第16話 豹変
「あなたは遠藤為俊殿でしょう」
甲冑武者の首領が、「鍋倉か!」と言ったのに、佐近次は謎が解けたのだ。その遠藤はというと佐近次の問いに答えないようだ。口は堅く閉ざされている。構わず佐近次は続けた。
「鍋倉からだいたいは聞いている。あなたは鍋倉の掌手を妙に思ったはずです。当然でしょう、『遠藤家伝』にはそんな技がないのですから。それであなたはその秘密を考えた。なにが上皇の武者ですか、なにが『太白精典』ですか。本当の目的は『撰択平相国全十巻』。今頃、鍋倉は熊野衆徒に捕縛されているだろうとあなたは胸算用して悠長に構えていた。そうでしょ?」
歯ぎしりしているのか、遠藤のえらがぴくぴくと動く。さらに佐近次は言う。
「いい事を教えましょう。鍋倉はそれを兵庫津で燃やしたそうです。十巻全てです。信じられないでしょうが本当の話です。ゆえにあなたは何も得られません。それ以上にあなたほどの高名な武人がこんなことをして評判を落としてはいけません。遠藤為俊殿、どうか囲みを解いて下さい。今なら口外しません」
言い終わるか終わらないかのところで指揮棒が飛んできた。遠藤が力任せに投げつけたのだ。佐近次はというと驚くことなく、軽々とかわした。何もなかったようなその素振りに、遠藤は腸が煮えくり返った。
「みなのもの、上皇の武者今出川一門を皆殺しにしろ。こいつらは平家の残党霊王子と結託し、幕府転覆を計っている。誰が何言おうがこれで明らかとなった。捕縛の必要はない!」
遠藤一党は一斉に佐近次ら一門を攻め立てた。
鍋倉ら三人は熊野衆徒の最後尾二人を落馬させた。その光景を目の当たりにして恵沢禅師が舌打ちする。並走する弟子の寿恵に「行け」と命じ、「ただし、分かっているな」と念を押す。殺すなということなのだ。うなずいた寿恵はじわりじわりと後方に下がる。疾走する熊野衆徒の最後尾に至ると騎乗する馬の腹にスルリと滑り込み、鞍の腹帯とあぶみを掴む。
果たして寿恵の張り付いた馬が失速し、さらに後ろに下がってくる。鍋倉ら三人は追い越さざるを得ず、すり抜けられた後方で寿恵が鞍に戻ったのをすべなく見守った。
鍋倉は門人らに「後方を頼む!」と言い、自身は前方の熊野衆徒二人に向けて押し出した。前後、挟み打ちとなっては手を分けるしかない。後方では寿恵が太刀を抜き、速度を上げて向かってきている。早々に後ろからの脅威を取除くべく門人ら二人が槍を振るう。ところが寿恵の馬術は二人の比ではない。逆に門人らが攻められる側に回ってしまった。
一方で、前方の熊野衆徒二人に仕掛ける鍋倉だがその二人の守りは固く、一向に活路が見出せない。おそらく熊野衆徒の目的は門人二人の駆逐であろう。前方の二人の戦い方を見れば完全に引き付け役である。門人はどうなっているのか。鍋倉は焦れて後方を見た。だが、それがいけなかった。防御に徹していたはずの熊野衆徒二人が一転して、攻勢に出てきたのだ。減速してあっという間に鍋倉は挟み込まれた。
まずいことになりそうだと感じた。むしろ陽動なのは寿恵、後ろの方だった。さらには、より前方だった熊野衆徒二人も鍋倉への攻撃に加わろうと後退してくる。前方、両側と囲まれれば死は免れない。
左右、敵の攻撃をかいくぐりつつ鍋倉は、手にある槍を前方に投げつけた。下がってくる二人の内、左側に刺さり、それが落馬、転がって、砂塵を巻上げて向かってくる。目論見通り、衝突を避けるため並走していた左側の男が大きく外へ、鍋倉はというと右に手綱を切る。当然、待ってましたと右側の男。ここぞとばかり放ってきた槍を鍋倉は避けた末、なんとか掴む。うまくやれた、とホッとして鍋倉は掴んだ槍をたぐるようにして接近、右側の男に『よろいぬき』を放ち、槍を奪う。一か八かだったが、敵を一人倒して新たに槍も補充できた。念のために馬上でいまだ悶絶している右側の男を、奪った槍でぶっ叩いておく。果たして地に落ち、砂塵を巻上げて後方へ遠ざかって行く。
その間、前方から下がってきた片割れ、槍を投げて倒した別の方がもう目の前まで迫って来ていた。さらには、先ほど離れた左側の男が槍をぶんぶん回しながら接近してくる。鍋倉は前方から来る男に対しては自身の騎乗する馬を振って後退を遮断し、左側に対しては槍で応戦した。
馬上、佐近次らは遠藤一党からの猛攻を受け五人となっていた。一方、遠藤一党は三十人全て無傷である。そこからさらに門人一人を葬ると、遠藤は「頃あいか」と郎党九人の名を呼び、
「霊王子を追討する。我に続け」
と疾駆し、名を呼ばれた者らがそれに続く。
数が減ったといえ、佐近次らは息つく暇もない。残された遠藤一党二十名の囲みはなおも強固で、しかも主人を一刻も早く追わねばという気負いもあってか攻撃は絶えまない。門人はというと一人二人と倒れてゆき、ついに佐近次はただ一人残るのみとなっていた。
遠藤一党にしてみても、やはりそこには気負いというものがあった。正体を知らないまでも生き残った佐近次は、少なくとも巧者であることには違いなく、イタチの最後っ屁ではないが思わぬ痛手を被ることだってあり得る。ところが、遠藤一党は力押しで一気にかたをつけようと一斉に槍を佐近次に向けたのだ。相手が佐近次では詰めを誤ったとは言いすぎかもしれないが、もうちょっとやりようはあっただろう。舐めすぎていたとしか言い様がない。だが気付いた時はもう遅しである。
後ろに目があるごとく佐近次は、身を斜に捩じってその全て、二十本の槍を紙一重でかわす。そして脇に入っていた槍は絞り込み、首と肩の間にある槍は掴む。計六本。気合諸共捩じれていた体を一気に解き放ち、六本の槍ごと体の回転に巻き込む。その勢いはすさまじく、遠藤一党六人をふき飛ばしただけでなく、他の十四人をも巻き込んでいく。馬は暴れ、人はというと右旋回に投げ出され、地に落ち、転がる。そこをすかさず飛んだ佐近次は、舞い降りた手近なところから順に三人、刺し殺した。
空気が凍った。だれもが度肝を抜かれたのだ。今の今までは何だったのか。礼儀正しいというか、へりくだっていた佐近次がこの変わりようだ。口先だけで世の中を渡って来たかのような男だったのに、先ほどの動き、常人では到底望めない。そんな佐近次のあまりの較差に、敬畏の念や驚嘆の想いをいだく以前に誰もが思った。気味が悪いと。触れてはいけないものに触れてしまったのではなかろうかと。あるいは、本性はもののけかと。
一方で佐近次はというとたたずみ、遠藤一党を見渡していた。目線が合った遠藤一党で誰ひとりその眼力に耐えられるものはいない。脂汗を流し、じりじりと後退していた。その様子に、嘲笑したのか佐近次はにやりと笑い、手振りで、来いと誘う。当然、遠藤一党は恐怖で動けやしない。
「来ないのか? では、わたしから行こう」
佐近次は飛んだ。華麗に宙を舞い、着地と同時に五人刺し殺した。まさに電光石火。だがその動きは舞うように滑らかである。さらに仕掛けようと佐近次は、踏み出したまさにその時であった。ひずめの音を聞いた。
来たか、意外と早かったな。手を止め、それが僧体の騎乗六人の駆ける音であることを砂塵の中に視認した。果たしてその騎乗六人はあっという間に佐近次の元にやってくる。一番若い丸顔の男が馬上見渡し、声を弾ませる。
「おっさんら、ここはおれ一人で十分」
その言葉に他の僧体五人がこの場を捨て、一気に馬を乗り出し先を目指す。
それを見送った一番若い丸顔の男が、「さてと」と前置きし、言う。
「で、こいつら強いの? 佐近次」
「やはり鎌倉の御家人、一筋縄ではいきませんでした」
丸顔の男が笑って「それはいい」と馬上から跳ね跳んだ。降り立ったのは遠藤一党の一人、その肩の上である。そこから膝を折り、脛でその首を兜のしころごと挟んだかと思うと腰を捩じる。胡瓜を折ったような気味悪い音がした。その男が前のめりに倒れる一方で、丸顔の男はトンボを切って宙を飛び、佐近次の横に降り立つ。
「さすがは仁法様」
仁法とは丸顔の男の名である。巷では『かぶとわり』の二つ名で通っている。
「わるいな、楽しんでいるところ、が、これ全部おれの獲物。文句はいわせない」
「御随意にどうぞ」
「ふうーん」と仁法がなにげに見渡す。すると佐近次の倒した死体が目に入ったのであろう、言った。
「突きか。佐近次、おめぇ、相変わらず器用だな。一発必中、甲冑の隙間に通しているじゃねぇか」
「器用なのが取り柄です」
「だが、敵がこんなに多い時には面倒だろ」
「御推察どおりです。これだけ仲間を失って、やっと八人倒したしだい」
「じゃ、いいもの見れるな、今日は」
読んで頂きありがとうございました。次話投稿は日曜とさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。




