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掃雲演義  作者: 森本英路
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第62話 鬼胎


 試合するに当たり高弁は、どこの誰それなどと名乗りを上げることをかたくなに反対した。名を上げる戦いでないし、最後に残った者が盟主となり聖道門の協調を図らねばならない。僧兵としてはおのおのそれを見届ければ良く、誰それがどこそこの誰に勝ったか負けたかは、争いの新たな火種となるので感心しないという訳だ。各山の歴々は高弁の言い分を道理がかなっているとしてそれを了承した。


 とはいえ、現実はというとどの僧兵も、どの武家らも、集った八人の演武者を知らないわけがない。天下の五強の噂はずっと以前から立っていたし、各山はおのおの率先して、天下一はわが御山の誰それだと宣伝したりもしていた。演武台に姿を現せばどこの誰かは一目瞭然なのだ。救いといえば鬼善や高弁以外、どの演武者も各山を越えて尊敬されているということであろうか。彼らは僧兵と呼ばれる者にとって目標であり、英雄であり、伝説なのだ。卑怯な手を使って相手をおとしめるようなことをしない限り、誰が勝っても異を唱える者はいないであろう。


 それでもやはり、観衆の僧兵らは自らの御山を代表する演武者を応援しないはずはない。彼らは信じているのだ。我が武術が最強なのを。


 そんな想いの中、いよいよ一戦目が始まろうとしていた。観衆に言わせれば、この試合は老僧の模範演技に他ならない。一方的に鬼善がやられるだろうし、それを期待していた。どんな技を老僧が放つのか。眼福にあずかろうと神護寺を埋め尽くす観衆の目は、演武台に釘付けとなっていた。


 期待と興奮の眼差しを集める演武台。そこに残された二人は対峙たいじしていた。双方とも素手で、得物は持っていない。


 夜叉蔵が言った。


「まだ、生きていたんだのぉ」と相好そうごうを崩し、さらに言う。


「やつぁ、比叡山の鶴丸っていってな、『四身式』の伝承者じゃ。『四身式』は天台宗祖師、あの伝教大師が唐に渡った時、身に付けた武術がその元じゃ。型を大切に考え、それを何十万何百万と繰り返すことによって思考より先の挙動を得る。ゆえに相手がいかに軽功を駆使しようとも鶴丸の挙動には追い付けない。それどころか、鶴丸が攻撃を繰り出すたびにぱっと消えたり現れたり感じる。しかも、姿を見た時にはすでに攻撃を受けてしまっているという寸法だ」


 鍋倉は上の空であった。金神を注入されたことを思い返していた。そして、それから逃れるすべがないことも分かっていた。とどのつまり、誰しもが相手に痛手を与えるには触れなければならないのだ。当然、いかに天下の五強たる鶴丸であろうとも例外ではない。


 もし、『太白精典』に対抗し得る武術があるとするならば、と鍋倉は考える。やはり『やいばの修験者』しか思い浮かばない。吉野で熊野別当快命が言っていた。発する気はやいばのごとく、飛ぶ鳥も射落とすと。触れずに、しかも神気の防御をぶち破って相手に損傷を与えるにはそれしかないのだ。


 この武術会の観覧自体にしても、さして意味がないように思えた。勝つのは今出川鬼善。もし、熊野三山が『やいばの修験者』をようして戦いに挑んだとしたら話は別であったろう。事前のくちこみによると出場者は天下に名をせた五人と、鬼善、高弁、そして筒井順覚。誰が勝つかは目に見えていた。


 どういうつもりで夜叉蔵はここに来たんだろうかと鍋倉は改めて考えさせられてしまう。眼福に預かりたいと言っていたが、眼福どころか気落ちして帰るのがおちだというのに。


 とはいえ、だれが勝つかなんてことは、盗人の夜叉蔵には分からないだろう。『太白精典』の脅威を目の当たりにしていないのだ。真の敵を見極める。誰が今出川邸の主になるのか、盗人の夜叉蔵としても敵の手の内を把握しておく必要があろう。奥義書を盗むにしても対策を練らなければならないのだ。


 当の夜叉蔵はというと、にしゃにしゃしている。鍋倉の思いとは裏腹に鬼善が勝つのは分かり切っていたし、聖道門が潰し合うというならなおさら願ってもない。盛大にやってもらいたいところだったが、要は、鬼善がどの程度まで『太白精典』を使えるか。鬼一法眼の域まで達していたら目も当てられない。


 ま、それは間違ってもなかろうなと夜叉蔵はたかくくっていた。今はそんなことより鶴丸である。夜叉蔵とは旧知の間柄であった。歳をとると古い友人は何者にも代えがたい。若い自分を取り戻せるし、がらではないのだが、郷愁を覚えるというものだ。


 鶴丸は稚児の頃、神意を伝えるとして比叡山延暦寺の守護神、山王権現の御使いと称されていた。霊能力があったのだろう、予知したり、見えざる者を見たりもした。


 その力も、歳とともに失って行く訳だが、勘の良さはそのまま残り、その才を稀有に思った者たちの手によって武に生かされた。


 夜叉蔵は源平の合戦の最中、義経に着き従っていたその時に、鶴丸と出会った。合戦の中でのすれ違いではなく、後にも先にもこの一度きりであったが、心の思うがままに語らっていた。二人っきりで、一晩飲み明かしたのだ。


 どうやら鶴丸は、夜叉蔵が何のために義経の馬引きをやっているのか理解しているようだった。酒をみ交わしながら言うのだ。


「金神の神気は減りも増えもしないと聞いた。それだけでなく地上のどの気とも相まみえないらしいな。となればもし義経が死んだらどうなるんだ? 金神は凶神だぞ。その辺に漂わせておくわけにはいくまい。見たところお前、『太白精典』をかじっているな。義経と同じ金神を宿している。ごく少量なれどそれで十分。お前の金神は呼び水、お前はいうなれば『はこ』。義経がもしもの時に、金神の神気を鬼一法眼の元へ運ぶ。それがお前の役目。相違あるまい」


 それから奥州で義経が死んだのだから、義経に宿っていた金神の神気がどこに行ったのかは、鶴丸だけが察していたのであろう。奥州から奇怪な噂は耳に届かなかったし、夜叉蔵が死んだとは聞かなかった。金神は鬼一法眼に無事手渡されたはず。ところが、平安京での黒覆面の男の泥棒騒ぎに、鬼一法眼の雲隠れ。


 おそらく義経の金神は、いまだ夜叉蔵の中にあるのだろう。つまり、『太白精典』の継承者は夜叉蔵。そしてそれが黒覆面の男の正体。鶴丸はそう考えていた。その推測がかえって勘のいいはずの鶴丸に油断を生じさせてしまっていた。よもや、目の前にいる今出川鬼善が金神を使おうなぞとは。


 鶴丸は構えを取った。相対あいたいする鬼善はというと余裕綽々、体を半身にし、腕を組んでいる。馬鹿にされているのかとでも鶴丸は思ったのだろうか、怪訝な顔を見せたがそれも一瞬、ニッと笑った。


 誘っておるのか? 上等じゃ! 


「小僧、にらみ合ってもらちがあくまいて。悪いが、年長のわしから行かせてもらおう」


 半分キレ気味の鶴丸が、間合いを詰めていく。


「だめだ。不用意すぎる!」 試合を見ていた鍋倉は、思わず身を乗り出す。が、夜叉蔵に肩を掴まれ引き戻された。



「残念じゃが、おまえさんの出る幕ではない」

「でも!」と言ったが遅かった。鶴丸は鬼善の二の腕を掴んでいた。それも束の間、その体を鬼善の胸に預けたかと思うとずるずると鬼善にその体を滑らせていく。ついには、床に倒れてしまった。


 僧兵らが騒然としている。演武台で鶴丸が大の字にびくびくと動いている。やがてそれが、もがき、のたうち、血反吐を吐く。


 境内は異様な空気に包まれていた。観衆の誰もが目の前の光景を信じられない想いで見ていた。ところが、誰かがその静寂を切り裂く。黒山の人だかりの中から、「毒だ! 鬼善は毒を使った!」と声が飛ばされた。果たして、その言葉に境内は騒然となった。


 技の優劣を競い、盟主を決めようっていうのである。勝てばいいってものでもない。当然、飛道具など暗器はもっての他、毒の使用なぞ卑劣きわまりない。観衆の怒りが一挙に噴き出す。一斉に、罵詈雑言ばりぞうごんを鬼善にぶつけた。


 といっても、この由々しき事態を当の比叡山が放っておくわけがない。神護寺を埋め尽くす黒山の中で、比叡山の僧兵は同じ門派としてひとっところに集まることが出来ず、はなばなれを余儀なくされていた。それがあちらこちらから我も我もと人を押しのけ、演武台の鬼善を目指す。秩序が失われた境内。入り乱れる観衆。鬼善はというと演武台から高笑いでそれを見下ろしていた。その鬼善が、大音声を発す。


「これが『太白精典』であーーーるっ!」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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