第46話 あるべきようわ
お前たちにとって大事なことだと佐近次が言うから、道意やら他の八龍武の情報を話すのかと陽朝は思っていた。『太白精典』を競い合う者同士、仲間であったが皆、敵でもあった。何か使える情報があるかもしれないと聞いていたが意外にも、円喜を殺したのは今出川鬼善だと佐近次が言うのだ。
円喜は金神八龍武一の高齢で、もっとも多くの戦場に赴いていた。『変幻』の二つ名からも分かる通り、鬼一法眼にとって使い勝手が良かったのだろう。事実、陰に日に戦功を挙げたていた。その男が、熊野衆徒の朝駆けなぞで簡単に殺らてしまっている。生駒から帰還した時、目の当たりにした。無惨にも頭と胴が分かれて庭に転がっていた。信じられない想いだったが、佐近次の推理は馬鹿げた空想ではない。逐一尤も、その言い分は道理に適っている。納得は出来たが、信じてよいものかどうか。問題は文だ。この推論はあくまでも佐近次が見たという文を前提としている。
「書いたものを送るのが文だ。鬼一法眼様のは分かるが鬼善が書いたものがなぜ、鬼善の手元にある」
もっともな問いだと佐近次は思った。利口だというより、はやり猜疑心が強いのだろう。自分の目以外は何も信じないに違いない。そんな陽朝にとって証拠が何ものにも代えがたいのは分かる。だが、わたしとしては自分が納得できればそれで十分。なぜ、きさまらのためにこのわたしが文をくすねて来なければならないのか。
佐近次は言った。
「それが有ったんだな、鬼一法眼が書いた正統継承者についての書状はもちろんのこと、鬼善が書いた偽の書状も。おそらく鬼善は、同じ文を何枚も書いたんだろう。それで一番出来栄えがいいのを淵に送った。手元に残したのはごみから選んだものなんだろう。ま、控えだ。次の文を書くために使ったに違いない。いくら文字を似せても前の内容と辻褄が合わなければ変だろ。さもなくば、不安に駆られて夜な夜な読み返しては、おかしくないか、おかしくない、と確認していたのかもしれない。一方で、鬼一法眼直筆の文は鬼善自身、己を鼓舞するために読んでいたのではないかな。にっくき鍋倉め! と己の心が折れそうになった時に、それを手に取って見ていた」
証拠はないのか、と陽朝は内心落胆した。佐近次が意気揚々にそれを差し出すかと思っていたが、それは期待外れであったのだ。が、しかし、言い分は通る。佐近次は鬼善と長年付き合っただけに鬼善をよく心得ている。つまり、鬼善が文を手元に残したのは用心の上に用心という訳だ。確かに鬼善は心が矮小というか、根が暗いというか。悪事を働いたなら働いたで堂々としていればいい。控えなぞ燃やしてしまえば良かったんだ。そんなところが師、鬼一法眼様に気に入られなかった理由なのだが。
とにかく、鬼善は控えを取っていた。後から考えると証拠を残すなんて奇妙に思えるが、それは『太白精典』を習得するまで何が何でも隠し通していたかった気持ちの現れではなかろうか。と言ってもあの円喜を倒したのだからもう、誰を気にすることもないはず。
いつ、あの根暗な鬼善が本性をさらけ出すか。やつはずっと己を出さないでいた。何をしでかすか分かったもんじゃない。おれたち八龍武は鬼善を馬鹿にし、ないがしろにしてきた。
そうだ。こやつ、佐近次はどう考えているのだろうか。もしやこやつも『太白精典』を狙っているとするならば。ここはひとつ、鎌でもかけてやろうか。
「話は分かった。では、お前たちが追っていた黒覆面は? もしや鬼善だったというのではあるまいな。それでお前たちはわざと捕まえなかった」
「異なことを言う。それならば我らは相当な欺騙になるな。自らが仕事を造り、その仕事を自らが請け負うって構図になるのだが、さっきも言ったろ。わたしは何度も黒覆面と戦っているんだ。やつは『太白精典』なぞ決して欲してはいない。それでおかしいと思ったと。そもそもわたしは平安京を守る仕事は好きだったんだよ。少しばかり生き甲斐も感じていた。わたしの名誉、いや、今出川一門の名誉にかけて言おう。それはない」
この言葉で陽朝は、少なくとも佐近次が鬼善側に立つことはないと確信した。そして今ある状況とこれから成すべきことを考えた。我ら八龍武、円喜の仇討ちを誓ったが、相手は鬼善。だが、その鬼善は『太白精典』を習得している。束になってかかったとして、勝てるかどうか。
考え込む陽朝。一方で佐近次はというと不敵に笑っていた。陽朝の頭の中が手に取るように分かる。
「わたしがなぜ、きさまに鬼善の悪事を話したと思う?」
「我らとお前とで、手を組もうということか」
鬼善は師、鬼一法眼を殺した。『太白精典』を手中に収める大義名分は立つ。それに佐近次は強い。上手く使えば大いに役立とう。あとはどうやって出し抜くかだ。
だが、佐近次は言った。
「陽朝、きさまは自分というものがわかっていない。疑り深く、嫉妬深い。知恵は少々あるが、その性分ならば知恵なぞ無い方がよっぽどいい。それに残念ながらわたしは、鍋倉に鞍替えしようと思っている。実は鬼一法眼を訪ねた目的は探し物を見付けるためなのだ。天下の武芸者が集まるというので探し物を見付けやすいと思ったのだが、それも叶わぬとなれば当然だろう。それで鍋倉だ。これからは鍋倉の名声に天下の武芸者が群がってくる。なにより鍋倉は人がいいから組みしやすいしな」
陽朝が怪訝な表情を浮かべている。佐近次が言った。
「わからないのか? 武も知恵も上には上があるとは知らず、己第一と思い、弱いと見れば傲慢にもいたぶってきた。いまは逆の立場にある。きさまがいまのわたしの立場なら、この後どうする?」
! 自分が佐近次なら陽朝を殺す。はっとし陽朝は飛び上がる。佐近次も跳躍、追撃し、宙に逃げる陽朝を蹴りあげ、返す刀で蹴り落とした。地面に叩き付けられた陽朝は、凄まじい衝撃でうめき声を上げ、這いつくばる。だが、そうもしていられない。次なる攻撃に備えなければいけない。
佐近次は? やつは? 陽朝とて達人である。強烈な痛手をうけたとしても戦いの最中に敵への注意を怠るはずはない。だが、ほとんど同時に着地したはずの佐近次の気配がない。ぞっとした。これはまるっきり自分の手口!
風で擦れた草の音や夜鷹の声に恐れ慄き、甲虫のように地を這って逃げ回る。それを木の枝から眺めていた佐近次はひゅんと飛ぶ。そして着地と同時に陽朝の頭を股に挟み込んだ。恐怖の奇声を上げて陽朝がその足を掴み、頭を抜こうと必死にもがく。それを何のためらいもなく佐近次は、体を捻らせた。ぼきっと首の折れる音が夜のしじまに響いていった。
翌朝、嵯峨野二尊院では比叡山の僧兵数百が集結、取り囲んでいた。しかし寺内はもぬけの殻であった。比叡山の僧兵らはあまりにも静かなので訝しみ、数名探りに入れてその事実を知った。
「またしても、出し抜かれた」と堰を切ったように寺内に殺到し、うっぷん晴らしに二尊院を荒らし回った。それでも比叡山の僧兵らは収まりがつかない。
「厠に人がいるぞっ!」
その声で、皆が厠に殺到した。そこにはさるぐつわをかまされた簀巻きの男が一人。僧兵の誰かが「鍋倉ではないか」とさるぐつわを解く。
鍋倉はばつ悪く「ありがとう」と無理やり顔を崩す。
「やはり、鍋倉だ」
一人がそう言うと誰もが簀巻きの鍋倉を指差し、笑った。吉水教団に二度も出し抜かれた後ということで皆、胸のすく思いなのだ。早速、鍋倉を担ぎ出し、境内に陣取る比叡山の首領慶海の元に運ぶ。当然、芋虫のごとくな鍋倉に慶海も小躍りした。最も危惧した男がどうした訳かこのような有様で、煮るのも焼くのも己の胸三寸なのだ。
「さて、どうしてやろうか」
「ころせ、ころせ」の大合唱が巻き起こる。
この比叡山の熱狂に鍋倉は、苦々しく「御随意にどうぞ」と言うほかなかった。だが、その強がりが却って慶海に火をつけた。「地獄を見せてやる」と何度も蹴り上げられる。
「これで済むと思うなよ。今のはほんのあいさつ代わりだ」
そう吐き捨てた慶海は「高弁殿っ! 高弁殿っ!」と呼ばわった。それに答えてか、五十過ぎの僧が一人、慶海の横に姿を現した。この男、東大寺学頭で栂尾山高山寺住職を務めている。名を明恵房高弁といい、右耳がなかった。と言っても、事故で失ったわけでも誰かに斬り落とされたわけでもない。二十四の時、自らの手で斬り落としたのだ。
この男の住まう高山寺には、己を律するために掛け板が掲げられている。そこにはこう書かれていた。
『阿留辺幾夜宇和』
仏僧はなぜ、剃髪し染衣を着ているのか? それは驕慢心になってしまうのを避けるためである。それが当世においては守られてはいなかった。皆、美しく派手に見せるために知恵を絞り、それを得るために先立つものを工面しようと奔走している。
今や剃髪染衣は何の意味を持たないものとなったゆえ、驕慢心を押さえるべく身をやつすにはどうすればいいのか。
あるべきようわ。この男は、その答えとして自らの手でその右耳を切り落としたのだ。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




