第1話 法性寺の一件
御家人の工藤祐長と比叡山の僧兵慶海は寄り合い、一計を案じた。
平安京の外れ、六波羅の近くに法性寺がある。その本尊、千手観音像は人の腕程の大きさこそすれ金無垢であったため、一部の者を除き秘されていた。それをあえて市井広くに流布した。平安京は夜な夜な盗賊団が闊歩し、放火、殺人、強盗をほしいままにする有様だった。寺宝を餌にそれら盗賊らを一掃しようというのだ。平安京の治安維持が工藤祐長の役目であったし、比叡山の僧兵慶海の狙いは悪人がこぞって信じる新興宗教の撲滅であった。
果たして、そのはかりごとは図に当たる。盗賊らがどこからともなくうようよと法性寺に集まって来たのだ。ところが不意な横槍に工藤と慶海は慌てた。出し抜けに陰陽師今出川鬼善の私兵が現れて、盗賊らを次々に捕らえ始めたのだ。
まさか捕縛する側が増えるとは考えてもみないだけあって、協力し合っていたはずの工藤も慶海もおのおの手前勝手に功を焦り、結果、比叡山の僧兵と工藤一党、そして今出川一門は、からめ取った盗賊さえも奪い合う醜態を演じてしまう。
光があればそこに影が出来る。平安京に雅な世界があるというのなら、そこには必ず闇があるはずだ。御家人や僧兵、民間の私兵に追い立てられたこの盗賊らをその闇だというのならば、それは闇の上澄みでしかない。露もしのげない食い詰めが木端のごとき己の命を一攫千金に賭けたまでのことである。
しかし、平安京には真の闇が存在する。後日、法性寺の一件を耳にした夜叉蔵はせせら笑う。
「面白いことだ。人生あきらめかけたこんな時に、こんな楽しみがあろうとは」
夜更け、黒布の帯でぐるぐると顔を覆うと闇の平安京を駆け抜け法性寺に忍び込む。そしていとも簡単に黄金の千手観音像を盗み取り、法性寺を抜け出した。だが、平安京の闇に消えては往かない。工藤の陣所に忍び込み、床几に坐した甲冑武者の前に躍り出る。
「工藤祐長だな」
呼びかけた相手が一瞬ぎょっとなったのに、夜叉蔵は嬉々とした。すかさず手に持った千手観音像でその頭を引っ叩く。
兜が宙を舞い、地面に転がった。
思いもかけない衝撃に声を失った工藤だったが、己が無傷と知るやおののき叫んだ。すでに黒覆面の姿は無く、のんきに構えていた家人らは何ごとかと太刀を手に手に右往左往する。やがてその中の一人がわめき散らし、そして地を差す。その先には、工藤の兜が転がっていた。よく見るとその天頂には、千手観音の手一本が突き立っていた。
みなが固唾を飲む中、だれかが言った。
「後鳥羽上皇が魔王となり鬼を使わされた」
数年前、皇室勢力と幕府勢力は天下を二分し、覇権をかけて争った。世に言う承久の乱である。その敗者として島流しとなったのがこの後鳥羽上皇である。
一方で、この騒ぎにこらえ切れなかったのだろう、ここ数日盗賊も来なく暇を持て余していたこともあって、比叡山の僧兵らが我も我もと工藤の陣所に雪崩込む。そこで千手観音の手が刺さった兜を目の当たりにし、誰もが凍りつく。その中の一人が言う。
「げに恐ろしきは邪教のなせる技」
比叡山などの旧仏教勢力は自身を聖道門と称し、新興勢力を念仏門と呼び蔑んだ。そしてそれを邪教という場合、念仏門の吉水教団をいった。
明らかに昨日までの敵ではないと自覚した工藤一党と比叡山の僧兵だったがことすでに遅く、ただ呆然とする体たらくであった。
ところが今出川一門は違った。この騒ぎに、鬼でも邪教でもなく黒覆面の男が現れたと感じとったのだ。当主の今出川鬼善は、公家の邸宅を警護して宋銭を稼ぐとともに信頼も勝ち得ていた。ところがその黒覆面の男には何度も煮え湯を飲まされていた。それだけでない。黒覆面の男と戦って誰もが分かったのだ。黒覆面の男がまぎれもなく武芸の最高峰に立っているということを。今出川一門は武者修行で諸国を旅し平安京に流れ着いた無頼漢の集まりである。占い専門で武に疎い鬼善に成り代わりそれを束ねていたのが佐近次という男であった。その佐近次が色めき立つ一門を前にして言った。
「わたしたちは心ならずも今出川一門という名で徒党を組んでいます。それも悪くはありませんが、今夜のみ本来の姿に戻ろうではありませんか。思い出して下さい。わたしたちはもともと独り。親兄弟をも顧みずわが身一つで生きてきた。それもこれも武芸を極めんがため。悔しいでしょう。やりきれない思いでしょう。されど悲観することはありません。いままさにその日がやってきたのです。黒覆面の男を倒せば間違いなくその者は天下第一です」
その言葉に一門みな、気勢の声を上げる。そしてそれぞれが思い思いに黒覆面の男を求め、平安京の闇に消えていった。
金品目当てではなく、気晴らしをしたいがためだっただけに、夜叉蔵は急いでねぐらに帰ってもしかたがなく、ならば市街を右往左往する松明の明かりでも見てやろうと平安京の南、東寺の甍に腰を落ち着けていた。
ところがいつまで経ってもそうはならない。面を黒布で覆っていることがこんなにも人に恐怖を与えるものかと感心する一方で後悔もしていた。このところ、『黒覆面の男』という名が平安京で一人歩きし出している。まるで鬼か、もののけか、それよりはましだったとしても、悪い宗教を信じて憑き物に憑依された狂人といった風である。
ま、それは仕方ないとして、と夜叉蔵は諦めた。そもそも平安京を恐怖に陥れようというつもりはこれっぽっちもない。真の目的は工藤祐長ただ一人だった。
「それにしても工藤の、あの驚きよう」
そう言うと夜叉蔵は腹を抱えて笑った。
その昔、工藤祐長の父、祐経と夜叉蔵は主人こそ違え共に戦った朋輩の間柄であった。その祐経が女を辱めた。そう、あれからもう四十年は経とうか。女は平安京で名を馳せた白拍子で、それに目を付けた祐経の主人がその女に歌舞を強要した。女が生んだ赤子を海に沈めて命を奪ったその上でである。祐経は嫌がる女を言葉巧みに説得し、己の主人とその幕僚の面前で歌舞わせた。この時、祐経は鼓で拍子をとった。後で聞いたところによるとその音色は得意げであったという。
「鼓上手といっても、あの頭はつまらん音であったな。いや、待てよ。わしの叩き方が悪かったのかな? 上手く叩けばもっといい音を鳴らしたかもしれん」
いや、そうじゃない、何かが間違っていると自嘲気味に笑い、「鼓上手は父の祐経であって、子の祐長ではない」と言っといて、さらにそれに被せる。
「そこかよ、頭は太鼓じゃないってぇえの」
自分で話を振り自分で突っ込んでおいて、夜叉蔵は腹をよじって大笑いする。
だがそれもそこそこに、ため息をつく。
「つまらぬことをしてしまった」
夜叉蔵はこの一人遊びのためにわざわざ法性寺に忍び込み、工藤祐長の頭を引っ叩いたのだ。
「……静御前」
ぼそりと女の名を言って、塞ぎ込む。美しくも凛々しい女だった。その静御前はというと歌舞を強要されたあと、長くは生きていなかったという。
「この世はつまらん。そう思いませんか。義経様」
義経とは夜叉蔵の主人である。
「楽しかったのはほんの一瞬」
義経が笛を吹き、静御前が歌舞っているのを思い返す。
「もう一度感じたい。二人の気持ちが合わさって一つになって、聞くものだれもがその気に包まれる。そう、みなが一つになるあの感覚。あれ程のことはもうこの世では感じられまい。他は全部、結局つまらん。戦もつまらん。金もつまらん。つまらん。つまらん」
「つまらん」をずっと繰り返していた夜叉蔵だったが、それを突如として止め、飛びのいた。瓦の割れる音と同時にいましがたまで座っていた所に男が降り立っていた。
佐近次である。その足元の瓦は粉々に砕けていた。夜叉蔵はかろうじて回避は出来たものの、そこへ佐近次の横薙ぎが向かってきていた。
仰け反ってかわした夜叉蔵は後方へ倒れる勢いそのままに、トンボを幾つも切って佐近次の間合いから遠ざかる。そして二の手が繰り出されるのを警戒しつつ身構える。だが、その佐近次はというと瓦の砕けたそこで、切っ先を夜叉蔵に向けたまま突っ立っている。そしていぶかしんでいるのか、その頭は傾いでいた。
「今、ぼぉっとしていませんでしたか?」
その洞察力に驚いた夜叉蔵だったが、それはおくびにも出さない。
「わしのことはよい。それより佐近次よ、今、本気でわしを殺そうとしただろ?」
「わたしはいつも目一杯の力であなたに挑んでいます。黒覆面、わたしでは不服でしょうが今夜もあなたはわたしに胸を貸さなければなりません」
「いまの攻撃はそういうのとはちょっと違うんじゃないか、本気じゃったぞ。この前はわしの技が見たいんで、初めは様子見。その後はわしに色んなことをさせようとあの手この手じゃった」
「やはり見透かされていましたか。あなたの武芸がわたしのと全く違って見えるので眼福にあずかろうと。でも、諦めました。あなたはお強いし、そんな御先輩に尊敬の念を忘れていました。己をわきまえず失礼の限りです」
そう言うと佐近次が打ちかかってきた。夜叉蔵は手にある黄金の千手観音像でそれを受け止めた。それから二人は四手ほど交わし、機を計ったようにお互い同時に掌手を繰り出す。
掌と掌がぶつかり合う。火花を散らす視線。それも束の間、互いは飛びずさった。夜叉蔵は得心した。
「おそろしいやつ。おまえさんは現時点、天下で最強であるぞよ」
「わたしが最強ならあなたはなんです」
「うむ。わしのは借り物じゃな。わし自体はどおってことはない」
「借り物?」
「おまえさんは己でその高みまで到達したのであろ。わしのそれはある人物に預けられ、いつかは返さないといけない。返せばわしはただの人、いや、それどころか死は免れぬ。こういうのを借り物っていうんじゃろ?」
「……妖術。お前のは邪道だ」
お久しぶりです(笑)。そして新しく来られた方、読んで頂きありがとうございました。次話より木、日曜の更新サイクルとさせていただきます。今後ともご愛顧賜りますよう、よろしくお願いします。