表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掃雲演義  作者: 森本英路
65/89

第65話 完全覚醒


 今までの攻防で順覚は、鬼善の動きの速さを知っていた。そして、それがただ速いだけでなく奇抜なのもよく心得ていた。動き出せば全く歯が立たない。なんとか機先を制したかった。だがそれも、鬼善の挙動を掴んでこそである。順覚は心を静め、鬼善の心の機微を感じようとした。


 境内はすでに武家の姿はなく、観衆の僧兵らは豪胆を自負する者たちだけを残し、退避を始めていた。「いまの隙に!」と負傷した者を引きずって演武台の周りから離れていく。ある者は山門から死傷者を踏みつけて石段を下り、ある者は高台へと移動する。もともと高台に陣取っている者らは、押し寄せて来た避難者を手に手を取って迎え入れる。


 一方で鬼善は、まったく動く気配を見せない順覚と、観衆がはけていくのに苛立っていた。


「貴様たしか筒井順覚といったな。面倒なやつめ、こんなことならもっと派手に暴れてやれば良かったわ。そうすれば、おまえのやる気をそぐことも出来たであろうに」


 その悪態にも順覚がまるで乗って来ず、瞑想中であるかのように動かない。鬼善は瞬殺してやろうかと思ったその刹那、順覚の一閃が目に飛び込む。


「わっ」とみっともない声を出した鬼善は仰け反ってなんとかそれをかわした。が、体の均衡を保てず、どすんっと尻もちを突く。とんだ恥をかいてしまった。今までの快感が一挙に吹っ飛ぶ。


「ぶっ殺してやる!」


 怒り心頭に発したが、演武台を見渡しても誰もいない。順覚を見失ってしまった鬼善は慌てた。間違いなく、順覚の二手目が襲いかかってくる。はっとして見上げた。宙に舞う順覚が太刀を逆手に返しこちらへ猛然と向かって来ている。


 必死になって鬼善は身に捩じった。幸運にも順覚の太刀は、鬼善の背中をかすめて床に突き刺さる。そのザクっという乾いた音に鬼善は正気を取り戻した。舐めてかかってはいけない。


 気を引き締めた鬼善は両足を旋回させてその勢いで立ち、その流れで順覚に廻し蹴りを放つ。床に刺さった太刀を抜く間も与えられず、なんとか片方の腕で鬼善の蹴りを防御した順覚であったが、鬼善に触れられたのは変わらない。吹っ飛んでいって、演武台に二回、三回と転がった。


 一方で観衆はというと、順覚が鬼善を串刺しにせんと宙に舞った時、「おおぉ」と声を上げていた。ところがその歓喜も今となっては尻切れトンボである。逃がした魚は大きいとはよく言ったものだが観衆としてはそんなどころではない。順覚は鬼善に直接攻撃を受けてしまったのだ。もう二度とこんな好機は訪れないだろう。残すは学生がくしょうの高弁ただ一人。希望は持てない。誰もがただ呆然と目の前に流れる光景を見ていた。


 鬼善はというと正直、ほっとしていた。『筒井家伝』は凡庸で見るべきものはないと思っていた。しかし、順覚の闘法には度肝が抜かれた。順覚の精神力と知恵のなせる技と言わざるを得ない。


「さて、残るは学生がくしょうの高弁。まさか、おまえまでわたしとやり合おうっていうのじゃぁあるまいな」


 視線を高弁に向けた刹那、目の端で白刃が閃く。反射的に身を半身に反らしたそこへ、白刃が通り抜けていく。


 振り向いた鬼善は驚愕した。順覚が太刀を手に立っていたのだ。


「確かに神気を注入した。それがなぜ平然と立っている」


 観衆の僧兵らも度肝を抜かれた。誰もが順覚の復活を予想していなかったのだ。しかも、残すは学生がくしょうの高弁のみ。使えないだけに気勢の上がり様は尋常ではない。観衆は息を吹き返し、「鬼善を殺せ!」なぞ乱暴な言葉が飛び交った。


 一つ、舌打ちして鬼善は、順覚に飛びかかった。順覚の太刀が空を切り、鬼善の掌手が二回放たれる。二歩三歩後ずさった順覚だったが今度も返す刀で斬撃を放つ。


 反撃の可能性を頭に置いてあった鬼善は慌てることなく飛び退いた。そして、手のひらを順覚にかざす。注入した金神の神気がなぜか順覚から立ち上らない。たしかに注入したはずだとまじまじ順覚を見る。袴の太ももの辺りが鮮血に染まっていた。


 なぜ切り傷をおっているのかと疑問に思う一方で、鬼善はおやっと思う。順覚の太刀が鬼善の方へぴくっと動いたのだ。


 その動いたとも動かないともとれる動きに、あれは順覚の意思で動いたのではないと鬼善は確信した。明らかに神気を戻そうとする自分の動きに同調している。だが、それは、順覚に悟られないようにしよう。


「なるほど、気を吸う神刀か。順覚、きさまはなかなかの男よのぉ。それを逆手に取ったか」


 順覚がたたずんでいた。


「これが大神明神からお借り奉った神刀ことひらである」


 大神神社の三輪明神か。嬉々とした鬼善は大きく息を吸った。その息を細く長く吐くと順覚に詰め寄る。順覚の間合い。だが、躊躇せず進むとその攻撃をもろともせず自在に飛び回り、太刀を二回かわす間に計五発、打撃を加えた。そして、大きく後ろに飛び退き、順覚に向けて手のひらをかざす。順覚の太刀がカタカタと震えだした。


 高台で観戦する夜叉蔵が慌てた。


「いかん、やつぁ、金神の神気で太刀を操ろうとしている」


 鬼善が凄まじい気合いを発した。途端、神刀が順覚の手を離れ、鬼善に向かって飛ぶ。放たれた矢のような白刃を鬼善は半身になってかわす、と同時にその柄を掴む。


「やった! ついにやっとぞ!」


 夜叉蔵の言うとおり、鬼善は己の金神を太刀から戻そうとすることで太刀そのものを操ろうとしていた。


 所謂いわゆる、『太白精典』の奥義である太刀の操作は未だ成功したためしがない。太刀内部では神気を自在に操れるのに、いざ太刀共々動かそうとすると神気だけが飛び出してしまう。やはり、段階を踏まなければいけないのか。肝心の人体内での神気の操作はいまだ試みたことはない。


 人体内での神気の操作を会得せず、一足飛びに奥義を極めようとしていたのは間違いだとは分かっていた。身の程知らずも甚だしいのだが、順覚から神気を吸収しようとしたあの時、太刀が動いたことから神気は太刀の中でまだ生きていてただ出られないだけなのだと鬼善は考えた。とすればこの太刀は、自分の不足分を補って余りあるのではあるまいか。そう直感した。


 これは賭けであった。普通なら太刀には太刀で対するもの。太刀を投げ入れろと八龍武の道意に命じれば済むことだったのに、神刀のカラクリを知ってもなお、敢えて素手で挑んだ。しかも、奥義を極めようとしているのはよりによって、この天下最強を目指す絶対に負けられない試合の中でのことであった。自分らしくはないと思う。だが、その賭けに勝った。鬼善は事ここに至り『太白精典』の奥義を会得したのだ。


 順覚がその場でひざまずく。もう、終わったも同然だった。高台に陣取る僧兵らもそう思ったのだろう、ただ茫然と演武台を見下ろしていた。順覚の、その姿はまるで抜け殻のようである。一方で、鬼善はというと意気揚々で、素早く順覚に走り寄るとその腰から鞘を奪い取る。


「気に入った、これは頂いておく」と太刀を鞘に収め、腰に差す。うなだれながらも順覚は、にっくき鬼善めと宙に手を伸ばす。が、諦めた。のそのそっと立ち上がると演武台をとぼとぼ降りていく。


「さて、残すは高弁、貴様だけだ」


 鬼善の言葉には返事もせず、高弁はおもむろに演武台の階段を上がってゆく。鬼善はそれをまた、蔑みの目で見ていた。その鬼善が言った。


「悪あがきはよせ、学生がくしょう。みっともないぞ」


 そう高弁に投げかけられた言葉に、観衆の僧兵らもそう思わざるを得なかった。すでに全ては決したと言えよう。百歩譲って高弁の勇気を讃えたとしても見苦しさは変わりない。そんな観衆の思いとは裏腹に鬼善へと進む高弁の表情には動揺の色はまったく見えない。それどころか格上が格下に対して見せる相手してやろうというたたずまいが高弁にはあった。順覚のこともある。鬼善は高弁を馬鹿にしながらも、緊張を緩めていない。その鬼善が何か気づいてか、はっとし大きく飛び退いた。


「まさか! 貴様、もしや、『洗髄経』を体得していたのか!」


 高弁が半眼にうっすらまぶたを垂らした。


 神護寺の空気がびりびり震える。


 肌を指すひりひり感に観衆の誰もが戸惑う。


「あれが来る」 鍋倉は身構えた。


 演武台中央で「カッ!」と大音声を発する高弁。神護寺全体が一挙に高弁の気に飲み込まれ、その気に当てられた観衆の僧兵らがばたばたと倒れ始める。気には気で防備しなくてはならない。しかも、高弁から放たれた気は火山が爆発するごとくである。境内の観衆、そのほとんどが高台に退避していた。だが、高弁の気にはそんなことなぞ無意味であった。九割九分が卒倒してしまい、その中には鍋倉もいた。


 佐近次が冷ややかに言った。


「ずっと鍋倉といっしょだったのだろ? 夜叉蔵。なぜ鍋倉に金神の内功を教えない」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ