第44話 序列
巷では、佐近次や黒覆面の男なぞは論外であった。市井で誰が天下一かと問えば、必ず上がる名前がある。最強と噂されて揺ぎ無い者たちがいたのだ。
比叡山『四身式』の鶴丸。
高野山『三武書』の遍照。
愛宕三山『周天廻宝』の半眼居士。
大峰山『役三行』の宗憲法印。
三井寺『福聚輪』の空尊。
最も天下一に近いのはこの五人だという訳だ。
だが、それは違うと佐近次は確信している。手合わせしたこともないのになぜ、そう思ったのか。一つ上げるならば『四身式』、『三武書』なぞは、大陸から持ち帰った武術書が元だという。比叡山や高野山がどれほどの術を大陸から持ち帰って来たのか知れないが、たかが知れよう。また、他の武術書もそれと同格なら如何ともしがたい。百年経ってもこのわたしには敵わないだろう、というのが佐近次の見解だった。
では、鍋倉はどれほどのものであろう。比較するだけ無駄なのは承知の上で、佐近次は考えた。『いなご』の海秀と『かぶとわり』の仁法はほぼ同格であろう。だが、『かぶとわり』には才能がある。おそらくはここ十年で大きく化けるであろう。『七歩蛇』あたりまで実力が伸びるのではなかろうか。では、『七歩蛇』はどの程度か。おそらくだが、『磐座』の道意よりは上で、天下一だと噂される五人よりは下であろう。つまり、鍋倉の実力はその五人に肉薄するか、さらに上か。
一つ付け加えるなら、佐近次から見れば天下一と噂される五人を含め最も評価が高いのは『磐座』の道意である。彼の武術に対する考え方は佐近次の好みであったし、もし武術を教えるならばと問われれば、技も人格も偏っていない『磐座』と答えたであろう。弟子になりたいと流派の門を叩く者は数多いても、師の方から選ばれるというのは杞憂である。武術の世界だけでない、世に生きていくには欠かせない才能でもあった。
話は逸れたが、佐近次には鍋倉の力量を測らねばならない理由があった。己の正体を隠し、金神八龍武に使役されていた佐近次は、比叡山と吉水教団の動勢を探れと道意に命じられていた。それで鍋倉の報告をしなければならなくなった。
だが、鍋倉については適当に流すつもりであった。佐近次には目的がある。彼にとっては何ごとにも代えがたい崇高な目的だ。それに適うのは鍋倉より他にない。戦いの最中に見た鍋倉に、可能性を見出したのだ。
それにしても鍋倉には驚かされた。昨夜、内功を使用せず、混乱する教団の信者たちの目を覚まさせた。どういう仕掛けがあったかは不明だが、誰にもない何かを持っていることは確かだった。
生駒での一件でもよく生還出来たと感心する。襲われた相手が相手なのでどうしようもない。なぶり殺しは仕方ないとして、例え生かされたとしても、少なくとももう姿は見られないと考えていた。ところがだ、なんのことはない。強くなって帰って来た。それも見たことのない武術を携えて。奇抜と言うかその衝撃は佐近次に、初めて黒覆面の男と出会った時を彷彿とさせた。
既存の武術にとらわれないところから見ても、『撰択平相国全十巻』は本当に持っていなかったと言えよう。だが、それだけに不可解であった。どこでどうやってあの武術を習得したのかと。
これだけは言えることだが、あの武術を考案したのは稀代の天才なのだろう。それから言っても鍋倉が考案したとは到底考えにくい。
疑いようもなく、あれは誰かが鍋倉に授けた武術なのだ。
その誰かはこの際、問題ではない。要は鍋倉が、いい意味でも悪い意味でも平安京で一躍脚光を浴びたということだ。佐近次にとってはそれが大切で、おそらく鍋倉は多くの猛者としのぎを削ることとなるだろう。間違いなく、鍋倉は武術の頂きを目指す猛者達にとって目標となり、避けては通れない障壁となろう。
その鍋倉に群がる連中の中に、探している物を持つ誰かが現れるかもしれない。鬼善の動向は気にはなるが、やつは表立って動こうとする類の男ではない。それに熊野衆徒の朝駆けを平安京では知らない者はいない。今出川邸にはもう人は寄り付かないだろう。それにもかかわらずもし、そんな輩がいたとしてもこの先情報を得られるか、どうか。食うに困って今出川の門を叩くような輩の面倒を見るのはごめんだし、今出川邸には不穏な空気が漂っている。何の得ともならない諍いに巻き込まれてしまうのが目に見えていた。それにもまして佐近次が、今出川邸を去ろうという理由の一番はやはり、今出川鬼善が義に悖る男だったということだ。騙された感はぬぐえない。
今出川邸。その昼の御座には、横一線に居並んだ八龍武のいかめしい背があった。その向こうで今出川鬼善が不安げな顔を見せている。庭に姿を現した佐近次は、階を登って八龍武の後ろに坐した。道意が振りむかずに、「で、どうだった?」と問う。
佐近次は昨夜から吉水教団に紛れこみ、教団と比叡山の戦いの一部始終を目の当たりにしていた。今しがた見て来た戦いの跡も踏まえ、鬼善と八龍武に報告する。事前に噂は聞いていたのだろうがそれでも、死んだと思っていた鍋倉の名に鬼善の狼狽えぶりは無い。占いが外れたからか? それとも鍋倉を放置して帰ったのに後悔しているのか? あるいは鬼一法眼様が現れたときにどう言い訳をしたらいいかと悩んでいるのか。
いや、そうじゃないだろう。佐近次はひれ伏した下で、笑みをこぼした。
ふと、鬼善が唐突に話を変えた。
「じつは兵部大輔藤原家の御曹司が月見に和歌を送って来ていらっしゃるらしい」
そう言うとその和歌を懐から取り出す。
「これは侍女が持って来たものだが、月見に求婚をほのめかしつつも、欲しがるさまを隠したなかなかの秀作です」
こんな時にこの様な話を鬼善がなぜするのか。佐近次や八龍武の面々はなるほど察しが付く。
「はぁー」と鬼善は頭を抱える。「相手としては申し分ないのだが、吉野で鍋倉と一夜をすごしたことが噂にでもなれば」
佐近次はこの話に終始興味のないそぶりをした。鍋倉が邪魔なら自分はもっと邪魔ということなのだ。それも、普通に考えればそうなるのだが鬼善の真意は、実はそうではないことを佐近次は知っていた。八龍武の面々はおそらく、真意を掴めず誤解するであろう。困ったもんだ。鬼善はわたしなぞ眼中にないのだぞ。いや、眼中にないからこそ、諸共って訳か。佐近次は言った。
「引き続き比叡山と教団の動静を探ります」
決して動揺を見せず、澄ました顔で階を降り、佐近次はその足で東門に向かった。
明くる日の早朝、騒動から二つ目の朝であった。二尊院の境内は騒然としていた。本堂にあった法然の石棺がなくなっていたのだ。それだけでなく教団の重役も甲冑武者らも消え失せている。さらに信者の誰かが「誰それがいない」と仲間の何人かが居ないことに気付く。他の信者も、連れ立って来た仲間がいなくなっているのを知る。どういうことだ、と皆がおのおの見交わす。分からない、と誰の顔にも書いてあった。
ぱっと見、消え失せている信者は元いた数の約二割。だだ単に、詰まらなくなって出奔した訳でもなさそうだ。酒だってまだ残っている。食い物だってある。それら状況から、誰かがやっと察した。きっと、皆が寝静まった頃を見計らい、甲冑武者らの手によって石棺が運び出された。そして騒ぎになると面倒なのでそれに気付いた者だけは連れて行った。
「わしらは置いてけぼりを食らっちまったぁーーーー」
信者の誰かが大声で嘆いた。それをかわきりに泣き声を上げる者、不満をぶち上げる者、肩を落とす者、怒りにまかせてわめく者、腹を立て喧嘩を始める者、それらがあちこちで起こる。束の間、本堂の簀子に躍り出た名も無い誰かが、境内の皆に向かって呼びかける。
「泣くな、嘆くな。おれたちは法然様をお守りしに来たのではなかったか? それなのに油断していたのがこのざまだ。法然様の行き先を探そう。出て行ったのは明け方だ。そう遠くまで行っていまい。皆、急げ。今度はちゃんとお守りするんだ」
その言葉に、取り乱していた数百の信者らは目を覚まされた。「そうだ、そうだ」と誰からともなく声が発っせられたかと思うと皆一斉に、四方八方散り散りに消えて行く。この騒ぎを、鍋倉は厠で聞いていた。簀巻きにされ身動きが取れず、猿ぐつわを噛まされている。先ほど名も無い男が言ったように、石棺が持って行かれたのが明け方なのは知っていた。それに気付かない信者が取り残されたのも知っていた。皆一緒に酒を飲み、語らった仲だった。縄を解いて貰えると甘く考えていた。鍋倉だけでない。清も入道蓮生も、あるいは張本人の霊王にしたって日が上がる頃には鍋倉が解き放たれるだろうと考えていたはずだ。ところが名の無い男が皆を追い払ってしまったのだ。石棺が何時出されたのかを知っているところから見ても、明らかに誰かの指図なのだろう。その男の思惑通り、鍋倉は一人、二尊院に取り残されてしまった。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




