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掃雲演義  作者: 森本英路
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第22話 闇

 吉水教団と事を構えるとはどういう意味を持つのか。分かり切ったと知りつつも、遠藤為俊は問わずにいられなかった。


 鍋倉が手の内にあり、そこに吉水教団が奪いに来たなら、是非もない。戦って蹴散らすまで。盗賊が襲ってきたとか、どうとでも言い訳が出来る。あるいは、鍋倉が熊野衆徒を襲っていて、そこに吉水教団が割って入って来たらそれこそ聖道門を襲う邪教でいい。ついさっきまでそうだったし、その流れ通り容赦なく駆逐できる。


 基本、『撰択平相国全十巻』は公にされないのだ。それを奪い合っていたとは、敵味方いずれもいうまい。だが、先を越されたならば、話は別だ。鍋倉を奪おうと吉水教団に手を出しておいて実際、その信者の御家人たちを黙らせておけるのか。しかも、それをやるなら単独となる。手を組んだ聖道門の熊野衆徒は、戦力は言うに及ばず言い訳に使うにしても、もう役には立たない。そのうえで、遠藤為俊は自身に説く。


 やはり、工藤祐長くどうすけながのようにはなれない。『撰択平相国全十巻』が手に入る確証があるのならともかく、吉水教団と事を構え、その信者の御家人から恨みを買いたくない。


 金神八龍武にしても同じことだ。もし、鍋倉が我らの手の内にあるのなら、熊野衆徒に手を貸してもよかろう。幕府から罰を受けたとしても勘定に合う。こっちとしては『太白精典』に興味ある訳でなし、幕府に逆らった訳でもないのだ。金神八龍武といざこざがあったとしても、朝廷の手前、まさか幕府が惣官職を取り上げるとまでは幾らなんでも出来なかろう。


 八龍武か、吉水教団の手に、鍋倉があるのなら諦める他なかろう。この件は万事休す。『撰択平相国全十巻』は一生涯、忘れよう。鍋倉がどのように世間で吠えようが、知らぬ存ぜぬ。といってもそれは鍋倉とて、『撰択平相国全十巻』はわたしが持ってますと世間に言いふらすようなもの。ずっと命を狙われてしまうのだ。いくらなんでもそれはしまい。


 勝負あった。心ならずも遠藤為俊は己の理性に説き伏せられ、潔く負けを認めた。そのうえで、一刻でも早くと熊野帰還を主張する寿恵も説き伏せて、皆に夜営を命じた。山中で、しかも夜の移動は体力も奪われるし、危険も多い。勝負が決まった今、これ以上被害を増やすのは指揮官のやるべきことではない。


 かくして朝日が登り、遠藤為俊は本拠である淀川河口の港湾、渡辺津への帰還を命じる。郎党九名を率い、一方で寿恵はというと、恵沢禅師の亡骸を背負い熊野三山に向う。


 落胆で、遠藤一党の間道を海へと向かって降りる足取りは重い。遠藤為俊は何も得られず、別れた郎党は戻って来ず、面目も失い、失意の逃避行となってしまった。






 時間を遡り、遠藤が郎党に帰還を命じていた頃、鍋倉は大木の空洞を背に、ほのぼのと夜が明けてく様を眺めていた。徹夜明けの興奮なのだろうか、五感は冴えに冴えていた。


 後ろ手から月見の寝息が聞こえる。眼前はというと広がる群峰ぐんぽうのそこかしこから鳥のさえずりが聞こえる。空が白みだし、ほの暗い山が本来の緑色を取り戻していく。やがて木々の間からは霧が立ち登り、それが集まり山々にたなびく。鍋倉がいる斜面も例外ではなく、霧が下の方からせり上がってきて瞬く間に、鍋倉と大木を覆い尽くす。


 突風が吹いた。


 霧がどっと押されて視界が広がる。今しがたまで誰もいなかった斜面の下に、顔を黒布で覆う男が一人、腕を組んで立っていた。風の余韻になびく覆面の帯二つに、黒布の隙間から発せられる凄じい眼光。鍋倉は平安京に名を轟かせた黒覆面の男だとすぐに分かった。そして思う。やつも『太白精典』か? かまわねぇ、ぶっ倒してやる。鍋倉は、はやる気持ちを抑えつつ静かにゆっくりと立ちあがった。


「澄、どこにいくの?」


 抑えきれない興奮が鍋倉から漏れ、月見を目覚めさせたのだ。鍋倉は心配させぬよう、おどけた声を作って、


「冷えたのでしょうか、ちょっと用を足しに」と斜面を下る。一方で、黒覆面の男も誘うように斜面を下っていく。


 かくして二人は森深く、熊笹の原で対峙した。黒覆面の男を包む雰囲気は異様であった。いままで会ったどの敵とも違う。この感じ、恐怖なのか。いや、そうじゃないと鍋倉は思った。術の質がまったく違うのだろう。あるいは妖術使い。鍋倉はそんな類の敵と一度も戦ったことはない。どうしたものかと思案した。まずは相手の出方を見るか。そんな鍋倉の想いとは裏腹に、黒覆面の男はどういうわけか無言で鍋倉の太刀を指差す。太刀を抜けということか? 黒覆面の男の腰には太刀がない。鍋倉は戸惑う。


「太刀を抜くがいいのか?」


 聞いているのかいないのか、黒覆面の男がまた鍋倉の太刀を指差す。しかたがない、それに乗ってみるか。


「なら、遠慮なく」


 鍋倉は太刀を抜くと一気に間合いを詰め、左袈裟を放つ。ところがその太刀筋は黒覆面の男の足運びに難なく外される。


 驚くことはない。もとより、出来ると噂は聞いているのだ。鍋倉は太刀を素早く振り上げ、さらに踏み込んで右袈裟を放つ。


 え? と思った。


 鼻先に黒覆面の男が佇んでいる。


 そこで初めて、己の手に太刀が無いことに気づいた。おそらくは太刀を振り上げたときに、鍔に指を引っ掛けられ、振り上げた勢いそのままに跳ね上げられたに違いない。太刀を振り上げて下ろす。また振り上げる。何十万回、いや、何百万回修行で繰り返した動作。それにこともなく合わせられた。


 人離れしている。唖然としているところに黒覆面の男がおもむろに手を挙げた。はっとした鍋倉は飛びすさり、身構えた。が、黒覆面の様子がおかしい。どうやら何かを教えるために指を差しているようだ。上げた手はそのため。だが差したにしてはあまりにとんでもない方向なのだ。鍋倉はその指先にうながされるまま視線を流す。その直線上に高い杉があった。目を凝らすと幹の、かなり上部に光る物を見つけた。


 ぎょっとした。自分の太刀である。熊笹が生い茂って見えないがそこら辺に太刀は落ちれいるのだろうとは思っていた。ところが、振り上げられた力を利用して後方、ずっと遠くに飛ばされてしまっていたのだ。もはや人でない。鬼だ。その黒覆面の男と目が合った。放なたれる眼光に怪しい色が帯びている。せせら笑っているのか、薄汚いやつめと眉をひそめているのか、その眼光に呑まれてしまっていた。背筋が凍るどころではない。全身がガタガタと震え出す。こんな恐怖は生まれてこの方知らない。混乱した鍋倉は雄叫びを上げ、突進。必殺の掌手を繰り出す。それが黒覆面の胸部、心臓の上をしっかりと、しかも的確に捉えた……、はずであった。


 黒覆面の男が埃でも落とすかの様に、胸にある鍋倉の掌を払う。


 ……目が笑っている。喜んでいるんだ。


 内心で、悲鳴を上げた。思わず一歩後ずさったそこに黒覆面の掌手が追ってきた。胸に軽く触れた程度の掌手と感じた。刹那、体から感覚がすっ飛んだ。鍋倉は思考以外を根こそぎ持って行かれたのだ。上も下も分からず、自分がどういう状態になっているかも分からない。かくしてそのまま意識も失ってしまった。






 佐近次と金神八龍武六人は森に立ちつくしていた。いまし方やっと、吉水教団の最後の一人を切り殺したところだった。相手が真っ向勝負を挑んで来たから良かったものの、それはほとんど木に隠れ、藪に潜んで待ち伏せし、あるいは逃げながらだった。辺りには吉水教団の死体が散在している。佐近次と金神八龍武の面々は己の血か敵の返り血か分からぬ程、全身を真っ赤に染めていた。


 『かぶとわり』の仁法が太刀を杖にし、へたり込んだ。


「だれが霊王子をやった?」


 その問いに誰も答えなかった。佐近次は死体を見て回る。


「男が十九人、女はいません」

「あれはおれの獲物だ。今後会ってもだれも手を出すなよ」


 小僧! 命があっただけでもよしとしろ! と『磐座いわくら』の道意は内心罵り、そして言った。


「月見様の奪還が我らの目的、よもや忘れてはおらんだろうな!」


 怒り交じりの道意の言葉に、今度ばかりは仁法も減らず口が叩けない。事実、この有様なのだ。霊王子らと戦って、修行が足りないのを実感させられた。それは道意だって同じことだった。真っ向戦ってきたのは相手の方。死を恐れぬとはこれほどの恐怖を相手に与えるものなのか。そして不甲斐ない自分らの戦いぶりに憤りを隠せない。道意はさらに言った。


「では元の間道に戻る、今すぐだ!」


 道意は体制を整えたいようだ。あるいは山中を動き回っているより待つ方が敵と接触した場合、慌てなくて済むと考えたのだろうか。そう思いつつ、『塵旋風』の陽朝は言った。


「果たしてあの月見様を連れて一門の者らは戻って来こられるかどうか」


 月見が怖がって、身動きすら出来ないであろうと言うことなのだ。


「さあな」と一文字眉の男が言ってさらに、

「だが、戻ってきてほしいってところだな。おれの今の心境としては」


 と独り言か、みなに言ったのか、一人すたすた歩き始めた。







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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