第34話 雪の吉野
「蓮阿殿は歌の師であるので頼むのは筋違いであろうが、どうか鍋倉殿とうちの若い衆を試あわせてもらえぬか?」
《因縁》なぞという言葉を使って恥ずかしい想いをしたばかりである。快命は蓮阿を差し置いて、鍋倉に試合を申し込むことが出来なかった。とはいえ、これは熊野三山と鍋倉の問題。蓮阿に頼むのは筋違いには違いなかった。
その辺の葛藤は、蓮阿としても百も承知である。問われたはずの蓮阿が「さて、どうするか?」と鍋倉に答えを振った。争いを好まないはずの老師がそう尋ねて来るからには、老師はこの人物を認めているのだろうな、と鍋倉は思った。それにこの二人は歳も歳だし、古い仲と見受けられる。二人の顔は潰せないなと鍋倉は、快命の申し出に応じることにした。
かくして、三人は庵から雪の中に踏み出した。そこにはもう三十人ばかりの熊野衆徒が白銀の森を背に集まっていた。その顔を見渡した鍋倉は、案の定と思った。
寿恵の顔がある。恵沢禅師の弟子で、その恵沢禅師はというと生駒山中の戦いで鍋倉に斬られていた。弟子の寿恵としては憤慨いかばかりだろう。キリキリと殺気立っているのが手に取るように分かる。
一方で熊野別当である快命はというと、すでに鍋倉らと別れ、森を背にする熊野衆徒の中に加わっていた。
「鍋倉殿、用意はよろしいかな?」
蓮阿が耳元で囁く。
「よいか。お前は気の攻撃を寸分でも受けたら終わりだ。承知しているな」
「はい」と返事をした鍋倉は辺りを見渡す。草庵の遣戸の枠に木製の丸棒が立て懸けてあった。二尺程度の長さだ。これなら接触せずに済むだろうと戸締りに使うそれを手に取った。そして、「だれから来られる」と熊野衆徒に声をかける。
当然、出て来たのは寿恵であった。すでに気負っていて鍋倉の得物が棒だろうがなんだろうがもう関係ない。歩を進める途中から太刀を抜き放ち、徐々に速度を上げ、十分になったところで右に左に跳躍、稲妻を思わせる足送りで一気に間合いに入ってきた。
雪で足元がおぼつかない中、普段と変わらない足運び。いや、普段はこれ以上なのかもしれない。鍋倉は寿恵の動きからそう想像した。考えてみれば恵沢禅師も、さらにいうと遠藤為俊も鍋倉の戦い方に合わせてきた。両名には『撰択平相国全十巻』を手に入れるという事情から鍋倉を殺せなかった。にしても、戦い方を合わせたというのは明らかに、鍋倉がなめられていたということである。
確かに、佐渡にいた時と平安京までの旅路で一定の経験は積んでいたものの、鍋倉はその道の名手と言われる敵としのぎを削った経験も、自分より強い敵と戦う知恵も培われていなかった。そういう点でいうと、これまでの戦いは幸運だとしか言いようがなく、生駒山中での戦いで恵沢禅師より先に寿恵が出て来るか出て来ないかは、鍋倉の命運を大きく左右していた。
駆ける馬の腹に潜り込んだり、雪の中で足元がとらわれずに走ったりする寿恵のそれは、明らかに山岳修行の中で培った能力である。修行をほぼ、剣技や体術に費やした鍋倉とはそもそも戦い方は違うのだ。そんな寿恵が、恵沢禅師より前に勝負を挑んできたらどうなっていたか。きっと寿恵は自分の戦い方をし、手抜きはせず、鍋倉に何もさせないぐらいな気持ちで来たのであろう。最悪、戦いは寿恵の独壇場になっていた。
ところが、今の鍋倉は違う。相手に合することがその奥義である武術を学んでいる。むしろ向こうから仕掛けてもらわなければいけないのだ。そしてこの場合でも、それはいかんなく発揮された。寿恵の振り下される太刀に機を合せ、鍋倉は手にある棒をトンボの目を回すようにクルリと使う。途端、寿恵の手から太刀が離れ、鍋倉の棒に絡みつき、束の間、それが棒を軸にぐるんぐるんと回り出す。それを鍋倉はそのまま寿恵に向けた。寿恵はというと奪われた太刀が目の前で回転するのに驚き、そして焦る。踏み込んでは下がり、踏み込んでは下がった。それが何度も続けられ、やがて文字通り目を回したトンボのように寿恵は、その場で固まってしまった。
「寿恵、さがれ!」
快命の内力のこもった声である。寿恵は、はっとした。当の鍋倉は、もとより流血を好まない。その声を聞いて白刃の回転を止め、鍔を棒の先に引っ掛けて落ちないように保ちつつ寿恵に差し出す。顔を真っ赤にした寿恵がそれをひったくって引き下がった。
快命が寿恵を殺さずにいてくれた礼として、鍋倉に会釈した。
「さすがは『撰択平相国』の所持者、眼福を得られたことに感謝する。が、恵沢と戦った技が見たいの。あれは熊野の技であろう」
鍋倉は畏まった。
「文覚様の武芸は熊野での修行で得た内功と『遠藤家伝』の技を融合させたものと父の淵から聞いております。ですから『撰択平相国』とは何ら関係がありません」
思うところがあったのだろう、快命は考え込んだ様子で白髭を撫でていた。おそらくは、寿恵の報告と鍋倉の言い分に違いがあったのではなかろうか。その快命が口を開いた。
「そうか、それでか。文覚様は熊野では『やいばの修験者』と呼ばれていた。技もその名の通り、発する気はやいばのごとく、飛ぶ鳥も射落としたらしい。ほれ、鍋倉殿が恵沢にやった技、あれは文覚様の教えによれば、修練すれば気は飛び、それを磨けばやいばとなるそうじゃ」
「お恥ずかしながら文覚様の域に達することが出来ませんでした」
「それでもなお、恵沢のやつを討ち負かしたのだろう。それを見せてはくれぬか?」
「すいません。あれはもう使えないのです」
金神の神気が人の気を嫌い、己は気を練ることはもちろんのこと、他人の気に触れることさえ鍋倉は許されなかった。蓮阿が口を挟んだ。
「こやつ、和歌を勉強するうちに菩提心がついての、和歌もだめなら武もだめにしてしもうた。わしの不徳、すまぬ、すまぬ」
なるほど、それで二尺の棒か。快命がにんまりとした。
「そうであられるか。鍋倉殿、残念じゃ。じゃが、そのような軟な武芸ではこいつは倒せぬぞ。湛道、行け」
身の丈も体重も鍋倉の二倍近い偉丈夫が前に出た。手には鉄製の八角棒を持っている。棒っきれでは太刀打ち出来ないは必定。と、まぁ、こう考えるのが普通だ。蓮阿の友人だと雖も快命は、熊野別当である。熊野衆徒が鍋倉に負けてばかりでは先人に顔向けできないのだ。誰になんと言われようが勝ちに行かねばならなかった。
蓮阿が言った。
「ほぉう。『今弁慶』じゃな」
『今弁慶』? 鍋倉は心の中でその言葉を復唱した。確かに、鉄製の八角棒を地について立つ姿は想像していた弁慶を彷彿させていた。『今弁慶』とはよく言ったものだ。
………武蔵坊弁慶。佐渡にいた時分からその名は聞いていた。平家を倒した源義経の従者である。数々の戦功を立て、最後の戦いでは全身に矢を射立てられ、死してもなお立っていたという伝説の英雄である。鍋倉は、その話を聞くたびに、「すげーっ」と心躍ったものだった。そして、男はこうであらねばならんと息巻いていた。そんな自分の姿を思い返すと今はちょっと恥ずかしいのだが。
その『今弁慶』が、八角棒を頭上で回転させた。速度は少しづつ上がっていき、降り注ぐ雪が八角棒にあたると飛沫を上げるまでとなる。それでもなお、八角棒の回転は凄まじさを増し、やがては脇や胴など至る所で回り、ついには右手左手と片手で扱われるまでになっていた。いうなれば八角棒は、速度が乗って安定した状態だ。回転の芯さえ崩さなければその行方は湛道の思いのままである。だが逆を言えば、絶対に芯を外せないし、速度も落とせない。危うい均衡の上に成り立っているとも言えよう。
以前なら、このような敵にどのように戦ったかと鍋倉は考えた。間合いに飛び込んで発勁か。しかし『今弁慶』の湛道は胴や肩周り、至る所で鉄製の八角棒を回転させている。今や遅しではあるが、仕掛けるのであれば速度が上がる前であった。湛道の間合いはもう自由自在なのだ。
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