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掃雲演義  作者: 森本英路
19/89

第19話 宋銭

 遠藤為俊が想像するにおそらく、恵沢禅師の頭の中はこうなのであろう。


 大江御厨おおえのみくりやを独占したと言っても遠藤が、幕府の意向に逆らえないのは誰の目から見ても明らか。それは我らとて同じことだが、今出川鬼善は必ずや六波羅に泣きつこう。問題は月見だ。もし大江御厨おおえのみくりやに月見がいるとでも噂が立とうものなら、色香に惑わされたと遠藤は御家人の間で嘲笑の的になるだろう。だからこそ、遠藤はそうなる前に必ず手を打つ。発覚しようがしまいが噂が立つ前に、我を月見の拉致の下手人として六波羅に差し出す。基本、遠藤は鍋倉が手に入れば、我らにもう用がないのだ。


 と、こう考えているかどうかは定かではないが、それぐらいの思考は巡らして当然だろう。それにそもそもが熊野別当に逆らってまで事を起こしたのだ。あるいは、今出川月見を拉致した時点でおしゃかになったが、恵沢らは『太白精典』が手に入りさえすれば、熊野さえも通り抜けて海に出、どこか遠く、新天地へ向かう手筈となっていた。


 そこまでは考え過ぎかもしれないが、とにかく、その恵沢を鍋倉が追っているのなら、こっちもとことん後を追うまで。あるいはすでに鍋倉はもう恵沢らに捕まっているのかもしれない。ならば生駒山中で引き渡されるはず。


 そんな淡い期待を持っていた遠藤為俊であったがしばらく茫然と、死体の転がる光景を眺めていた。自分は一体、どこでどう間違ったのか。これまで頭に描いていたとは全く違っているのだ。考えれば考えるほど体に血の気が失せていくのを感じる。


 少なくとも恵沢禅師は、帰路を当初からの考えから変えていないはず。霊王子らに襲われたからといって生駒山中から大江御厨おおえのみくりやに逃げ込んでくるなどあり得ないし、熊野別当に逆らってまで今出川邸襲撃を強行した恵沢禅師がそんなにやわとは思えない。


 ふと、遠藤は霊王子らの死体がないことに気付いた。


「吉水教団らしき死体が見当たらんようだが」


 辺りを探っていた郎党の一人が言った。


「はい。それと恵沢禅師と鍋倉澄のもです。ですが、先に行った今出川一門のは二つあります」


 遠藤は、ほっと息をついた。体に血の気が戻ってくるのも感じる。やはり、恵沢禅師はここで死闘の末、鍋倉を捕縛したのであろう。それでなぜだか分からないが、霊王子ら追っ手にも気付いているようだ。ここで鍋倉が引き渡されてもよさそうなものだが、それもせず先に進んでいるのが何よりの証拠。遠藤は言った。


「熊野衆徒は吉水教団との戦闘に至ってない。されどこの分では熊野衆徒は寡兵となっていよう。吉水教団に追いつかれたら取り返しがつかん。その前に我らがやつらを駆逐する。先を急ぐぞ」






 それから間もなく佐近次と金神八龍武の六人も熊笹の原に姿を現す。霊王子ら同様、ひづめの跡を追い、死体をたどり、乗り捨てられた馬を目印にここまでたどり着いたのだ。


 散在する死体から、戦いがあったのは一目瞭然である。その中に一門の死体が二つ。佐近次はその一つに違和感を持った。肩口から胸まで両断されているのに、その男は笑っているのだ。月見を奪われたまま、こんな山奥でのたれ死んだにしては奇妙ではないか。一門の誰しもが天下に名を轟かそうと平安京に登って来た無頼の徒である。道半ばで、しかも華々しく散ったわけでもなし。で、なぜ笑えるのか? 考え得るはたった一つ。もしや月見を奪還したのではあるまいか。


 その佐近次の推察は間違いではない。だがその笑みの理由は当たらずしも遠からずであった。一門の男は恵沢禅師の一番弟子寿恵に肩口から胸まで太刀を入れられた時、その寿恵の目と鼻の先で笑って見せたのだ。師を殺され月見まで奪還された気持ちはどうだ? 結局お前らは俺たちに負けたんだよ。


 確かに、剣の腕は寿恵が一枚も二枚も上であった。しかし一門の男にしてみても、意地があったということ。いうなれば負け惜しみ、最後っ屁である。転がっている死体の笑みはそういう笑いだったのだ。


 佐近次が言った。


「道意様、もしかして月見様はこの辺りにいるのではないでしょうか」


 道意とは顎髭の男をいい、『磐座いわくら』という二つ名を持っていた。そして佐近次ら一門からは八龍武の統率者と見られている。先を進もうとする六人の内、その顎鬚、道意が振り返った。


「どうしてそう思う」


 さすがに佐近次は死体が笑っているからとは言えなかった。見ようによっては苦しみに耐えているとも取れないことはない。共に生活した佐近次であるからこそ確証を持てただけなのだ。


「死体の配置、数から、先ずは鍋倉ら門人数人が月見様を奪取し、次にその中から二人が残って、それらを逃がすためここで踏ん張ったと見るべきでしょう」


 もっともらしくそう言った佐近次だったが、今出川邸では単独行動だったから全てを把握しきれていない。とはいえ、話に信憑性を出すためだから仕方がない。それでも佐近次は、月見を追ったのがまさか鍋倉らたった三人のみであったとは思いもよらなかった。逆にもし、佐近次にそれが分かっていたのなら、推理を誤ってしまったのかもしれない。ともかく、佐近次といえどもあの戦いの中で仲間の死体を一々勘定していられなかったし、ましてやあの敵の数である。一門はまだ何人も残っていて月見を守っている、と考えるのが自然であろう。


 青い顔色に狐目の男が言った。佐近次を見る目が蔑んでいる。


「佐近次、お前はしゃべるな。おれたちに口出しは許さん」


 佐近次は深々と頭を下げた。「はっ!」


「いや、いい」と『磐座いわくら』の道意は狐目を制止した。そして続けた。


「佐近次、その鍋倉とは?」

「新入りです。鍋倉澄といって佐渡の産で師爺しやがあの文覚、師父で父親が淵。この淵と鬼一法眼様が文のうえですが、友人関係にあると鍋倉に聞いております」

「文覚? 『やいばの修験者』にして我師鬼一法眼様の好敵手」と道意が呟き、周りを見渡した。熊野衆徒の散らばりように対し、門人二人の死体が寄り添うようにある。


「あの男は腕がたちます。遠藤為俊と戦って負けたといわれていますが、深酒がたたって試合中に小間物を撒き散らしたそうで、それで負けと判定されたそうです。これは私見ですが、鍋倉の勝ちです」


 『かぶとわり』の仁法が笑った。


「どんな試合だ。そりゃ」


 鷲鼻の男が言った。


「遠藤為俊ともあろう男が? お遊びだな、それじゃぁ」


 二人を相手にせず、道意が言った。


「とするなら、月見様は先にも行っていない。といって引き返したかといえばそうでない。実際に、ここまで誰ひとり会わなかったからな」


 仁法が言った。


「おいおい、おっさん、あんたの一存で決めるなよ。おれたちは同格だ」

「宋銭で決めよう」と狐目。


 うむ、とうなずいた道意が宋銭を取り出した。それをみなに見せる。


「表が進む、裏がここ周辺を探索する」


 他の八龍武五人が頷いた。回転する宋銭が宙に舞い、そして落下、道意の手と手の間に消える。ゆっくりと開かれた道意の手の甲には裏を向いた宋銭がある。


「ここらいったいを探す、先には進まない」






 追いすがる熊野衆徒二人をなんとか倒した鍋倉は、月見を背に、山中を彷徨っていた。一刻は経ったであろう、大木が目に入る。斜面に巨体を保つため、大きく張り出させた根の股下に人ひとりふたり入れる空洞が出来ていた。鍋倉はそこに月見を隠し、明朝下山すると決めた。


 月見には怖い目に合わせてしまった。疾走する馬に乗せられたのも相当こたえたのであろう。早く平安京に返してやりたいが、熊野衆徒か遠藤らかに見つかって、また奪われてしまったら悔やんでも悔やみきれない。



 負ぶっていた月見を一旦降ろし、空洞の中に入れるために抱きかかえる。ここで初めて鍋倉は月見の顔をまじまじと見た。


 光沢ではない。内側に光源があるかのように肌の白さが白を通り越している。そして何万年もかけて研磨された自然石を思わせる唇に、長くふさふさで反り返えるまつ毛。そのどれもがどういう触感なのか、触れて確かめたい衝動に駆られてしまう。


「一門の誰もが命を惜しまないわけだ。あいつらのことを思うと、おれは絶対にこの姫君を守り通さなければならん」


 ふと、微かに動く唇が見て取れた。それを聞き取ろうと耳を近付ける。


「さ、こん、じ、さこ、ん、」







読んで頂きありがとうございました。次話投稿は木曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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