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掃雲演義  作者: 森本英路
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第33話 熊野別当


 内功を使わない武術がこの世に存在していようとは。


 武を志していた鍋倉は驚きを隠せない。だが一方で、蓮阿はというと得意になるどころか、かえってさみしげになる。


「わしなぞはそうと分かっていても知らず知らず内丹してしまう。この年になっても衰えを見せないのがその証拠じゃ。実はのぉ、この『粋調合気』を考案し完成したのは西行様じゃ。西行様は武においても傑出しておられた。お前の師爺しや、文覚殿が恐れたと言えば分かろう。その西行様が、むやみやたらに人を殺める当世の武に疑問をいだき考えなされたのがこの縁起である。といっても、西行様の丹田は美田であった。次から次へと霊薬たる内丹を作り出す。荒らすことはそうとうな苦悩、苦痛が伴ったに違いない。だがそれをやり遂げたある日、わしに言ったのだ。荒れたところから森や海や川が生まれたとな。なんとも稀有な御仁であるか。そこにいくとわしはまだ隠田を持っている」


 かかかっと蓮阿が笑う。


「もし、お前が西行様と同じ境地に達することができるのであれば、金神はお前の森や海や川でまさしく天かける神となり、お前に害を及ばすどころかきっと力となってくれようぞ」


 力になってくれる? それはもしかして、このおれにまだ生きられる望みがあるということか。そう考えると鍋倉は胸が熱くなった。世話になった霊王子への心残りは大きい。美しいものをめでるすべも知りたかった。やりたいことがいっぱい出来た。それが出来るかもしれないというのだ。鍋倉は嬉しくて嬉しくて、泣きじゃくった。






 木漏れ日の中、立てられた丸太の上に鍋倉はたたずんでいた。目隠しをし、高さ六尺、円周五寸程のところに立っているのを、よっ、とそこから片手逆立ちに移る。しばらくはその体勢を維持し、さらに右手から左手に軸を変える。


「澄よ。お前、どうしたら丸太立ちが面白いようになるかを、色々試しておるんじゃろ? 親父様がお前に、悟りは死の機縁にあると言った意味がよくわかったわい。お調子乗りの、その性格をいさめようとしていたんだな。初めは一刻も立っていれなかったのに、出来るとなればこのとおりじゃ。おりてこい」


 蓮阿の声に鍋倉はひょいっと丸太から降りて目隠しをとる。蓮阿が大きい布袋を引き摺って来たのが分かった。草庵の方から丸太まで布袋の幅で、草が色を変えている。随分と重いものを持っていらっしゃったんだなと鍋倉は思った。


「ずっと立っていろとわしは言ったの?」

「いやぁ、そのぉー」

「まぁ、よい。おまえが、勘がいいのは分かったわ。それと自由奔放なのもな」

「すいません」

「謝らなくてよい。杉には杉の枝の伸ばし方がある。決して松のように枝を伸ばすことはないし、そんなことを杉も望まぬ。わしらはどうあがいても、天のさだめたことわりの中にいるのじゃよ。いがんともしがたい」


 蓮阿が布袋から両端に分銅が付いた細い鎖を手に取った。長さ一尺と半。それを鍋倉に渡す。


「向こうからこれをわしに投げろ」


 言われたとおり鍋倉は二十歩程間合いをとると鎖分銅をぐるぐる回し、勢いをつけて投げた。回転して飛ぶ鎖分銅が蓮阿に向かう。


 ところが、うなりを上げて飛ぶそれは、蓮阿の目と鼻の先であらぬ方に向きを変えた。当たる直前で蓮阿が鎖分銅をはたいたのだ。その鎖分銅が大きく弧を描き、逆に鍋倉に向かう。はっとして鍋倉はしゃがんだ。頭上を通り過ぎた鎖分銅がどういう訳かまた蓮阿に向かって行き、その杖に絡まる。それはまるっきり宙で円を描いていた。


「見たな。あのとおりにやれ」


 蓮阿が鎖分銅を投げる。当たる直前に鍋倉はそれをはたくも手が痛いだけで鎖分銅は地に落ちる。鍋倉はそれをじっと見る。


「次々、行くぞ」

「って、もう投げていて?」


 鍋倉の面前に鎖分銅が飛んでいた。咄嗟に鍋倉は前腕で防備した。腕にそれが絡まり、遠心力で分銅がぐるりと回り、分銅が後頭部に当たる。


 痛てっ! だが痛がっている暇もない。蓮阿が言ったとおり本当に次から次である。挙句、鍋倉は鎖に絡まれ、まるで蜘蛛に糸を巻き付けられたイナゴであった。それが足を揃えてぴょんぴょん飛んで、ひっくり返った。


 この鎖分銅の修練と並行して、重心の修行も続けられた。六尺の丸太に片足立ちは序の口で、沢淵に竹竿を浮かすと蓮阿が鍋倉にそこに立てという。鍋倉は竹竿の上で七転八倒。冬までに何とかできなければ凍え死ぬぞと蓮阿に茶化される。


 それから日も半月ほど経ち、鎖分銅の数も増やされていた。鎖が空を切る奇怪な音が森に鳴り響く。鍋倉と蓮阿の間には、鎖分銅の残像で出来た大きな円環が陽光に反射して怪しく輝いていた。沢淵の竹竿にもなんとか立っていられる。鍋倉は両腕を開いて天秤にし、ふらふらと身のつり合いを取る。


 組手も始められていた。というか鍋倉は投げられ役ばかりである。それでもあの手この手、これでどうだと蓮阿のあちこちを掴みかかり、やはりあえなく負かされる。だが鍋倉は知っている。それが技を覚える早道であることを。






 伝授が始められて半年は過ぎたであろうか。雪の日、森の草庵に老齢の僧が訪ねて来た。蓮阿の名を語るので鍋倉はぞんざいにはしなかった。雪空の旅で乱れた白髭を整えながらその僧は白眉をしかめ、応待する鍋倉をじろじろと見る。そんな僧の様子に、鍋倉は察した。ははぁーん、おれに用があって来たのだな。


 鍋倉は白髭の僧から蓑を預かって、それを抱きかかえながら蓮阿を探す。ついさっきまでいたのに姿が見えない。面倒くさそうだし、老師もいない。いっそのこと今日のところは引き取ってもらうか。そう鍋倉が思った丁度そこへ、呑気に鍋をぶら下げた蓮阿が横切った。あっと思い、鍋倉が声を掛けようとしたがその前に、「蓮阿殿!」と白髭の僧が足早に蓮阿に寄る。おおっと驚いた蓮阿が「久しいの」と答える。


「澄よ、こちらは熊野別当快命殿だ。そんなところに突っ立っていないで、はよ、挨拶せんか」


 熊野別当………、直々のお出ましかと鍋倉が思った。その一方で、蓮阿から鍋倉の方へ振り返った快命はというと、顔がええっ? となっている。


「貴殿が鍋倉殿か? 好青年ではないか。話と違うの」


 ちょっと悩ましげな表情を見せた快命は、続けた。


「まさかほんとだったとは。蓮阿殿と鍋倉殿が暮らしているなんてどういう取合せかと思ったが。あ、いや、身内がこの下の里でそれを聞きつけてな、熊野三山ではちょっとした騒ぎになったんだ。実は鍋倉殿とうちのもんらはちょっとした因縁がある。どうしてもとみなにせがまれてやって来たしだい」


「因縁ね」


 蓮阿は、一言だけ返した。鍋倉から全てを聞いていたから《因縁》という言葉に異論があったのだ。だが、それ以上は言わない。不服があることはこの一言で快命なら分かるはずだ。案の定、言った本人、快命は慌てた。確かに、蓮阿が事の次第を全て聞いていたなら怒るはずだ。といってもそこまで蓮阿が鍋倉に肩入れしていようとは思ってもみなかった。こんなことなら《因縁》なぞという言葉で、はぐらかすんじゃぁなかった。これでは、人の道にもとってしまう。


「いやはや、恥ずかしい話だが、鍋倉殿は巻き込まれただけ。非はこちらにある。ところで蓮阿殿と鍋倉殿はどういうご知り合いか?」


 かかかっと蓮阿が笑う。


「和歌を教えているがどうにもこうにも、こやつは才能がないの」


 それを聞いて鍋倉は思わず、ぷっと噴き出してしまった。『粋調合気』の伝授を言わず快命をはぐらかすところなぞ、やはり老師は歌人を通したいらしい。


 そんな二人の様子を見ていて快命は、ほんとに和歌を習っているのか、いったいこの二人はどういう関係かと不審に思ったが一応、


「そうですか、鍋倉殿は文武両道でいらっしゃったか。おみそれした」とへりくだり、

「ところでさっきの話にもどすが」と話を続けた。


「蓮阿殿は歌の師であるので頼むのは筋違いであろうが、どうか鍋倉殿とうちの若い衆を試あわせてもらえぬか?」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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