第55話 死亡遊戯
確かに、鬼善は『太白精典』を一番早く取った者を首領とすると言った。だが、与えるとは一言も言っていない。それは他の四人も察していると『磐座』の道意は考えていた。
首領になれるのは『太白精典』を手に取ったもの。『かぶとわり』の仁法か、『葉隠し』の理救か、『谷潜り』の潤煙なのだろう。そんなことはこの際もうどうでもいい。金神八龍武の首領ではなく、ここにいる者たちは皆、金神八龍武を従える誰かになりたいのだ。
となれば、五人で殺し合いだ。『蛇骨打』の雲最などは速度で負けるのは了承済み。『太白精典』に群がった者ら片っ端から腱を断ち、骨を砕いて動けないようにしてしまうのだろう。ならば理救はどう出るか。敢えて我々と遠ざかる方に跳躍し、暗器だけを飛ばすとも考えられる。紐かなにか暗器に付けていれば容易かろう。あるいは、『太白精典』を取らずに暗器で皆殺しってことも考えられる。だったら、仁法や潤煙なぞはどうするのだろう。手に取った瞬間にそのまま今出川邸から逐電してしまうってこともあり得る。
それでおれは? と道意は考えた。ただ単に速度なら仁法の次。体術なら最雲の次。とはいうものの、戦うとなればそれはそれ、まったくの別物。仁法の太刀を受けられるのはおれのみだし、最雲に骨を砕かれないのもおれのみ。『磐座』がおれの二つ名。
道意は森に座す修行を好んだ。戦い方が二つ名の他の面々とは違い、道意は修行するその姿から二つ名がついた。八龍武の中においては変わり種だが、森で禅を組む姿がまるで霊石のようであった。そして事実、禅で習得した内功で道意はありとあらゆる技をやってのけた。軽功、硬功、静功、動功、感覚器の強化等である。佐近次は、いや、劉枢はそんな道意を高く評価している。本人がもし望んだなら南宋に連れて行ってもよいとまで思っていた。
乱戦になったら負けはせぬ。だが、それでは、と道意は思うのである。己がただ一人、血まみれで立っている、そんな姿が想像できた。道意が言った《公平ではない》という意味は、やはりちゃんとした手順を踏んで『太白精典』は手渡されるべきだということだった。
そんな気持ちなぞ、鬼善は微塵も感じてくれていない。不利な状況を強いられ、不平を訴えたと思ったのか道意の《公平ではない》という言葉を鬼善は大声で笑い、「確かに、確かに」と立ちあがって横一線の八龍武を前に「お前はここ、お前はここ」と座る位置を指図した。
道意は思った。武芸なぞ、曲芸の一種だと思っているのだろうかと。その鬼善はというと床にある『太白精典』の傍に立ち、八龍武を見渡している。八龍武の面々が『太白精典』を中心に半円を描いて均等な距離で座っていた。
「もう、異論はないな」と鬼善は八龍武に声を掛けた。返事はしなかった。これから繰り広げられる死闘に面々の誰もが切羽詰まっていた。ニヤリと笑った鬼善は返事がないことを良しと取る。
「わしは座に戻る。ちょうどここから十歩だ。お前らの目は『太白精典』に釘付けのようだから、一歩、二歩と数えて戻ってやる。わしが席に着くのが十歩であるからそれを合図に飛び掛かれ」
そう言うと鬼善は上座に向けて歩いて行く。
「一歩、二歩」
道意はというと数える鬼善の背中をじっと見ていた。何を恐れることがある。こうなることは初めから分かっていた。それは他の面々とて同じはず。『変幻』の円喜の仇討ちもせず、『塵旋風』の陽朝の捜索もせず、皆そろいもそろって鬼善に張り付いていたのはどういうわけか。
確かに『変幻』の円喜が殺されたときは怒りが沸いた。八龍武としての自尊心も傷つけられた。だが、抜け駆けはもっと許せなかった。互いに監視することで仲間割れせず、これまで何とか平静を保って来た。逆にここまで大人しく、よくやってこれたなと思う。
よくよく考えると、『太白精典』を賭けて戦うとなればかえって円喜も陽朝もいない方が良かった。事ここに至り、他の面々もそう思っていることだろう。円喜の『変幻』は戦いの場を荒らすのだ。錯覚で相手を翻弄するだけでなく、やつは薬にも長けていた。好きなようにやらせれば戦いどころではなくなってしまうのだ。『塵旋風』の陽朝も同じ。やつは風を使う。
「八歩ぉーーーっ」
鬼善は朗々たる声で歩を数える。
「九歩ぉーーーーーーっ」
フッと鼻で笑ったのか鼻息が聞こえた。そしてその時が来る。「じゅーーーーっ、ぽ!」
やはり、『かぶとわり』の仁法は早かった。しかし、はやった気持ちが仁法の上体を浮かせたのであろう、気付けば『太白精典』のあった場所を通り越し、仁法は随分と前に出てしまっていた。振り返ると『谷潜り』の潤煙がそこにいた。だが、どういうわけか立ち止まったまま。逃げ出しもせず、手のひらを差し出して見せて首をかしげている。
「!」 何も持っていない?
暗器か! と面々は一斉に『葉隠し』の理救を見た。その理救は暗器を投げるかっこで固まっている。まだ暗器は放たれていない。おそらくは、奪って蓄電する戦術を取らず、乱戦から離れて『太白精典』に群がった面々を順次葬ろうという算段だったのであろう。
「いったい誰だっ!」
『蛇骨打』の雲最がいきり立って、指をボキボキ鳴らした。
分からない。道意はそんな結末になろうとは夢にも思っていなかった。その思いは他の面々とて同じであったろう。皆、面食らって固まっている。
「わたしの勝ちだ」
面々が一斉に、その声へ視線を向けた。
「八龍武と鞍馬にいるその弟子四百人、その全てを統べるのはこのわたしだということだ」
鬼善が『太白精典』を手にし、これ見よがしにひけらかしている。八龍武の誰もがぎょっとした。
「言っとくが束になってかかって来ても殺されるのがおちだぞ。ちなみに『変幻』の円喜はこともあろうかこのわしを隠し部屋から引き摺り出し、『太白精典』を出せとかぬかしやがったので殺してやった。それから誤解を招きたくないのでもう一つ言っておくが、『塵旋風』の陽朝が戻って来ないのはわたしではない。金神に誓おう」
驚愕していた八龍武の面々であったが、ようやく状況が理解できたようだった。戦う姿勢を崩し、茫然と鬼善を眺めていた。
つまり、おれたちはずっと鬼善様になぶられていたということか。といっても道意は不思議と腹が立たなかった。そもそもこうあるべきだったのだ。腹が立つとすればやはり、相伝を受けたことをなぜもっと早く言ってくれなかったのか。なぜ、こんな手の込んだ遊びにつき合わせたのか。
「今出川鬼善様は『太白精典』を継承なされていた」
道意の声に、面々の誰もが深々と頭を下げた。
「『太白精典』を得たといえども、今の今までそれを隠してきた。神託にあった《快剣掃雲》、まさにその時がやって来たのだ。我が心の暗雲が取り除かれ、すがすがしい気分を得ん」
ある夜、鬼善は夢の中で金神を見た。二匹の龍にまたがった金神は空を駆け、鬼善はというとその手の平にいた。眼下には雲が水平線の向こうまで広がり、地平はまったく見えなかった。
今思えば、どうしてそうしたのか。夢の中で鬼善はおもむろに太刀を抜き、振り上げたかと思うと縦一閃にそれを振るった。
広がっていた雲に裂け目が入った。それが水平線の向こうから金神のずっと後方まで延びていったかと思うと雲は二つに分かれ、さらには潮が引くように離れて行き、終いには消えて無くなってしまった。残ったのは、真っ青な空と緑の大地だった。
その夢を見た日を境に、鬼善は超人と化した。思うにあれは『神託』であり、同時に『太白精典』を習得した験でもあったのだろう。
「よいか、聖道門の歴々が一堂に会する神護寺での僉議、このわしが主導権を握る。その方策は有る。八龍武よ、わしの手足となって働け。われらで天下を席巻しようぞっ!」
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




