第58話 正統継承者
「今出川鬼善殿の提案を受け、賛否を挙手で行いたいが、いかがか」
そう高弁が言うと比叡山の慶海がさえぎった。
「鬼善殿、初めに聞き流したが貴殿の邸宅の話、嘘偽りではなかろうな? 言っておくが貴殿の腕前では邸宅を失うが、後になってひるがえしはしないだろうな」
鬼善が得意げに言った。
「当然だ。が、試合にはわたしが出るとは一言も言っていない」
「よろしい」と比叡山の慶海がはつらつと言う。
快命が言った。
「鬼善、八龍武こそが天下一だと思うなよ。世には想像を絶する武芸がある」
鬼善は相手にしなかった。その快命が今度は順覚に視線を向ける。
「南都はどうする。平家にみな焼き払われて奥義書は失われたが」
「寺々みな焼失したが、当家には『筒井家伝』がある」
順覚は土豪の筒井氏の惣領でもある。筒井氏は、大神神社の神官大神氏の一族で大和に勢力を誇っていた。興福寺はその筒井氏を僧兵として旗下に組み込んでいたのである。
快命が吐く。
「熊野だけか、口惜しい」
熊野三山悲願の『太白精典』は戻って来ない。『今弁慶』の湛道が一瞬頭によぎったがやはり、比叡山や高野山と比べて見劣りしたし、現実問題として鍋倉澄と戦った時の傷は癒えていない。なにより、熊野三山には賭ける奥義書がないのだ。
同盟から抜けるか? そう快命は考えた。約束は反故にされたのだ。このままおめおめと熊野三山に帰れようか。
が、それは短絡的だと思い直した。奥義の継承は盟主の会合での認可が必要だと鬼善は言った。熊野三山からその継承者を出せばいい。それが認められぬというならば、そこで抜ける。そしてその時こそ熊野三山は一丸火の玉となって同盟と戦えばいい。
高弁は、「あらためて」と立ちあがり、「賛成なら挙手を」と言って座った。
高弁と快命を除く全ての代表が挙手した。皆に裏切られたかっこになった高弁だったが腹が決まっていてか、顔色一つ変えていない。それが言った。
「十日後、奥義書を持参しここに集って頂きたい。試合をして頂き、勝者あるいはその山の長が盟主と致します」
明けてその日の夕刻、鍋倉は河原の仲間を引き連れ掘立屋に帰って来た。後ろに連なる男らは互いに寄りかかったり相手の肩にぶらさがったりで、女らは大きな声であれこれ騒々しい。それが掘立屋に入ると上へ下への大騒ぎで煮炊きする。かくして鍋を囲んだ。
瓶子を回し飲みし、満面な笑みで話しが弾む。鍋倉はその輪からいつも離れて一人ポツンといた。初めは皆で食事することさえ拒んでいたが、たってと求められるのでそれを受け入れた。ただ、未だに椀とか杓が触れるのも嫌ったし、酒の回し飲みも拒む。
以前の鍋倉なら率先してそれに加わり、皆を楽しませようとしたものだが、尸丸でそれもままならない。皆が楽しんでいるのに一人ポツンといるなんて耐えられないと思っていた。ところが、寂しくはならなかった。それどころか、自分に気兼ねなく思い思いに楽しんでいるその雰囲気が心地よくてたまらなかった。一人離れ、笑顔だけを皆と共にした。
そもそも鍋倉が積極的に皆と交わらないのは、毒蟲を移さないように気を使ってのことなのだが、鍋倉はその事実を誰にも語っていない。いらぬ気を使わせたくなかったのだ。皆はというと一人ポツンといる鍋倉を不快に思うどころか、河原者から見た鍋倉は立派で華やかな存在であった。霊王子も好意を抱いているように見受けられる。自分たちとは違うのだ。だから、当然そうあるべきだと考えていた。
「大将の笛が聞きてぇ」
誰かがそう言う。鍋倉に拒む理由もない。満面の笑みで、「いっちょ、吹こうか」と鍋倉は笛を取る。そして「そうこなくっちゃ」の皆の声で演奏を始める。流れる音色。それに合わせ皆が手拍子を取り、声を掛ける。こうして夜も深まり、いつしか男女入り混り寝入ってしまう。いつもこの調子でその日が終える。
月は虹色の光輪をまとっていた。幾つもの寝息の中、鍋倉は一人抜け出し、蓮阿に教わった気息法を行う。高弁に会ってからというもの、体の変調がいちじるしい。高弁の強力な気に当てられ、金神の平静が崩れつつあるのだ。蟲が巣食うまでの残り一カ月、少なくともその間だけは体内の金神に寝静まっていてほしかった。清の今様に耐えうる笛の腕を身につけるといってもそう容易くはないし、時間もまるっきり足りない。そこにさらに金神が騒いで時間を失うとなれば絶望的である。
ふと、凄まじい気が向かって来るのを鍋倉は感じた。近くではなく、ずっと遠くにだ。やはり気に敏感になっていると気息法を止め、凄まじい気の方角を見てそれを待つ。 どれほどの男が来るというのか。おれに何の用があるんだ。
程なく、人影が現れた。敵ではないとは思っていた。悪意は感じられなかった。果たして河に沿って向かって来るその陰は佐近次だった。といっても気を醸し出すその雰囲気から以前に知っている佐近次ではなかった。
「佐近次さん、あんた、いったい何者なんだ」
高弁の気を“量”に例えるなら、佐近次のは“質”である。どちらも人知を超えていて、高弁は堰を切った奔流であり、佐近次はこんこんと湧き出る清水だった。
教団の精鋭を撃退したと清から聞いた。やはり佐近次さんは強かったんだ。紛れもなく武術の大家、最高峰に立つ者の一人であることを鍋倉は確信した。
その佐近次が鍋倉の前に立った。鍋倉は言った。
「聖道門の手の者とも思えないし、そうかといって念仏門でもない。だとして、どこでどうやってこれほどの力を身に付けたんだい」
佐近次が言った。
「鍋倉、悪かった、今まで隠していて。だが、これにはわけがあるんだ」
鍋倉にしても蓮阿のことは話せない。佐近次も同じような事情があるのだろう。
「いや、ごめん、久し振りだと言うのにこんな野暮なこと、訊いて。事情があるんだろ? おれにだってある」
言えないのはいいとして、鍋倉は金神を鎮めようと気息法を行なっている最中だった。これでは癒やすどころか悪化してしまう。
「悪いが佐近次さん、その気を静めてもらってもいいかな」
佐近次は、はっとした。高弁に会って以来、らしくもなく高ぶった感情をずっとさらけ出していたようだった。恥を知り、大きく息を吐いて佐近次は感情を鎮め、荒ぶる気を抑えた。鍋倉が言った。
「ありがとう、佐近次さん」
その言葉に佐近次は、違和感を持った。正気を失っている自分を鍋倉がいさめようとしていたなら、《ありがとう》とは言わない。落ち着いてまじまじと鍋倉を見れば、やつれているというか、初めて会った時のような覇気がまったく感じられない。それどころか病を患っているかのようである。確か『七歩蛇』を倒した武芸、あれは内功を使用していなかった。もしかして使用しなかったのではなく、使用できなかったのではあるまいか。鍋倉は内丹出来ないのかもしれない。
「ところで佐近次さん、今出川の姫様のことなんだけど、この前、会って……。佐近次さんのこと、心配していたよ。ちょこっとでも会ってあげなよ。おれが間に立ってうまくやるからさ」
あの娘め、鍋倉に会いに来たのか、隅には置けないなと佐近次は思った。鍋倉と何があったか知らないが、生駒山から帰って以来、月見は佐近次によそよそしかった。夜なぞは北の対屋を固く閉ざしてしまう。今出川邸は鬼一法眼の城なのだ。特に北の対屋と東北の対屋は強固で全周囲、分厚い塗籠で固められていた。
佐近次が言った。
「その姫様のためにわたしは今出川邸に帰れないのです」
八龍武の一人、『塵旋風』の陽朝を倒さねばならなくなった経緯を佐近次は話した。そして、今出川鬼善を善良な男と思ったがそれはまったくの嘘で、騙されたと嘆き、本当は悪辣な男で己の父、鬼一法眼を殺害した不義の男だと罵って、佐近次は怒りをあらわにした。さらには語気も強め、鬼善は『太白精典』を手に入れてそれを習得し、『太白精典』を守るがために八龍武の一人、円喜を殺した。自分も命を狙われているが、と前置きし、これにはあなたにも関係ない話ではない、とさえ言う。
「命を狙われるのはあなたが死するまで変わりない。なぜなら鬼一法眼はあなたに家督を譲る、つまりは月見の婿になるだけでなく、あなたに『太白精典』を伝授しようとしていたんです」
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