第145話 大都市の闇の部分で
皇帝が支配する地域、シルバ。
帝都であり、シルバの中心でもある都市〔ガティ〕。
その規模は大きく、人口は数万人とも。
それに見合う様に。
富裕層が暮らす地域、一般人の居住区域。
商店街や工業地帯もある。
そして、闇の部分も。
ここはガティの外れ、北東域に位置するスラム街。
富裕層からは、侮蔑の意味も込めて〔スラッジ〈Sludge:ヘドロの意〉〕と呼ばれている。
そこに暮らす住人は、事情が様々。
借金に追われ逃げて来た者。
成り上がりを目指したが頓挫した者。
金持ちの金品を奪う目的で侵入した者。
要は、殆ど金絡み。
隙有らば他人の金を盗もうとする、そんな連中のたまり場。
しかしそれでも、心の拠り所は在る。
スラッジの、更に北東に位置する教会。
信仰される神の名は、とうに忘れられた。
ただ、祈る為の祭壇が有るのみ。
椅子や神の像等も無い。
建物はボロく、床も抜けそう。
屋根も雨漏りが酷い。
こんな場所でも、荒んだ心を癒せる《ある物》が。
それは。
ある親子が、祈りを捧げにやって来る。
何を祈っているのかは分からない。
家内安全か。
境遇脱出か。
6,7才程の少年と、その母親。
2人共膝間付いて、手のひらを合わせ目を閉じている。
その祈りが通じたのか否か。
教会の裏から、大きな音が。
ドーーーーーーーン!
「な、何?」
「怖いよー、お母さん!」
少年は、母親の足にしがみ付く。
『大丈夫』と優しく声を掛け、母親は少年を背中に負んぶする。
何か有るといけない。
危険を承知で。
母親は背中の少年を伴い、音のした方へ。
教会の裏には、古い木製の小屋が立っている。
納屋の様な役目を、曽てはしていたらしい。
今はほぼ使われていないが。
なので、かなり警戒して進む。
そろーり、そろり。
少年には声を出さない様、口止めをして。
教会の陰から、小屋を除く。
すると、中から何かが出て来た。
「いた、いたたた……。」
周りは木々が茂っていて、昼間でも薄暗くなっている。
はっきりとした姿は見えないが、大きさはそれ程でも無い。
あれは……亀?
ごつい甲羅の様な物を背負っている。
尻尾もちょろりとはみ出ている。
体長は20センチ程か。
小さいゾウガメに似ている風貌。
周りをきょろきょろした後。
バッとこちらを見る。
『気付かれた!』
母親がそう思った時には。
「体を寄越せええええぇぇぇぇ!」
カサカサカサッ!
這いずり寄る虫の様な素早さ。
叫びながら、あっと言う間に母親の足元まで。
「ひいっ!」
少年が思わず声を上げる。
声に反応し、少年に向き直る亀。
「こっちの方が、乗っ取り易いかあああぁぁぁ!」
母親の背中に、亀が飛び掛かろうとした時。
ビカッ!
ドッスーーーン!
眩い光と強烈な落下音が、同時に発生。
そして、小屋がパッと金色に変わったかと思うと。
ジェル状に変化した。
それはギューーンと。
何処かへ伸びて行き。
すぐにシュルシュルと縮まった。
バシューーン!
ビチャン!
液体を叩き付けた様な音がして。
周りは濃い霧に包まれた。
今だ!
母親は少年を背負ったまま、後方へジャンプ。
ドサッと地面に着地した。
景色が横になる。
幸いにも、亀はこちらを追って来なかった。
寧ろ、動けずにいる様だ。
何かに恐怖している?
そう母親が考えている時。
「お母さん!あれ!」
背中から離れてゴロンと転がっていた少年が、霧の中に何かを見出した。
母親が目を凝らすと。
多数の人間と、馬が付いた滑車の様な物が……。
そこから。
「ふう、着いたか。」
若い男の声。
霧の中を蠢く姿は、他にも有った。
「結局これは何?何をやらかしたの?」
男に詰め寄っているのは……女?
こっちも、声からして若そうね。
後は……?
「ひいーっ、気持ち悪っ!ほんっとうに気持ち悪っ!」
「そういやあんたは初めてだったわね、こう言うの。」
「普通はねえよ!こんな経験!」
「でもあんたの師匠は有るわよ?ねえ?」
「ま、まあそうだけど……。」
「師匠!何て変態な……!」
「あれは!仕方無く!仕方無くでしょ!」
「そうだったかしら。」
「もう!誤解を招く様な言い方は止めて!」
「まあまあ、落ち着いて。皆、何とも無かった様子ですし。」
「全く、摩訶不思議な力だな。」
「あ、あたしはビビッてなんか無いんだからね!本当だからね!」
「わ、分かったから。そのギューッと腕を握るのを止めてくれないか?」
賑やかなやり取りが聞こえて来る。
少年はキョトンとしている。
が、すぐ母親に目を輝かせて尋ねる。
「ひょっとして、【救世主様】かな?」
「あんなの、ただの言い伝えよ。そんな事有る訳が……。」
そう言って、霧の中の一団を見続ける母親。
まだ警戒心は解いていない。
すると、シュンッと一瞬で霧が晴れた。
一団の姿がはっきりと見える。
その中から、近付いて来る者。
最初に聞こえた声の主。
青年っぽい少年。
ツカツカと迫り寄ると。
強張っている亀をムンズと掴む。
そして、こう言った。
「お前か、憑り付いていたのは?」
亀はもがく。
逃げようと。
何とかして。
でも、無理だった。
「く、くそう……!」
そう言うと、亀は黙ってしまった。
母親と少年に気付き、近寄って来る男。
「こ、来ないで!」
叫ぶ母親。
対照的に、相手が人間と分かったからか。
好奇心一杯の少年。
男に駆け寄る、大人の男。
少女が握っていた腕を振り払って。
その鎧には。
紋章。
王族縁の。
……貴族?
身分の高い人が、何故こんな所に?
疑問で頭がフル回転する母親。
鎧の男は母親に近付くと、前屈みでこう言った。
「済まない、迷惑を掛けてしまった。ちと尋ねるが、ここは何処かね?」
「何処、と申しますと?」
「いやあ。我等、シッティの町から跳んで来たらしいのだ。」
「え?シッティはここから町2つ先では……?」
「と言う事は、ガティで相違無いか?」
「は、はあ。」
呆れる母親。
『跳んで来た』と聞いて、はしゃぐ少年。
「凄い!凄いや!」
鎧の男は、若い男に向かって叫んだ。
「クライス殿!あなたの言う通りになりましたぞ!」




