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掃雲演義  作者: 森本英路
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第29話 絶望の眼差

「まさかまだ鬼一法眼に執着しているんじゃなかろうな」


 そう蓮阿が言うと霊王子は、ふふふっといたずらっぽく笑った。


「そんな顔にみえるか?」

「ああ、深刻に考え込んでいた」

「そりゃ、そうよ」

「なぬっ。隠しもせんのか」


 霊王子は吹き出した。


「大丈夫。考えていたのはお母様のこと」

「なんだ、あのばあさんか。って、ばあさんか! どうかしたんか。せっているのか?」

「そうじゃない、『撰択』のこと、どう説明しよかと思って」

「清盛公をしのぶにはもってこいの代物だな、たしかに」

「そうなの。ほんと、あれにはそうとう思い入れがあるみたいよ。清盛公がまだ子供のお母様に、扇を太刀に見立てて武芸の型を舞わせたんですって」


 霊王子は扇子を手に取った。母、霊王にもらったものだ。


「なるほど、それがこれか」と蓮阿は言い、そして続けた。

「つまり、『撰択平相国』の一部が口伝されていたということか。そういえば昔、平家一門はこぞって鬼一法眼を師事していたなぁ。と、なればお前ら一味が強いってのも不思議ではない」


 ふふふっと霊王子は笑った。


「本当はわたし、『撰択平相国』に興味がないの。ずっと望んでいたのはお母様。偶然、鍋倉の顔を見知ったんでこの件に関わっているだけ」


 にやっと意味ありげな笑いを蓮阿が見せた。だが、「あのばあさんやお前のために多くの人が死んだんだ」と呆れる。霊王子はというと蓮阿の意味ありげな笑いにはムッとしたものの、《多くの人が死んだ》にはどこ吹く風。にこっと笑う。


「いいえ、浄土に旅立ったのよ」


 今度は苦笑いを見せた蓮阿だが、やはり呆れる。


「で、そのばあさんにお前はなんと言う?」

「『撰択平相国』は先に浄土へ旅立ったとでも言おうかしら。でもそう思ってくれるかどうか」

 蓮阿が即答する。「無理だな」 


 霊王子も、もっともだと思う。


「いっそのこと、鍋倉を助けてお母様に引き合わせ、本人の口から話してもらうってのはどう?」


 むむっと蓮阿が訝しげな顔をした。


「もしや、お前、鍋倉を助けるのを口実に黒覆面を探し出だそうとしているのではあるまいな。言っとくが西行様は流血がお嫌いだ。浄土に旅立てる本人は満足かもしれんがな」


 霊王子はうつむく。そして言う。


「いまのはとんだ心得違い。お母様は鍋倉本人から聞いても信用しっこない。鍋倉は助かっても結局、お母様に狙われ続ける。だから黒覆面を探したところで無駄。探さないわ」

「それでよい、それでよい。君子、危うきに近づかず」

「でも鍋倉は死ぬわ」

「別に良いではないか、浄土に旅立てるのだ」

「無理よ、鍋倉は文覚の孫弟子、聖道門よ」

「お前、さっきからおかしいの。鍋倉を助けたいのだな、なぜだ」

「わからない」と目線を逸らす。


 にやっと蓮阿が意味ありげな笑いをまたする。


「例えばだ、黒覆面と鬼一法眼が同一人物でないとしたらどうかね」


 問われていることよりも気にかかるのは蓮阿の態度である。さっきから何がそんなに面白いのか。おかしいのは自分の方ではないか、と霊王子は思った。


「老師こそ、おかしいわね。鍋倉をよっぽど助けたいのね」

「当然だ。こやつはみどころがあるでの」

「そうかしら、奥義書を燃やしてしまう馬鹿よ」

「お前にどうのこうの言われる筋合いはないわ。そんなことよりどうだ? お前の印象として鬼一法眼が黒覆面と思うか?」

「鬼一法眼は文覚と盟友に違いない。なら文覚につながる鍋倉をなぜ殺そうとしたのか分からない。別人ならその理屈は通るわ。でもね、巷で囁かれている強さという点では同一人物と考えるのが普通よ」

「いいや、わしは鬼一法眼を見知っている。あやつは盗みをするようなやつではない」

「それでは金神の神気を修得した人間が二人いるということになってしまう」


「だめだ」と話を割って入る声がした。鍋倉である。


「黒覆面の男にかかわるな」


 ずっと二人の会話を聞いていたのだ。


「あの男の強さは尋常でない。霊王子、きっとあんたは殺される。おれにかまうことはない」

「調子に乗るな」と低く刺々しい声。その霊王子が続けた。


「お前なぞ死んでもどうってことはない。それより聞きたいことがある。お前はなぜ、佐渡を出て今出川に行った」

「鬼一法眼と文覚様は友人だったらしい。それが縁でおれのおやじ、淵はずっと鬼一法眼と連絡を取っていた。そのおやじが死ぬ間際、鬼一法眼を師事しろと言った」

「鬼一法眼と文覚はつながっていた。やっぱり二人で平家を潰したんだ!」 だが蓮阿はみなまで言わせない。「まだいうか! 鬼一法眼も文覚も『撰択平相国』を守ろうとしていたとも取れるはずじゃ。そして平家最後の生き残り六代を庇護したのも文覚。わしはむしろ二人は平家と源氏の均衡を図ろうとしていたと考える。東を源氏に、西を平家に。戦いを避けようとしていたんじゃ。されど両者は衝突し、源氏が勝った。これは不可抗力だ!」

「されど!」

「されどもなにもない。約束を忘れたのか!」

「約束などしていない!」


 駄々っ子は放っておくにかぎると決め込んだのだろう。その霊王子を尻目に、蓮阿が鍋倉に言う。


「強さという点でみれば同一と言えようが、奥義書という点で考えればどうだ。『撰択』は秘儀集であるからな。そこに『太白精典』が記されてあった。ならば二人、金神の神気を修得した人間がいてもおかしくない」


 鍋倉はかぶりを振った。


「偽から修得したのが黒覆面か、本物から修得したのが黒覆面か、そのどちらかがおれを襲ったということか? それは違う。親父はだれにも『撰択平相国』を見せていないし、親父自身も見ていない。おれもそう。金神の神気を『撰択平相国』から得た者はいない、絶対に。やっぱり黒覆面の正体は鬼一法眼しか考えられない」

「そうか。……そりゃそうじゃ。『撰択』を編纂した清盛公が死に至ったのだからなぁ。やはりわしの思いすごしであった」


 霊王子が言った。


「鬼一法眼が憎い。清盛公もそうだけど盟友文覚につながる鍋倉をあいつはなぜ殺そうとしたの」


 なぜと言われれば、そう、死の一歩手前まできた時、こうなった原因を鬼一法眼の勘違いだと鍋倉は思っていた。今は違う。夢に何度も黒覆面の男が現れる。そして必ず、せせら笑っているとも醜悪なものに眉をひそめているとも取れるあの目を向けてくる。今となれば、あの目が何を言わんとしたのか分かる。やつは力の差を見せつけた挙句、一番惨たらしい死をおれに与えた。苦しみ抜いて、絶望し、後悔しながら逝く。『撰択平相国全十巻』のごたごたで一門を崩壊させたことなんて鬼一法眼には眼中にない。あれは怒っているとかいないとかそんなんじゃない。


 そんなんじゃ、あんな目は出来ないんだ。こんな死を人に与えることは出来ないんだ。きっとやつはおれの存在そのものを憎んでいる。間違いない。


 蓮阿が言った。


「霊王子、わしとの約束を守るのだ。鬼一法眼に手を出すな。鍋倉も死を覚悟している」


 そのとおりだと鍋倉は笑みを造った。霊王子はというと語気を強める。


「鍋倉、だったら吉水教団に入れ。なら、そのようにしてやる」


 吉水教団は誰にでも、それこそ人殺しにも来世を浄土に約束していた。もちろん死の間際に入信した文覚の系譜、聖道門の鍋倉もである。その鍋倉は思った。


 霊王子はよほど信仰深いんだな。こんなおれまで救おうとしている。なるほど信者から女神と崇められているわけだ。でも悪いな。おれは教団を信じちゃいない。盗人ぬすっとや人殺し、かどわかしの類の連中が浄土に行けるなんて虫のいい話があろうか。といっても、おれはこの体。蓮阿殿にも、霊王子にも何も出来ない。これは二人への恩返し。もともとおれは事にこだわらないたちだ。それで多くの失敗をしたけど、この性分で二人の仲が保たれるなら願ったりだ。


 鍋倉は霊王子にうなずいて見せた。嬉々とした霊王子であるが、蓮阿の視線を感じて慌てて目を伏す。


「結構、結構」と笑い交じりの蓮阿。「わしが薬を煎じた。臓腑の痛みに効くはずだ」

 

 そう言って、座っている横から薬湯の入った椀を取る。霊王子が言った。


「鍋倉、老師の薬は霊薬だ。ありがたく頂け」


 教団に入ったのならおれはあんたの手下ってことか。命令口調の霊王子に鍋倉は納得した反面、ちょっとかわいらしいなと思う。しょうがない、それに付き合ってやるかと薬湯の椀まで手が届かない鍋倉は痛みに耐え、体をずらした。


「鍋倉、動かずともよい。ほれ、霊王子。お前じゃ」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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