第35話 道
おそらくは、熊野三山には色んな手合いがいるのだろう。寿恵のような男もいて湛道は間違いなく、自分の弱点を熟知している。血がにじむような修練を積み、己の利点と弱点をかんがみて、その答えとして間合いを変化させる八角棒の使い方を身につけたに違いない。
そんな『今弁慶』湛道の懐へ飛び込んだとしても骨の一本や二本、粉砕されよう。それでもなお以前の自分だったなら、きっと迷わずにそうしていたはずだ。身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれを信条としていたのだ。それに相手の命を奪うのだ。腕の一本や二本、あるいは不具になったとしても致し方ない。
といっても、唸りを上げて回転する八角棒からそれで済むとは思えない。あるいは、手傷を負うなんて考えること自体、以前の自分と今の自分とでは大きく隔たりがあるのだろう。鍋倉は言った。
「違和感があったら、早めに離してくれ」
これほどの技を持つのだ。湛道とて手に伝わる感覚にちょっとでもおかしいところがあれば対応出来るだろう。そう思って鍋倉は、回転する八角棒の中にひょいっと棒を差し入れた。
途端、ボキッと嫌な音と共にその八角棒は、上空高くに飛んで行ってしまった。雪の中にぽつんと立つ湛道の顔色は血の気が失せてしまっている。だらりと下がった右手の様子からその手は当分、使えないだろう。可哀相と言えばそれまでだが、逆を言えば『今弁慶』の技は相当な破壊力を秘めていた。まかり間違えば、湛道は命を失っていた。それもそうだが正直言って鍋倉は以前の自分を考えると、身の毛がよだつ想いだった。
一方で、八角棒はどこまで飛んで行ってしまったのか。遠く森の奥から、ガサッと鉄製の八角棒の落ちる音と、ドサッと雪が落ちる音がし、それが吉野の山に響き渡った。快命はもとより熊野衆徒のだれもが信じられない想いだったろう、放心している。
その静寂を、蓮阿が破った。
「もう、これ以上は無駄じゃろう。素人目に見ても明らか。なぁ、快命殿」
見つめ合う双方の間には雪がふわふわと落ちていた。途切れなく次から次に降って来るそれは、吉野の山を白く染めてもまだ飽き足らないようであった。熊野三山なぞは太平洋に面していて南国であったが、そこから奈良盆地に下って来る吉野は雪深かった。
大抵は、吉野といえば桜だろう。今も昔も持てはやされるのだが、冬ともなると吉野は一面銀世界に変わり、その美しさは当時の人々に『雪の吉野』と称されるほどであった。桜と変わりなく、何人もの歌人が幾つもの歌を残していた。その『雪の吉野』で、鍋倉と蓮阿、そして快命と熊野衆徒らは雪が積もるがままに身を任せていた。
頭や肩はもちろんのこと、腰に佩いたどの太刀の上も雪が積もっていた。その姿はまるで灌木の並木のようで、身動き一つせずに皆、快命の返答を待っている。続けるのか、止めるのか。熊野衆徒らなぞは、『今弁慶』が負けたからには為す術無しと思う者もいる一方で、試合なぞと真面目腐らずに全員でかかって想いを遂げるべきだと思う者さえいた。
果たして、緊張感が漂うその静寂を快命が破った。腕に掛けていた蓑の雪をバサッと大仰に振り払ったのだ。そして複雑な想いの熊野衆徒らを尻目に、それを羽織る。快命の顔色は、得心したのか喜色に満ちていた。
「鍋倉殿は道を極められた。それを目の当たりにしたわれらは恨みを持つどころか、むしろこれを縁に、よしみを通じたいと願うばかりじゃ」
快命は熊野三山を率いているのだ。負けたからと言っておめおめ引き下がれまい。といっても事実、手も足も出なかった。手も足も出なければ、大抵は恨むものだ。ところが逆に、よしみを通じたいという。なんと気持ちよい御仁だ。鍋倉は深々と頭を下げた。
「なにより有り難いお言葉です」
「では約束じゃ。熊野には必ず来られィ。歓待するぞ」
晴れやかな表情の快命は高笑いであった。そしてそのまま熊野衆徒らを引き連れ森の中に入って行く。雪の降りしきる中、それを見守る鍋倉に蓮阿が言った。
「澄よ、あれしきで調子に乗るなよ。西行様はもっと優雅で凄まじかったぞ」
「老師、精進致します」
熊野別当快命。それにもましては『粋調合気』である。なんともさわやかなる武術であるか。鍋倉は、それを授けてくれた蓮阿に感謝の想いでいっぱいになった。
それから数カ月経った。沢淵に浮かべた竹竿の上に鍋倉は立っていた。昨日までの雨のせいで水かさは増し、水面は波立っている。沢岸で、蓮阿が満足げである。空は梅雨の合間、晴天であった。
「あとは己で精進するのみ」
その言葉に、岸に飛んだ鍋倉は蓮阿に深々と頭を下げた。沢淵に浮かぶ竹竿はというと波紋一つ絶たっていない。
「もしよければ和歌もご教授頂けないでしょうか」
老師にも時間が出来よう。『粋調合気』は有り難かったが、鍋倉はやはり和歌を覚えるのが念願だった。己の人生に先はない。一息つけるのなら、和歌にも力を注ぎたかった。
かかかっと蓮阿が笑う。
「一生、わしとおるつもりか」
もとよりそういうつもりなのだ。しかし、蓮阿がそれを許さなかった。
「だめだな、お前にはお前の道がある。西行様がお前をここに呼び寄せたのは和歌ではないのだ。明日、平安京に上るのだ。よいな」
「えっ! なんで? それも明日!」
思いもよらない老師の言葉に、鍋倉は恐れ慄いた。ずっと一緒にいると勝手に思い込んでいた。思い返せば確かに、老師は吉野にずっといてもいいとは一言も言っていない。
だとしても、なぜ平安京に帰らねばいけないのか、が鍋倉には分からなかった。確かに、霊王子にはその理由があった。もう根なし草の自分にはその理由がない。それにもまして、平安京には鬼一法眼の邸宅があるのだ。出くわす可能性は高く、吉野に籠っていた方が得策ではないか。
別に怖がっているという訳ではない。おそらくは鬼一法眼の方こそおれに用があるのだろう。むやみやたらに相手を刺激したくなかった。
そんなことよりも、鍋倉はこの吉野を愛し、蓮阿を慕っていた。鬼一法眼には恨みもないし、それこそ決着を付けようなんて思いもしない。ましてや鬼一法眼に命乞いするなんてあり得ない。当然、そんな鍋倉の気持ちが分からない蓮阿ではない。それでも敢えて行けというのなら、それは一体どういう料簡か。
老師は《道》と言った。おれの道とは? 鍋倉はどう考えても平安京に己の道があるなんて思えなかった。確かに、武の指導を受けるため佐渡から平安京にやって来た。だがそれはもうすでに終わった話なのだ。
あるいは霊王子を助けろということか。全く以てその通り手下にはなった。なったが、霊王子にはすでに大勢の手下がいる。狂信者たちだ。その者らの輪には入れるとは思えなかったし、やつらは強いと聞いていた。おれの出る幕ではない。それにおれは霊王に狙われている。きっと霊王子にいらぬ心配を掛けてしまうだろう。なら、考え得るは、老師はおれに『粋調合気』を世に広めさそうとしている。
いや、それこそまるっきり違う。老師は有望な幾人かの若者に会ったと言った。だが、『粋調合気』を伝授しなかった。どうやら『粋調合気』は人を選ぶようだ。そう軽々しく教えていいものではない。じゃぁ、その人物を探せってことか? 無理だ。おれ自身、取るに足らない人物、立派な人間ではない。
どう考えても鍋倉は、平安京に行く理由なんて分からなかった。しかも旅立ちは明日というのである。これで平安京に行くなんて納得できようか。鍋倉は心の準備も出来ず、その夜も蓮阿に和歌の教授を願い出た。だがこの時も蓮阿に、西行様がお前をここに呼び寄せたのは和歌ではない、と身も蓋もなく断られてしまった。
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




