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掃雲演義  作者: 森本英路
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第38話 蚊柱

 吉水教団の一員だという自覚があるわけでもなく、自分のことで忙しい鍋倉は、百鬼夜行のごとく忌み嫌われる大行進の中にいることなぞ露ほども感じていない。阿弥陀仏の称名はしていたものの、ずっときょろきょろと辺りを見渡していた。


 霊王子の姿を探せないでいたのだ。なにしろこの数である。そうは簡単に見つけられないのは分かっていたが、何と言っても霊王子は教団の女神様なのだ。手下に守られているだろうから目立ってもいいはずだ。


 そんな鍋倉の挙動不審な様子に見かねたのか、隣人が称名を止め、言った。


「落ち着け。ビビってるって感じが丸出しではないか」


 違うってぇの、人探してるのと鍋倉は内心言い、いやまてよと思い直した。それを逆手に取ればいい。


「夜に棺を運び出すってどうよ。大手振ってやれないってことは誰かに狙われているってことか? おれ達が一体何をしたって言うんだ。何で棺が狙われるはめになるんだ」

「言うな。わしらだって法然様を御山におまつりしていたかったさ。だが、それもこれもにっくき比叡山のせい。やつら、法性寺の逆恨みで今夜、霊廟を襲うって計画らしい。で、今頃仰天してるに違いない。霊廟はもぬけの空だからなぁ。血相かいて追って来るぞ。やつらとて必死だからな」


「法性寺って、黒覆面!」


 金の千手観音を奪った犯人は鬼一法眼じゃないか。おれでも分かったのに何で鬼一法眼を探さないのか。比叡山はよっぽど馬鹿なんだ。そうとしか思えない。


「それで行先は?」

「おれらも知らん。棺の行く所にしたがうだけだ」


 なぜか隣人が得意げである。


 しかたない、ついて行こう。そう思った矢先である。列の後方から「比叡山が来た!」と叫び声が聞こえた。隣人が「浄土で再会しよう」と笑顔を見せ、後方の敵に向かって走って行く。一緒に来た他の隣人らもそれに続き人波に消えて行った。


 このように、敵に向かっていくという信者らの行動は鍋倉の周りだけでなくそこかしこで始まっていた。一方で、棺はというと一目散である。速度を上げて進んでいくのに、それに追い付こうと前方に向かって走って行く者も大勢いた。後方に向かう者と前方に向かう者とで鍋倉の目の前は、無数の人が目まぐるしく行きかう有様となった。吉水教団は行列のていを完全に、失ってしまっている。


 ほどなく、物凄い怒号と悲鳴が聞こえた。最後尾で吉水教団の甲冑武者と比叡山の僧兵とが激突したようだ。目の前は、戦いに加わろうとする者と棺を守ろうとする者。それら信者が行き交う中で、霊王子を想う鍋倉はそこに棒立ちとなっていた。


 霊王子はどっちにいるんだ。棺か、それとも比叡山か。前方に行って霊王子がいなければ目も当てられない。ならば、後方へいくか。前方ならまだ危険が及んでいない。行くなら後方であるがもし霊王子がいなければ無益な殺生に巻き込まれる。さぁどうしたものかと悩んでいる鍋倉であったが、その間にも怒号と悲鳴が聞こえてくる。急がねばならんと鍋倉は、霊王子を見つけるために跳躍、板塀の上に舞い降りた。


 前方の石棺は蟻の人だかりでずんずん先に進んで行く。後方は? と目を向けた。信者の黒山が、教団の甲冑武者を押しのけ比叡山の僧兵に向かって行っている。比叡山の僧兵の数はというと約千。こちらはというと先を行った石棺に二、三百。中間の空白地帯で行き交っている信者が二、三百。それから換算するとおそらくは、比叡山と戦おうとしているのは甲冑武者らを含んで二千四百から六百ではなかろうか。数の上では優勢であるが、そこは武勇を誇る比叡山の僧兵達である。ほぼ無抵抗な信者らを蹴散らし踏みつけ、なおも先に進もうとしている。


 一方で、教団の甲冑武者らは信者に向かって「さがれ、さがれ。邪魔だ、邪魔だ」と叫んでいる。信者らが割って入って来ては、戦い様がないのだ。事実、比叡山の僧兵と甲冑武者らはほぼ同数。信者らの出る幕ではないのだ。


 だが、そんなことは当の信者らにしてみても百も承知だった。甲冑武者のほとんどが関東から六波羅に派遣された坂東武者である。親の屍を子が踏み越え、弟の屍を兄が踏み越え、死に重なり、死に重なり、競って襲いかかって行くのが坂東武者の習いである。ちゃんと戦わせておけば負けるはずはないのだ。それでもなお大勢の信者らは比叡山に向けて殺到する。もうこれ以上、現世の苦しみに耐えられないというのか。あるいは、あいつも逝くならおれも逝こうということか。信者それぞれに理由はあろうが総じて、開祖のために殉じることほど幸せなことはないという訳なのだろう。


 塀の上で、鍋倉は言った。


「ああ、なんてことだ」


 斬られても、斬られても信者は殺到して行っている。屍の上に屍が重なって死体の山は、やがては僧兵と武者を分割するせきと化していく。それでも信者らは、死体のせきをよじ登り、僧兵を目指す。棺の奪取が目的である以上、比叡山の僧兵らはそれとは逆に死体のせきを越え、くだる構えだ。ところが、登って来る信者らは際限がなく、蹴散らし、ぶっ叩き、薙ぎ払うもくだるには至らない。それどころか、死体のせきはどんどん幅を広げていった。絶命した信者らが転がり落ち、転がり落ち、それがどんどん積み重なって、その一方で新たに登って来た信者がそれを踏み台にして僧兵へ向かって行く。果せるかなそれもまた、絶命して、転がって、登っていこうとする信者の踏み台となっていく。


「これが平安京に降り注ぐ狂気の正体だったんだ」


 鍋倉は、隣人が盾になると言った意味を今やっと理解した。そして、殺す方も殺す方だし、死ぬ方も死ぬ方だと悲しくなってしまった。


 それでも戦場から鍋倉の方へ舞い戻って来る信者もいた。屍が積み上げられていく様に恐怖を感じてしまったのだろうか。あるいは、腹から飛び出しているはらわたを押さえてうめき苦しんでいる人や、足を失って身動きが出来ず生きたまま屍に埋められていく人を見てしまい、死に方にも運不運があると悟ってしまったためなのだろうか。いずれにしても殉死出来ずに、先に行った棺を目指して走って行く。


 一方で、当初から棺を追って行った手合いの中からも戦場に加わろうと引き返して来る者がいた。棺が運ばれる速度と守る人数を見て、これならば大丈夫だと確信を持ったためであろう。浄土に行けば遺骸ではなく本物の法然様がいる。遺骸を守ったとなればあの世に行っても顔向けできよう、という訳だ。


 鍋倉が立つ塀の前は丁度、前と後ろの中間地点となる。鍋倉は霊王子を探すために両方が見渡せるそこに陣取ったのだが、目の前は信者が引っ切り無しに行き交っていて、その者たちの様子も手に取るように分かる。戦場に行ったかと思えば棺に向かい、また思い直して戦場に向かうという者もいた。仲間や親族が先に旅立ってしまったというのだろうか。やはり、現世の苦しみから逃れたかったのか。


 出し抜けに人影が、鍋倉の視界に飛び込んで来た。それは比叡山の僧兵で、着地するなり「とどかなかったかぁ」と棺まで飛べなかったことを残念がっていた。おそらくはこの僧兵、死体の山を跳躍台に使用したに違いない。信者が引っ切り無しに行き交うその中で、走って来る信者とぶつからない様に右に左に避けつつ、棺が離れていくのを眺めていた。


 余程、悔しかったのだろう。やがて僧兵は「しかたない」と棺を追うのを諦めた。そして避けるのも止め、行き交う信者らを次々に斬り殺していく。混乱している信者らにしてみれば、僧兵がここまで来ていようとは誰も思ってもみない。一方で僧兵はというと、歩いてさえすれば獲物に事欠かない絶好の機会ではあった。向こうから勝手に飛び込んでくるのだ。まさしく僧兵の独壇場、まるで蚊柱を払うようである。太刀が届く範囲に入って来ようものなら、後ろを走る者さえも振り向きざまに叩き斬った。


 どう見ても、楽しんでいる。いや、うっぷん晴らしをしているのであろう。僧は斬った後に信者が絶命する様子を見て高笑いを上げていた。斬った数も数えている。


 鍋倉は胸をえぐられるような気持ちになった。居ても立っても居られず板塀から飛び、その僧兵の前に着地した。


「お前、棺を狙うなら先に行くがいい。戦場に戻りたいなら後ろに下がればいい。なぜ留まって、迷っている人らを切る」

「迷っている? ばかか、お前。こいつらを見てみろ。まるで羽虫ではないか。取り乱して右往左往と覚悟もないのにここに来るからこういうことになる。それをおれが分からせてあげてやっているのさ。それとも何か? こいつら死にたかったんじゃなかったのか。ありがたく思えっ!」


 何様のつもりかっ! 鍋倉は目の前の男をもはや人とは思えなかった。


「はァァァァ??? 覚悟もないってェ??? それが人だろうにィィィィィィ!!!!!」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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