第5話 家伝
「鬼一法眼様が何処におわすか誰も御存じないと?」
「だれもまったく分からぬ」と工藤。さらっと答えたその態度にむっとした鍋倉だが、それどころではない。
「どうしてまた。理解できかねます。それほどの御仁が出奔するなんて。それに鬼一法眼様は顔が広いんでしょ。そんなことになっても誰もどこにいるか知らないってのも」
「あれほどの御仁。それに歳が歳だ。百を超えているって噂もある。おそらくは、屍を人にさらすのは恥と考えたのだろう」
あっ、そうか、言われてみれば。
「で、では、ご子息、今出川鬼善殿に教えを請えないものか?」
「残念だが無理だ。鬼一法眼殿は陰陽道、武芸共々、奥義に達した御方であったが今出川鬼善殿は陰陽道のみ。それだけは鬼一法眼殿に肉薄するというが、噂は噂。どうも奥義には達していないらしい。それが証拠に、警護なぞ馬鹿なことをして公家から心証をよくしようとしている。それなのにだ、武芸の方はからっきしってどころではない。まるっきり興味もしめさん。おかしな男だ」
落胆した。が、いないものはぐずぐず言ったってしょうがない。書状を、と頭を切り替える。霊王子のことも頭をよぎったが、手元にあるこれを届けることだけをいまは考えよう。
「今出川鬼善殿にお会いし、書状をお渡ししなければ父に顔向けができません。その後のことは後のことで考えますれば、これにて」
立ち上がろうとした。が、また工藤に呼び止められる。しつこいやつと思いつつ座りなおす。
「で、今度はなにか」
「実は、そなたに合わしたい人物がその遣戸の向こうにいる。その人物もそなたに会いたいと熱望しているのでな、会っては貰えぬか?」
面倒なと思いつつ、おれに会いたい人? 工藤の屋敷だから平家の残党ってわけでもなかろう、かといって平安京に知ってるやつもいない、はて、どういうことか。好奇心に駆りたてられ、鍋倉はそれに応じた。
「遠藤殿、入られよ」
遣戸が引かれ、開いたそこには武骨な、いかにもつわもの然とした男が座っていた。
「遠藤為俊に御座います」
一見で、この男やるなと鍋倉は感じた。工藤の横へ位置を移そうとその男が前を横切る。足送りは薄氷を踏むがごとし。足の裏全体で床を捉えて歩くその様に、いよいよ出来ると確信した。
「文覚様は遠藤家の出だ。当然、そなたは『遠藤家伝』を習得なされていよう。嫡流はこの為俊殿。言わずもがな正統継承者ということになる」
鍋倉は得心した。
「家伝は家に伝える宝。おれはどこの馬の骨か知れぬ。その馬の骨に宝を持って行かれたかもしれないってことですか」
的を射たのか、工藤が隠しもせず困った顔をした。
「気を悪くしないでくれ。わたしも遠藤殿に言おうか言うまいか迷ったのだが、後で鍋倉殿が文覚様の孫弟子だと世間に知れ渡ったのでは私としても……」と鍋倉の顔色をうかがってくる。
「で、おれにどうしろと」
工藤が答えず、遠藤為俊が言った。
「明朝、ここで試あってもらいたい」
平安京に来たかいがあった。鍋倉は心躍る。
「早速、白黒つけようってことですね。遠藤家の、それも嫡流の方に教えを請えるとは、なんという幸運」
「幸運?」と遠藤があきれ顔を見せた。実際は、遠藤という名を恐れて目の届かないどこか、鎌倉へでも逃げるという想定はしていた。あるいは機知に富み、今はまだ機が熟していないとあれこれ言い訳して勝負から逃げるとも考えられた。もし、そうであれば夜陰にまぎれ、ぶった斬れば済むこと。こっちとしては文覚に敬意を表して百歩譲ってわざわざ出向いてやったのだ。
もっとも、平安京の治安を守ることが仕事であるから有無を言わさず殺していいわけがないが、よくよく考えれば相手は佐渡の田舎者だ。それも元服して三、四年か。まだ二十歳にも満たない小僧である。そうむきになる必要もあるまい。
にしてもだ。世間知らずにもほどがある。白黒つけようなどと、幸運などと、無礼でもあるが、逃げずに試合を受けて文覚の顔を潰さなかったということでそれは目をつぶってやるとして、こっちとしてもからかい半分でこの場に来たわけではない。
鍋倉の才を測らなければならなかった。これからどれ程の歳月を鍛錬に費やしたとして、それでもなお、『遠藤家伝』を習得出来なさそうであれば、それはそれでよし。だが、こうして縁があったのだ。見所があれば、郎党に迎え入れなければならない。白黒つけようっていう言い草からその馬鹿さかげんに、その無礼さに正直驚かされたが、遠藤家当主直々に試してもらえるという意味でいうならば、《幸運》はあながち間違ってはなかろう。
そう遠藤が思っている一方で、まさか受けるとは、と思っていたのが工藤だ。武家として生まれたからには武芸に関心がないわけでもない。それどころか勇ましい手柄話は大好きで、試合を見るのはもっと好きだ。その一方で工藤は学問を修め、耳が広いだけに己の武芸の才がどの程度かは心得ていた。一流と呼ばれる武家はごまんといるのだ。それでも、武を生業とする武家として生きていかなくてはならないのは言うまでもなく、自分の存在感を示さなければ今の地位はおぼつかない。必然、競争相手の出来ることと出来ないことを推し量るようになる。要は、自尊心が高い武家ほど汚れ仕事なぞしようはずはないということなのだ。
そんな世間の酸いも甘いもわきまえた工藤からしてみれば試合を受けた鍋倉を無謀としか思えない。しかも言うに事欠いて、戦うことに幸運を感じているどころか、何を血迷ったか自尊心の高い遠藤為俊にその言葉をわざわざ言い放つ馬鹿っぷり。
「幸運なぞと! そなたは佐渡に居たから知らぬだろうが、遠藤家は物語となったもののふがおわしたほどの武勇の家柄。教えを請う前に命を落としかねないぞ。遠藤殿もお気に召さるな。こやつは世間が狭いのだ。本当の武芸ってものを知らない。そんな者にわざわざ試あおうってのも考えものではなかろうか」
何を今更、と思った遠藤の顔に怒りの色が走った。だがそれも一瞬、残ったのは嘲笑である。
「得物は木刀ということで、よろしいかな、鍋倉殿」
馬鹿にされようがされまいが、木刀だろうがなんだろうが、鍋倉はもとより辞める気はない。勇んで「承った!」とそれに応じた。
遠藤為俊が京住まいに帰宅した後、鍋倉はというと工藤に酒肴のもてなしを受けていた。相変わらず工藤がわが郎党に、と誘ってきていて、酒を飲んでいても面白くもなんともない。そんな鍋倉の機微を察したのか、工藤は話を変えてきた。佐渡の話をしろというのだ。が、それもしかたがなかろう。佐渡島は日本海の荒波に浮かぶ離れ小島はいうまでもなく、古くから流刑地でも知られる。それから連想するのはまがまがしさや物々しさであるが、実際その地に行ってみれば想像するような過酷な生活が待っていたかといえばそうではない。むしろ、配流された政治家や文人の影響を受け、中央の文化が花開いていた。承久の乱を起こした後鳥羽上皇の皇子、順徳上皇も流されていたし、かくいう文覚も政争に巻き込まれ三年ほど、佐渡に流されていた。
憮然と顔だけ突き合わせているのもなんだからと、鍋倉は雅なことは分からないまでも、野山や海で遊んだことなどつらつら話してみた。が、久しく忘れていたことが次から次へと頭に蘇ってくる。話して聞かせるどころか自分の方が楽しくなりとめどがなくなる。一方で、聞き手の工藤はというと予想外にも楽しんでくれている。手を叩いて笑ったり、食い入るような目つきであったりと。その工藤が、身を乗り出したのは父、淵と平家の残党との対決である。「それでどうなった」と前のめりに先をせがむ。そうなると鍋倉は悪乗りしてしまう。ちょっと膨らましつつ話を進める。それが壺にはまったのか、興奮しきりの工藤。かくして二人は飲みに飲み、食いに食い、いつしかそこで寝入ってしまった。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。