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掃雲演義  作者: 森本英路
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第71話 刹那無双


「五人、使い手が来る」


 はたして鍋倉の言う通り、掘立屋群の隘路あいろから五人の僧兵が現れる。佐近次が言った。


「金神八龍武。狙いは鍋倉か。今出川鬼善に命じられたんだな」


 往来の人を押し退けて鍋倉を探す八龍武。その物々しさに、河原の住民たちは逃げ惑い右往左往とした。一方で佐近次は、軽くあしらってやろうと鍋倉の前に立ちはだかる。掘立屋群から八龍武まで距離としては五十歩ほどあった。住民が混乱しているせいか八龍武はまだ、こちらの存在に気付いていないようである。馬鹿なやつらめと佐近次は、戦闘態勢に入る。内功を一段階ほど上げた。


「手出し無用!」


 夜叉蔵が、佐近次の前を手で遮った。助太刀を制したのだ。


 河際かわぎわを往来する人も失せ、取り残された三人は否が応でも目立ってしまう。果たして八龍武の面々は、鍋倉らを視認しすると血気に早っているのか一斉に太刀を抜き放った。その中でもっとも俊足を誇る『かぶとわり』の仁法が他を引き離し、鍋倉の前に躍り出る。と同時にその太刀が振り下ろされる。刹那、その太刀筋ごと鍋倉は、仁法をすり抜けた。


 二人は背中合せとなる。


「動くな!」と大音声の仁法。他の面々にそう警告し、太刀を振り落とした姿勢のまま硬直している。他の面々はというと鍋倉の十歩程手前で急激に足を止めた。


「怖じ気づきよって。いつものお前はどこにいったぁ」と怒りをあらわにする『蛇骨打』の雲最。

「仁法、その物言いは似合わんぞ」と皮肉笑いの『谷潜たにくぐり』潤煙。


 道意がいぶかしんで『葉隠はがくし』の理救を見た。理救も怪訝な表情をしている。なおも硬直している仁法が言った。


「違う。こいつは、もののけだ」


 仁法の言っている意味が他の八龍武には分からない。確かに、早いのは目を見張る。といってもそれは、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ単に鍋倉が仁法の太刀筋をかわしすり抜けただけとしか思えなかった。ところが、鍋倉は仁法の斬り込みの瞬間、攻撃を加えていた。顎を掴かみ、そのまま下から突き上げて仁法の体をその場で後ろ回転させ、斬り込んだ姿勢を崩すことなく着地させたのだ。当の仁法はというと、やられているという感覚はあるが、体の反応が全く出来ていない。


 まるで操り人形。………いや、違うと仁法は思う。武術の師匠が弟子に型を指導する。手の位置はここ、足の送りはこうと、己の型を手取り足取り修正されているのにそれは似ている。一方で、鍋倉はなぜか仕切りに首を傾げている。


「佐近次さん。襲ってきたこの人、どうも動きがおかしいんだ」


 佐近次は、「おかしい?」と思わず復唱してしまっていた。おかしいことは何もない。それを言うなら、遠藤一党と戦った時より仁法は腕を上げている。


「だから、なんと言っていいのか、この人、止まっているようにゆっくりなんだ」


 皆が困惑していた。言わずもがな仁法は八龍武のうち、神速を誇っていた。当然、鍋倉の言っている意味が分からない。そのきょとんとする皆の顔に、なんて説明したらいいのかと鍋倉はじれったくなって、仁法の動きをまねて見せた。


「だからさぁ」と言う鍋倉の動きは、遅いってもんじゃぁない。「こんな感じで」と己の手を仁法の太刀に見立てて振り下ろす。その間、三十を数えた。


「それでさぁ、おれは」と太刀をかわす動作をしつつ右手を突き上げる。ばっと空気がはじけるような音がした。だが、その動きはまったくもって目で追いきれていない。


 佐近次はあっけにとられ、夜叉蔵はというと唸った。


「比叡山『四身式』の鶴丸を彷彿とさせる。じゃが、肉体を超人化したという点においては『太白精典』そのもの」


 佐近次が言った。


「では、鍋倉の技はいったい?」


「『太白精典』はもともと武術書ではなく、どちらかというと神憑かみがかりに重きを置いている。占いに生かしたり、自身を超人に変えたりするのはむしろその副産物じゃ。さらにはそれを刀術に特化させたのが『啓明祓太刀けいめいふつのたち』じゃ。技もさることながら鋼なら何でも強化出来る。斬れないものはなにもない。もちろん、『太白精典』で出来ることは全て出来るぞ。されど、鍋倉のは全く別。まさかとは思うが」


 鍋倉は、夜叉蔵の言葉に注意を向けていた。八龍武から全く目を離している。『葉隠はがくし』の理救はそれを見逃さない。得意の暗器を瞬時に十発ほど放つ。しかし、そのどれもが鍋倉の前で円弧を描いて右に逸れ、挙句、鴨川の流れに飲み込まれていった。


 言葉を失う理救。だがこの男の心中では、仁法が苦し紛れに発した言葉を反芻はんすうしていた。果たして、それがやっと口にいた。


「………、もののけ」


「ふむ、ふむ」と腕を組んでうなずいた夜叉蔵が続けた。「信じられんことじゃが金神の力が『粋調合気』に引っ張られているのかもしれんの。鍋倉殿、好きにやってみろ」


 『粋調合気』に? と鍋倉は思い、「じゃあ、どうしようかな」といたずら心が湧いてきた。「分かりやすいのをやるよ」と数歩進み出、無造作に飛んでその場に着地した。


 轟音と共に河原の石が飛び散る。


 面々はそれぞれ即座に半身に屈み、両の腕で己の急所を守る。飛び散った石から逃れられないと判断したのだ。だが、石は一個たりとも八龍武の誰にも当たらなかった。かすって遠く向こうの河原にカチカチカチンと落下する。


 すぐさま、面々は身構える。目くらましの後の攻撃を警戒したのだ。だが、鍋倉はその場で平然と突っ立っている。そして、驚くべきことに、小石を手一杯に持っていた。


「危なかったね。これ全部、ほうっておいたらあんたらに当たっていた」


 そう言うと、ぱらぱらと石を河原に落とした。


 皆、唖然とした。


「佐近次さん。いろいろ分かったよ。金神は丹田みたいに内力を上げてくれるんだけど、それだけじゃなく動かすことが出来るんで重心が思いのまま。それで『粋調合気』の威力が増しているんだ。それとさっき、この丸顔の人のことを遅いのだの早いのだの言ったけど、どうも速度じゃあないなぁ。どう言っていいのやら。そうだ。おれだけ、時を刻むのが早い。そう言った方がしっくりくる」


 時を刻むのが早い? 佐近次は鍋倉の言っている意味が分からなかった。夜叉蔵はいかめしい顔つきで鍋倉の前に立った。


「『刹那無双』。鍋倉殿、その技を『刹那無双』と呼ぼうではないか」


 仏教には『刹那無常』という思想がある。刹那とは時間の単位を示し、一刹那の基準は指を弾き音を鳴らせる間の六十五分の一だという。一方、無常とはこの世にある全てのものは生滅し、留まることなく常に変化し続けること。つまり、『刹那無常』とはその一刹那の間にこの世は生まれ、そして、消えて無くなるという考えを表している。


 過去は消え、新たな今が生まれる。しかし、その新たな今も過去となる。この世は生滅の繰り返し。存在するものは絶えず移り変わり、この世には確かなものは何一つない。夜叉蔵はその『刹那無常』に鍋倉の技の名を引っ掛けたのだ。


「せつなむそう。ありがとう、夜叉じい。強そうでいい名だ」


 発する気の影響か、鍋倉の周りには陽炎が立っているかのようであった。おそらく鍋倉は、消えゆく世界と新たな世界の狭間に居る。その影響で鍋倉の周りだけが何もかも歪んで見えるのであろう。


 そもそもが、ずっと不確かな運命に身をさらしてきたのだ。金神の力を得た鍋倉はそれがために図らずも、この能力の発現に至った。そう夜叉蔵は考えた。


「鍋倉殿、おまえさんの金神は陰の神気じゃ。これからそれに陽の神気を加えるが、よいかな?」


 陽の神気を加える? どういうことか。疑問を抱いた鍋倉だったが、いつになく神妙な顔つきの夜叉蔵に、己も真摯しんしに答えなければならないと思った。「いいよ」と鍋倉の返事は軽かった。鍋倉は夜叉蔵を信頼しきっている。


 ニヤリと笑みを漏らした夜叉蔵は、両手を己の胸の前で合わせる。そして、「うーん」と念じながらその手を離していく。果たして、その手と手の間に気雲が現れた。それを手早いしょうの動きで小さな丸い球に変えた。夜叉蔵はその気の玉を鍋倉へと差し出す。ふわふわと鍋倉へと向かったそれは、鍋倉の胸に消えていく。


「どうじゃ、体の方は」


「すこぶるいい。なんか良いことが起こりそうな気分だ。これはどういうことなんだ?」


 鍋倉の返事とその表情に、夜叉蔵はひゃっひゃ笑った。


「陰陽共に揃っておまえさんの神気は、より安定したのじゃろうな。鬼一法眼様はご自身の神気、陽の部分であるが、それを義経様に分け与えた。つまりじゃ、鬼一法眼様が最も強かった頃の状態がそれじゃ」


 鍋倉は言った。


「夜叉じい、あなたはいったい何者なのです」


「今まで黙っていたが、わしも金神使いじゃ。なんならこの八龍武、おまえさんに代わってこの場で全員のしてやろうか?」


 そう言うと夜叉蔵はまた、ひゃっひゃ笑った。






読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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