第6話 よろいぬき
約束の刻限は疾うに過ぎ、工藤の家人にたたき起こされた鍋倉と工藤は庭に出てみると、場が整えられているのにぎょっとした。あたふたと二人列なって遠藤の前に立つ。昨夜の酒宴で鍋倉に愛着がわいたのだろう、まだ後ろから離れない工藤が、「いまなら辞められる」としつこい。
ずっと待っていた遠藤為俊はというと、やはり不機嫌であった。視線が鍋倉を通り越して背中の工藤をギロりと射抜く。遅ればせながらそれに気付いた工藤がたじろいで離れていく。足早に中央の床几に向かい、そして腰をかけた。
「木刀を両者に」
その声に家人二人が各々木刀を持ち、鍋倉と遠藤に歩み寄る。双方とも腰の太刀を抜き、木刀と交換する。その間、鍋倉は深酒を気に掛かけ、如何に試合を長引かせないかを考えていた。ならば遠藤を挑発するような戦い方をするかとだいたいの感じを決め、木刀を正眼に構える。細く長い息を吐き、気を落ち着けた。
遠藤も、同じく正眼に構えた。
さすがに隙はみじんもないなと鍋倉は一歩一歩確かめるように間合いを詰める。木先が遠藤の木刀が触れた、次の瞬間、鍋倉は猛りを一気に爆発させた。気合の声と共に鍋倉は右袈裟を放つ。遠藤も同様に木刀を振る。ガツンと木刀が間合いの中央でぶつかり合った。さらに鍋倉は左袈裟を放った。遠藤も合わせてくる。それもまた中央でぶつかり合う。今度は連続で袈裟切りを左右無数に放つ。しかも間合いを詰めながらである。それでも遠藤は一歩も引かない。まるで自分を鏡に写したかのように間合いを詰めながら合わせてくる。
やはり手の内は読まれている。剣速をもっと上げたいところであったが、勢いはことごとく殺されていた。それだけではない。お前の剣はそんなものかと問われている気にもなってきていた。しかし、鍋倉は止めるわけにもいかない。ここで手を止めるのは相手の思うつぼなのだろうし、せっかく胸を借りているのだ。受けとか流しとか消極的なことはしたくない。そもそも勝とうという気持ちは毛頭ないのだ。絶えず仕掛ける側にいて、出来得るならば遠藤を慌てさせたい。
のっけから双方の剣戟の激しさに工藤はというと度肝を抜かれていた。武芸者の試合は何度も見てきている。すぐに討ち合った鍋倉らとは違い、構えてから一刻も見合って一寸たりとも動かないってことがざらだった。互いに相手を飲み込もうとしているんであろうが、この二人の戦いはのっけから木刀のかち合う無数の音で庭の空気を震わせていた。それがびりびりと体に響いくのに、工藤は身をすくめる。
「……なんという試合。なんという剛剣」
双方の激突は木先から徐々に下へ移っていき柄先のところまで来てやっと、タスキに合わせてピタリと止まった。だがそれは外見上でその実、双方はまだ前進しようとしている。
まずい、まずいぞ、このままではと鍋倉は思った。深酒で体力の消耗具合を計れない。案の定、危うい力の均衡は長々と続いた。
ふと、鍋倉は状況を変える方法を思いた。酒臭い息を遠藤に吹きかけたのだ。面食らった遠藤が、はっとし激高した。
「それが遅れて来た訳か!」
即座に遠藤は左に半歩踏み出し体を開く。それは鍋倉に天秤を食らわせ前のめりになったその背をしたたかに打ち込むという体さばきだった。
とはいえ、鍋倉とっては目論見通りである。もとより遠藤に勝負を急がせようとしているのだ。そもそも『遠藤家伝』の継承者たる相手は胸を貸してやるぐらいの気持ちで試合に挑んでいるはずだ。悠長に受けとか流しとかされたらたまったもんじゃない。
剣技はともかく、精神的に優位に立ちたい鍋倉はさらに追い打ちをかけてやるかと考えた。こっちは逆にねばっこく食らいついて遠藤の正気を失わせてやる。木刀をタスキに合わせたのを離さないまま左に半歩踏み込み、遠藤を正面から見据える。そして息を吹きかけることを忘れない。
「小僧め!」と遠藤がまた半歩左に踏み出す。当然、鍋倉は半歩左に踏み込み正面から逃さない。結果、両者は試合開始の位置と東西真逆になった。
ここで遠藤に変化があった。キレてしまったのだろう、その表情に冷淡な笑が浮き上がる。
来るな、と鍋倉は思った。果たして遠藤が左に回らず正面から踏み込んで来た。どういう技を出そうとしているのかは大体察していた。といってもこっちは胸を借りている身だ。後れを取ってなるものかと鍋倉も合わせて踏み込む。互いに右手を木刀から離し相手の腹に拳を入れる。
工藤の悲鳴に似た声が庭に響く。
「出た! よろいぬき」
……よろいぬき。それは『遠藤家伝』奥義の中の一つで、衝撃を鎧越しに人体に加える技である。その効果は三日間悶絶させ死に至らしめるという。
二人の動きは止まっていた。
どちらかが倒れれば、すなわちそれが優劣のあかしとなる。まさしくこの勝負は、『遠藤家伝』継承者がだれか、を問う戦いとなったのだ。どちらが最後まで立っていられるか。工藤は固唾をのんで両者を見守った。
その工藤の期待をよそに、二人に変化は起こらなかった。二人とも勝負を焦って技を出し切れなかったのか、と工藤は考えた。あるいは互いが互いに攻撃から防御に切り替えたのか。技を習得したからには、その弱点や対処のしようはよく分かっているはずだ。
一方で遠藤はというと、鍋倉をなかなか賢いやつだと感心していた。卑怯だとは思わない。戦場では知恵も、力も、己にあるものは何もかも屈指しないと勝利はおぼつかない。それが例え弱みであってもだ。酒臭いの息をかけるなぞ突飛ではあったが、よくよく考えれば子供じみていてばかばかし手ではある。が、事実それに引っ掛かって冷静さを失い、技の精彩を欠いてしまった。子供だと馬鹿にしていたが、自分の方がよっぽど大人げなかった。
「浅かったか」とつぶやいたその時、腹にあてがわれていた鍋倉の拳が掌に変わった。そしてその掌に、そっと押されるのを遠藤は感じた。
途端、どういうわけか体がゆらりと揺れた。そして意識に反して、押されるがままによろよろと後方に動き出し、徐々に加速。そっと押されたはずだったのに後退は、足が追い付かないほどまでになっていた。
「倒れる!」と口走ったのは工藤だった。だが遠藤は倒れなかった。その寸前のところで体を止めた。気力で踏ん張り、辛うじて倒れるのをまぬがれたのだ。だが、全身から脂汗を吹き出している。それも束の間、気息を整えると気勢の声を上げた。
次の瞬間、鍋倉が嘔吐した。出てきたのは胃液に混じった昨晩の酒と肴である。
「勝者、遠藤殿!」とすかさず工藤は宣言した。とはいうものの、そう宣言した工藤その人が不満げであった。鍋倉の嘔吐に、遠藤のゆるんだ動き、そして手応えのない結末。英雄譚を好む工藤は内心がっかりだった。その証拠に、不自然な笑顔とともに、「さすがわ遠藤殿!」の褒め言葉も上ずっている。
すでに、工藤の家人の救護を断った鍋倉はピンピンしていた。一方で勝者のはずの遠藤が工藤に肩を借りている。そしてその二人が鍋倉に怪訝な眼差しを投げかけていた。そうさ、よろいぬきで吐いたわけではない。鍋倉はその二人に深々と頭を下げ、その場を去った。そしてその足で工藤邸も辞した。
道すがら鍋倉は嘆いていた。飲みすぎがたたって自分の内功に上気してしまった。もうちょっとのところだったのに。おやじがいつも口酸っぱく言っていた、酒は止めろって。おれは同じ失敗を何度繰り返せばいいんだ。
町並みは見えていなかった。
どれくらい歩いたのだろうか。気がつけば常設の市場、東市の中にいた。賑わいの中、往来する人を捉まえて今出川にはどうやっていくかを問い、その教えどおり歩を進めた。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。