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掃雲演義  作者: 森本英路
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第27話 みそひともじ

 意識がありながらオオカミに引き裂かれて死ぬ。おれがやったことを考えたらこうなっても文句は言えない。因果応報とはよく言ったもんだ。で、神仏も、なんて気の利いたことをするんだよ、ったく。人のためにならなかったのなら、獣のために、ということか。ま、迷惑ばかり掛けてきたおれとしても最後は何かの役に立てるんだ。拒む理由もない。


 さぁ、喰えよ。腹が減ってんだろ。さぁ早くおれの体を引き裂いてくれ。


 ところが突如、オオカミたちは周りをうろつくのを止めた。一斉に首筋を伸ばし耳をピンと立て、あらぬ方向を見た。


 ささっ、ささっ、と葉のすれる音がする。それが軽快に調子よく向かってくる。足音からして人であることは確かなのだが鍋倉は見ることが出来ない。うつぶせに背を丸くしたまま、うつむいた下で考えた。相手はオオカミの群れである。山菜取りとか、柴刈りとか、来た人によっては巻き込んでしまうかもしれない。どんな人が来たか気になるところだが、下げた頭をそこから上へ微塵たりとも動かせられなかった。


 どういう運命のいたずらか、現れたその音の主は杖を持った僧体の老人であった。鍋倉が想う巻き込まれる人物の典型であったが、それが立ち止まって平然とオオカミの群れを見渡す。案の定、オオカミはというと威嚇のうなり声を上げている。


「さもあらん、さもあらん。されど見てしまったからにはしょうがあるまい」


 僧体の老人がオオカミらに語りかけると、また歩を進めた。当然、横取りされてなるものかと数匹のオオカミが立ちはだかり狂ったように吠える。それでも僧体の老人は平然と向かって行った。威嚇をものともしない老人に、今度は実力行使とばかりにオオカミたちは一斉に飛び掛かる。しかし、その全てが僧体の老人にかすりもしないどころか素通りして、遠く向こうの藪にざざっと突っ込んで行ってしまう。


 僧体の老人が杖を正面でクルクル回し、かかかっと笑った。そしてまた歩みを始める。


 一方で鍋倉は、オオカミが吠えた後に人が笑っているし、いったい何がどうなっているのかと思っていた。それが近寄ってきて初めて理解した。うつぶせの視界に入って来たその足の干からび感。そして先ほどの口調から間違えることはない。老人であった。しかしなぜ、来たんだ。痛みに耐えながらも無理やり頭を起こす。するとその老人と目が合った。老人は安否を確かめたかったのだろう、うんうんとうなずいたと思うと鍋倉の右側面に回ってくる。


「爺さん、オオカミがいるんだ、早く逃げな」と声を何とかしぼり出したが、老人は笑みをたたえてうなずくばかり。

「爺さん、かまわないでくれ」


 聞いているのかいないのか、鍋倉の横にしゃがむと老人は、うずくまっているその腹の下に両手を差し込んだ。そこから右手は鍋倉の左肩を掴み、左手は鍋倉の股に差し込んで左ももをかかえた。その姿勢から老人は一歩踏み出し、ぱっと踊るように両手を掲げた。


 途端、鍋倉の体は錐もみ状態で宙に浮く。その下に、素早く僧体の老人が入り込み、鍋倉はというと差し出された老人の背に乗ってしまう。


 あっという間に負んぶされたのはいいとして、面白くないのはオオカミたちだ。先ほどは、老人には痛い目にあわされた。先ずは様子見に、ということなのだろう。二人に向かって一匹が飛び掛かる。牙が届こうかとする寸前、その肩口辺りに老人の杖先がチョンと当たる。途端、オオカミは錐もみ回転し、軌道を変え、老人の左横を通り過ぎて遠く後ろの杉に激突する。

 

 一匹がだめならと今度は三匹が同時に飛びかかった。が、いずれも老人が振る杖に触れてしまうと勝手に縦回転、横回転、錐もみ回転し、飛んで来た数倍の勢いであらぬ方向に飛ばされて行ってしまう。老人の足を狙って走って来たオオカミも例外ではない。老人の杖で車輪のように回転させられ、藪をバサバサと突き進んで行って戻ってこない。


 不思議な光景だった。夢でも見ているんじゃなかろうかと鍋倉は楽しくなってもう少し眺めていたかった。が、霞がかった視界はそれを許してはくれなかった。幕を下ろされるように闇が降りて来て、終いには目に入る全てが漆黒に覆われてしまった。






 森が開けたところに草庵がある。その小さな簀子すのこ、濡れ縁であるがそこに物思いにふける僧体の老人の姿があった。陽光が、葉の影を辺り一面まだらに落とし込み、ちょろちょろと響く沢のせせらぎが一層の静寂を醸し出す。僧体の老人は短冊をとった。そしてそこにさらりと筆を走らせる。


 三十一個の文字。僧体の老人がそれを読み上げた。短冊から放たれた三十一文字みそひともじはその明朗な音に乗って森に舞う。


 そよ風が吹いた。草庵を囲む森の枝々がざざっと揺れる。まるで木々が喝采を送ったようであった。そして実際にそれを讃える者がいた。森の中から女の声がした。


「さすがは老師、さとびな木々にみやびをわからせるとはな」


 声色で大体誰かを察したのだろう、僧体の老人はその誉め言葉を素直に受け取らなかった。


「和歌の本質は神々への賛歌であり嘆願でもある。当世ではもっぱら婦女子へのそれと替わってしまっているがな」


 女はというと逆に、その返答に喜びを感じているようだった。大きな笑い声と共に森から姿を現した。霊王子である。あちこちを血に染め、引き摺る右足を杖でかばっている。


 僧体の老人はあきれた。


「霊王といえば、かの平清盛公が手塩に掛けた白拍子。その娘がなんたる有様か」


 ふふっと霊王子が笑う。


「養女じゃ」


「はぁーっ」と額の汗を拭うような仕草。


 ふと、霊王子は老人の他に人の気配に気づく。草庵の中に誰か居る。よく見ると鍋倉澄ではないか。ぎょっとしたが、思いもよらない幸運に胸がはずんだ。


「鍋倉、そこを動くなよ」


 言い終わるか終らぬかのところで太刀を抜く。


「待て待てっ! あわてるな! こやつはもう何があっても動けやせんて」


 えっと立ち止まる霊王子。死んだように横たわって動かない鍋倉に息をのむ。そして太刀を捨てて走り寄る。


「い、生きているのか?」

「ま、今は生きているってとこかな」

「老師、それはまずい、まずいぞ。なんとかならぬのか?」

「なにか理由があるのだな」


 霊王子は全てを話した。文覚が佐渡で鍋倉澄の父、淵に『択撰平相国全十巻』を預けたことから嘘か真か、鍋倉が燃やしたと言ったこと。そして昨日の戦い。「ふむふむ」と相槌もなぜか弾む僧体の老人。聞き終わってもなお、上機嫌である。


「本当に『撰択』を燃やしたのであれば、こやつ、もののあわれを知っていると見える。好感が持てそうじゃ」

「ばかな!」

「されど、霊王子よ、残念じゃ。こやつは無理やり神気を注入されておる、それも狂神の金神のだ。なんとか、わしのつたない和歌で金神には落ち着いてもらったが、いつ体の中を駆け巡りあそばすかわからない。あるいはわが師、西行様ならば金神にこやつの寿命まで眠っていただくことも出来たであろうに」


 西行とはその登場以降、和歌に新たな道を示した稀代の人物である。


「もう亡くなって久しい人に頼らねばと思うわが身も寂しいが、こやつを助けられるのは西行様おいて他、こやつにこの神気を分霊したその本人に頼るほかない。そやつなら金神を気に、気から精に生成するすべを知っていよう。あるいは抜き取ることが出来るかもしれん。それでだ、わしは誰がこやつをこうしたのか心当たりがある」


 霊王子は身を乗り出す。


「だれだ、そいつは?」

「自身の弟子らに金神を冠した男」


 金神八龍武! はっとした。「鬼一法眼。されどやつは」


「鬼一法眼がいかがした? 噂では死んだことになっているが、霊王子、お前、その死体でも見たのか? 見てないだろ。噂は噂よ。ま、もっとも、火のない所に煙は立たない。死んでいるってこともあるにはあるが、金神を鍋倉に入れたのは鬼一法眼。それはそれで一つの可能性として頭の隅に置いておくとして、『太白精典』、これはどうだ?」


 こくっと頷いた。「が、老師。歌人でありながらなぜに詳しい」


 いつになく鋭い目つきの僧体の老人である。


「わしは師西行様から聞かされておった。西行様は平家の総帥清盛公とお親しかったのは知っておろう。その清盛公が突然亡くなられた。西行様が腑に落ちず色々調べたそうだ。それで病因が鬼一法眼にあると気が付いたらしい。実はの、清盛公は鬼一法眼があまりにも老いが遅いのを見て、長寿になる指南を受けていたというのだ。鬼一法眼が操る気は金神、この気はまさに劇薬。効果は絶大だったがその調合を微塵でも間違えれば猛毒に代わる」






読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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