第37話 嘉禄の法難
「まぁ、よいではないか。おれらは盾になるために行くんだ。戦ったって元々わしらは足手まといだからな」
どういうこと? と鍋倉は思った。 「盾?」
「その通り、わしらは盾だ。南無阿弥陀仏、ありがたや」
隣人がそう言うと他の人達はもう、鍋倉の言葉には聞く耳持ってくれそうもない。「南無阿弥陀仏」の大合唱。それで列を作って歩き出す。仕方なく、その声に合わせて鍋倉もその最後尾にくっついて行く。
鍋倉らが目指す東山大谷は、浄土宗を開いた法然の眠る地であった。法然とはこの時より五十年くらい前に、初めて専修念仏の教えを唱えた人物である。諱は源空。東山大谷の吉水に庵を結んで布教活動に努めたことから吉水上人とも呼ばれていた。
また、浄土宗の信者ら全てを称する時も、法然の庵居した地に因み、吉水教団と言った。法然の最後もそこであったから彼らにとって東山大谷の吉水は聖地であり、霊廟は平安京一円を眺望できる断崖の上に建立されていた。死後も法然にあまねく御光を照らしてもらいたいとの信者の願いだった。
その断崖の下にはすでに、甲冑武者や僧を含め三千人を超える信者が集結していて、その信者らはというと一様に断崖の上に視線を向け、声を合わせて「南無阿弥陀仏」と称名している。
鍋倉らはそこに向かう最中からそれを耳にしていた。鍋倉の隣人らが「いそげ」と足早に山道を進む。近づくほどに大きくなる称名。それに飲み込まれるんじゃないかと鍋倉は不安を覚えた。声は、幾千の感情を孕んでまがまがしくも宙に渦巻いている。
以前なら、相手からぶつけられる威圧やら殺気やら邪念やらは下っ腹に力を入れて跳ね退けていた。今はまったくと言っていいほど無防備だった。暴風雨に襲われ、荒波に揺られる小舟のようなものである。蓮阿に教わった気息法に加え、気持ちを一定に制御しなくてはいつ金神の神気に荒ぶられるか分かったものではない。鍋倉は一人足を止め、四角く整った平安京を見渡す。一糸乱れぬ吉水教団の称名は大音声であり、平安京を漏らさずその上空を覆っていた。
「平安京に狂気が降っている」
狂気に飲まれてはならないと鍋倉は、平静に心を決めた。そして隣人を見失わないよう一旦開いた距離を急いで縮める。
断崖の下は狭く、信者らで芋を洗うようである。到着した鍋倉らは多くの人で揉みくちゃにされた。鍋倉としては、こんなに大勢の人が集まっているのを見るのも、一辺に大勢の人に体を触れられるのも初めての体験だった。芋を洗うようだから当たり前なのだが、自分の顔のすぐ傍に幾つも他人の顔があるのには今更ながら驚かされてしまう。普段であればこんなに近ければ怒られるはずだが、おそらくは他の者らもそこはしようがないと我慢しているのではなかろうか。
それにしても息遣いが近い。呼吸は言わずもがな吸って吐くものであるが、吐くからには良いものが口から出てきているはずはない。匂いもある。鍋倉は新鮮な空気を求め、下を向いたり空を見上げたりもした。だが如何せん人が多過ぎる。到底、良い空気を吸えているとは思えず、それを求めれば求めるほど胸苦しさを感じてしまう。その一方で、体は底なし沼にはまったごとく自由が利かない。人混みから抜け出ることも叶わず、足はというと踏まれたい放題。夜だからよく分からないが、砂埃が相当舞っているんだろう。汗をぬぐうとざらざらと肌が痛かった。
よくもまぁ、この狭い断崖の下に三千人をも超える信者ら集まったものだ。戦と聞いてやってきた鍋倉は違和感を覚えずにはいられない。断崖に沿って甲冑武者が並んではいるものの他は皆、押し合いへし合いで統制されているとは到底言い難い。それどころか、この人だかりにもかかわらず後ろから無理やりにでも前に進もうとする輩がいる。行事か何か、それこそ儀式でも行われるのだろうか。ひしめき合う中で鍋倉はきょろきょろと、集まった人たちの顔を見る。異様にも、どの視線も一つ所に向けられていた。
やはり、戦とは違う何かが行われようとしている。何千の視線の向けられた先、断崖の上から棺が姿を現した。それは銅板で葺かれた装飾のある立派な棺で、荒縄で括られ、断崖から降ろされようとしていた。
しかし、まるで地獄に仏が縄を下ろしてきたようなものである。月光にあやしく輝きつつ降りて来る棺。それに向けて、黒山の人だかりから何千もの手が伸ばされている。鍋倉の周りでもそれが行われていた。棺に向かって手を伸ばすのはいいが、それにつられて棺の方へ向かって鍋倉の体は持って行かれる。
といっても、前も詰まっている。息苦しさと苦痛に耐え、鍋倉は棺が降りてきてくれるのを待つしかなかった。ゆっくりと下ろされる棺はじれったい。それでもいつかは降りてくるものだ。やがて棺は無数の手の波に呑まれてしまい、束の間、それは信者らの渦の中に消えてしまった。
ほっと一息ついた鍋倉だったが、その後頭部を唐突に、誰かに引っ叩かれた。
「お前がのそのそしているもんで、ぎりぎりだったではないか」
一緒に来た隣人の仕業である。ちゃんと離れずに傍にいたようだ。
「すいません」と一応謝ったが目の前で起こっていることが戦とどう関係するのか、鍋倉はいまひとつ掴めなかった。
「で、どうなってんの、これ」
隣人が、「しっ」と口の前で指を立てて、その指で今度は棺が降りた場所を差す。先程まで断崖に沿って居並んでいた甲冑武者が、ごったがえす信者らの中に割って入る。信者らはというと、甲冑武者に押し返されて棺から引き離されていった。さらに僧らも、甲冑武者に続いて信者の波に割って入って行く。ところが信者らはそんなのはお構いなしである。引いた潮が戻って来るようにまた棺に群がっていった。
甲冑武者のように黒山の信者らを穿つことも出来ず、僧らは信者の波に溺れるように進み、なんとか息絶え絶えに棺にたどり着く。それは荒波を泳ぎ切ったというような息の乱れようで、信者の波にまた呑まれてはかなわないと棺にしがみ付いている。一方でそれまで「さがれ、さがれ、邪魔だ、邪魔だ」と叫んでいた甲冑武者らではあったが、僧らが棺に取り付たと見るや姿勢を正し、うやうやしく棺を開ける。
鍋倉からは良く見えないが十中八九、中に入っているのは法然の遺体なのだろう。僧らはというと、それを目の当たりにしたようである。崩れて泣く姿が幾つも見られた。
やがてその僧らによって、法然の遺骸が棺から慎重に取り出された。黒山の信者らに埋もれて分からなかったがすでに、隣に石棺が置かれていて、そこへ法然の遺骸が移された。果たして武者らの手で石棺が閉じられると、今度はその石棺の方に向かって信者らが殺到する。おそらくは、担ごうというのであろう。石棺に集った信者の密度が上がっていく度にそれはゆっくりと人波から浮上していく。
先ほどまでと大違いである。徐々に来るのではなく凄まじい勢いである。圧死者が出ているのではなかろうか。鍋倉なぞは行きたくもないのに石棺の方へ、川で溺れたかのように流されて行く。
だが、それも一時であった。出遅れて担ぎ手から漏れた信者らは早々に諦めたのだろう、法然信仰のなせる技であったが、誰からともなく左右に退いて、断崖の下の黒山はひとりでにその身を裂いて道を作った。
その人垣と人垣の間を先ずは僧らが進み、それに続いて石棺も運ばれて行く。見守る信者らはというと、通る石棺にひざまずいて称名し、過ぎるとその後ろに次々と付いて行く。多分にもれず鍋倉も、人波に流されるかっこで石棺を運ぶ列の後ろに並ばされてしまう。石棺を先頭にした信者らの大行進は東山を下り、平安京を目指していく。
普段なら、彼ら信者の多くは鴨川沿いで生活し、洛中に入るのをはばかっていた。だが、今度ばかりは違う。三千を越す大群で平安京に入ると大手振って大路を歩く。異様な光景であった。洛中の住民からしてみれば百鬼夜行とはこのことをいうのであろう。先頭に石棺が進み、後に続く行列の頭上には、数千本の竹やりと共に何百という松明の炎が尾を引いて、無数の南無阿弥陀仏の旗が波打っていた。行列の中からはというと大音声の阿弥陀仏の称名が、まるで噴き出すように発せられている。
百鬼夜行は、出会ってしまうと命を失うと信じられていた。まさか吉水教団に出くわして命を取られるとまでは言わないにしても、盗賊や人殺しの集団だと噂には聞いている。しかもその先頭が死人なのである。洛中の人々は恐ろしさのあまり蔀を下ろし、遣戸や妻戸を閉め、早く行ってしまわぬかと屋敷の中で縮み上がっていた。
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