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掃雲演義  作者: 森本英路
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第70話 こころの病


 鬼善は何を言いたいのか? 八龍武の面々は、はっとした。すかさず道意が言う。


「あの二人を我々に討取るように命じては頂けないでしょうか」


 平伏する道意は、さらに深々と平伏する。他の八龍武も同様であった。


「よかろう。好きにしろ。ただし、ここ数日は屋敷の警護は怠るな。それからにせよ」


「ははっ」と言って八龍武の面々は、逃げるように退出していく。神護寺に集まった僧兵らが鬼善を恐ろしいと思ったように八龍武の面々も鬼善を恐れていた。ゆえに、対面するにも大変な胆力を要した。長居しようものなら気がどうなってしまうか分からない。当然、話が終わればとんずらだった。


 鬼善はというとそんな八龍武を歯牙にもかけない。奥義書の束に肘を突き、物思いにふける。どれくらい経ったか、その鬼善が呟いた。


「わしは最強だ」


 今日それを、聖道門全ての面前で証明した。そして、それら馬鹿にした全ての僧兵を恐怖のどん底に追いやってやった。『快剣掃雲』。神託にあったように晴れやかな気分に満たされるはずであった。だが、またしても鍋倉に気分を損なわれた。鍋倉と初めて会った時、取るに足らないとほくそ笑んだものだ。それが間違いであった。金神を受けたはずなのに生きている。そしてまた、己の人生の前に立ちはだかろうとしている。


「いたぶってやろうと加減したのが悪かったのか」


 父、鬼一法眼が自分を差し置いて後継に指名したのが許せなかった。それで金神をわざと加減し、苦しみ抜いて死んでもらおうと生駒の山奥に放置した。


「本気を出してやろうか」


 『太白精典』の全てを習得したのだ。当然、注入した金神を操って鍋倉の経絡けいらくをずたずたに切り裂くことも出来た。だが、その考えも気分を晴らしてはくれない。


 鍋倉がその金神を自分のものにしていたらと心がざわめくのだ。いったいやつは何者なんだ。武芸の最高峰にいる者すべてが鬼善の前にひれ伏したのだ。それからみても、生きてぴんぴんしている鍋倉が異常に思えた。いや、今出川鬼善をして言わしめるとするならば、鍋倉澄こそ天魔であったに違いない。


「佐近次は簡単に殺せるとしてそれはそれでいい。鍋倉にしてみても、八龍武が束となれば少なくとも不具にはなろう」


 八龍武が全滅したとしても鍋倉の腕の一本、あるいは足の一本は奪うだろうと鬼善は算段した。


「これでもう、鍋倉の名を聞くこともあるまい」






 平安京に鍋倉の竜笛は轟いていた。河原者の中で芸能に従事する者はごまんといたが、いまが旬の鍋倉を除いて竜笛一本で食っていける者はいないだろう。といっても、鍋倉がそれを生業とするならば。


 河原者の笛や鼓は遊女の顔見世踊りに使われるばかりであった。とどのつまり、遊女の胴元が鍋倉に殺到した。鍋倉の仲間が、吉水教団に毒蟲を飲まされて命が残りわずかだという噂を広めたのも悪かった。当然、胴元らは自分の遊女の後ろで笛を吹かそうと躍起になる。所構わず、絶え間なく、鍋倉の面前に日参して来る。その全てを鍋倉は身も蓋もなく断っていた。それでさらに火が付いたのか胴元らは、諦めるどころかしつこく食い下がってくる。もう笛どころではない鍋倉はそれを止めた。


 初めは二、三日のつもりだった。が、どうも笛が手に付かず五日六日とそれが続いている。上手くなって慢心したのではない。もちろん、胴元に使われるのは嫌だった。だが、そのどれもが笛を止めた理由の核心ではなかった。清の歌舞いの演奏をしたいからと言って悠長に笛を吹いていてもいいのかと思ってしまっている。鬼善の神護寺での壮絶な戦いぶりに心が騒ぐのだ。


 鬼善の狂気が自分に向けられるのは致し方ない。


 だが、それがそのまま友の方に、さらには清に向けられるかもしれない。鬼善はまわりっくどく策を弄する。法性寺の一件から始まり法然様の遺骸略奪、そこから聖道門の同盟まで画策した男なのだ、と鍋倉は思ってしまっている。実際は違うのだが、致し方ない。鍋倉はいまだに法性寺の真相を知らないのだ。


 いっそのこと鬼善と戦うか?


 馬鹿なことを、と鍋倉は思い直す。念仏門の烙印を押された自分がもし勝ってしまおうものならかえって聖道門に、吉水教団潰しの口実を与えてしまう。復讐の連鎖となるに違いない。


 かくして鍋倉は笛の演奏への興味を失い、流れる雲ばかり見る日々を送っていた。寝食共にする仲間らは、生活するための稼ぎとしてその演奏を当て込んでいた。演奏料というか、見物料というか、集まって来た人たちから徴収していたのだが、何日もかまけている鍋倉に稼ぎを諦めた。命が幾ばくも無いという噂を広めてしまった負い目もある。いたしかたなく造園や運搬業、あるいは遊女など元の職に戻っていった。一方で、佐近次と夜叉蔵はというと、二人して何かを企んでいるらしく、せわしなく動き回っているようであった。


「そろそろ、死に場所を考えないとなぁ」


 そうすることが皆にとって一番良いと思えた。鍋倉は河原に寝そべり両手を頭の後ろに組んで、青い空に流れる雲を眺める。


 老師に、なんてあやまればいいんだ。


 死への旅に出る前に、『粋調合気』を伝授してくれた蓮阿に会わなければいけない。そう思っている鍋倉は、ふと、夜叉蔵と佐近次の気を感じた。見ないでも二人が揃ってやって来るのが分かる。


「さえない面じゃなぁ」


 空一杯の視界に、ニヤつく夜叉蔵の顔が割って入ってきた。それとは別に、少し離れた所から声もする。


「今夜、霊王の解毒剤、盗みに行きます、我々二人で」


 佐近次だ。鍋倉はおっくうに体を起こす。


「いや、いいんだ。奪ったからって何も解決しないし、よけい敵愾心てきがいしんを煽ってしまう。それに元々、『撰択平相国』を燃やしたおれが悪いんだし」


「なにを悠長な。事は命に関わっている。神護寺での戦いで盟主が決まったとあってか、教団の者らは聖道門の強襲を警戒しています。ですが、大丈夫。我らはすでに忍び入って、兵の配置も把握したし、解毒剤の場所も大方検討をつけました。後は盗むのみです」


「だからいいんだって、そのことはもう」


 夜叉蔵が、ひゃっひゃ笑った。


「とめたって佐近次は行くぞ。そうして解毒剤を盗んで来て、それと交換に『洗髄経』を盗んで来いとこやつは言い出しかねんぞ。ま、わしはそもそもその解毒剤とやらを信用してはいないんじゃがな」


 佐近次さんはそんな取引なんてしない。鍋倉は夜叉蔵を相手にしなかった。


「強情っぱりめ。わしはな、若い時から霊王を知っておるんじゃ。あやつが意地悪なのは分かっておる。じゃが、毒を盛るような女じゃない。それでも、万が一ってことがある。盛長の馬鹿がついておるんじゃ。ここは一応確認しておかないと。盗むとか盗まないとか物騒なことは言っておるんじゃない。わしゃぁ確認せねばならんと言っておるんじゃ」


 どっちでも同じことじゃないか。鍋倉は答える気がしない。黙って夜叉蔵を見つめていた。


「分かった。わし一人が忍び入って、霊王と一対一で話そう。それなら良かろう。もう教団と揉めることもあるまいて」


 それでも鍋倉は答える気にはなれなかった。気功が充実してもなお、現状は前と何ら変わらない。かえって落ち込んでしまうというものだ。夜叉蔵は言った。


「佐近次よ、何とか言ってくれ、この馬鹿に」


 呆れた顔の佐近次は言った。


「鍋倉さん、あなたの気持はわからないでもありません。奥義書が所有者にとっていかに大切なものか。あれは命の数なぞ問題としていないのです。これまでの戦いで思い知ったでしょう。自暴自棄にもなる。だったら、好きにしなさい。ですが、『洗髄経』には協力してもらいます。あなたがそういう気持ちなら尚更です。『洗髄経』は中華一億人の宝。その中華の民が欲しています」


 佐近次さんも相当なもんだ。好きにしろと言っときながら協力しろとは。全くもって言っている意味が分からない。二人を見ていた鍋倉は、流れる雲に目を戻した。


「そうじゃの、佐近次よ。わしがおまえに手を貸すからさっさと『洗髄経』を奪って鍋倉を南宋に連れて行ってくれ。それでこのわしもせいせいするわ」


 そう言うと夜叉蔵は佐近次の肘を掴み、鍋倉に会話が聞かれぬよう、そそくさと離れていく。そして、言った。


「佐近次よ。ありゃ、大変な病気、恋わずらいじゃ。解毒剤を奪って命が助かったとしても霊王子とはうまくいかん。もちろん、許嫁の盛長がおるしな。それに遊女の胴元を断っていたじゃろ。あれだって、霊王子のことを考えてのことなんじゃ。霊王子は気位の高い女じゃ。遊女の演奏をしたことがあるって聞けば、鍋倉の笛で歌舞いをするはずがない。笛を吹くのを止めたのも、ま、霊王子とはうまくいかない現実に目が覚めて、逆に虚しくなったんじゃろうなぁ。しかしじゃ、そんなこったぁ、分かり切っている。何をいまさらっていう話じゃ。要は、あやつには霊王子をさらってくる気概はないってことよ。せっかく内傷が治ったというに、やれやれじゃわ」


 佐近次は、仰向けに空を眺める鍋倉を一瞥すると、「情けないやつめ」と吐いた。相手が覚醒した鬼善なだけに先が思いやられると佐近次は思った。


 不意に鍋倉は、立ち上がった。異変を感じたのだ。


「五人、使い手が来る」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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