第14話 二心
閑散としている北の対屋。そこを駆け回る佐近次はむせび泣く女の声に気付いた。すぐに声の主が誰かと分かりそこに向かう。
「月見様はあなただけがたよりだったのに、なぜ来てくれなかったのです」
隠し部屋であったのだろう、崩れた壁の向こうでぽつりと女がうなだれていた。月見の侍女である。普段から彼女を月見は片時も離さずそばに置いていた。こんな状況ならなおさらであろう。それが今、なぜか一人でいる。
今出川様は見つからなかったに違いない。それで代わりに月見が拉致されてしまったと察した佐近次はすぐさま走って、寝殿を突っ切り庭に飛び出した。
いまさっきまで血みどろの戦いが繰り広げられていたそこは、死体だけが転がり、生きているものはだれ一人居ない。東中門から東門を望むと堀の向こうに馬が数頭残っているのが見えた。疾走し、馬に駆け寄ると飛び乗り、その腹を蹴る。
大路を疾駆しそれから間もなく佐近次は、奉公に出ていた門人ら残り十五人に出くわす。前方で、馬を右に左にいなしながら十五人が、興奮する馬をそこに留めている。
その集団に飛び込んだ佐近次は手綱を引く。一門の一人が言った。
「佐近次さん! 何事か? 甲冑武者の一団が朱雀門に向かって進撃しているが? 狼煙と関係あるのか?」
朱雀門とは平安京の南門であるが、名ばかりで今はもう礎石しか残っていない。
「やつらに姫君がかどわかされた。ついて来い!」
鍋倉らは熊野衆徒の最後尾に迫る勢いであった。月見を抱かえた恵沢禅師の馬が先頭であるために熊野衆徒の馬脚は遅い。後方からの遠藤の追撃も気になる鍋倉は急いて一門二人より突出した。
「鍋倉さん、まだ遠藤も追ってこなさそうだし、しかけるには早い」
そう言って門人が鍋倉の横に付く。
「橋があるんだ」
鳥羽作道を先に行くと平安京の東を流れる鴨川と西の桂川との合流点に至る。そこに大橋が架かかっていた。なるほどと鍋倉は思った。橋を渡るために密集した熊野衆徒の隊列が一時、延びる。そしてそのとおりになった。
速度を上げ、鍋倉ら三人は熊野衆徒の最後尾に張り付く。そこはこちらと同数の三人がほぼ横並びであった。槍の柄を噛んで両手を自由にした鍋倉はその三人に割って入り、羽ばたくように両手を振う。悲鳴と共に両側の二人は落馬した。
暗器、つまり手裏剣を鍋倉は使用したのだ。さらにくわえた槍を手に持ち替えて、残りの一人の槍をかわしつつその脇に一撃を加える。やはりその男も落馬し、後方に消えていく。
瞬く間に最後尾の三人を鍋倉はほふるとそれを見計らうかのように門人ら二人が飛び出してきた。そして鍋倉を追い越し、さらに前方の熊野衆徒三人に攻撃を加える。門人二人と熊野衆徒三人の戦い。五本の槍が交差する。
そこに加わろうと鍋倉は飛び交う槍をかいくぐりつつ、熊野衆徒一人を刺し、これも落馬させる。数の上で優勢となった鍋倉らは、残りの熊野衆徒二人も瞬く間にほふった。
ここで橋を渡ることになった。
鍋倉らは減速し、熊野衆徒と少し間合いを空け、橋を抜けるとまた接近した。
熊野衆徒が再び密集体形に戻ろうとしていた。
まだいけると一門の一人に槍を投げ渡した鍋倉は、あぶみに全体重をかけ立ちあがると手綱を離す。そして体の捩じりと共に両手を左右交互に何回も振りまわす。ばたばたと八人、熊野衆徒が馬から振り落とされた。
鍋倉はまた手綱に手を戻す。落馬して道に転がった熊野衆徒を右に左に避け、ひずめの音にかき消されないように大声で「暗器はもうない!」と声を飛ばす。並走する門人はうなずき、預かった槍を差し出す。
「ここから少し行けば十字路です。やつらは左に折れます。そこからは道が狭くなる一方なのでそこで仕掛けましょう。たぶん、遠藤は八龍武に追いつかれたに違いありません」
遠藤の姿が見えないのは金神八龍武のためか、ならば時間が経てば経つほど我らに有利、と思い、「招致した」と答えた。
はたして十字路に差し掛かった恵沢禅師は手綱を左に切る。と同時に馬に鞭を入れた。これから先は道が狭くなることは承知していた。ふん詰まりにならないよう速度を上げねばならない。心配なのは馬であった。鍋倉らに追われている恵沢禅師は、軽いとはいえ月見を抱えている。後方に視線を向けた。一番弟子の寿恵がかいがいしくも空馬を並走させている。その一方で不服なのか顔は不貞腐れている。ま、それも当然かと思った恵沢禅師は手振りで来いと指示する。早速、寿恵が馬を並ばせた。
「あの男をどう思う?」
「後ろの者どもでは太刀打ちできないでしょう。されど数の上ではこちらが有利。ここは踏みとどまって一挙にかたをつけましょう」
「だったら死ぬ気で当たらせよ。踏みとどまる必要はない」
「と申しますと」
「あの男とてこれだけの数を相手にするんだ。いつか疲れて大人しくはなろう」
「それを待っていてはこちらの命がどれぐらい絶たれるか……」
「このままでよい!」
寿恵がはっとする。
「まさか!」
「そのとおりよ」
恵沢禅師は『撰択平相国全十巻』をも手に入れようと考えているのだ。橋を渡る直前と直後、鍋倉の武芸を目の当たりにして恐れるどころか、逆に欲が出た。このまま熊野に入れればいかに遠藤一党といえども泣き寝入りは必定。やろうと思えばやれないことではない。
「されどあの鍋倉を熊野までぶら下げていくというのも。それに後方の遠藤一党が黙っておりません。仮に上手くいったとしてもあの遠藤為俊がどう出てくるか」
遠藤一党と熊野三山が事を構える。『太白精典』をまだ手に入れていないにも拘らずである。最悪、今出川鬼善と遠藤為俊が手を結ぶことだって考えられない話ではない。それ以前に、この場を逃げ切れるかどうか。今出川邸を撤収する時に徒歩の手は平安京に散らしていた。馬上にある四十は今や鍋倉らによって二十六となっている。こんなおぼつかない状況なのにそのうえで『撰択平相国全十巻』をも手に入れるという。本来なら、この場で鍋倉を殺し遠藤為俊とは縁を切ると考えなければならないのではないか。これは危険な賭けだと寿恵は思った。その心配をよそに、師の恵沢は言った。
「是が非でもそれをやるのだ。熊野三山のためぞ!」
霊王子ら吉水教団の騎馬二十名は今出川邸に到着していた。
東門は開ききったままで、東中門の向こうには多くの死体が転がっているのが見える。霊王子は何のためらいもなく馬上で東中門をくぐり、庭に出る。付き従った者の半数がそれにならって庭に馬で乗り入れ、残り半分は東門外に留まり、辺りを警戒する。
死体は二種類。僧兵、直垂姿の武芸者。血が乾いてないのか生臭さが鼻をつく。そこを霊王子は大きく輪乗りした。馬のなみあしに純白の水干を波立たせ、涼しい眼差しで惨状を眺める。広がる光景が凄惨であった分、霊王子の手下らには馬上の主人がより一層、艶やかに映った。その霊王子が馬を止めた。馬の脚元には武芸者が転がっている。
「こいつ、生きている」
その言葉に、馬を飛び降りた教団の一人が瀕死の男に走り寄り、その胸ぐらを掴む。
「鍋倉はどこだ」
武芸者は何も言わず、こときれた。
この時、東門外から悲鳴が聞こえた。咄嗟に、邸内の男らは馬を旋回させ東中門をふさぐように進める。そして身構え、一人が吠えた。
「なにごとか!」
「なんでもござらぬ。ござらぬが、鍋倉は敵追討のため熊野に向かった!」
東門外に残っていた残り半数の手下が、隠れて様子をうかがっていた熊野衆徒一人を捕まえ腕一本切り落として聞きだしたのだ。霊王子は馬を反転、前方へ一気に乗り出した。道を空けた手下らを突っ切り、東中門、東門とくぐって平安京の街路を疾走して行く。手下十九もそれに続いた。
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