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掃雲演義  作者: 森本英路
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第43話 走狗


 清がひざまずいて、霊王の手を握った。


「鍋倉は『撰択平相国』を持っていないわ。兵庫津で燃やしたんだもの。前にも話したじゃありませんか。これじゃ、殺したのも同然です」


 盛長が言った。

 

「どうだか。征矢そや七歩蛇しちふじゃをこの若さで倒したんだろ。持っていると言っているようなものじゃないか」


 それについては、清としても反論が出来なかった。鍋倉に秘密だと言い含まれている。盛長が続けた。


「ま、それも三月みつき経てば分かることだ」


 なんて言い草。清は激高し、盛長に詰め寄る。まずい、と鍋倉は思った。


「よせ、清。盛長殿にあたるな。こんなことで喧嘩をすることはない」


 簀巻すまきなぞどおってことない。そんな感じの、悠々とした顔を鍋倉は作り、言う。


「実は黒覆面の男から受けた内傷はまだ完治していないんだ。いつまた再発するか分からない。どうせ短い命だ。三月と決まったのならかえってすがすがしいさ」


「はぁ?」 盛長が露骨に、ムッとした顔を見せ、言った。「かっこつけおって。清との仲をお前に心配される筋合いはないわ!」


 盛長の蹴りがいくつも飛んでくる。だが、鍋倉は声を出すのを我慢した。


「やめなさい」と蹴りを止めさせた入道蓮生。そして、霊王に言う。「おばばよ、解毒剤があるのなら鍋倉殿も大人しくしていよう。せめて簀巻きだけでも解いてやらぬか? これでは『撰択平相国』を持って来ようにも来られぬのではないか」


「残念だがそれは出来ない相談じゃ。こやつは強すぎる。昨夜の戦いで比叡山の海秀と紫円を事もなく倒したのじゃろ。ならばここにいる誰もが敵いっこない。解毒剤は力づくで奪われてしまう」

「では、いつ鍋倉殿を解き放つのだ?」


 盛長がしたり顔であった。


「こいつが調子に乗って馬鹿騒ぎしたので我らの存在はすでにここら辺り一帯では周知の事実となっておりまする。近くの清凍寺せいりょうじなんぞは比叡山の息が掛かっていて、きっとやつら、比叡山にこのことを知らせるでしょう。ゆえに我らは早々に居を移します。行き先も決め、根回しも出来ています。それがどこかは、今は鍋倉がいるので言えません。ただ、鍋倉はここに置いておきまする。簀巻きは比叡山の連中がここへ来た時、解いてくれるんじゃないでしょうかね」


「なんだ、この、人ごとのような口ぶりは」と入道蓮生。「やはり、こやつとは話にならん」と言い捨てて、霊王に向かって言う。「おばば、鍋倉殿はこの状態で比叡山に連れて行かれるのか? それでもし、九死に一生を得たとして、我らの行き先を鍋倉殿に教えなければ『撰択平相国全十巻』は取り戻せぬぞ」


 清も、霊王が何をしたいのか、全く分からない。


「お母様、むちゃくちゃです」


 盛長が言った。


「なぜ鍋倉の肩を持つのか、清! 私には分からない。こいつは聖道門だ。阿弥陀仏のありがたみなんて全然理解していない。きっと聖道門の連中もそれを見透かして、助けてやってその恩をかさに身内にするにきまってる」


 清が言った。


「盛長、昨夜のあれはどういうことか! 澄は味方ではなかったのか! それにお母様、吉野から戻った時、鍋倉が手下になったと話したら喜んでいらっしゃったじゃぁないですか」


 霊王が言った。


「清、いいかげんにしな。こやつの顔に書いてあるではないか。吉水教団は理解出来んとな」


 そんなことはないんだがと鍋倉は思った。相容あいいれない人たちがともに集っている。それはそれでいいことだと心底思う。このご時世だ。また誰かと誰かが争って内乱を引き起こすかもしれない。そんな嫌な想いを吉水教団は払拭してくれる。でも、やっぱり違う気もする。比叡山の連中が襲ってきたとき信者の者たちが盾になった。浄土に行けるって思っていたかもしれないが、それを許す教団もいかがなものか。


 鍋倉は言った。


「確かに、さすがは霊王。みすかされていましたか」


 清は慌てた。まるで霊王を馬鹿にしているようである。これでは許されるものも許されない。慌てて、鍋倉の顔をはたく。


「この大馬鹿者、なぜ命乞いしない」


 霊王が気味の悪い笑顔を見せた。


「鍋倉よ。清に免じて一つ機会をやろう。『撰択平相国全十巻』はお前にやる。ただしだ、お前は教団の走狗そうくとなれ。それを誓うなら解毒剤を渡してやろう」


 盛長が血相をかく。


「霊王様、それでは話が違うじゃありませんか。こんなやつとわたしは一緒にいたくはありません」

「盛長よ、おまえは黙っておれ。わしは鍋倉に聞いておる。で、どうだ、鍋倉。承服できるのかできないのか」 


 走狗とは鳥や獣を追う猟犬である。そんなのは死んでも嫌だ。それに、そんな自分を清に見せたくない。返事はただ一つ。


「断る」


 清が言った。


「何で意地を張る。らしくないぞ、澄。いつもならしれーっと走狗でもなんでもなるっていうのに、どうかしている」


 鍋倉は自覚をしていないだろう。いいなずけがいるなぞ、清から一言も聞いていなかった。無意識に鍋倉はそれに反発し、いつもの、物事にとらわれない自分を失っていた。


「もうよい」と入道蓮生が清の肩を抱き、言った。「鍋倉殿はあなたを気遣っておられるのじゃ。あなたが騒げば余計命乞いなぞしないでしょう。まだ三月あります。その間、わしがこのひねくれ婆さんを何とか説得しましょうぞ」


 入道蓮生の言葉は有り難いが、鍋倉は霊王が説得に応じるわけがないと確信していた。これは制裁なのだ。霊王は『撰択平相国全十巻』が燃やされたのを半分信じているのかもしれない。おれの言うことなぞ信用出来ないが、清から聞かされたのならもしや、と思うのではあるまいか。先ほどの条件の提示、《走狗》がそれを物語っている。苦笑いしかできなかった。たった三月。断った傍から後悔していた。師、蓮阿のことを思えば、走狗になることを突っぱねて良かったものかどうか。鍋倉は『粋調合気』を後世につなげていかなければならないのだ。


 一方で、盛長はというと腹の底から笑っていた。鍋倉が断ったことが、よほど気持ちが良かったのであろう。それが言った。


「念を押すが鍋倉、聖道門の連中に助けられたといって奴らにくみするなよ。解毒剤は我らの手にある。そのことを忘れるな」


 鍋倉は言った。


「御丁寧に御心遣い、誠に有難う御座いまする」


 盛長も盛長だが、鍋倉も鍋倉だ。許されるどころか、話し合いにもならない。清は悲しくなった。


「澄の大馬鹿者」


 そう言い捨てて、清は出て行ってしまった。







 その頃、平安京の大路ではそこかしこで、人々が閑談していた。話題は当然、昨夜の百鬼夜行と比叡山の強襲である。佐近次はその、どこからともなく集った多くの野次馬らを縫って歩いていた。雑人らが倒れた板塀を持ち上げている。その傍らで家主が嘆くやら怒鳴るやらで相当なうろたえぶりである。塀は諦めたとして植木が心配なのだ。だが、起こすとやっぱりそれは散々で見る影もない。頭を抱えた家主は、嘆きの声を上げる。それを尻目に、板塀に多くの人がたかる。板をはぎ取ろうというのだ。屋根板にでもしようというのか。


 その騒ぎの先にも、人だかりが出来ていた。佐近次がそこへ割って入ると太刀の柄が地面に立っている。昨夜、鍋倉に白刃を埋め込まれた太刀であった。みな面白がって、「だれか抜ける者はいないのか」と大いに盛り上がっている。


 その人の輪を抜け、さらに歩を先に進めた。大路を塞ぐほどの死骸の山。人の流れを阻むようにある。まるで河にあるせきのようだった。向こうから見物人が続々上がって来ては辺りを見回し、こっちに向かって次々に降りて来る。当然、こっちからも上がって行く輩がいる。佐近次はそれをしばらくは眺めていたが、今出川邸への帰路についた。


 おそらくは、鍋倉の技は護身術なのだろう。その威力も相手によって変わるように見受けられた。強い奴には強く。弱い奴には弱く。


 普通、力量を測るには比較が一番なのだが、鍋倉の場合はそうもいかないようだ。相手によって鍋倉の実力が変化するわけだから、誰それと戦って実力が拮抗していたからこの序列、とは決められない。許容範囲はどこまでか。強い者には強く、と言っても限度があるはずだ。どの段階の者まで戦えるのか、が力量を測るカギとなろう。


 一度手合わせすれば、それもすぐに分かることだった。佐近次は天下で最も強いと自負していた。わたしと戦えるのは黒覆面の男、ただ一人であろう。もし、このどちらかが鍋倉に負けるとなればもう、人という生き物の中で鍋倉に敵おう者はいない。







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は年明けの第一木曜日1月5日とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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