第47話 達磨禅
「高弁殿、わざわざ来てもらって無駄な労を掛けることになりましたわ」
慶海は、がはがはっと笑った。
「いいえ」と高弁がかぶりを振る。
慶海は破顔し、「では」と高弁に会釈すると、「ひったてィ!」と僧兵らに命じた。教団に出し抜かれたはずなのに大勝利を得たような勢いの僧兵ら。それら大はしゃぎの黒山に担ぎ上げられ鍋倉は、近くの清凍寺に運び込まれた。高弁はというとその最後尾についていたのであるが、門を潜ろうとしたところで「これより先は無用」とその僧兵らに行く手を阻まれる。
「どう言うことか?」
高弁がそう言うと僧兵らが一同哄笑し、「もう用済み。栂尾山に返れ」とか、「学生の出る幕ではない」とか、「幕府の犬め」とか罵る。高弁は幕府執権北条泰時の仏道の師でもあるのだ。
「鍋倉澄は文覚様の武芸の孫弟子。仏道ではあるがわたしも文覚様の孫弟子だということで改心させてくれないかと請われたのはあなたがた。わたしとしても鍋倉澄には一言申したいとその話を請けたはず。よもやそれを違うというのではないでしょうな」
僧兵の一人が言った。
「何を言うか。田を耕す、土地を守る、帳簿をつける、で、お前らの糞のしまつ。みな、われらがやっている。学生は経を読んでおれ」
別の僧兵が言う。
「お前ら学生が邪教の隆寛に言い負かされたってんで泣きついてきたんだろ。もう学生の出る幕はないんだよ」
比叡山延暦寺の僧定照は、法然の弟子である隆寛に、法然の教えを批判した書を送りつけた。ところがその隆寛に、論には論で対抗され、定照はというと敢え無く論破されてしまっていた。
さらに別の僧兵が言う。
「こういう汚い仕事はおれたちの領分。そのためにあんたらは我らを飼っているんだろ? やらせておいて今さら口を出すとぁ、覚悟があってのことなんだろうな」
時代が変わろうとしていたこの頃、比叡山はまだ古い因習にとらわれていた。学生と僧兵の関係を例えるなら平安時代の真っただ中、平将門の頃の公家と武家である。二つの間には大きな隔たりがあり、僧兵は犬のような扱いを受ける一方で、主人の手を噛みつきもした。
といっても、高弁とて武家の出である。脅しには動じない。
「約束は約束だ」
そう言って閉じられようとする門をこじ開けた。無理やり中に入って、比叡山の僧兵で芋を洗うような境内をかき分け進む。
「しょうがない。つまみだせ」と誰かの声。
何人もの比叡山の僧兵らが高弁に掴みかかった。
この時、境内の空気が変わった。高弁が気を発したのだ。それに当てられた比叡山の僧兵らは皆、脂汗を流し、金縛りにあったかのように身動きすらできない。そこを何事もなかったように高弁は粛然と進み、本堂に入る。
慶海と五人の僧兵が薙刀を片手に簀巻きの鍋倉を囲んで見下ろしていた。それを尻目に高弁は、囲みに割って入って鍋倉の縄を解き始める。
「なにをするか!」と慌てた五人の僧兵。薙刀の柄でその高弁を押さえつける。
「だまらっしゃいっ!」
高弁の大音声が背中の薙刀を弾き、僧兵らを後ろに下がらせた。圧倒的な内功のなせる技である。慶海も他の僧兵らもわが目を疑ったが、認めざるを得ない。本堂を揺すらんばかりの発した気であるにもかかわらず、消えるどころかその気の圧力をいまだに肌に感じる。どれだけの気が高弁の中で内丹されているというのか。慶海も他の僧兵も、学生のごときがなぜ、と恐れ慄く。
高弁が言った。
「僧が禅を学んでおかしいかな」
もともと武芸の原点は達磨大師から発していると言っても過言ではない。一方、仏道でも達磨禅は脈々と息づいている。高弁が続けた。
「約束通り、鍋倉と二人で話をしたいんだが、いかがか!」
慶海と僧兵らは気圧された。たまらず退散して行く。本堂は、高弁と鍋倉の二人のみとなった。
「すごい気だ。びりびりくる。お願いだ、その気を収めてはくれないか。これ以上はちょっとやばい」
生駒山で黒覆面に攻撃されて以来、鍋倉は気の攻撃を受けることは即、命にかかわった。その苦しむ様子から高弁は、鍋倉が危険な状態にあると見て取れたのだろう、即座に気を収めた。
が、しかし、この男をどう見たらいいのだろうかと高弁は考えた。数日前平安京で、大路の往来を遮るほどの死体の山を目の当たりにした。吉水教団は仏教の教えを捻じ曲げて広めている。改めてその撲滅を心に堅く誓ったが、一方でその山の袂でこんな噂も耳に入れた。
鬼神のごとくな男が死体の山の頂きに立って、比叡山の行く手を阻んだ。
高弁は比叡山に赴く途中であった。敗北した比叡山が高弁に力を貸してほしいと嘆願して来たのだ。向こうが来るのが筋ではあるが、それでも尊大な比叡山が平身低頭だったのに拒むことは出来なかった。とは言え、あの比叡山が助けを求めて来たのだ。嫌な予感しかしなかったが、慶海に会ってみて招かれた意味が良く分かった。
平安京で聞いた噂、鬼神と呼ばれていた男は驚くことに、己と同じ文覚上人の孫弟子に当たる。佐渡の生まれで、鬼一法眼に教えを請うために最近平安京にやって来た。慶海が言うには、手が付けられないので元のさやに戻るよう、聖道門に下るよう、説得してほしいとのことだった。
慶海の望みは良く分かったが、腑に落ちないことがある。なぜ、慶海が鍋倉を知り得たのか。そもそも高弁でさえ、己とは別に孫弟子がいるとは聞いていなかった。慶海が言うには、わざわざ六波羅に問い合わせたそうだ。なにしろ比叡山と吉水教団が激突したあの日、鍋倉の様子がおかしかった。野次馬だったのだろうか、吉水教団から湧いて出て来たわけでなく板塀から飛び降りてきたかと思えば、迷うのが人だろうにと、およそ教団の信者が言うはずのない言葉を発する。その一方で、吉水教団の幹部と顔見知りのようでもある。我らが死体の山を下ろうとするのを、鍋倉は奴らと一緒になってくい止めた。
なるほど、噂と事実は違うものだと高弁は思った。だが、それでも高弁は目の前にいる鍋倉をまじまじと見るしかなかった。鍋倉はまるで病人だった。何度か慶海に蹴られていたのは見ていた。簀巻きにされていた時間はどれくらいだったのだろうか。身動きはおろか、飲み食いだって出来なかっただろう。身体的に衰弱しているのは分かるが、それにしても、気の防備がなっちゃいない。いや、それどころかもう内傷を患っているようだった。
これが平安京を恐怖の渦に陥れた男の姿か?
納得が出来ない。が、この弱々しい男がそれをやってのけたのはまぎれもない事実なのだ。仏道をないがしろにする吉水教団は許せない。いずれ決着を付けることとなろう。鍋倉とは同じ孫弟子同士、何かの縁。仲違いはしたくなかった。
「吉水教団にかかわるな。菩提心は諸善の根本、仏道の種子。吉水教団はそれを捨てたのだ。もはや仏道ではない。いや、邪教と呼べる。実際、やつらのやりようを身をもって知ったであろう。菩提心の欠片もない。おまえにはそのようになってもらいたくないのだ」
「ちょっと待ってくれ」
助けてくれたのはありがたいけれども、と鍋倉は思った。突然現れたこの男はおれを諭そうとしている。自分の立場があやうくなるというのに。
「あんた一体?」
「明恵房高弁と申す」
その名で、全てを得心した鍋倉であるがいよいよ高弁に気が引けてくる。仏道には、同じ文覚の孫弟子であっても自分に似ても似つかない高弁という偉い方がいて、世の中のために働いていると工藤祐長から聞いていた。この人には迷惑を掛けてはいけない。
「ほっといてくれ。おれのこのざまは自分がまいた種なんだ。あなたたち仏道とはなんのかかわり合いもない」
「自分が蒔いた種か。思い悩んでいるようだが、言ってみなさい」
後悔はしていても思い悩んでいるわけではない。が、鍋倉はこの人には分からせてあげなければいけないと思った。
「なぜ、比叡山の連中がおれを嫌っているかはもちろん知っているだろ。でも、簀巻きにされた経緯は知らないだろう。用済みだって教団がおれをこうしたわけではない。それにはちゃんと理由がある。おれは霊王の大事な『撰択平相国全十巻』を燃やしてしまったんだ。っていっても、良かれと思ってやったことなんだ。平家の嫡流は途絶え、その持ち主はこの世にはいない。そんな物がこの世にあるからこそ争いがおこるんだ。あるべき所に帰す。だからおれは兵庫津で『撰択平相国全十巻』を燃やしたんだ」
『あるべきようわ』
はっとした高弁は考えた。鍋倉とって『撰択平相国全十巻』のあるべき様がそれだったのか。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




