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掃雲演義  作者: 森本英路
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第60話 盗人の腹積り


 朝、掘立屋を訪れた佐近次を、鍋倉は仲間に込み入った話もせずに軽く紹介し、夜叉蔵が現れる河原に向かった。そこにはすでに夜叉蔵の姿があり、それが佐近次の顔を見るなりひゃひゃひゃと笑いながら近づいて来た。


「佐近次、いいのか? こんなところをうろついていて」


 そう言われた佐近次はきょとんとしている。だが間違いなく夜叉蔵はいま、《佐近次》と言った。やはり初対面ではなかったのだ。鍋倉は言った。


「夜叉じい、二人はどんな仲なんだい?」


 夜叉蔵がまた、ひゃひゃひゃと笑う。


「法性寺の一件、ありゃひどかったなぁ、佐近次よ。お前のおかげで命からがら逃げ帰ったよ」


 《命からがら》とはよく言ったもので、事実とは違う。夜叉蔵は黒覆面の男として佐近次と戦ったのだ。それをこともあろうか夜叉蔵は、名の無いコソ泥が比叡山や工藤一党、今出川一門に追われ、いたぶられたような言いぶりであった。


 一つ付け加えるのなら夜叉蔵は、法然の遺骸が運ばれたあの夜についても、鍋倉に嘘をついている。遠目からずっと法然の遺骸を見守っていたのだ。手を出さなかったのは単に、比叡山の『征矢せや』が遺骸の追跡を諦めたからだった。


 一方で、法性寺と聞いて鍋倉の仲間らは騒然としていた。夜叉蔵の言う通り、もしそうであるならば佐近次は貧しい河原者らの敵である。仲間たちの異様な空気に、鍋倉は咄嗟に佐近次との間に入る。


「この人は、実は南宋の宰相の使いで名を劉枢っていうんだ」


 効果てき面だった。自分がそうなったのだから皆もそうなるだろうとは思っていた。案の定、打って変わって誰もが驚き、固唾を飲んでいる。やはり皆にとっても南宋は夢の国、超大国なのだ。鍋倉はその機をのがさず、佐近次がなぜこの国に来たのかも説明をした。そして聖道門から『洗髄経』を取り戻そうと八日後の武術会に忍び込もうとしているとも言った。そしてさらに言う。


「国の民を憂いて、こんな辺ぴな国に来てまでがんばってるんだ。おまけに訳あって今出川鬼善に命を狙われている。たすけてやらなくっちゃ」


 皆に返す言葉がない。鍋倉と同じで、話が大きすぎてなんとも言いようがないのだ。その一方で夜叉蔵は黙っていられない。


「がんばっているって? 大方今出川一門に潜り込んで情報収集してたんだろうに。で、今度は鍋倉か? 調子がよすぎる。この分では鍋倉も捨てられかねん。そもそも『洗髄経』を取り返して南宋に戻ったら、残された鍋倉はどうなる。鍋倉はこの汚名を一身に受けるのか? 虫の良い話じゃ」


「鍋倉は南宋に連れて行く」


 当然そうするつもりであったように佐近次がきっぱりと断じた。


 夜叉蔵は言った。


「ならいい。こやつは何とかっていう訳の分からん毒を盛られておって、その毒が南宋のだと言うじゃないか。その解毒剤を見つけてやってくれ」


 皆は、どうして鍋倉がいっしょに食事をすることを拒んだかをこの時、初めて知った。自分たちを鍋倉がこれほどまでに気遣ってくれたのかと感無量となり、鍋倉の行く末を思うと悲しくなって声を揃えておいおいと泣いた。


 だが、夜叉蔵が佐近次に言いたいことはそれだけでない。鍋倉が黒覆面の男のために血反吐を吐き、未だに気を使えないという奇妙な内傷を受けていることを話した。


「なるほどそれで鍋倉は病を患っているように見えるのですね。生駒山で急にいなくなったのも納得出来ました。鬼善は黒覆面の男を装って、あなたをなぶり殺そうとしたんだ」


 と言っても、佐近次の浮かない顔である。それもそのはず鬼善はというと当然、『太白精典』を習得している。改めて鍋倉の体の具合から判断するに、その技が内丹や経絡けいらくに影響しているに違いない。とすれば、自分と戦っていた本物の黒覆面の男の技をどう見たらいいのか? まるで同じではないか。『易筋経』を習得しているから良かったものの、黒覆面の男の気も奇妙だった。おそらくは、その気で攻撃を受けたとして常人なら、鍋倉のように血反吐を吐いてのた打ち回るのだろう。つまりはよく似た術を持つ人物がもう一人いるってことになる。


 釈然としない佐近次は眉間に皺を寄せて目をつぶっている。はたから見たら佐近次が、鍋倉の奇妙な内傷についてどう返事するか皆目見当がつかない。気になるところだったが、その佐近次が口を開いた。


「よいでしょう。宰相の史弥遠しびえん様が御命じになれば、解毒剤は数日の内に手に入ります。内傷の方もなんとかなるでしょう。わたしは何人か内功の大家を知っています」


 よく言うわ、と夜叉蔵は夜叉蔵でそう思っていた。佐近次と何度も戦い、放った気をことごとく無効化されていたのだ。鍋倉の内傷なぞ、簡単に癒せるだろう。何が《内功の大家》じゃ。それは己ではないか。


「それはよい。それともう一つ聞きたいことがある。鍋倉は生駒で内傷を受けたと今話したが、やったのは図らずも、わしの見立てでも今出川鬼善。つまりやつが黒覆面の男に間違いあるまい。じゃのに、黒覆面を装った鬼善がやったとはどういう意味じゃ? 鍋倉は黒覆面にやられたと言っておる。お前のはまるで別に黒覆面がいるような言いぶり。変じゃぁないか。それともなにか、まさか我らをたばかろうってんじゃぁないだろうなぁ」


 月見から聞いた話と、それから己が黒覆面ということを差し引いて夜叉蔵は、鍋倉をいたぶった相手が誰なのか、ずっと以前からすでに見当はついていた。佐近次は言った。


「この際、黒覆面かどうかはおいとくとしましょう。鍋倉を襲ったのは今出川鬼善。それは間違いない。わたしは鍋倉淵と鬼一法眼との間でやり取りされた手紙を盗み見ました。二人は随分と文をかわしていました。といっても途中からは鬼一法眼の筆跡を真似た今出川のものだったのですが、その入れ替わる直前の文には『太白精典』の後継者を鍋倉澄にと書かれていました」


「淵と鬼一法眼の手紙か、それはいい。それはいい」 ひゃひゃひゃと笑う夜叉蔵。


 とはいうものの、真犯人が鬼善だということを夜叉蔵も分かっていた。佐近次には不思議でならない。知恵者を自称する『塵旋風』の陽朝なぞは己の無知を棚に上げて、くどくどと問いただしてきた。


「色々知っているようだがあんた、何者だ?」


「何者だと? 人を邪とか妖術使いとかののしっておいて」


 腑に落ちたのか、佐近次の表情がぱっと明るくなり、それから一変、怒気をみなぎらした。それはそうだ。佐近次は今の今まで本物の黒覆面にそうとは知らずなぶられていたのだ。戦いでも煮え湯を飲まされ、今回もまたはずかしめられている。


 頭に来ていた佐近次。だが、その一方で新たな疑問が鎌首をもたげてきた。このじいさんが黒覆面の男だったら鍋倉の解毒剤を盗むことなんて容易いはず。何たって法性寺の千手観音をあれだけの警戒の中、盗み出したのだ。それにもし、このじいさんが使う術が『太白精典』によく似た術ならば鍋倉の内傷を癒す方法だって知っているはず。それを教えないということはもしかしてこのじじい、とんだ食わせ者かもしれない。わたしにも色々と鎌をかけてきた。何か裏があるのか。注意を払っておく必要がある。


 当の鍋倉はというと佐近次が夜叉蔵に対し法性寺でひどい扱いをしたことにまだ納得してはいない。その佐近次は悪びれるどころか、どう見ても夜叉蔵に怒りを覚えている。口が悪いのは分かる。だが相手は老人だ。それをいい大人が真剣に受けとめ、怒りをあらわにするなんて佐近次らしくもないじゃないか。


「盗みは悪いにしても、弱い者をいたぶるってのもどうかと………」


 鍋倉の言葉なぞ佐近次も夜叉蔵も耳に届いちゃいない。じっと視線を合わせたままで目を離さない。今にもお互いやり合おうって構えだ。


 一体どんな因縁が二人にあったのか。痛い目にあった夜叉蔵が引かないところをみると、いや、佐近次がこれほどまでに真剣になるところをみると、ただ一方的に夜叉蔵がいたぶられていた訳ではなさそうだ。にしても、やり合えば佐近次が圧倒的だと鍋倉は思った。


 これは大変なことになる。夜叉蔵を助けなくては。だが、果たして佐近次を抑えられるかどうか。鍋倉はハラハラしていた。それを察してか、ようやく佐近次の様子が落ち着いたようだ。顎でくいっと夜叉蔵を指し、


「大丈夫、鍋倉。いつものことだ。今さらこれしき、わたしはどうってことないよ」


 と気安さを漂わせた。言われた夜叉蔵もうんうんとうなずいている。鍋倉は、ほっとした。佐近次は続ける。


「で、夜叉じいと言ったか、冗談はここまでにするとして」と前置きし、言う。


「盗人の専門家として聞こうか。あなたならどうする?」


 にしゃにしゃっと顔を崩した夜叉蔵。それが言った。


「武術会のことは知っている。勝った者は盟主となり、今出川邸を政庁とする、じゃろ? わしらはとりあえず武術会の様子を見に行く。武人だらけの中に飛び込んで得することはなにもない。武術会は見る、ただそれだけ。いずれにしても奥義書は平安京にやって来るのでな、そこでその何とか経とは言わずごっそり全部頂く。それで聖道門の同盟もぶっつぶれるってもんじゃ」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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