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掃雲演義  作者: 森本英路
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第7話 今出川一門


 洛中は洛外のような雑多ではなかった。区画が整備され、建屋の周りには築地塀や板塀があり、大なり小なりそこから植木が顔を出していた。往来の人の雰囲気も違う。品があった。がちゃがちゃしていない。それでもって、むやみやたらにすばしっこくない。


 平安京を初めて見た時を思い出す。天界のごとき姿であった。きょろきょろと鍋倉は道すがら、この人たちは一体どういう人なんだろうと思わずにいられなかった。


 はたと、獲って食われるわけでもあるまいしと思い直す。なさけない。かっこだけでも、意気揚々と大手を振って歩こう。かくして平安京の大路、小路と縫って今出川にたどりついた。


 そこは一見して分かった。二区画に及ぶ敷地とそれに巡らされた堀、高い築地塀とそれ越しに見える物見櫓。雅の平安京にそぐわない威容を誇る邸宅であった。


「さすがわ鬼一法眼、人柄が分かるというもの」


 それが鍋倉の気分を晴らした。意気揚々と門を叩く。どんどんと重い響きも心地よい。大寺院の山門に引けを取らない立派な門であった。


 間もなく門人が出て来て用件を聞かれた。鍋倉は懐の書状を渡した。





 京の雰囲気に当てられたのかもしれないが、今出川鬼善に会ってみて工藤が言ったことは間違っていると思った。鬼善はもったいぶることなくすぐに会ってくれたし、田舎者に上からものを言うそぶりさえない。


「遠路遥々お越し頂いきましたこと痛み入りますが、父、鬼一法眼はあいにくの不在で、それもいつ帰ってくるのかもわからぬ始末。貴殿にはどうあやまっていいのやら」


 武芸に関心がないと工藤が言っていたが、関心がないどころか武芸を尊敬するおもむきさえ感じさせる。だが、釈然としない。


 父の鬼一法眼に似たのであろう逞しい顎の骨格に太い首の一見、雄々しい体つきの男。残念なことに、ちょこんとのせた高い烏帽子とひょろっと長い鯰のような髭が、その全てをぶち壊している。その上、鼻が詰まったような声とやさしい口調。


「わたしでよければ貴殿の父君に文をと思うが、いかがであろうか」


 無骨さがまったくない。悪い人ではないだろうけど、これでは遠路遥々来たかいがない。そう思うとかえって鬼善のやさしさに腹が立つ。思い返すと鍋倉はまだ遠藤の方に好感が持てた。


「父の淵は逝きました」


 つっけんどんに言い放った言葉であったがどうとったのか、鬼善はというと己の友を失ったかのように、「そうか、悲しいのォ、惜しい人を亡くしたのォ」と無念の表情を見せる。一層不快感に襲われた鍋倉は工藤のおっさんの言うとおり、人物はしれたわと思った。ところが、それを察せない鬼善がまだ、鍋倉に向かってやさしい言葉を継ぐ。


「わたしの父は世間ではもう死んでいることになっていますが、父のことです、いつふらっと帰ってやもしれません。貴殿は父に教えを請いに来たのでしょう。存分に逗留なさって下さい」


 牢屋に居た時から考えていたことだが、霊王子に会いに行こうといまきっぱりと鍋倉は決めた。別に雪辱を果たしたいわけでもない。あの女には、言いたいことがある。


「鬼一法眼様が不在であるならば出直して来ましょう。御気になさらずに」

「鍋倉殿、それは困ります。もし親父様が帰って来たとして、貴殿がここにいなかったとしましょう、親父様の怒りを考えるとわたしはもう、」と鬼善がみるみる内に青くなっていく。「鍋倉殿、わたしの顔を立ててはもらえないでしょうか。なぁに、武芸を精進なさるならここでも不自由しないでしょう。いや、不自由になることは私がさせません」


 そして佐近次を呼んだ。すぐさま、その佐近次が現れた。


「これは頭目の佐近次。武芸に関することは全て任せています。というのも恥ずかしいことなんですが、わたしは武芸のことがトンと分からず、でも佐近次は結構な腕と巷では評判な男です。退屈しのぎにはなるでしょう。なんなりとこの男に」と言って、次に佐近次に厳しく言う。


「大事なお客様です。そそうがないように」

「はっ」と佐近次が答え、振り向いて「こちらへ」と手招きする。

「いやいや、お気になさらずに」と鍋倉は遠慮する。すると佐近次の方から近づいてきて声を殺して言う。


「嫌になれば消えればいいじゃないですか。ここは今出川様の顔を立てて」


 なるほど、それもしかりと鍋倉は思い直した。これといって過失もないのにこっちが勝手にムカムカして。大体、鬼一法眼が死んだと決まったわけでもない。あれは工藤が適当に言ったまでのこと、と佐近次の提案に応じ、佐近次の案内で濡縁である簀子すのこを進む。その佐近次の背中が言った。


「あのよろいぬきをくらったにしては血色がいい。あなたは本当に負けたのか?」


 地獄耳め。遠藤為俊との試合の噂はすでにここに届いていたか。


「ああ、完敗だ」

「わたしには逆に見えるが」

「逆?」

「実は、勝ったのはあなただって意味です」


 工藤から佐近次のことも聞かされていた。ゆえに鍋倉は良い印象を持っていない。そこへきて風評に飛びつくこのあり様。なるほど、工藤のおっさんに小賢しいと言われるゆえんだ。


「いや、確かに負けた。血色がいいのは吐くもんを吐いて逆にすっきりしたからかもな」


 佐近次が笑い、「どういうことか分かりませんが話としては面白そうですね。後で聞かしてもらいましょう。さぁ、ここがあなたの寝食の場所です」と遣戸やりどを引き、すだれで仕切られた一画に座る。そして、見上げて言った。


「鍋倉、言っておきたいことがある」


 その顔は笑顔を失い、鋭い目つきでその言いぶりはというとどういう風の吹きまわしか、命令口調だった。


 こういうやつは腹黒い。場所や状況で口調を変える者がいかに危ういかを鍋倉は旅の中で学んでいた。今夜にでも消えよう。そう心に決めた。一方で佐近次はというとその口調を止めるつもりはないらしい。


「言いたいことは、二つ。先ず今出川様は巷でそしられるほど悪い人ではない。わたしたち四十名を食わすために自らの汚名を省みず銭を稼いでいるのだ。だから今出川様を馬鹿にすることは、わたしはもとより他の一門の者らも黙ってはいない。もう一つは己が師であり弟子であること。あなたに教授する者は誰一人、私を含めてここにはいない。互いに武芸者である以上、一皮むけば敵同士。自由気ままにしなさい。修行するなり町に繰り出すなり、好きにしてもらっても結構。されどあなたはここに寄宿しているということは忘れずに願いたい。それはいざという時は手を貸してもらうということ。あなたが強いのは証明済みなのでね」


 驚いた。腹黒いやつだと用心していたが、言うことは一々尤もだと鍋倉は思う。共感できるし何より気骨を感じた。こいつ、そんなに悪いやつでもなさそうだな。


「誰かにさぶらふてこそ武士だ。武芸で日銭を稼ぐのは好かない。けど、あんたらの言いようではここの者はみな、今出川殿にさぶらふているとも言える。わかった、そうしよう」


 その言葉に佐近次が笑顔を取り戻した。だが、鍋倉は霊王子のことを諦めたわけではない。自由気ままでいいのであればそれに対して文句を言われる筋合いもないのだ。それにもう一つ、せっかく平安京に来たんだ。ちょうどよいことに法性寺の一件には今出川一門もからんでいる。


「ところで、佐近次殿」

「どのは止めて下さい。さん、でお願いします」

「じゃあ、佐近次さん。一つ聞いていいかい?」

「なんなりと」


 遠藤為俊との試合が噂になっているとしたら、おそらくそれは霊王子の耳にも入っていよう。となれば、向こうから接触を計って来るって可能性が高い。おれは待っていればいいのであるから、どちらかと言えば、気にかかるのはこっちの方。一応、おれも今出川一門に名を連ねたんだ。


「黒覆面の男を見たことはあるかい?」








読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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