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掃雲演義  作者: 森本英路
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第2話 『撰択平相国全十巻』

「やれやれ」と夜叉蔵は吐いた。そして言葉を継ぐ。


「まぁ、今夜はこれくらいにしとこうや。いくらやり合ってもつまらんし」

「邪なればいよいよ逃しがたい! 黒覆面よ」

「口調が変わったの。何が御先輩に尊敬の念だ。下手したてに出よってからに。わしとて言いたくはなかったがお前はその実、その強さを隠しておろう」


 夜叉蔵は今出川一門に囲まれたことがある。その時、囲みの外で悠長に構えている佐近次がしゃくにさわった。それで驚かせてやろうと囲みを抜けて飛び掛かった。ところが撃退された。それはそれで驚いたが、どういう訳かその佐近次が「偶然助かった」と九死に一生を得た男を演じていたのだ。


「馬鹿にするなよ。わしの目は節穴ではない」


 そう指摘された佐近次に反論はなかった。が、その顔色に怒気を見出した夜叉蔵は、いよいよ得心する。


「図星だな。おまえさんみたいなやつが一番やっかいだ、底知れぬ。用心深いのか、疑り深いのか、おまえさん、本当は己が最強だと信じているのじゃろ? わしへの扱いが小馬鹿にしているというか、見下しているというのがありありじゃ。それでも天下に名乗りも上げず、弱き者を装ってる。得することなんてあるんかい? 何かを企んでいるとしかわしぁ思えんな。そんでもって、その企みに巻き込まれたらこっちとしては目もあてられん。わしゃぁ、経験しているんじゃよ。おまえさんみたいなやつにかかわったら大変なことになるとな」


 夜叉蔵はある男を思い出す。用心深く、猜疑心の旺盛なその男はやさしい兄を装い、弟の義経を利用するだけ利用して、いや、そんな生易しいものではない。その死をも利用した。その男の名は源頼朝という。そして工藤祐長の父、祐経の主人だった男。


 夜叉蔵は懐から鏑矢を取り出した。それを天高く放り投げる。この矢は空を走るとき、大きな音響を発する。果たして鋭く高い音が、夜空のかなたで長い尾を引く。いかに達人であろうとも音を捕まえるなぞ出来ようはずもない。鳴るにまかせて佐近次が憮然と立っている。


「佐近次よ。お前の仲間が来るがどうする。続けるか?」


 佐近次は舌打ちし、背を向ける。そして平安京の闇に跳ね入った。その失せていく後ろ姿を見届け、追って来ないと確信したところで夜叉蔵は、その場をあとにした。









 風に青葉の香りがする。


 蒼穹そうきゅうに帆を広げた宋船が波を切る。その波に煽られて、多くの小船が右往左往と波の間に見え隠れする。


 漁村の浜辺から鍋倉澄なべくらすみは海を眺めていた。波打ち際の流木がゆらゆらと女波めなみに揺れている。


「これが瀬戸内の海か、おなごのような海だ」


 照り映える波面に目を細めた。


「それで、向こうが兵庫津か」


 遠目にある港には、高く積まれた積荷が整然と並び、人の往来はというと止めどもない。その中を縫って歩くのは人夫だろう、汗で濡れた肌が日差しに反射し、人込みさえもきらめいていた。


「あれが平清盛の愛した港か。賑わっている。怖いお人だと聞いていたがなるほど清盛も人の情があったんだ」


 四十数年前、天下の主であったのがこの平清盛である。その一族はというとその後の内乱で死に絶えた。


「ここなら丁度いいだろう」


 鍋倉は打ち上げられた流木を集める。やがてそれが人を燃やせるほどに積み上げられ、その頃には、空は赤く染まっていた。


 瀬戸の夕凪。


 鏡のような海面に夕焼けが映っていた。


 背中のひつを降ろし、しばらくはその美しさを魅せられていたが、流木の山に火を灯し、櫃を開ける。中には油紙に包まれた冊子が幾つも詰まっていた。


「これもあんたが愛したものだろ。これだけはあんたのものにするといい。いま、届けるから」


 それを一冊取り出し、炎に投げ入れた。


 油紙に火が付き、じりじりと燃え上がる。

 炎の中で冊子の名が浮かび上がった。


撰択平相国せんたくへいしょうこく 一巻』


 次々と冊子を炎に投げ入れる。計十冊。そして最後に櫃も投げ入れた。


 大小様々な火群がねじり上がる。


 鍋倉澄は炎が尽きるまで見守っていた。







 夜明け、鍋倉は旅立った。目指すは平安京である。そこには天下の強豪がごまんといて、その頂点が鬼一法眼きいちほうげんと聞いていた。懐には父の鍋倉淵なべくらふちから授かった鬼一法眼への書状がある。


「天下第一の人とはどんな面構えをしているのかのぉ、早く会いてぇ」


 興奮して胸の高鳴りが抑えられない。自然と足早になる。これまで辛い旅だった。内乱の復興事業と称して有力寺社が銭目当てにこぞって関所を設けていた。金目の物がない鍋倉は道なき道を進まざるを得ない。そのため盗賊団にたびたび出くわし、そのほとんどが武者崩れで逃げるにしても戦うにしても手ごわかった。


「故郷を出てこの方、二年。苦労した分、強くなったはずだ」


 やりたいことの一つが叶って、鍋倉は得意になっていた。かくして調子がいい時は運もいいもので盗賊などの手合いに出くわすことなく、平安京の目と鼻の先までやってきていた。


 桂川を渡り、無秩序に建てられた建物群に入る。重石で板を押さえた屋根が重なり合い、互いに支え合っているのだろう掘立柱の傾いた住居が軒を連ねる。そして肩が触れ合う程の雑踏。大変な数の人が暮らしていた。通行する道もなく、どうしても家の中を抜けなければならないところもある。そして驚くことに実際そこは往来だった。恐る恐る鍋倉もそれにならう。ぺこぺこと居住者に頭を下げつつ抜けていく。かくして鳥羽作道に出ることができた。鍋倉はその真ん真ん中に立つ。


 無辺の掘立屋群を一直線に穿うがち、歩幅二十程の何にもない空間が延々と続く。その先端が方形にまとめられた建造物群を突く。あれが平安京。今まで見てきたような我も我もと自然発生的に出来た集落とはまるで違う。規則正しく整然と居並び、そのどの建物も巨大であった。さらには、睨みを利かす毘沙門天がごとくの五重塔が左右一対。そして巣を守る鳳凰を思わせる背後の山々が一環一翼。掘立屋群から見る平安京はまさに天界であった。


 ふと、雑踏が騒ぎになっているのに鍋倉は気付いた。白拍子が三人の武士に追われていたのだ。悪辣な盗賊が女をかどわかそうとするのはこれまで見たことも聞いたこともあった。ところが目の前の光景は悪辣な盗賊ではなく身なりの整った武士である。百歩譲ってそれが秘め事の末であったとしても鍋倉はその武士らを許しておくわけにはいかない。


「叩きのめしてやる」


 丁度良いことに、掘立屋群を抜けた白拍子が鳥羽作道にいる鍋倉の方へ進路を向けていた。


「お助け申す!」


 通り抜けようとする白拍子を背後にいざなうために手を伸ばす。ところが「邪魔だ!」と手を払われ、返す刀で殴られた。


 鍋倉は鼻の下を伸ばしていたわけでもない。女にのされる程やわでもない。なのに避けるどころか顎に拳をまともにくらい、痛みでもだえるどころかたった一撃で意識を飛ばし、卒倒してしまった。







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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