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掃雲演義  作者: 森本英路
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第23話 招かざる者

 程なく八龍武一行は元の間道、熊笹の原に戻ってきた。当然、死体は放置されたままで、異臭さえ漂っている。あまり良くない状況であった。その匂いに誘われて、オオカミなぞが集まって来るのは時間の問題と思える。八龍武の面々の誰もがここに長居は出来ないことを今まさに悟った。


 さて、どうしたものか、やはりこの辺りを探索した方がいいのじゃないかと皆が考えているところに『葉隠はがくし』の理救が突然、「シッ!」と音を立てるのを禁じた。静寂の中、確かに葉摺れの音が聞こえる。オオカミか? 跳躍した理救がその音源に降り立った。


「……今出川様」


 理救が口にしたその名は、平安京にいるはずの今出川鬼善であった。


「よかった、よかった、おぬしらでよかった」


 理救にしがみつく鬼善。そこへみなが駆け寄る。『磐座いわくら』の道意が言った。


「今出川様、なぜこのようなところに」


 一方で内心、バカ息子が! と罵っていた。考えもしなかった霊王子の例もある。鎌倉の御家人は駆逐したとして、―――といってもそれは道意らの思い込みに過ぎないのだが、山賊などまだ見ぬ敵がまだうようよしているって可能性は捨てきれない。もしそれが突然襲って来たなら。


 鬼善は武芸がからっきしである。百歩譲って、じっと隠れでもしてくれれば何とかなる。恐怖に耐えられず逃げ惑うとなれば守ることなぞ夢のまた夢。


 例え敵がいなかったとしても、ここに来る時機が悪い。月見の所在がいまだ分からないのだ。月見を見つけた後でならまだしも、居ない時になぜ来るか。ギャーギャーわめかれてはたまったもんじゃない。


 しかし、それにもまして疑問が残る。雅を好む鬼善がなぜ、臆病者の鬼善がなぜ、こんな山中に、敵の真っただ中にいるんだ。しかも今出川邸に八龍武の一人を置いてきている。やつに何かあったのか?


 果たして道意の不安は的中した。あたふたと狼狽えた鬼善が「円喜が、円喜が」とやっとこう切り出した。円喜とは今出川邸に残った金神八龍武の一人、ボウボウ白眉の老人をいう。


「どうしたのか」と八龍武の面々が口をそろえて問う。鬼善がわなないだ。

「黒覆面の男に殺されました」


 だれしもが円喜の強さを知っていた。『変幻』が二つ名であった。錯覚を屈指して相手を惑わすという。それがたった一人の男と戦って死んだのだ。驚きを隠せない。そして鬼善がここまで来られたのはあまりの恐怖に我を忘れ、いや、正気を失って八龍武を追い、気が付けば生駒山中に、敵の真っただ中に居たと、まぁ、そんなところなのだろう。


 だが、それにしても、と道意は思う。黒覆面の男とは、どれほどの腕を持っているのだろうかと。


 強いと、噂は鞍馬山にも届いていた。どれくらいのものかは定かではなかったが、佐近次ら門人とやり合っているのも知っていた。寸前のところで逃したとか、下手打って逃がしたとか、まるでお遊びのようで、鼻で笑って聞いていた。それでもいずれは佐近次が泣きついて来て、助けを求めるだろう。その時は手を貸してやるつもりだった。


 といってもその役目は、『かぶとわり』の若造に押し付けて終わりにしようと思っていた。面々の間で、誰が行くかと相談になればおそらくは、若造が自ら手を挙げるだろう。盗人を捕まえるなんざ若造に打ってつけだと他の面々もそれを認めたはずだ。


 だがそれは、大間違いだった。『変幻』が殺されたのだ。『かぶとわり』一人で戦えるかどうか。それにもまして道意は思う。金神八龍武とあろう者らが仲間を殺されたまま、はいそうですかでは威厳もなにもあったものじゃない。八龍武の何人かは鞍馬山の弟子らとともに今出川邸に出張らないと。もう佐近次なぞの出る幕ではない。黒覆面がどんな風に戦うか。出張る人選は、それにもよるのだが。


 その想いが鬼善に通じたかどうか、鬼善が言った。


「昨日、みなが出て行ったその後、今出川邸に黒覆面の男が現れたのです。そして家探しを始めました。円喜がそれに気付き、黒覆面の男に襲いかかったのですが一瞬で首を刎ねられてしまいました。わたしは隠し部屋でその始終を……」


 幾らなんでもあの『変幻』が一瞬か、と道意は思った。全員で束になってかからないといけないのかもしれない。


「くそ面白くない」と仁法。

「狙いは『太白精典』か」と『葉隠はがくし』の理救。


 『塵旋風』の陽朝が言った。


「まさか盗られてはないでしょうね」


 その言葉に、はっとした鬼善が手を打つ。


「あ、迂闊でした。それを先に言わなければなりませんでしたね。『太白精典』は、大丈夫です。黒覆面のやつは諦めてどこかに行ってしまいました。でもこわくてこわくて、もう平安京にはいられません」


 黒覆面の男に奪われなかったのはいいとして、八龍武の誰もが目の色を変えた。鬼善のこの言いぶり。今、初めて『太白精典』を鬼善が所持していたのを知ったのだ。道意が言った。


「今出川様もご存じのとおり、我々は『太白精典』をお守りせんと鬼一法眼様に誓いました」

「では、鞍馬に帰らずに我が屋敷にいてくれますね」


 八龍武の誰もが嬉々とした。『太白精典』を得る好機が目の前にぶら下がっている。平静を装う道意が「もちろんです」と会釈した。当然、他の八龍武に異論があるわけはない。


「よくぞ、よくぞ申してくれた」


 このやり取りを、佐近次は数歩離れた場所で聞いていた。どうも腑に落ちない。


 今出川様が逃げ込むべきは六波羅だ。


 といっても、武に疎い今出川様にはそれすらできないはず。佐近次は今出川邸を出た時のことを思い出していた。東門を出るや否や熊野衆徒の殺気を肌で感じた。おそらくは馬に乗れないかちの手は取り残されたのであろう。それが身を隠して今出川邸を監視していた。


 それに黒覆面の男。やつとは何度か対峙している。素性こそ分からないが剣を交えたから行動原理はおぼろげながら把握できている。盗賊でありながら金品目的でもなければ、悪名を平安京に轟かそうという名誉欲もない。その強さから武を志した経験もあろうはずだが、自分の武を借り物だとぬかす。それがホントかウソかは別として、修行したのを後悔しているとも取れる物の言い様。それが『太白精典』なぞ欲するだろうか。だが、佐近次はその疑問を心の奥底深くに押しとどめた。


 しかし、その佐近次の鬼善に詳しく話を聞きたい気持ちはよっぽどであったのだろう、もの問いたげな表情を顔に出してしまっていた。それはほんのちょっと、かすかだったが陽朝に見破られてしまった。


「なにか今出川様に聞きたいことでもあるのか?」

「いいえ」

「分をわきまえろ」


「はっ」と深く頭を下げる。陽朝が佐近次を嫌いなのは周知の事実である。これで済ましてくれないと佐近次自身もそう思っていた。案の定、陽朝がうたぐり深い嫌な目を向け、言う。


「ところで、幾度となく黒覆面と戦ってお前はなぜ生きているのだ?」


 佐近次は言った。


「『変幻』の円喜様ほどのお人がやられたのです。ふつう変ですよね。でもよくよく考えれば、我々は黒覆面の男を今一歩のところで逃がしていました。あれは黒覆面の男が我々をなぶっていたのです、きっと」

「うむ」と理救がうなずく。「差があまりにあると殺すのも不憫と思えるものだからな」


 ところが、それで納得する陽朝ではない。いや、さらにいびってやろうとしているのだろう、それが表情にありありと見える。そこに鬼善の咳払い一つ。


「ところで道意さん、月見が見えませんが?」


 その目的でここにいるのだ。といっても確証は在りさえすれ、結局それは推測でしかない。あるいは今まさに熊野三山への道中なのかもしれないし、もしかして熊野衆徒は夜通し歩き、すでに熊野三山に入っているのかもしれない。救いは、鍋倉澄という男の死体を未だ見てないこと。『やいばの修験者』文覚の孫弟子だと言うからには実力を疑うべくもない。生きているからには月見も佐近次の言う通り、鍋倉らとこの辺りに潜んでいるのだろう、が、そのことは聞かれるまで黙っておこうと面々の誰もが思っていた。もし、鍋倉らと月見がここにフラッと現れたとしてそれはそれでいい。要は鬼善に、我らの行動に一々くちばしを入れてもらいたくない。道意が言った。


「申し訳ありません。この辺りにいるとは思うのですが、まだ見つけることが出来ません」








読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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