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掃雲演義  作者: 森本英路
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第18話 背信

 南都北嶺という言葉がある。北嶺は比叡山であり、その僧兵は山法師と恐れられ、南都はというと、興福寺で平城京の市街地にあり、その僧兵は奈良法師と呼ばれ人々を震え上がらせていた。どちらも権勢をふるい、中央の威光を跳ねけるだけでなく、動静如何によってはその根幹をも揺るがした。


 熊野三山ごときは南都北嶺にも負けず劣らず権勢を誇ったものだったが、先の承久の乱で没落し今は見る影もない。熊野三山を統轄する別当の血流は絶え、新たに補任された別当はというと幕府の後ろ盾なくして熊野三山を運営し得ない有様。そこから推察するに、今出川邸を襲った者たちはおそらく熊野三山の跳ねっ返りたちだったろう。


 霊王子にとって、それら跳ねっ返りが奈良法師と畏怖される興福寺に通じているとは、どうしても思えない。熊野衆徒の狙いは十中八九、『太白精典』。そして鍋倉ら今出川一門が熊野衆徒を追っているのなら、熊野衆徒はそれを手に入れたということなのだろう。もしそれで平城京に向かったというならば、それは『太白精典』を手土産にその跳ねっ返りが興福寺に寝返ったということに他ならない。


 確かに興福寺の僧兵も比叡山のそれも僧のかっこをしているが、実際には領家に仕える荘官のようなもの。一方で熊野別当は腐っても鯛。言うまでもなく熊野三山を統轄する側の役職である。その指揮下であった者たちが落ちぶれたとはいえ、ただの荘官の風下に付くのだろうか。熊野衆徒に限っては、それはなかろう。


 だとしたら、聖道門の誰しもがほしがる代物をせっかく取り戻したというのに、自らが進んで平城京に飛び込み、みすみす興福寺に奪い取られるという馬鹿をしようか。


 ところがそんな霊王子の想いと裏腹に、一向に熊野衆徒の姿を捉えられない。もうそろそろ追いついてよさそうなものだが、道をたがえたか? いや、ひづめの跡はちゃんと残されている。あるいは、ひづめは別の何かのかもしれない。百歩譲って山賊とかの痕跡だとするなら、山道で見た僧の死体はいったいどう説明すればいい。


 このまま山に沿っていけば高野山で、さらにその奥が熊野三山となる。高野山に一旦入ってかくまってもらうのも考えられるが、やはり平城京と同じようにこちらの経路も考えにくい。一昔前であったなら高野山も熊野三山の威光にそむけなかっただろうが、今や高野山の格下となりさがっている。


 熊野衆徒は必ずや間道を使って高野山を迂回する。少なくともこちらの方は平城京とは違い、例え高野山の連中が熊野衆徒の一団を見つけたとしても身の安全は保たれる。平城京を囲う山々は伝説の宗教家、役小角えんのおづぬからの伝統で往来の自由は保障されている。考え得るに、熊野衆徒はすでにどこかの山中で馬を捨て、もう間道を徒歩かちで進んでいる。 


 行くべきか、引くべきか。馬ももうそろそろ限界だろう。指揮官ならば答えを出さねばならない。そう霊王子が考えていたそこへ、うまい具合にうねった道の向こうから熊野衆徒一騎がこちらへ向かってきていた。


 実はこの熊野衆徒、寿恵から遠藤への使者である。すぐ後ろは遠藤一党が追ってきているはずだと寿恵は考えていた。師の恵沢禅師が鍋倉の手によって果てたのを報せに行こうとしていたのだ。当然、霊王子らが参戦していることも、ましてやそれが遠藤を追い抜いたなんて知る由もない。結果、熊野衆徒一騎は霊王子ら一団に気付くと慌てた。いま来た道をまた戻って行く。


 霊王子はというと、なぜ一騎だけ戻したのかと相手の行動をいぶかしみ、手下らに「とらえろ」と命じた。しかし、熊野衆徒一騎には追い付けず、さらにはそれが馬を降りて間道に逃げ込んだのをみすみす逃し、結局茂みで見失った。見渡せば、そこかしこに多くの死体が転がっている。


「鍋倉のがあるか、先ず調べよ。それと変わったこともだ」


 手下らが一斉に散り、程なく集まってきた。


「死体は熊野衆徒が十五体、今出川一門二体。鍋倉のはありませんでした」

「変わったことは?」

「これといってなにも」

「先を急ぐ」


 と、この時、山中から声がした。


「念仏門徒、吉水教団霊王子殿とお見受けします。いかがか?」


 姿なき声の主に霊王子は返す。


「熊野の輩か、礼儀をわきまえるもの言いよう、ならば答えねばなるまい」


 さっきとは別の方向から声だけが聞こえた。


「わが師、恵沢禅師は鍋倉澄によって害されました。その亡骸は我らの兄弟子寿恵によって熊野三山に運ばれようとしています。後生でございます。見逃してはいただけないでしょうか」


 また、別の方向から声がした。


「どこで聞いたか存じ上げかねますが、霊王子殿は鍋倉澄の『撰択平相国』がお望みなのでしょう。霊王子殿自らがお出ましあそばされたのが何よりの証拠。その鍋倉澄はここら辺りのどこか山中に潜伏しております。女連れのためそう遠くには行けないでしょう」


 霊王子は宙に向かって「女とは?」と声を飛ばす。山中から声が返ってきた。


「今出川の姫君、月見で御座います」


 今出川月見のことは知っていた。絶世の美女だというが、そうだとしても熊野衆徒が色香に惑わされたとは思えない。おそらくは『太白精典』が手に入らなかったのであろう。さらには今出川鬼善にも逃げられた。となれば答えは至極明快。霊王子が言った。


「そういうことか。あい分かった。恵沢禅師を辱めることは致さぬ、阿弥陀如来に誓って」


 山中の三方向から一斉に、「ありがとう御座いまする」と声がした。そして一方のみが言う。


「申し上げにくいことですがこの一件、熊野別当の反対を押切り、恵沢禅師が勝手にやったことなのです」


 やはりな、と霊王子は思った。その声が続ける。


「その恵沢禅師がこともあろうか、あなたがた吉水教団に哀れみを受けたとなれば熊野三山は十中八九、恵沢禅師を受け入れないでしょうし、もしそうしたとして聖道門各山の熊野別当への仕打ちはいかばかりかと」


 それを聞いて逆上した手下らが口々に、見えざる声の主に罵倒の言葉を浴びせかけた。一方、姿なき声はというとその罵声を押し退ける大音声でさらに続ける。


「ゆえに我らはここで自決致します。どうかご斟酌しんしゃく下さるようお願い申し上げる」


 山中三方向から一斉に、


「南無阿弥陀仏」


 と声が轟く。それから山中は静まり返った。

 霊王子は呟くように言った。


「南無阿弥陀仏」


 手下らも称名する。霊王子は言った。


「熊野三人は明らかに自身らの信心を偽った。それはわれら吉水教団に口止めさせるためだ。されど理由がどうであれ阿弥陀仏の称名によって浄土に救われた。ゆえにやつらは我らの同士だと言え、それを辱めることは決して許されぬ。これは我らのみの秘密とする」


 当然、手下らに異論はなかった。






 それから四半刻後、多くの死体が転がる間道、熊笹の原に遠藤一党十人が姿を現した。遠藤為俊は恵沢禅師と帰還の道筋を事前に申し合わせていた。計画としては双方、一旦は生駒山中に姿をくらまし、遠藤為俊は本拠である淀川河口の港湾、渡辺津に帰還し、恵沢禅師はというとそのまま山を伝って熊野に至るという手筈となっていた。この当時、大阪湾からの入り江は生駒山麓まで入り込んでいた。山を下ればもう目と鼻の先に渡辺津があったのだ。


 遠藤為俊としては、計画になく勝手に今出川月見を拉致したのは許せなかった。が、鍋倉がそれを執拗に追う展開になったのは願ってもないことだった。生駒山中で恵沢禅師から鍋倉を受け取り、あるいは自らが鍋倉を捕らえてもいい。そのまま山を下ればもう本拠、渡辺津なのだ。


 さらにいうと、生駒山地から淀川にそそぐ河川に大和川がある。その平野部は河内国になり、淀川河口の渡辺津は摂津国となる。これら広大な地域はというと朝廷の荘園であり、名を大江御厨おおえのみくりやといった。河川の氾濫もあったが、総じて肥沃なこの土地を管理していたのが渡辺氏と遠藤氏である。両流合わせて巷では渡辺党と言われ、血縁関係を結ぶ一方で朝廷から拝領する惣官職を巡って対立もしていた。ところが渡辺党の一方、渡辺氏が承久の乱で朝廷に味方をし、没落の憂き目にあう。幕府に味方した遠藤為俊はというと御家人でありながら惣官職という立場を維持できた。


 遠藤氏の惣官職独占。大江御厨おおえのみくりやに入れば安全かと思うだろう。だが、恵沢禅師が生駒山を降り、大江御厨おおえのみくりやに逃げ込んでくるとはどうしても遠藤為俊には考えにくかった。もっというと今出川月見を拉致したからこそ、それはないと思えた。ところが、その考えに迷いが生じる。遠藤為俊がやって来たここ、熊笹の原には多くの熊野衆徒の死体が散在していたのだ。


 霊王子らに襲われたか。それで背に腹かえられず、よもや山を下りて大江御厨おおえのみくりやに逃げ込むんじゃないだろうな。遠藤為俊は内心、呟く。


 いや、恵沢禅師は必ずや熊野に向かっている、………はずだ。

 






読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

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