
「おれは、いまの今まで法性寺は鬼善の仕業だと思っていたんだ。なんで夜叉じいが!」
「ちょっと工藤をからかってやろうかと遊び半分だったんじゃ。比叡山も気に入らなかったし、たまには痛い目見たほうがいいと思ってな。そんだけ。悪いか? むしろ鬼善を責めろ。やつぁ、わしになりすまし、おまえさんを殺そうとしたんじゃぞ」
「ああ、そうさ。あいつの興味はすべておれに向いていたんだ」
今、はっきりと分かった。ずっと鬼善を、まわりっくどく策を弄する男だと思っていた。法性寺の一件から始まり法然様の遺骸略奪、そこから聖道門の武術会まで画策した。全てが鬼善の仕業だと思い込んでいた。だが、違った。鬼善はそんなに難しい男ではない。
生駒で対峙したその目を思い出す。怪しい眼光だった。せせら笑っているのか、醜悪なものに眉をひそめているのかよく分からなかったが、それは間違いなく本能に訴えた。この男は危ない、いますぐ尻尾を巻いて逃げろと。
あの目は間違いなく、おれをいたぶって、いたぶり抜いて、それで殺してやろうという危険な目だった。それに神護寺での鬼善。その狙いは奥義書だったと快命が言ったが、いま思えば果たしてそうだったのか。『太白精典』を披露するため大勢の人を集めたとは考えられないか。正統継承者はこの鬼善だ。その証拠におれはこんなにうまく『太白精典』を使えるぞ、とでも言いたかったのだろう。
つまり、やつはもう何も望んではいない、おれをなぶる以外は。そのためならなんでもやる。労力を惜しまない。そんなやつが清のことを知ったらどうなる。おれの想い人だと分かったらやつはどう思う。おれも金神使いでそう簡単に手を出せなくなったとなれば、やつはどうする。
清! 清があの怪しい眼光に射すくめられたとしたら………。
最悪だと思った。まだ、策を弄する鬼善の方がましだと思えた。それなら感情より知性が勝っている。おれが平安京から消えれば目的は達成するだろう。だが、おれを憎む鬼善は何をしでかすか。
今ならまだ間に合う。早々に平安京を発たねば。
幸運にも、おれと清の噂はまだ平安京に広まっていない。清には許嫁の盛長がいる。気位の高い女だということも周知の事実だ。そんな清がおれと近い関係にあるということを、盛長はもちろんのこと、教団の者らが間違っても口に出したりはしないだろう。だが、清が盛長との婚儀を断ったなら。
教団は蜂の巣をつついたようになるし、盛長も黙っちゃぁいまい。
夜叉蔵が言った。
「何をびびっておる。『太白精典』は鬼善の方がうまく使えるが、おまえには『刹那無双』があるではないか」
だから、それが状況を悪くしているんだ。
「鬼善がおれに真っ向戦いを挑んできたならな」
「なるほど、おまえさんの言いたいことは大方察しはつく。確かに、あの鬼善なら考えられない話ではない。じゃが、心配するな。おまえさんが死のうが、南宋に行こうが、このわしが霊王子を守る」
夜叉蔵はひゃっひゃ笑った。
「ああ、そうするさ。清を頼んだぞ」
「まぁまぁ、売り言葉に買い言葉じゃ。そういきり立つな、鍋倉殿よ。おまえさんももういっぱしの男じゃ。霊王子を連れて佐渡へ帰れ。何ならこのわしもお供するぞ」
ばかな。鬼善が追って来ないと言い切れるか。追って来るに決まっている。
佐近次が口を挟んだ。
「鍋倉、その前に、『洗髄経』です」
「そうじゃの、佐近次よ。派手にぶっ壊してやるか、聖道門の同盟」
何をいまさらと鍋倉は呆れた。鬼善のために聖道門の同盟はもう、ほぼぶっ壊れている。それでも鬼善が吉水教団と事を構えるとなればやはり原因はこのおれ。要は、おれが今すぐいなくなれば、聖道門の連中も酷使されないし、吉水教団も仲間の血を見なくて済む。それこそ清は、平穏に暮らせるというものだ。
鬼善は、八龍武の五人全てが無傷で帰って来たのを訝しんでいた。思い描いていたのは、一人二人が血まみれで足を引きずり、腕をかばい、半死の状態で帰って来る。そして、鍋倉の腕一本が己の前に進上される。
百歩譲って、ピンピンしているのは致し方ない。面々としても思いがけない上首尾だったのだろう。だが、五人は手ぶらだった。どういうことか。早速、鬼善はそれを問う。道意はというと言い訳がましく、しかも、怒りを買わぬよう探り探り話をしだした。
こやつは何を言っているのか、と鬼善は思った。つまりは、仁法が突っかかっただけ。あまりの情けなさに怒りが沸々と湧き上がってきた。
「それで五人が五人、そろいもそろって逃げかえって来たかっ!」
そう怒鳴りあげた。五人はというと震え上がる。
「お前たちの顔なぞ、見たくはないわっ!」
怖れ慄く面々は、昼の御座から一目散に逃げ出す。独り残った鬼善はというと煮え切ったはらわたをぶちまけた。
「この手で殺すっ! わしの圧倒的な強さを見せつけてやるわっ!」
道意の話によれば、鍋倉は陰陽合わせ持つ、自分以上の完全な金神使いとなった。その技は神妙で奇抜だという。ならばなおさら鍋倉を完膚無きまで叩きのめしたかった。誰が最強なのかを体の隅々にまで鍋倉に分からしめたかった。
しかし、鍋倉の恐ろしい所は武術というより、なにか別のところにあるように思えた。少し目を離すと強くなって目の前に現れる。神仏か天魔か、なにか得体のしれないものが鍋倉を動かしているのではと感じるのだ。それに鍋倉を指導しているもう一人の金神使いが厄介である。
「じじいの方を先に始末するか」
だが、そもそも父、鬼一法眼以外の者がなぜ金神を使えるのか。それが不思議であった。思い当たる節がない訳ではない。義経公である。
「そうか。そいつが『木偶人形』か」
鬼善は父の言葉を思い出す。義経公の金神を持ち帰るという役目をある男に与えたと言っていた。義経公と雖も間違いを犯さないって訳ではない。不可抗力っていうこともある。もしもってことを考えておかなければならなかった。鬼一法眼はそれを『木偶人形』と呼んでいた。その『木偶人形』が、夜叉じいと呼ばれる男に違いない。
分かったのはいい。だとして、それがいったい何になるというのか。それどころかかえって薄気味悪くなってしまう。広い平安京でその夜叉蔵と鍋倉は出会った。いくら偶然とはいえ、そんなうまい話があるものか。
やはり、鍋倉は得体がしれない。なにかがやつを動かしている。その背後のなにかを思うと鬼善は空恐ろしくなってしまう。そして、その恐怖をぬぐわぬ限りこの先、己はないとまで鬼善は思う。
ならばどうする? どうやって克服する? さらなる武芸の鍛錬か、あるいはその『木偶人形』を血祭りに上げるか。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




