第48話 薩埵王子
『撰択平相国全十巻』を燃やした意義。それを推し量る高弁をよそに、鍋倉は話を続けた。
「だけど、争いは終わらなかった。おれは考え違いをしていたんだ。ある人がおれに言ったんだ。皆の気持ちの中にはずっと『撰択平相国全十巻』があり続けるって。いくらおれが燃やしたって言ったって誰も信じちゃくれない。おれが生きてる限り、『撰択平相国全十巻』を手に入れようとこれからも多くの人がおれに群がって来るんだ。それで、おれはというとこの有様だ。平安京を騒がす盗賊、黒覆面の男に不具にされた挙句に、生駒山に捨て去られた。“樵”に助けられたから良かったものの、餓えたオオカミの群れに囲まれ、生きたまま引き裂かれる寸前までいった。因果応報なんだ。人のためにならなかったのなら、獣のために死ねってことなんだ。あれはきっと、神仏に用意された死。だからいつかまた、おれにその日が訪れる。高弁様もおれに近付かない方がいい。おれに親切にすると、とばっちりを食うどころか神仏の怒りを買う。天罰さ。実際に今出川一門の者らはかわいそうに、みんな死んでしまったし、あなたがおれを助けようというのなら霊王が黙っちゃいまい。ましてや聖道門の連中なんかはもっとあなたを許してはおけない」
とはいうものの、鍋倉は高弁に腹を割ったわけではない。蓮阿を《樵》と言い換えたし、武芸を教わったこともそう。解毒剤がないと三カ月後には死ぬこともだ。蓮阿に迷惑がかかると思えたし、誰であろうと清のことを悪く思われたくない。
とにかく高弁には、自分に係る危うさを理解してもらいたかった。そんな鍋倉の想いとは裏腹に高弁は、生駒山で群狼に囲まれたというそこに、心が引っ掛かってしまっていた。高弁自身、十三歳のとき、墓地に行き、生きたまま犬やオオカミに食われて死のうとしたことがあったのだ。
この当時、墓地と言っても死体は野ざらし、鳥や獣などの喰うがままに任せていた。風葬という風習なのだが、実際に高弁はそれら死体と一緒に転がって死を待つことにした。
夜深け、多く獣が死体を漁り、貪り喰った。あちこちでばりばりと骨を砕く音やべりべりと肉を引きちぎる音が聞こえる。ところが獣は、高弁には手を付けなかった。入れ立ち代わり高弁の匂いを嗅いでいくだけ。この試みは再度行われたが結局、成就には至らなかった。
釈迦の前世の因縁を記した『本生譚』には餓虎をあわれむあまりその身を与えたという薩埵王子の話がある。他人の苦しみを救うには自己犠牲をいとわないという逸話であるが、高弁の場合は少し違う。
死の体験がしたかったのだ。意識があるまま喰われ、獣の胎内で地獄を見、再生する。釈迦を尊崇するあまり、薩埵王子がそうしたように己もその経験に倣ってみたかった。
ところが、鍋倉は何の因果か、餓えたオオカミにその身が捧げられる寸前まで行った。それを鍋倉自ら《神仏に用意された死》と評した。
この出会いには何か意味があるに違いない。そう思った高弁は内心戸惑っていた。五十過ぎまで生きてきたが、こんなに心が揺さぶられることは未だかつて一度もない。が、とにかく、今は言わなければならないことを鍋倉に言おう。
「まだおまえには菩提心があると見える。邪教に心底侵されていないようだ。鍋倉、佐渡に帰えれ。いまならまだ間に合う」
平安京を離れる。即座に清を想った鍋倉だったが、その清には盛長がいた。しかも、飲まされた毒丸は命を取るどころか、姿を醜く変えてしまうという。それを清には見せたくなかった。
盛長にしてみても、突然現れたおれなんかと清が親しくするなんて許せないはず。比叡山に肩入れするなとやつが念を押したところから見ても、比叡山に捕まるよう仕組んだのはやはり、やつなのだろう。金輪際、姿を現すなと言うことだ。霊王にしたって、あの話ぶりから『撰択平相国全十巻』が灰になってしまったのはどうも分かっているくさい。そのうえで、毒薬ではなく姿を変えてしまう尸丸を用いた。やっぱり盛長と同じくそれを望んでいるのだろう。
そもそも、文覚様の系譜であるおれが吉水教団と狎れ合うこと自体、道理から外れている。聖道門の連中から裏切り者と忌み嫌われて当然だ。誰からも疎まれ、嫌われ、こうなった以上、もう平安京におれの居場所はない。
鍋倉は言った。
「分かった、佐渡に帰る。約束する」
どこで足を踏み外したのか。鍋倉は残念でならなかった。蓮阿様には心苦しい。期待を掛けてもらってこのざまだ。なんと申し開きをしたら良いのだろうか。
高弁が言った。
「それでよい。だが心変わりをするな。わたしはこれより聖道門の各山に同盟を呼び掛ける。吉水教団は釈迦如来の教えを捨てたことには変わりなく、その教えを後世に伝えようとする我ら聖道門を法然は群賊に例えた。それに加え、その吉水教団は我々を脅かすだけの力が十分備わってきている。聖道門を群賊と例えたからには、いつか力を誇示し、その力を以て我々を圧倒してくるだろう」
はっとした。この人は比叡山が平安京で撃退されたことにお怒りなんだ、と鍋倉は思った。そして、清のことが心配になってしまった。このまま平安京を去っていいものかどうか。気が付けば、すでに高弁の姿はなく、外で比叡山の僧兵らに向けて「鍋倉は佐渡に帰ることになった。手出しは無用」と大音声を発している。
なんということか。己の過ちを棚に上げ、清をほっぽらかして佐渡に帰ると約束してしまった。とはいえ、今のおれに何が出来ようか。どうしようもない鍋倉はおろおろと本堂を出る。境内には比叡山の僧兵が黒山の人だかりである。それが二手に分かれて人垣を作る。あざけりや憎悪の視線を鍋倉は一身に浴び、黒山に一本通された道をすごすごと歩いていく。
肩を落として歩く鍋倉。その様子を佐近次は清凍寺本堂の甍から身を低くして見ていた。鍋倉が去ると境内は騒然としたがそれも一時、佐近次は静まるのを見計らって屋根から離れ、行き交う人々に混じると足早に歩を進めた。
内心、『四身式』の鶴丸を期待していた。ところが、なんのことはない。いきなり本命が現れた。己の幸運に佐近次は体の震えが止まらなかった。何とか落ち着けようと試みたがままならない。どんな物事に会っても動じないよう、心は鍛えてあると思っていた。未熟と言わざるを得ない。にしても、探し物が見付かった喜びがこれほどだったとは。
やがて行き交う人もほとんどなく、連なる山々を見上げる人里との境界、その人気のない林に入る。佐近次はそこで足を止め、心の赴くままむせび泣いた。
どれぐらいそうしていたのだろうか、泣くのをやめて身を震わせた。興奮を押さえているのであろう。それが一気に弾けた。
「見つかった! 見つかったぞ! これぞ大師のお導きだーーーっ!」
佐近次は十五年前、南宋から渡って来た。名を劉枢という。もと嵩山少林寺の僧であり、生まれは中原といわれる河南である。この時代、大陸は黄河と長江の間にある淮河を境界に、国はおおむね二つに分裂していた。北が満州民族の金で、南が漢民族の南宋である。佐近次、いや、劉枢の生まれた河南のほとんどが淮河の北にあり、漢民族でありながら劉枢は異民族に支配を強いられたという訳だ。
幼き劉枢は嵩山に登る前、岳飛という武人の話を母に何度も聞かされていた。劉枢と同じ河南の生まれで、南下する満州民族から国土を守ろうと幾度となく北伐を重ねた人物である。文武両道に優れ、民を愛し、家来をいたわったという。戦えば常勝で、十万の敵を五百で破ったという伝説を残す。背中には『精忠報国』と刺青があり、それは母親によって彫られたとされ、その逸話と共に岳飛は、救国の英雄として後世に伝えられていた。
劉枢は、その岳飛を尊崇していた。そして、嵩山少林寺に入るのである。もちろん目的は戦いに負けない知恵と力を身に付けること。経典はもとより兵書を学ぶ一方、武術にも精進した。並外れた努力もあったが才もあったのだろう、二十歳になる頃にはそのどれもが達人の域に達していた。かくして劉枢は南宋の都、臨安府に旅立つと決意するのである。
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