第57話 波瀾
「あらたに盟主になった方はこの問題を解決してくれるのであろうなぁ」
僉議の席で私心を持ち出し、しかもそれが当然であるかのような言いぶり。愛宕三山の代表俊雲は快命に対して不快感をあらわにした。ここにいる誰もが他の誰かに遺恨があった。それはこの僉議に出席した者たちだけに及ばない。各山の上から下までである。ゆえに各山の歴々がこの席に着くまでに相当な努力を強いられていた。
愛宕三山の俊雲が言った。
「時は乱世から太平に移ろうとしておる。我々の役目は重大だ。人々を導き、新しい世にふさわしい精神を芽生えさせねばならん。それには菩提心がかかせない。だが、吉水教団はそれを否定したばかりか、われら聖道門を賤しめている。なればこそ、遺恨を捨てて集まったのだ。ここに来て私怨を持ち出すな」
それには快命も異論がなかった。だが、僉議に参加する条件に『太白精典』の返還を高弁に上げていた。
「それはそれ、これはこれ。高弁殿、約束は約束だ」
高弁が言った。
「実はここに今出川殿が来られることになっている。比叡山の慶海殿と鞍馬山別当禎忍殿が話し合われてのことだ。快命殿から直接話されると角が立ちましょう。我々で今出川殿を説得してみたいがどうかな?」
聖道門の歴々で今出川鬼善に圧力をかけようというのだ。
「なるほど、さすが高弁。これなら、さしもの今出川も折れるほかあるまい」と快命は言うや否や、「いや、まてよ」と思い直す。
「それで鞍馬が来られないのではあるまいな」
高弁はきっぱりと断じた。
「禎忍殿が慶海殿との約束を違えるはずはありません」
「聞き捨てならんな、高弁殿。何の約束だ?」
八龍武を引き連れた鬼善が山門の下に立っていた。
歴々だけではない、随行者らも色めきたった。驚いたことにその姿は僧体であったのだ。
その鬼善が言った。
「この同盟の目的はなかなかたいしたものだ。一つに強大になりつつある吉水教団への抑制力たらんとすること。一つに橋や道や寺社の復興と共に貧者に職を斡旋し救済すること。吉水教団は貧者の集まりだからな、まさに飴と鞭。そのうえ富み盛んな武家から勧進させて力を奪うっていうのがいい。されどこれほどの勤め、都から遠く離れた御山から指示するというのもうまくない。どうだろう、盟主には代々、わが今出川邸に住んでもらうというのは。なぁに、心配することはない。わしは出て行き鞍馬山かどこかに引き籠る。今出川邸は聖道門の政庁にうってつけだとは思うが、いかがだろうか」
そう言って鬼善はただ一つ空いている席に着き、その後ろに八龍武を陣取らせる。歴々はというと、八龍武を差し置いて意気揚々と席に着いた鬼善にあっけにとられた。ついさっきまで、嫌がる鬼善を引きずるように八龍武が現れると想像していたのだ。
「で、わしの居ない間に話はまとまったかな?」
「会は定刻に催されます」と落ち着き払った高弁。その態度に、高弁めっ! と鬼善は内心で罵り、その一方でふふんっと笑って見せた。
「快命殿がわしに言いたいことがあるのではなかったのかな」
「血迷ったか、鬼善。このコソ泥めが」と罵る快命。だが、鬼善はどこ吹く風とばかりに、
「これがほしかったのであろう」
と『太白精典』を懐より取りだす。
あれが天下に名にし負う『太白精典』か、と皆の目はまじろぎもしない。その使い手、義経が平家打倒をやってのけたという。紛うことなく天下最高峰の武術であり、その実績から武家はもとより幕府さえも一目置かざるを得ない。もし、手中に出来たのなら昨今盛んに行われている地頭の横領は抑制されるであろう。承久の乱で幕府が天下の趨勢を握った以上、是が非でも手に入れたいものだった。
鬼善が言った。
「わしは盟主が決まり次第、『太白精典』を新盟主殿に渡そうと思っている。だが、その新盟主が快命殿にこれを渡すかどうかはわしの知ったことではない。な、そうだろ。慶海殿」
皆が一斉に比叡山の慶海を見た。熊野三山は過去、『太白精典』を餌に平安京を望む鞍馬山に触手を延ばした。今は落ちぶれてしまい、換わって触手を伸ばしたのは比叡山である。富と武力で嵩にかかって鞍馬山を末寺のごとくにしてしまう。鞍馬山のものは比叡山のものとばかりに慶海が、熊野三山の返却要請も鞍馬山に無視させ、さらには『太白精典』が出て来ようものなら、その保管をも比叡山が行うと鞍馬山に約束させていた。だが今となっては、熊野三山への返却も仕方なしと諦めていた。比叡山は“盟主”と『太白精典』を天秤にかけていたのだ。その慶海は当然、素知らぬ顔である。
鬼善は『太白精典』を懐に戻す。
「ところで結束の証は決まったのか? 高弁殿」
「結束の証とは?」
「何も驚くほどもない。戒律のようなものだ。貴兄は糞をするにもその全ての所作を決めていると聞くし、弟子たちにもそれを守らしめているそうだな。戒律の篤学者の有るべき姿と思うし、なぁに、ばかにして言っている訳ではない。わしも賛成なのだぞ。動作の一つ一つはほとんど無意識の中で行われている。それを意識的に行うのは、まさに武芸に通じる」
事実、高弁は“意識”に重きを置いていた。それは平常だけに及ばず、座禅や眠っている時でも。というと語弊があるかもしれないが、高弁は夢を書き留めていた。十九の歳から始められ、今なお続けられているという。それが後世に伝わる『夢記』であるが、高弁にとって“意識”の価値観は平常の状態よりも、座禅している時よりも、眠っている時の方がそれらより上位に位置づけられていた。
鬼善が続けた。
「が、わしの言いたいのはその戒ではなく、律の方だ。そもそも我らは宗派、信じる御仏を越えて手を結ぼうとしているのだ。規則がなければ何の同盟たるや」
会が騒然となった。そこへ愛宕三山の俊雲が異論を唱える。
「天下は太平である。なにをもってそれを乱そうとする」
比叡山の慶海もそれに賛同した。
「また多くの死人が出る。この同盟のもう一つの目的、聖道門の同士討ちをやめることに反するのではあるまいか!」
興福寺の順覚がさらに言う。
「たび重なる戦乱で疲弊しているのだ。我らは復興を目指さなくてはならない」
「それよ」と鬼善は得意げに言い、さらに言った。
「だからだ、独自の戒律を作るんだ。簡単で、なおかつ各宗派の個別の教えに背かないものを」
「ばかものが。そんな都合のいい話、有る訳ない」と快命。
鬼善は快命をギロりと見た。
「宗派の教えは学生に任せておけばいい。我々のもっぱらは、武である。それを統一してはどうかな?」
快命があきれかえった。
「それが独自の戒律とどうつながる」
快命をあざける目で一瞥した鬼善は、立ち上がった。
「武の奥義書を賭けて各山が戦い、勝者あるいは勝者の山の長が盟主に座り、すべての奥義書を管理する。各山の奥義書の閲覧、伝承は盟主に、あるいは盟主の主催する会合に上申しなければならない。我々の同盟に叛けば永遠に奥義は失われる。この一つ。ただそれだけ。兵を動かすなんてことはしない。当然、多くの血は流れない。各々方、いかに」
会は色めき立つ。高弁が頭ごなしに却下出来る状況ではなくなってしまっていた。妙案を提言されているようで、挑発されているようでもある。各山の歴々は引くに引けない状況に陥っていたのだ。それを覆すには、と高弁は考えた。
この状況では無理かろう。ここに集った歴々は何をするにも暴力に訴えてきた。それがここへ来て変わるべくもなく、いっその事、会を紛糾させて解散させてしまうか。いや、それでは二度と同盟なぞ望めない。良かろう。このまま会は続けるとしよう。もしも、鬼善の提案が通ったとして、それが無益だったと分からしめる。それから仕切り直しだ。もうそれ以外、道はない。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




