第11話 狼煙
夜明け、平安京を多くの僧兵と甲冑武者らが馬上徒歩入り乱れ、疾走していた。鞭声や衣摺れが鳥のさえずりをかき消し、砂塵が薄暗い街路を覆っていく。まさに朝駆けの一団。ものものしい装備の荒々しい行軍が寝静まる平安京の安寧を切裂いていく。それが今出川邸に集結すると、一挙にそこを取り囲む。
今出川邸に逗留して十日。鍋倉はというと、客として遇されているのもむず痒く、かといって武芸で銭を稼ぐ気にもなれない。何か有ったら手を貸せと佐近次には言われているが、法性寺の一件ほどの大捕り物もある訳でもなし。手持ち無沙汰になって鍋倉は、床磨きなどに精を出す毎日を送っていた。
それは、しばらくぶりの心安らぐ日々には違いなかった。佐渡を発ってからというもの、『撰択平相国全十巻』を守り抜かねばという一念から、感覚が研ぎ澄まされ、周囲の異変には敏感になっていた。それが心底しみついてしまっては如何ともしがたい。ちょっとした音に聞き耳を立ててしまったり、人の気配で床磨きの手を止めてしまったりと何とも落ち着かない。野宿している訳ではない。仲間もいた。それでも、癖というのはどうしようもない。逆を言えば、何年もの厳しい体験をたった十日でぬぐい去るって方のが無理のある話だ。
鍋倉は目を覚ました。すばやく着替えると庭に降り、耳を澄ます。今出川邸は公家の建築様式である寝殿造を模していた。といっても、建てたのは鬼一法眼であって、今出川鬼善ではない。
通常、寝殿造は敷地の北半分に建物群が集まり、南には池があった。建物群は高床式の寝殿を中心に東西と北に対屋と呼ばれる付属的な建物を配していて、お互いを屋根付き壁なしの透渡殿という渡り廊下でつなげていた。
また、池はというと大きさによっていくつか中島が設けられ、反り橋とか平橋とかが掛けられ行き来が出来るようになっていた。観賞や遊興に使われ、一方で儀式の場という側面も持っていて、重要行事などがそこで執り行われる。
ところが今出川邸にはその庭に池がないのだ。景観としては白砂が敷き詰められ、ただただ、だだっ広く、物見櫓が設置されている。そこでは観賞や遊興なぞはとんでもない。儀式はというとその役割はある程度あったのであろう。寝殿の階隠間から鬼一法眼が門弟の技や試合を見ていた。あるいは奥許しされた者を門弟らに披露もしたであろう。だが、そのほとんどの役割は西の対屋と同じく門弟の鍛錬の場であった。
その庭で、鍋倉は聞き耳を立てていた。微かに馬のいななきとも思える音が聞こえる。一方で鳥のさえずりが聞こえない。
おれの推察が正しいならば、と考えていたそこへ、佐近次が現れた。「鍋倉っ」と低く声を飛ばしてくるのに、鍋倉も低く「佐近次さんっ」と言葉を返す。それで、互いに考えていることが一致したと理解した。由々しき事態が迫っている。
「鍋倉、手分けする。門人全員を起こそう」
かくして門人らが粛々と寝殿に集まる。全員の顔を見渡した佐近次がその一人に物見櫓に上がるよう命じた。指図された門人が走ると鍋倉もその後を追う。
直垂の袖をはためかせ、門人はだだっ広い庭を一直線に進む。それが物見櫓に着くと猿のように上がってゆき、廻りを見渡した。「どうだ?」と下で踏みとどまった鍋倉が声を押さえて問う。
シッ! と門人が口元に指を一本立てて見せた。邸外東門に動きがあるのを見とがめたのだ。隊列から僧兵が一人のみで進み出、堀に掛かる橋の中央で立ち止まり大きな門を見上げている。その様子に、門人は櫓から身を乗り出し両手を大きく振り、次に右手で東を指す。
と、その時、「我は恵沢禅師、熊野三山の者なり」とその方向から名乗りが聞こえ、さらにそれはこう続けられた。
「今出川鬼善に告ぐ。速やかに『太白精典』を返却しろ。また、かくまいし上皇の武者を差し出せ。その双方とも出来ない場合はうぬらを逆徒とみなし決死の覚悟にて成敗致す。ご返答召されい」
物見櫓の袂にいた鍋倉は寝殿に走った。そこにはすでに今出川鬼善がおり佐近次ら門人を前にして癇癪を起こしていた。それをなだめようとしている佐近次と目が合った。佐近次はというと待っていたとばかりに鬼善をほっぽいて「賊の数は?」と声を飛ばす。物見櫓に登っておらず、敵の状況など何も知らない鍋倉は答えあぐんでいた。丁度そこへ、物見櫓に立った門人が慌てて飛び込んできた。
「百五十前後。包囲されています」
「我が方は?」と鬼善。
佐近次の顔は険しかった。
「二十五。残りは公家どもへの奉公で平安京全体に散らばっておりまする」
鬼善が金切り声を上げた。
「今になってなぜ、やつらは言いがかりを付ける」
佐近次が言う。
「如何なさりましょう」
鬼善に迷いはないようだ。佐近次の肩を鷲掴む。
「金神八龍武を召せ!」
金神八龍武とは鬼善の父、鬼一法眼から奥許しを得た八人を称して言った。だが実際は七人。源平の合戦以来、一人欠けたのがそのままになっていると巷では噂されている。その七人が平安京の北、鞍馬山で術のさらなる上達を目指し、おのおの修行を続けているという。
佐近次が一門に命じた。
「狼煙を上げろ」
二人が走って行く。
一方、今出川邸外東門では、突入する潮合いをうかがう遠藤為俊の姿があった。恵沢禅師共々、計画通りことが進み、気をよくしていたところに思ってもみない狼煙である。誰もが虚を付かれ、恵沢禅師はというと即座にこの事態を飲みこんだ。
「しまった、狼煙とは考えてもみなかった。これでは四方固めた意味がない」
狼煙が鬼一法眼のひぞっこ達、かの金神八龍武を招集する合図であることは疑うべくもない。この包囲は、鞍馬へ行こうとする者なんびとたりとも外へ出させないためのもの。当然、鞍馬の八龍武を嫌ったのだ。そして攻撃はというと東門一点突破。他の門は逆に、一寸たりとも開けささない構えだった。だが早くもその計画は崩れ去った。
「しかたあるまい。鞍馬からならまだ時がある。ここは全員で一気に攻め落としましょうぞ」と傍らの遠藤が恵沢に囁く。歴戦の猛者、遠藤である。この期に及んでもまだ平然としていた。
その様子に安心したのか、「あいわかった」と恵沢は一団に向けて「もう我らに家探しの時間もない。今出川鬼善をからめ取れ。『太白精典』の所在は鬼善の体に聞こうぞ!」と命じ、「かかれ!」と号令する。それに鬨の声で答えた熊野衆徒と遠藤一党が北門三十人、西門同じく三十、東門は八十、三方同時に今出川邸に襲い掛かる。果たして抵抗はあったものの主力の東門は難なく開門に成功。攻め入る中で、ふと立ち止まった遠藤は物見櫓を見上げる。あれを使おうと考え、傍らの家人に命じる。
「物見櫓に上がれ。八龍武が来たらすぐにしらせよ」
その返事を待たずして遠藤は、今度は先を行った恵沢を呼ばわる。振り返った恵沢に、分かっているなとうなずいて見せると恵沢も分かっているとばかりにうなずき返してきた。熊野衆徒三十人は今出川鬼善を目指し、残りの遠藤一党三十を含めた五十は鍋倉澄の捕縛に向かった。
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